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狂った一頁

2010年3月21日 (日)

「狂った一頁」の上映会。今回は、なんと弁士付き!

さて、イェール大助教授アーロン・ジェロー氏が「じゃあ、オレがいっちょ、乗り出すか!」とまで言うほどDVDが出る気配がない衣笠貞之助監督作品「狂った一頁」ですが、3月22日(月)に奈良で上映会があるようです。

このよーな上映会では16mmのサウンド版が上映されるのがこれまでの例でありましたが、今回はなんと活動写真弁士/片岡一郎氏による説明付き! ジェロー氏が「A Page of Madness  Cinema and Modernity in 1920s Japan」でも述べているように、1926年のこの作品の封切時には徳川夢声氏による説明がついておりました。フィルムの再発見後、岩波ホールにおける上映会等、何度もサウンド版による上映があり、2007年にはリストアされたサイレント版がFIAFの国際大会で上映されたりしておりましたが、国内で弁士付きで上映されるのは、戦後これが初めてかもとのこと。弁士による説明があるとないとでは、この作品のナラティヴに対する理解がまったく違ってくる可能性があるだけに、これは貴重な機会かと。

んでもって、上述の奈良での上映に先立って、実は20日には東京でも弁士付きで上映会がありまして、大山崎は終わってからそれを知ったんですねえええええ>地団太

てなわけで、近畿方面にお住まいの方は、ぜひお見逃しのないよーに。

2009年8月 1日 (土)

「A Page of Madness」を読む (2)

つなことで、予想外に続いてしまいましたが、衣笠貞之助監督作品「狂った一頁」に関するイェール大助教授アーロン・ジェロー氏の評論本「A Page of Madness  Cinema and Modernity in 1920s Japan」をば読んでアレコレ感じたことのメモの第二回目。今回は、フランス印象主義映画と「狂った一頁」との関連について。

「狂った一頁」はドイツ表現主義映画の影響下にあるというのが一般的な見方ですが、アーロン氏は、「精神病院」という舞台が「カリガリ博士」と共通していることやムルナウ監督の「最後の人」(1924年製作/日本公開1926年1月)が大きな間テクストとなることを認めながらも、それよりもむしろ、いわゆるフランス印象主義映画*からの影響が大きいと述べます。その論拠は、ざっくりいうと以下の二点です。

(1)フランス印象主義映画の特徴的映像手法である「フラッシュ」が用いられていること
(2)「人間の精神状態」を表現するに際し、(セットを主体とした)メゼンセンではなく、撮影技法による手法を主として採用していること

(1)について説明するには、まず、その当時の日本映画に対して、フランス印象主義映画の諸作品が与えた影響に触れておかなければなりません。日本においてフランス印象主義映画が公開されたのは1925年1月封切のアレクサンドル・ヴォルコフ監督「キイン」(1924製作)が初めてになります。その後マルセル・レルビエ監督「嘆きのピエロ」(1924製作/1925年3月封切)が、次いでアベル・ガンス監督の「鉄路の白薔薇」(1923製作/1926年1月封切)が公開されることになるわけですが、これらの諸作品が備える大きな映像的特徴は、「フラッシュ」と呼ばれる、短いショットの連続によるシークエンス構成の採用にあります(当時は「フラッシュ・バック」と呼ばれていたこともあったようですが、ここではハリウッド映画における「回想場面」を指す「フラッシュ・バック」と区別をつけるために「フラッシュ」で統一します)。この極端に短いショットの連続は、通常リズミカルな一定のテンポで提示され、ときとして緊迫感を盛り上げる目的などでそのテンポが早められる(ショットがより短くなる)といった手法も用いられました。

このフランス印象主義映画が日本で大きな影響を与えた要因のひとつは、こうした手法の土台となったレオン・ムーシナック等の映画理論が、ほぼ同時に伝えられたことにあります。理論と実践というか、学研のグリップとアタックというか(笑)、やっぱ理屈だけじゃなくて現物があったほーがわかりやすいわな。そして、この「フラッシュ」の手法は、そのままその後ロシアからもたらされたモンタージュ理論につながっていった……というのが一般的な見方であるようです。

アーロン氏の指摘を待つまでもなく、実は「狂った一頁」が公開された直後も、フランス印象主義映画からの影響は評者によって既に指摘されておりました**。山本喜久男氏著の「日本映画における外国映画の影響 --比較映画史研究」(1983年刊)に、この作品に関する当時のそうした批評が引用されています。

衣笠は彼のかなり豊富な内容的な手腕をかなぐり捨てて、「キイン」「ラ・ルー(鉄路の白薔薇)」等を土台にテクニックを作り上げた。
(「映画往来」大正15年11月号 宮森南二郎)

で、「狂った一頁」の冒頭のシークエンス……「踊り子の幻想と現実」のシークエンスには、あきらかにこの「フラッシュ」の手法が用いられており、当時の状況からして、アーロン氏も述べるとおり、これはフランス印象主義映画からの影響とみて間違いないかと思います。

んが、ちょっと疑問というかよくわからないのは(2)についてで、アーロン氏は、この作品とジェルメーヌ・デュラック監督の「ほほえむブーデ夫人」(1923)との共通性を強調しています。確かに踊り子あるいは小使いの「幻想」あるいは「幻視」を表す(その前後を含めた)映像は、ブーデ夫人が本を読んだり夫のことを考えたりしたとき、彼女の眼前に表れる「幻想/幻視」を表す映像と類似しています。その点では「共通している」といっても差し支えないと思うのですが、「影響」という観点から考えたとき、確認しなければならないのは「衣笠監督が『狂った一頁』を製作する前に、『ほほえむブーデ夫人』を観ていたかどうか」だと思います。大山崎の探し方が不充分なのかもしれませんが、現在のところ、「ほほえむブーデ夫人」の日本での公開年月日に関する資料、あるいはこの作品に触れた当時の映画評は見つかっていません。また、衣笠監督自身のこの作品に関する言及もないようです。なので、大山崎としては、ここらへんの判断は保留しておきたいと思います。

加えて、このような「登場人物の内面の映像化」もフランス印象主義映画全般の特徴として指摘されるものであり、アーロン氏が両作品の共通点として挙げている「主観的非現実の提示方法」……要するに「登場人物の幻視/幻想を映像的に提示する手法」についていえば、「鉄路の白薔薇」も同種同様のシークエンスを内包しています。もし「狂った一頁」が「登場人物の幻視」の手法においてフランス印象主義映画からの影響を受けているとしたら、それはむしろ(当時の日本でも大きく取り上げられた)「鉄路の白薔薇」との比較において考察したほうが妥当なようにも思われるのですが、いかがなもんでしょう?***

と同時に、ドイツ表現主義映画からの影響のなかに(衣笠監督自身の言及も残っている)「最後の人」も含めるのであれば、「(セットを主体とした)メゾンセンによる人間内面の表現が存在していないこと」は問題にならないようにも思います。「カリガリ博士」「ゲニーネ」(1920年製作/1922年日本公開)「朝から夜中まで」(1920年製作/1922年日本公開)などの特徴的なセットを用いた表現主義映画とは異なり、「最後の人」は(そしてそれ以降のE・A・デュポン監督「ヴァリエテ」(1925)等の作品は)リアリズムを基調としつつ表現主義を採用した作品であり、表現主義的手法を一般化した作品であると考えられることは、これまでにも何度か触れたとおりです。

しかし、このあたりは、こうした国をまたいだ文化的影響の実態を見極めることの難しさを物語るものであるように大山崎には思えます。たとえば、同じ衣笠監督の「十字路」(1928)に関する当時の海外の批評がその嚆矢です。映画完成後、衣笠監督はそのフィルムを携えて渡欧するのですが、それを観たフランスとドイツの批評家はこの作品をソビエト映画のモンタージュ理論の影響下にあるものとみなしました。しかし、実際は、当時日本においてはこれらのソビエト映画は公開されておらず、衣笠監督自身も「ソ連の新しい映画動向についてはいろいろ耳にはしていたが、映画そのものを観る機会など、もちろんあるべくもなかった」と自伝で述べています。「十字路」もまた、ドイツ表現主義映画やフランス印象主義映画の影響下にある作品なのですが、当のフランスやドイツの批評家はそこにソビエト映画の影響を読み取ったわけで、いやこりゃ、ナニがナンだかな話ではありますね。

先に触れた”「幻視/幻想」の映像化”に関しても、古典的ハリウッドの編集において(あるいはドイツなどにおいても)、その基礎的部分はずーっと以前からできあがっていたといえます。モンタージュ理論を採用した映画そのものも、ソビエトから直接入ってくるのではなく、その影響を受けたハリウッド映画を通じて日本では受容されたなんてなハナシもありで、まあなんつーか、はっきりいって「米ソ独仏日」入り乱れてグチャグチャです(笑)。こと映画における海外からの影響に関する限り、あんまり単純化して直線的に捉えるのは危険っつーことでありますなあ。

てことで、「よくわからないとゆーことがわかった」とゆーところで、今回はおしまい(笑)。

*「いわゆる」と断ったのは、批評家によっては「ひとつの明確な運動としては、そのようなものはなかった」と考える人もいるためです。エルビエ自身が認めているように、印象主義映画の監督たちが共通して追い求めていたのは「美学的な同一性」ではなく、あくまで「映画というメディアの他の芸術からの独立」あるいは「映画独自の表現の追求」という「理念」であった様子で、その括りは他の映画運動等と比べてもかなり緩やかだったみたいです。そのこと自体の是非はともかく、結果として、フランス印象主義映画はその名付け親であるサドゥール自身が記述したように「海外では知られず、実際に何の影響も及ぼさなかった」わけですが、こと日本だけはその例外であったといえます。しかし、ま、なんか個人主義っつーか、曖昧模糊としたっつーか、後の「フィルム・ノワール」と同じようなハナシではあります。

**当然ながら、ドイツ表現主義映画からの影響も、岩崎昶などによって公開当時から指摘されています。

***「狂った一頁」に二重露光で何度か登場する「自動車の車輪」のイメージは、「鉄路の白薔薇」に同じく二重露光で現れる「蒸気機関車の車輪」のイメージに重なります。「狂った一頁」といい「十字路」といい、なんか「丸くて回転するもの」が繰り返し出てくるんですが、これってやっぱ衣笠監督の共通モチーフなんスかね?

2009年7月26日 (日)

「A Page of Madness」を読む (1)

Pageofmadness てなわけで、「狂った一頁」のDVDがらみで紹介しさせていただいたイェール大助教授アーロン・ジェロー氏の評論本「A Page of Madness  Cinema and Modernity in 1920s Japan」をば入手しまして、現在ボチボチ読んでいる最中であります。まだ途中ではありますが、備忘録的にメモおよび所感など。

まず、(サウンド版もサイレント版も含め)現存しているバージョンは1926年のオリジナル公開バージョンと比べて、かなり短くなっているという話です。フィルム自体の長さでいうなら、東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵の復元版が1,617m(5,286フィート)であるのに対し、当時の劇場公開版は「2,142m(7,002フィート)~2,128m(6,956フィート)」であったという記録が残っています。どこでどのように欠落部分が発生したかは定かではないのですが、たとえば古い映画によくあるように「ある特定の巻のフィルム全部がすっこり欠落している」という状況ではないこと、あるいは1971年にフィルムが発見されたとき「すぐにタクシーを呼んで撮影所へ行き、ネガ編集室を借りて、ゆっくりと全巻をたしかめたのであった」と自伝「わが映画の青春」で衣笠監督自身が述べていることなどを理由に、その後「サウンド版」が再編集されたときに監督の手によってカットされたとみるのが妥当なのではないか……とジェロー氏は述べています。んが、先に挙げた「復元版」は(「サウンド版」ではなく)現存する「サイレント版」をもとにリストア作業が行われているはずなので、ちょっとそれでは話が符合しないようにも思われるのですが、なんか、大山崎、勘違いしてますかね?

では、どのようなシーンが欠落しているのか? それを検証する作業として、ジェロー氏は、衣笠監督が残していた撮影メモや、当時上演前に内務省へ提出が義務付けられていた「検閲台本」と現存するフィルムとの比較を試みます。具体的な例としては、「小使いの娘の婚約者が、友人から娘の母親が精神的に異常をきたしていることを教えられる」*というシーンが現存するフィルムからは欠落しているということなわけですが、どーやら集中的に欠落しているのは「新派悲劇」的な「ナラティヴな部分」であるよう読めます。

でもって、「検閲台本」は「弁士用台本」を兼ねていたとのことなんですが、このあたりは(自分を含めた)現代の受容者が、ついつい忘れがちになる点のように思います。その当時のサイレント映画は、上映に際して弁士による説明や楽団による生演奏の音楽が付随していて、決して「サイレント」ではなかったんですね。このあたりは、逆に当時の受容者だけが受けられた恩恵であるように思われます……ってか、たとえば「主人公の小使いと入院患者である女性が夫婦関係にあり、なおかつそれは病院内の関係者には知らされていない」という状況など、(少なくとも現存する版の)具体的映像からだけでは逆立ちしたって理解不能なわけで(笑)。この映画に対してどのような「説明」が弁士によってつけられたかという資料は残っていなんでナンともですが、もし前述した人間関係の部分なんかが補完されていたとすれば、当時の受容者は我々よりも(少なくともナラティヴな面では)この映画をずっと理解しやすい環境にあったんじゃないか……とジェロー氏は示唆します。

氏も指摘しているとおり、このあたりは現在の目で当時の映画作品を観ようとするときネックになる部分で、(前述した「弁士」のようなソフト面/環境面を含めて)完全な形で公開当時のまま残っていない作品をどう受容し、どう評価するか……ってのはムズカシイ問題ではありますね(と同時に、もちろん、「新しい観点」から過去の作品を観ることも重要な作業であるわけですが)。

その一方で、公開当時、岩崎昶をはじめとする批評家/文化人は、いわゆる「純映画劇運動」の流れのうえに、あるいは「純粋映画」(文学や演劇の影響を排した独立したメディアとして、言語やナラティヴに頼らず映像のみで受容者の感情を喚起する映画)という概念の延長線上に「狂った一頁」の前衛的な部分(たとえば冒頭の「踊り子の幻想(=内面で想起されているもの)」や、福引のシークエンスに代表される「小使いの幻想」のような非ナラティヴで前衛的な部分)を捉え、さまざまな留保をつけながらも評価しました。しかし、大山崎が思うに、これは見方によっては皮肉な事象であったかもしれません。衣笠監督はそもそも「女形の演技者」としてスタートし、「連鎖劇」(大正時代に存在した、ひとつの作品のあるパートは舞台劇で生身の俳優によって演じられ、またあるパートはあらかじめ撮影されたフィルムで上映されるといった具合の、演劇と映画がチャンポンになった作品形態)とも関わっていたわけですが、この二つは「純映画劇運動」の映画改革論者たちの批判の対象に含まれていたからです。このように、監督に転じた衣笠貞之助個人が急激に埋めた「映画に対する距離」を思うとき、ダダイズムやら未来派やらの「芸術概念」が海外から怒涛のように押し寄せ、否が応もなくその影響に晒された大正時代の激動具合を感じさせられます。

閑話休題、同時に、この文脈に基づく批評からは、前述した「弁士の使用」が批判の対象となった……とジェロー氏は述べます。弁士によってナラティヴな部分が補完されているということは、結局「言語」による補助を受けているわけで(あるいは「言語」からの影響を排除できていないわけで)、それじゃ「映像」だけで作品が完結してねーじゃんかよ……っつーわけですね。衣笠監督自身が認めているように、そもそも「狂った一頁」は初めから無字幕映画として製作がスタートしたわけでなく、完成試写の時点でも字幕は残っていて、先に述べた「夫と妻の人間関係」なんかもそれによって説明されてたようです。ところが、試写を観た横光利一が「無字幕でやったらどうか」ってなことを突然言い出し、「ほんじゃ」ってんで急遽字幕が省かれたという経緯があります。まあこの、無字幕を前提として作られていない映画から後付けで字幕を取り去るのは、やっぱちょいと無理があったと言うべきなんでしょーね。

それはさておき、こうした「弁士」に関する批判のバックグラウンドについて、同じくアーロン・ジェロー氏は「弁士の新しい顔――大正期の日本映画を定義する」という一文において、その当時、批評家/文化人たちが「弁士」という呼称を「説明者」に変えようとした経緯に触れる形で述べています。孫引きになりますが、藤岡篤弘氏の「日本映画興行研究史」から引用しておきます。

映画の自立性を主張する改革論者たちが、「過剰な言語で観衆をはらはらさせる」「弁士」から、その権限を取り上げ、「映画がその固有の意味を伝達する際の手助けを義務とする」「説明者」へと降格させる過程をジェローは咀嚼するが、同時に、そこには弁士に依然根強い愛着を示していた「社会的に劣った群衆」に対する、改革論者たちの軽蔑的意図が存在したと主張する。

とまあ、映画に関心を抱いていた批評家/文化人が「狂った一頁」を賞揚し、同時に苦言を呈したのはこうした文脈によるものであったわけです。「映像言語」を確立する試みとして評価されると同時に、それを完遂できていないことが批判の対象になったっつーことですね。大山崎が激しく妄想するに、もし「サウンド版」を再編集する際に「ナラティヴな部分」が意図的にカットされたのだとしたら、それはあるいはこうした当時の批判に対する監督自身の回答であったのかもしれません。

また、オリジナルな形の「狂った一頁」がより多くの「ナラティヴな部分」を含んでいたとすれば、その「ナラティヴな部分」と「非ナラティヴな部分」の混在具合は、衣笠監督のもう一本の前衛映画である「十字路」(1928)を観れば、ある程度推察できるように大山崎は思います。この作品のメインは基本的には「ナラティヴなメロドラマ部分」であり**、登場人物の「感情」や「心象風景」を提示する表現主義的な映像は基本的にサブです(カール・ハインツ・マルティン監督「朝から夜中まで」(1920)のセットを思わせる「真っ暗な空間に、白い線で描かれた十字路」も、結末近くに2ショット登場するのみですし。あるいは、むしろこれは「舞台版からの美術の踏襲」という意味で「表現主義演劇」からの流れとして捉えるべきなのかもしれませんが)。見方によっては、時代が下るに連れて「表現主義的映像の手法」が一般化し、ナラティヴな作品内において普通に使われるようになる状況を先取りをした作品であるといえるのかも。

その後の多くの映画作品が採用する(そして、現在も多くの映画作品が継承している)こうした方向性について、ジェロー氏はこの「狂った一頁」という作品自体にすでに内在していると述べます。具体的にいうなら、踊り子の「内面」に始まり、小使いの「幻想」を経て辿り着いた作品の結末が、最終的に「外界/現実」に回帰して終わる点です。この後ひとつの興隆を極める1930年代の日本映画は、(いわゆる「純粋映画」的なものではなく)むしろ「自然主義的な記号」を採用し「ナラティヴに関する記述」をその主体としていくわけですが、「狂った一頁」の構成自体がこうした流れを「予見」している……とジェロー氏は考えます。

てな具合に、ジェロー氏は、「狂った一頁」が抱えるコンベンショナルな部分と非コンベンショナルな部分の「対立性/相反性」、あるいは「不統一性」の例として、この「ナラティヴな部分」と「非ナラティヴな部分」の並立を挙げます。すなわち、「夫の過ちで息子を死なせてしまった結果、精神に異常をきたした妻」「関係を隠して、妻が収容されている精神病院で働く夫」「自分たちの娘の婚約者に、妻のことが知られるのを怖れる夫」「それが昂じて、妻を精神病院の外に連れ出そうとする夫」……という「メロドラマ」的なナラティヴの部分がひとつ。そして、それに対するものとして、冒頭の「踊り子の幻想」や福引のシークエンスに代表される「小使いの幻想」のような非ナラティヴで前衛的な部分がひとつ。この大きな「対立構造」を核にして様々な対立要素が仮託されていることや、フランス印象派映画からの強い影響を氏は述べていきますが、それについてはまた別な機会にでも。

*サイレント復元版にはここらへんのシークエンスがあったよーな気もするのだけど、すでに大山崎の記憶は曖昧なんで、今からでも遅くないからやっぱ、DVD出してください(笑)。

**「十字路」では「登場人物の台詞」はもちろん、「姉と弟という人間関係」も字幕によって「説明」されています。このような点からも、この作品が(ごく普通に)「ナラティヴに関する受容者の理解」を優先して作られていることは明らかです。

2009年3月 2日 (月)

「狂った一頁」のDVDとか、そのへん

衣笠貞之助監督の「狂った一頁」(1926)は、1921年の「カリガリ博士」の日本公開以降ちょいとしたブームになった「ドイツ表現主義映画」の影響下にあると巷でもっぱら評判の前衛的なサイレント作品で、川端康成を含めた新感覚派の作家陣が脚本に参加してて、ガンバって無字幕にしたら余計にワケわかんなくなっちゃって(笑)、もうフィルムが残ってないと思ってたら1971年に衣笠家の倉にあった米櫃からひょっこり出てきて……ってな詳細はあちらこちらを検索すれば簡単にわかるので、パス(笑)。一昨年には東京国立近代美術館フィルムセンターによる修復作業を受けた35mmサイレント版が、「国際フィルム・アーカイブ連盟(FIAF)東京会議2007」と連動して記念上映されたりなんかしておりました。

YouTubeにアタマのほーの映像がアップされておりまして、まあ、こんな感じ

おお、ドイツ表現主義でもってロシア構造主義で、アヴァンな感じにギャルドだ(笑)。でもって、こちらが精神病院の廊下に、金襴緞子の花嫁を乗せた自動車が多重露光でデロデロと現れる……とゆー、イカしたクライマックス・シーン(笑)。

にしても、「影」を使った演出や「二重露光」のテクニックを介して、「舞台で踊る踊り子」が「病室の中にいる踊り子」へとシフトしていくシークエンスなんかは、今観てもなかなかなものがありますですね。明らかに「舞台で踊る踊り子」は「病室の中の踊り子」の「内面」において想起されているものであって、あるいは今この瞬間の「病室の中の踊り子」にとっての「現実」であるわけで。同様に、「嵐の窓」にオーヴァーラップして提示される楽器群が奏でる音楽も、「病室の中の踊り子」の耳に確かに聞こえているものであるはず。また、「精神病院の廊下」における主人公の「幻想」も、”彼の「内面」で発生している葛藤”の「視覚化」……自分の過去の行いがもとで精神を病んだ妻への贖罪の気持ちと、娘が結婚という幸福を掴むためにはその妻の存在が障害となるという焦燥感の「板挟み」に基づいたものに他ならないわけですね。

このように、少なくとも「映画における表現主義的手法」という観点からみたとき、海外で同時期に作られた映画作品と比べてもなんら遜色のない作品である、と個人的には思います。そーゆー意味では、1921年に「カリガリ博士」によって日本に伝えられた「表現主義的」な手法(当時の言い方に沿うなら「表現派」の手法)が、当初の「新奇なものに対する関心」の範囲を越えて、”「登場人物の内面」を映像で描く手法である”という認識のもとに、明確な意図によって採用されるようになったことを示している作品であるといえるのかもしれません。日本における表現主義映画として先行した溝口健二監督の「血と霊」(1923)が、(現在残っている当時の批評類を見る限りでは)「表現主義に対する理解の不足」を指摘されて終わった様子なのに対し、この「狂った一頁」は後世の作品における「表現主義的手法の一般化」につながるものとして評価されるべきであるよーに思います。ま、一言でいっちゃうと、”「幻想」と「現実」の等価性”あるいは”「外界」と「内面」の関係性”もしくは”人間の「記憶」や「認識」に関わるもの”の映像化として、リンチ作品なんかの思い切り遠い祖先のひとつみたいな作品なんでありマス。

で、「ネットの海」をドンブラコと漂っているうちに見つけたのが、イギリスの「National Institute of Japanese Studies」っつー研究機関のページ。題して「日本映画はコレ観なきゃダメ! 必見の15本!」(思いっきり意訳しています)。黒澤や溝口や成瀬に混じって「狂った一頁」も必見リストに挙げられているのだけれど、おや、この作品の「DVDが今年出るよん(DVD will be released in 2009)」とか書かれているじゃあーりませんか。

うお、マジっすか! かなり非常にとっても欲しいかも! と物欲が頭をもたげて(笑)、再び広大な「ネットの海」をさまよってみたんだけれど、具体的な情報が見つからない。引っかかるのは、まあ、なんちゅーか、どうも出所がウニャウニャっぽいのばっか(笑)。

うーん、結局、真偽のほどは不明。もうしばらく様子をみて、それでも情報が出てこないよーなら、記事を書いたご本人に問い合わせるしかないかナー……とか悶絶する今日この頃なのでした。

3/3追記:「狂った一頁」についての評論「A Page of Madness  Cinema and Modernity in 1920s Japan」(読んでみました。感想等はコチラ)を出版したばかりのイェール大助教授Aaron Gerow氏のページ「Tangemania」にも「2009年にDVD発売」という記述がありました。が、評論本が刊行されたことを告知する2009年2月24日付のニュースによると、どうやらDVD化の実現は危うくなっている気配です。このDVD化の話は、日本の某大学教授が国内のメーカーに働きかけて進行していたようなのですが、直近の状況ではメーカー側が難色を示し始めているとか。以下にGerow氏のこの件に関する記述を引用しておきます。

What would make the publication even better is if there was a DVD of the film out there. There are people who sell pretty bad copies  on VHS or DVD on the net, but only a real professional mastering could do justice to that film's visual complexity. A colleague in Japan is working on bringing out a DVD commercially in Japan, but the last word was that the company is showing second thoughts. I keep on telling him there is strong demand for such a DVD abroad, but some Japanese companies can be pretty dense about foreign markets. Maybe this book will be one more argument for putting a DVD out.

いえ、外国だけじゃなくて日本でもDVD欲しい人が、ここにいるんですけど……。

7/25追記:その筋に近いところからいただいた情報によると、「何年か前にDVD化の話が出ていたけど、その後、立ち消えになった様子だ」という話です。「何年か前」っていうのは、おそらくサイレント版からの復元版が上映された2007年頃のことなんでしょうね。なんにしても残念な話であります。

2010/8/13追記:この記事を書いた当時、コメント欄に奈良での上映情報をいただきました。今になって、2009年に続き2010年にも奈良で上映されたこの「狂った一頁」のフィルムが、個人の方が所蔵されていたものであることを知りました。うわ、それはすごい。詳細についてはこちらでどうぞ。

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