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TV

2009年3月12日 (木)

「ツイン・ツイン・ピークス」、快調に製作進行中!

本日のdugpa.comネタ。

いつまでたっても「ツイン・ピークス」の続きをリンチが作ってくんないなら、テメーたちで作っちゃうぞ! とゆーわけで、ポートランド州立大の学生たちを中心にファン・フィルムが製作中だそーな。題して「TWIN TWIN PEAKS PROJECT」(笑)。

公式ホームページによると、ファン・ベースで書かれた30エピソードの「サード・シーズン」シナリオをもとに、なんとスノコルミーやノース・ベンドをはじめとするオリジナルTVシリーズのロケ地で撮影を行うとゆーから、こりゃまた豪勢な話だ(笑)。あ、そのかわりといっちゃーなんだけど、キャストもすべてファンが手弁当でやっておりますのでご注意(笑)。

公式ホームページでは、現在「撮影日記」が三日分掲載されております(いや、全部3月9日のアップだけどな)。それによると、「グレート・ノーザン・ホテル」の内部として使われた「キアナ・ロッジ(The Kiana Lodge)」での撮影や、「ダブル・R・ダイナー」の内部撮影で使われ、火事で焼けたあと現在では「ツゥエード・カフェ(Twede’s Cafe)」となっている食堂での撮影が行われた様子。今後も進行にあわせて順次アップされる(と思うぞ)。

Lauraslog300x225 ところで、こちらは「キアナ・ロッジ」の前の湖畔に転がっている、ローラ・パーマーの死体が見つかった近くに鎮座ましましていたとゆー由緒正しい「丸太」(笑)。何年か前、いつの間にかドンブラコと湖に流れ出しちゃったことがあって、ボートで回収するのに大騒ぎだったそーだ。また流れ出したりしないように、今はアンカーで固定されているとゆー話。いやー、この丸太の横で客をビニールでグルグル巻きにして10分寝転がらせる……とゆー「ローラ・パーマー体験アトラクション」を10ドルぐらいの料金でやったら、儲かりませんかね?(笑)

てなわけで、「ツイン・ピークス・フェスティヴァル」での公開を目指して、快調に(ホントにホントだな?)製作が進んでいるよーです。いや、監督が主演女優に惚れて、口説いてフラれて、ショックのあまり製作中断……ってな、自主制作映画によくありがちな事態が発生しないことを祈りつつ(笑)、乞うご期待!(笑)

2008年9月 6日 (土)

「ツイン・ピークス」関連の捜しモノのおハナシ

本日のDugpa.comネタ。というか、「TWIN PEAKS ARCHIVE」ネタ。

お母さん、あの汽車の車両、どうしたでしょうね。ええ、ローラ・バーマーが殺された、あの車両ですよ……

……というような話題が、ずっと以前から向こうの「ツイン・ピークス」ファンの間では出ていたらしい。実は大山崎は知らなかったのだけど、あのローラ・パーマーの殺害現場になった車両が、いつのまにかロケ地となった「Snoqualmie Valley Railroad Yard」から姿を消していたらしいんである。

Car_273_original ←コイツね。その行方に関しては、当時からいろいろなウワサ・ヨタ話・都市伝説(笑)が飛び交っていた様子なんだけど、90年代前半から半ばにかけてマコトしやかに囁かれていたのは、「日本の『ツイン・ピークス』ファンが買って、コレクションにした」というものだったらしいから、ちょっとオドロキ(笑)。いやあ、あの頃はバブルで日本も景気良かったしなあ、思わず遠い目になっちゃうなあ(笑)。てな感慨はさておき、日本からわざわざツアーを組んで、遠路はるばるワシントン州スノコルミーまでロケ地見物に訪れる日本の「ツイン・ピークス」ファンの存在に、向こうのファンも一目置いていた様子がうかがえる。うむ、ちょいと、いい話ではある(そーなのか?)。

その後、「2000年5月に、解体されてオレゴン州のアストリア(Astoria)の鉄道博物館に送られ、そこで修復を受けた」という話が2002年の「ツイン・ピークス・フェスティヴァル」の席上で発表され、ファンの間ではこれが「定説」となっていた。この話はスノコルミーにある「Northwest Railway Museum」が出元だったので、まあ、信じますわな、フツー。

んが、なんと、この話がアヤシイことが最近になって判明。「Northwest Railway Museum」の記録によれば、撮影に使われた車両は「1915年製造、Barney&Smith社製造の客車#273である」ということだった。しかし、アストリアまで車両を見に訪れた物好き……いや、熱心なファンの証言によると、そこに存在した「Spokane Portland and Seattle car #273」の車両は、半分貨車半分客車のいわゆる「貨客車」であって、「ツイン・ピークス」に登場したものとはゼーンゼン違った形をしていたとゆーのである。

Car_2731 ←こちらがアストリアの鉄道博物館にある現物。確かに窓の形状とかが、まるで違いますわな。


あやや? 「Northwest Railway Museum」ってば、ナンか勘違いしてね? と向こうのファンがどよめいていたところに、この博物館の歴史を調査しているというボランティアの人から、衝撃的な手紙が舞い込んだ。問題の車両は、すでにスクラップ処分にされていたというんである。

調査の時に出会った博物館の技術者に問題の車両のことを尋ねてみたところ、かえってきた返事は「アレはTOYOTAの自動車になった(It's making Toyotas)」。なんのこっちゃいと思って詳しく話を聞いたところ、しばらく前に「Northwest Railway Museum」は収集していた車両の整理を行ったらしい。これが2000年のことだかどーだかよくわからないのだが、その際、傷んで修復不可能なものはすべてスクラップ処分にされてしまったのだけど、技術者の人の証言によれば「『Barney&Smith社製の客車#273』もそのとき処分された」とゆーんである。

しかしまた、なんで「TOYOTA車」御指名?(笑) 絶対に「FORD」じゃない確信があんのかよう、コラ……などという小学生レベルの難癖はともかく(笑)、とにかく「TWIN PEAKS ARCHIVE」に出入りしているファンたちは、現在、当該車両がスクラップされたことを裏付けるための書類を探している様子だ。が、それでも希望を失わず「泣くのはイヤだ笑っちゃおう」なのが向こうのファンのいいところである。「もし、どこかであの車両が置かれているのを見かけたら、証拠写真を送ってちょ」とゆーことなので、「あ、そーいえばウチの家のガレージに置いてあるわ」という方がいらっしゃたら、連絡とってあげてください、ぜひ。

6 まあ、なんつーか、つい先月、「ツイン・ピークス 劇場版」に登場したトレーラー・カー・パーク(「Fat Trout Trailer Park」とゆーところらしい)の電柱に掛けられていた「6」という表示の看板が、何者かに盗まれる事件があったばかりなのね。心ないファンの仕業という可能性が高くてナントモなんだけど、「あ、そーいえばウチの勉強部屋の壁に、富士山登頂記念のペナントと一緒に掛かってるわ」という方がいらっしゃたら、コッチの方もそっと返しておいてやってください、ぜひ。

Fwwm_car_273 Car_2732 追記:どーやら「ツイン・ピークス 劇場版」の撮影には二種類の車両が使われていたようで、それで「Northwest Railway Museum」が混乱したんじゃねーの? という説が出ているようだ。向こうのファンたちが探しているのは、写真の「パイロット・フィルム」および「劇場版」の撮影に使われた車両なんだけど、「劇場版」の撮影のみに使われた別の車両があるとのこと。確かに「劇場版」の車両にはスライド・ドアが付いてるのが認められ、アストリアの鉄道博物館が所有しているのは、思いっきり後者のほうっぽい感じでありマス。

2008年7月 2日 (水)

ブリッグス少佐、死去

本日のDugpa.comネタ。でも、悲しいお知らせ。

Davis02 「ツイン・ピークス」のブリッグス少佐役を演じたドン・S・デイビス氏が、現地時間の6月29日に心臓の発作で亡くなったとのこと。享年65歳……って、えええぇ? ってことは、ブリッグス少佐役をやってたときって、40代だったわけ? すみません、貫禄がおありだもんで、てっきりもちっとお年を召してらっしゃるとばかり思い込んでました。

ざくっとドン・S・デイビス氏の略歴をIMDbから引用しておくと、本名はドン・シンクレア・デイビス(Don Sinclair Davis)。俳優としてのデビューは1982年。ミズーリ州出身。出生が1942年8月なので、40歳のときの遅咲きデビューだったということになる。主に活躍の舞台はTVドラマだったが、「フック」(1991)、「コン・エア」(1997)などの映画作品の出演もあり。2003年からは体調を崩して仕事をセーヴしていたとのことだが、最終的には2008年公開予定の「Far Cry」まで、通算135タイトルのテレビ・映画作品に出演した。面白ネタとしては、「人間をチェスの駒に使って、相手にとられたらその人間が殺される」というネタのテレビ・ドラマに一年の間に二回出演した……というのがある。ひとつはもちろん「ツイン・ピークス」、もう一本は「Monkey Planet」という番組の「All the King's Horses」の回。一度の離婚を経て、2003年に現在の奥さんであるRubyさんと再婚。以下がRubyさんからのファンに向けてのメッセージ。

Dear Fans and Friends of Don S. Davis,

So many of you have been touched by not only the work and art of Don S. Davis, but by the man himself, who always took the time to be with you at the appearances he loved, that it is with a tremendous sense of loss I must share with you that Don passed away from a massive heart attack on Sunday morning, June 29th.

On behalf of his family and wife, Ruby, we thank you for your prayers and condolences. A family memorial where Don's ashes will be scattered in the ocean will take place in a few weeks, and should you wish to, please make a donation to the American Heart Association in Don's memory.

どうやら、お葬式のあとは、海に散骨される予定らしい。最後に、「American Heart Association(AHA)」への寄付を呼びかけて、Rubyさんのメッセージは終わっている。

改めて、デイビス氏の御冥福をお祈りします。

2007年9月25日 (火)

「ツイン・ピークス」まわりの微妙な話題

本日のDugpa.comネタ。

2008年発売予定の「レイニーウッズ(Rainy Woods)」というXbox 360とPS3用のゲームが、米国のツイン・ピークス・ファンの間で物議を醸している様子だったりする。

要するに「こりゃ、オマージュの域を越えてちゃってるんじゃないの?」というか、「やり過ぎ」というか、まあ有体に言ってしまえば「パクり(Ripoff)じゃね?」という声があがってるらしい。

うーん、現状では個人的な見解は保留しておきたいのだけど、「レイニーウッズ」のトレーラー映像を見た限りでは、「太平洋岸北西部の田舎町」という舞台設定とか、登場人物の設定とか、「赤い部屋にいる双子の小人」とか、確かに指摘どおり「ツイン・ピークス」を連想させる要素が満載ではあるなあ。「サイレント・ヒル」は、向こうのツイン・ピークス・ファンにも評判がいいみたいなんだけど、ねえ?

「ツイン・ピークス」関連の版権許諾がかなり面倒らしいこと(いや、権利保全の意味合いからすると、それが当然なんですけどさ)、リンチが「ツイン・ピークス」関連のスピン・オフ作品を一切認めない姿勢であることを考え合わせると、こりゃちと微妙、いや、かなり微妙。この先ヤヤこしい話にならないことを極東のリンチ・ファンの一人としては願うばかりなんだが、さて、どーなりますやら。

追記: こちらがこの件に関する米国の掲示板。途中からゲームの話じゃなくて、「ツイン・ピークス」そのものの話題になっちゃってるのが、ご愛嬌(笑)。

2007年8月 1日 (水)

コミック版「ツイン・ピークス」ですかあ?

本日のdugpa.comネタ。

日本版の予約もすでに始まっている「ツイン・ピークス決定版黄金箱」だが、当初、特典としてサード・シーズンのグラフィック・ノベルが付録としてつくという企画もあったみたいだ。

結局、リンチのOKがとれなくてポシャっちゃったみたいなんだけど、詳細に関してはこちらの7月30日付けの記事をばドゾ。

企画の仕掛け人だったMatt Haley氏は、DCやらマーヴェルなんかのアメコミとかで活躍している画家みたいなんだけど、そっち方面はあんまり詳しくないんで、ちょっとよくわからず。そのうち詳しいヤツに確認とってみますわい。なんでもこの方、初放映時からバリバリの「ツイン・ピークス」ファンなようで、今回のコミック企画を思いついてから各方面の関係者と精力的にコンタクトを取りまくったみたい。

たまたま初めにコンタクトをとったパラマウントの女性担当者が、以前一緒に「スーパーマン」関連の仕事をした人だったらしく、そのおかげで門前払いもくらわず幸先のいいスタートを切れたっぽい。ただし、その時に「TP関係の版権クリアはなかなかキビしいわよ」という警告を受けていたそーだが、まあ、結果的にその言葉通りになったわけだ。

Laurasketch

その後、アンジェロ・バダラメンティやらシェリル・リーやらのOKをとったり、 DVD版のプロデューサーと連絡をとって付録の話の了承をとったりする一方、TVシリーズの副プロデューサー兼ストーリー・エディターだったBob Engelsとともにサード・シーズンのアイデア出しをしたりして、着々と企画は進行していた様子。

サード・シーズンはセカンド・シーズンから10年後の設定で、FBIを退職したクーパーは薬局を開き、トルーマン保安官はレスキュー隊員になり、今度は赤毛の「シェリル・リー」が登場してまたもやキラー・ボブに殺され…… 等々のアイデアが出ていたらしいのはいいけれど、「クリーム・コーンの惑星から来たボブとマイク」ってのはいったい何ですか、それ(笑)。その他、トルーマン元保安官がマイクにカチ込みかけて、ブラック・ロッジまで追い払うってなシーンも考えてたらしいんだが、詳細はよくわからず。

bobsketch

マーク・フロストのOKもとってトントン拍子に話は進み、さあ、最後の本丸であるリンチ……というところで、丁重なお断りをいただいてしまったのだそーだ。どーやらTV番組の権利はABCに、ソフト化の権利はパラマウントにあるものの、関連企画のチェック&承認の権利自体はマーク・フロストとリンチが保持しているということみたい。で、前々からの発言どおり、残念ながらリンチは現在の形で「ツイン・ピークス」を終わらせる意向のよーであります。

てなわけで、幻と終わった「ツイン・ピークス サード・シーズン」グラフィック・ノベルのお話でありました。

2007年7月 9日 (月)

「インランド・エンパイア」と「Axxon N.」と

デイヴィッド・リンチが公式サイトを立ち上げて、「Dumb Land」や「Rabbits」などの作品を有料で公開し始めたころ、2002年3月1日付のこんな記事が流れた。リンチに対するインタビューをもとに構成された記事で、その当時自分も目にしたことがあったが細部は忘れていた。が、「インランド・エンパイア」を観た後もう一度読み返してみると、いろいろと示唆に富んだ受け答えをリンチはしている。

もっとも興味深いのは記事の最終部分にあるリンチのコメントで、「公式サイトで配信している作品をTV局に売り込むつもりはあるのか」という記者の質問に対して答えたものだ。

----「これがTVだ。(インターネットは)新しいTVだ。(中略)これらの作品は、TVで観るのもインターネットで観るのも、同じようなものだ。だったら、なぜTVにこだわる必要がある? TVは死んだ」

……いきなりの死亡宣告であるが(笑)、「マルホランド・ドライブ」を米ABCに蹴飛ばされた怒りが未だに消えていないことがうかがえ、その点でも興味深い。だが、もっと興味深いのは、この発言を読む限り、「Dumb Land」や「Rabbits」などの配信用の作品を、リンチは「TV番組」という意識で作っているともとれることだ。この2作品が何話にかわたる連続作品として作られていることも、それを補強する状況証拠といえる。

となると、結局単独作品としては完成せず公式サイトでの公開には至らなかったものの、これまた全9話となる予定だった「Axxon N.」も、おそらくはTV番組として意識された作品になっていた可能性が高い……と考えるのがとりあえずはストレートだ。「Dumb Land」がTVアニメ、「Rabbits」がシットコムとなると、殺人がからむ話といわれていた「Axxon N.」は犯罪物TVドラマという位置付けだったのだろうか(そういえば、リンチの公式サイトには「天気予報番組」まであるのだった。リンチは本気で、自分のサイトを「自前のTV局」と考えているみたいだ)。

もしそうだったとすると、「インランド・エンパイア」のなかで、あるときはレンガの壁に書かれ、またあるときは鉄の扉に書かれている「Axxon N.」という文字は、「TVによる映画に対する侵食」の象徴であるように思えてくる。「Rabbits」の「インランド・エンパイア」内における位置付けについては、「インランド・エンパイア」を観た (1)で述べた。繰り返し登場する「Axxon N.」の文字も、やはり「Rabbits」と同じく、変容してしまった我々の「映画受容の形」に対するリンチの思いの表れであるのかもしれない。

「インランド・エンパイア」内における位置づけとしてもうひとつの可能性を示唆するのは、「Axxon N.」に続けてアナウンスされる「the longest running radio play in history」というサブタイトルだ。つまり「Axxon N.」が、むしろ逆に、いまや映像ドラマに駆逐されてフェイドアウトしてしまっているラジオ・ドラマの痕跡に対するオマージュなのではないかという見方である。そう考えると、冒頭の顔をかき消された男女の映像は、映像に比べて感情移入装置として制約があるラジオ・ドラマに対する映像的オマージュとも読み取れる。この視点に立つならば、「インランド・エンパイア」は、映画・ラジオ・TVという三つのメディアに関して言及した作品になるといえるだろう。

それにしても、いずれにせよ近い将来、我々はこの「インランド・エンパイア」という作品をおそらく、いや確実に、DVD再生という手段を用いモニターを通して観るはずだ。そう思うと、なんだか一種複雑な心境になってしまう自分がいたりするのがナントモだ。

2007年7月 8日 (日)

「ツイン・ピークス」関連あれこれとか

本日のdugpa.comネタ。

10月に「Twin Peaks Definitive Gold Box Set」通称「ツイン・ピークス決定版黄金箱」なるものが北米で発売されるらしい、というのは既報どおり。

しかし、現在公表されているボックス・アートはアチラの「ツイン・ピークス」ファンにはすこぶる評判が悪いようだ。映像特典の内容同様、あのボックス・アートも最終決定ではなくてまだまだ変更の余地があるようなので、ま、今のうちにクレームつけちゃれということではないかと推察する(笑)。

ただし、そこはそれ、FNFの例にもあるように「欲しいものは自分で勝ち取れ」という非常にポジティヴなお国柄の人々のことである。気に入らないなら、気に入るようなボックス・アートを自分で勝手にデザインしてやるというファンが現われるのは当然の帰結だ。ということで、自家製デザインのあれこれはこちら

こんなにいっぱい作る必要があったのかとも思うが、これぞ「ツイン・ピークス」にかける情熱の証しというものでありましょう(笑)。

それと、新しく立ち上がった「ツイン・ピークス」ファン・サイトの紹介もあった。2回にわたるローラ・ママ(Grace Zabriskie)へのインタビューやハンク・ジェニングス(Chris Mulkey)へのインタビューがあったりして、気合が入ってマス。

Grace Zabriskieによると、最初リンチから「インランド・エンパイア」のオファーがあってから実際のシナリオ到着まで、なんやかんやでエラク時間がかかったらしい。なので、もう誰か他の人で撮っちゃったのかなーとか思ってたそーだ。なおかつ撮影三日前にいきなり「東欧なまりで喋ってくれ」といわれて、慌てて方言トレーナーを捕まえたりして大騒ぎだったとのことである。まあ、このあたりもクルーの人数を絞れるDV撮影の身軽さの表れなのかもしれない……って、そうなのか? それでいいのか?(笑)

2007年6月30日 (土)

「ホテル・ルーム」のシナリオをば読む

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「ホテル・ルーム」(1993)は米HBOテレビのために作られたオリジナル・ドラマで、全3話のうち「トリック」と「停電」 の2話をデイヴィッド・リンチが監督している。シナリオは「ワイルド・アット・ハート」で原作者として初めてリンチと組んだバリー・ ギフォードで、二人はこのTVドラマの仕事をした後、「ロスト・ハイウェイ」のシナリオを共同執筆することになる。

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で、このTVドラマのシナリオ集である「Hotel Room Trilogy」という本が、ミシシッピー大学出版局から出ている。 もちろん、著者はバリー・ギフォード。ただし、リンチが監督しなかった「ロバートにさよなら」(監督はジェームズ・シグノレッリィ) は入っておらず、かわりにギフォード自身の短編小説をもとにした「カシフィ夫人(Mrs. Kashifi)」というオリジナル・ シナリオが収録されている。

ホテルの一室を住居にしているカシフィ夫人のところへ、30歳くらいの母親が8歳になる息子を連れてやってくる。 カシフィ夫人は占い師で、母親は先日亡くなった自分の母親、つまり息子の祖母があの世で幸せに暮らしているかどうか確かめにきたのだ。 母親と夫人が別室で紅茶占いをしているあいだ、息子のチャーリーは鳥かごに入った一匹のインコと取り残されることになる。すると、 そこに祖母の亡霊が現われ、彼に話しかけて……。

……という、いかにもギフォードらしい毛色の変わった幻想譚である。年代は1952年に設定されているようで、となると、 ちょうど1936年に設定された「停電」と1969年の「トリック」の間に起きた話ということになるはずだ。ただし、 もともとTVドラマ用のシナリオとして書かれたわけではないので、若干、他の話とフォーマットが違っている。 廊下と部屋だけでなくホテルのロビーも舞台として出てくるし、カシフィ夫人が住む部屋が603号室と明示されていない。部屋の構造も違う。 他のシナリオでは舞台となる都市がはっきりニュー・ヨークに設定されているのに対し、このシナリオでは「大都市」としか書かれていない等々、 番外編的なニュアンスが強い。

リンチが映像化していたらどんな感じになっただろうと思うのが、デ・ウィット氏という登場人物。 この男はカシフィ夫人と母親と息子の話には、直接にはからんでこない(間接的にはからんできて、 いろいろとこちらの想像力をかきたててくれる)。どうやら健忘症の気があるらしく、 フロントのホテルマンに自分が来たらその度に部屋番号を教えてくれと頼んだりしたあげく、 最後はなんともいえない登場の仕方をして話を締めくくってくれる。まあ、リンチの手にかかったら「カウボーイとフランス男」や「オン・ジ・ エアー」の登場人物たちのような、ベタな描かれ方になったとみるのが妥当なのかしらん。

ギフォードの前書きによると、この「カシフィ夫人」は彼が子供のころ、 奔放な母親と一緒に暮らしていたときに体験した話に基づいているらしい。「南部の夜三部作」など、この人の小説作品には南米文学を思わせる 「魔術的」な話が多いが、それらの作品群にも彼の実体験に基づいたものがあるのかどうか。

同じ前書きには、「ホテル・ルーム」の打ち合わせ時に、プロデューサーだったモンティ・ モンゴメリーとリンチがギフォードと交わしたという会話も披露されている。それによると、モンゴメリーとリンチには 「自分たちの祖母が観られるようなドラマを作りたい」という意向があったようだ。それに答えてギフォードいわく、「なにも問題はないな。 私がシナリオを書くから、あんたたちはお婆さんを縛りあげて猿轡をかませばいい」

……実行したかどうかは知りません(笑)。

2007年6月27日 (水)

カール・フロイントのこととか

では、ウェルズを追い返しつつ、続くぞ!

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そうした「ハリウッドが手に入れた才能」の一人が、カール・フロイントという撮影監督だ。ドイツ時代にはF・W・ムルナウの「最後の人」(1924)やE・A・デュポンの「ヴァリエテ」(1925)、フリッツ・ラングの「メトロポリス」 (1926)などの撮影を担当した人で、特に「最後の人」ではカメラをお腹にくっつけたり荷車に乗っけたりして、酔っ払いの主観視点を表現したり意図をもった自在なフレーム移動を実現したりした。

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後にアメリカに渡ってトッド・ブラウニングの「魔人ドラキュラ」(1931)の撮影を担当(ベラ・ルゴシ演じるドラキュラ伯爵の登場シーンは、実はブラウニングにかわってフロイントが監督したという説もある)、「ミイラ再生」 (1932)では監督も引き受け、ユニバーサル・ホラーのカラー確立にあたって多大な影響を与えた。ホラー映画だけでなく、ジョン・ヒューストンの「キー・ラーゴ」 (1948)における夜の嵐の海の撮影などでも、高い評価を受けている。

その後、新しいTV番組企画を立ち上げようとしていたコメディ女優ルシル・ボールとその夫だったデジ・アーネイズから声がかかり、大ヒット番組になった「アイ・ラブ・ルーシー」の撮影責任者になる。TVドラマ史上、初めてのフィルム収録になったこの番組のために、フロイントは3台のカメラを使った撮影システムを考案した。これを基礎とした撮影システムは現在のTV局でも使われており、我々は今も彼が開発したテクニックの恩恵を受けていることになる。

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補足しておくと、1950年当時のTVドラマは生放送が主だった。ネットワーク網が出来あがり、西海岸と東海岸の時差が問題になると(全米放送をすると、どこかの地区がゴールデン・タイムから外れる)、キネコ(TVカメラで撮影した映像をモニター画面に流し、それをフィルム撮影する)というテクニックを使って時間をずらして放送されることもあったが、当然ながらそのころの技術では画質が悪い。

それに加え、当時のTV番組は親局がある東海岸で収録されていた。だが、ルシル・ボールはハリウッドに住んでおり、西海岸での収録を望んでいた。彼女にとってフィルムによる撮影はそういう意味で必須で、前例のない収録方式をしぶるテレビ局を説得するのに苦労したらしい。結果として番組は大成功。なおかつ、映像がフィルムで残っているために再放送が可能になるとともに、ネットワークに参加していない地方局での放映もできるという副次メリットも生まれた。そういうアドバンテージもあって「アイ・ラブ・ルーシー」(1951~1957)はとんでもない長寿番組になり、続編を含め全米で人気を博することになる。

んなわけで、カール・フロイントが大西洋を挟んで、あるいは映画業界からTV業界をまたいで、大きな業績を残してきたことがわかっていただけたと思う。個々の技術を知っているだけでなく、そうした技術を開発し実用化する「能力」を備えた人だったわけだ。

ところで、ドイツのサイレント映画撮影において、海外版用のフィルムを作るために、ひとつのシーンを複数台のカメラで同時撮影したという話を聞いたことがある。フロイントの3台のカメラによるTV番組撮影システムは、こうした映画撮影方法をもとに考案されたのかもしれんと疑ってたりするのだが、さて、真相やイカにタコに。

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