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ロスト・ハイウェイ

2009年11月 8日 (日)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (64)

「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」についてである。引き続き”「アンディの屋敷」の内部”のシークエンスについて。その第六回目として、(1:45:40)から(1:46:37)まで。

まずは具体的映像から。

アンディの屋敷 内部 夜 (1:45:40)
(44)ピートのアップ。スクリーンをみているピートを、正面からとらえたショット。彼の背後では、台の上に載せられた映写機が青白い光を投げかけている。そのまま体を自分の左の方に向けるピート。
(45)ミドル・ショット。ピートの主観ショット。アウト・フォーカス。右から左へ急激なパン。壁際に置かれた小さなテーブルの上の四つの写真立てと金属のオブジェ状電気スタンドを視界に収めて、パンが終了するとともにイン・フォーカスになる。写真立てに入った写真はいずれも人物写真である。左端の写真は金色の枠の写真立てに入った一人の女性。その右には黒い枠の写真立てに入った複数の人物写真。黒い枠の写真立ての後ろには、銀色の金属製のカップと黒いカップが並べられている。その右には小さな金色の枠の写真立てがあり、そこには二人の人物が並んで立っている遠景写真が入っている。点灯している電気スタンドを挟んで、右端の写真立てには黒髪の女性のバスト・ショットの写真が入っている。
(46)黒い枠の写真立てのアップ。そのままクロース・アップ。写真に映っている四人の人物が明瞭に見えてくる。カーテンの前に立った四人は、左から順にミスター・エディ、レネエ、アリス、そしてアンディだ。
(47)ピートのアップ。上体を屈めるようにして写真立てを見詰めながら、そのほうに向かって近寄る。それにあわせて、少し下にパン。画面左奥では、アウト・フォーカスになったアリスがアンディの持ち物を漁っているのが見える。息が荒くなるピート。
ピート:(写真を見詰めたまま)Is that you?
アウト・フォーカスのまま、ピートのほうを振り返るアリス。
(48)写真のアップ。左からミスター・エディ、レネエ、アリス、そしてアンディの顔のアップ。
ピート:(画面外から)Are both of them you?
(49)ピートのアップ。上体を屈めるようにして写真立てを見詰め、喘いでいる。画面左端で立ち上がるアリス。写真を見詰めているピートのほうに、つかつかと歩み寄ってくる。それに連れて上方にパン。アリスのアップになる。画面外で写真に向かって右手を伸ばすアリス。
(50)写真のアップ。伸ばした右手の人差し指で、写真に映った自分を指さすアリス。青いマニキュアの爪。
アリス: That's me.
引っかくような動きをしつつ、写真から離れる人差し指。
ピート:(画面外で)Oh, God!
写真の中では、ダーク・スーツを着たミスター・エディが右手でグラスを持ち、右隣のレネエの腰に左手を回している。レネエはノースリーブのトップに柄物の長めのスカートをはき、煙草を持った右手を体の脇にたらしている。その右に黒い長袖のトップに黒いミニ・スカートをはいたアリスが、半ば開いた左手を腰の前、脚の付け根あたりに置いていいる。そのまた右には、つやつやした素材のジャンバーを着たアンディが、黒いパンツの左前ポケットに左手を突っ込んで立っている。
(51)アリスのアップ。画面左端に立ち、下方画面外にいるピートを心配そうに見下ろしている。ピートの頭が下方から現れる。喘いでいるピート。彼の頭の右側面を支えているアリスの右手も一緒に視界に入ってくる。
アリス: Honey...are you all right?
彼の頭から離れるアリスの右手。左手は彼の左肩あたりに載せられている。口を開け、喘いでいるピート。鼻からは血が流れ出している。両方の手をピートの体からひき、心配そうにピートを見守るアリス。苦痛に顔を歪め、右手でこめかみのあたりを押さえるピート。やがて、手を頭からはずし、体の前で何かを受けとるように広げるピート。彼の手に自分の右手を添えるアリス。
ピート: Where's the bathroom?
ピートの頭の左側に左手を伸ばすアリス。
アリス: It's upstairs. Down the hall.
喘ぎつつ、アリスのほうを向いたまま後退するピート。途中で画面右を向くと同時に右手で頭を押さえる。心配そうに彼を見送るアリス。画面右下に姿を消すピート。

前回述べた”「ポルノ映画の映像」と「アリス」が「等価」になった経緯=「レネエ」と「アリス」の同一化の進行”を踏まえれば、このシークエンスで発生している事象が指し示すものは明快であるはずだ。

その端的な例が、カット(45)(46)(48)(50)に現れる「写真」によって表されるものである。この「写真」が備えている(あるいは欠落させている)「写実性/指標性」の問題は後の機会に譲るとして、ここで触れておきたいのはその「具体的画像」……レネエとアリス、そしてミスター・エディとアンディが並んで写っているという「光景」そのものである。「レネエとアリス」が並んで写っている状況は、文字どおり両者が「並列関係」にあることを示唆している。言い換えれば、この状況は、「アンディの死体から金品を強奪するアリス」(カット(39))と「ポルノ映画の映像」(カット(41))の二つのショットが構成していた「並列関係」のリフレイン/ヴァリエーションであるわけだ。かつ、そこには「ミスター・エディとアンディ」がして存在していることも見逃せない。「写真」のなかでこの二人の男性は”「レネエ」と「アリス」をつなぐ「共通項」”として機能し、彼女たちの「等価性」を強調している。彼らが「現実(あるいはそれに関連するもの)の表象」であることを考えるなら、「レネエとアリス」がいまや「現実に関連したもの」として「等価」であることも、この「写真」は明示し保証していることになる。

「写真」を目にしたピートは、思わず「これは君なのか?」(カット(47))あるいは「どちらも君なのか?」(カット(48))とアリスに問い掛ける。これはそれまで発生した「イメージの連鎖」の結果であり、「レネエとアリスの同一性」にフレッドが気づき始めたことの証明に他ならない。それに対してアリスは「こちらが私」とその「同一性」を否定する言及(カット(50))を行うが、これも「フレッドの感情/意識」を代弁するものである。フレッドにとって都合がいいのはアリスが「レネエの優秀な代替イメージ」にとどまることであり、彼女が一定の限度を越えて”「現実のレネエ」との同一性”を高めるのは好ましい状況ではない……なぜなら、それは”「ありのままの記憶」の蘇生”につながるものなのだから。要するに、この「アリスの言及」を含めた一連の事象は、「アリスはレネエをモデルに自分が創りあげた幻想(=代替イメージ)であり、その内的本質において両者は同一であるが、それを認めたくない」という「フレッドの感情/意識」を代弁/表象しているのだ。

しかし、フレッドがいかにそれを否定したく思ったとしても、この”「写真(の画像)」という事象”が発生していること自体が、「レネエとアリスの同一性」という認識を抱えてしまった反映として発生しているのは、動かしようのない事実である。人がその「内面」で発生した「思念/想念」を完全に消し去ってしまうことは不可能であり、ピート=フレッドも自身の「認識」をなかったことにはできない。このような意味で、もしこの世に究極の「監獄」があるとしたら、もしかしたらそれは「自身の頭の中」である。存在する限り人間は思考し続け、「自らの思考」に囚われ続ける……この作品が採用する「円環構造」や、あるいは「死刑囚房に収監されているフレッド」という状況そのものが、永遠に「自分の内面の虜」である我々全員の状況の「言い換え」なのだ。このように「ロスト・ハイウェイ」の多重性/多義性は、我々=受容者をも呑み込んでしまう。そして、リンチ個人の(あるいは、リンチに限らず優秀な創作者の)「ごく私的な発想」から生まれたはずの作品が、同時にきわめて「普遍的」であり得るのはまさにこうした側面に基づくといえる。

逃れられない「認識/想念」に捕らわれたピート=フレッドは、当然ながら、アリスが呈し始めた「コントロール不能性」に触れたとき以上に、”「写真」が表すもの”によって大きな打撃を受ける。このシークエンスをとおしてピートがみせる表情からもそれは明らかだが、なによりもその「打撃の大きさ具合」を物語っているのがカット(51)で彼が流す「鼻血」である。リンチ作品において(特に初期作品において)、登場人物たちがさまざまな「体液」を流出させることについては、グレッグ・オルソン氏が「Beautiful Dark」のなかで指摘するとおりである。たとえば「嘔吐を催す六人の男たち」での文字どおり嘔吐する男たち、「アルファベット」の結末で嘔吐する少女、あるいは「イレイザーヘッド」での鼻血を流すヘンリー……彼/彼女たちは「内面」で発生した「感情」をもはやそこに押し込めきれず、思わず「外界」に表出させる。それを表象するのが、彼/彼女たちが流す「体液」なのである。そして、その「感情」は、主として切迫した状況……たとえば「言語に対する恐怖/忌避」や、あるいは「元交際相手の母親に、娘との関係を問い質されること」といったような状況に直面した彼/彼女たちが抱いたものだ。

これもリンチが好んで採用する「共通モチーフ」のひとつであり、このシークエンスでピートが流す「鼻血」もこのモチーフの現れと捉えるのが妥当だろう。少女やヘンリーと同じく、ピート=フレッドも「切迫した状況」に……「アリスとレネエの同一化」、あるいは”「幻想」に対する「コントロールの喪失」”といった事態に直面している。前回も述べたとおり、これはフレッドにとって「現実からの侵入」を受けたのに等しく、結果的に”「幻想」そのものの崩壊”につながる可能性のあるものだ。かつ、その「侵入」がピート=フレッドにとって「非常に大切なもの」……すなわち「アリス=レネエの代替イメージ」によって行われたことは、決定的とさえいってよい。そもそもピート=フレッドが「新たな遁走」を試みたのは、「アリス=レネエの代替イメージ」が付随せている「ミスター・エディ=現実のイメージ」を排除し、”自分に都合のいい「幻想」”の領域内に彼女を確保するためであったはずだ。なのに、その「幻想=イメージ」自体が彼を傷つけるのである。

ピートはアリスにバス・ルームの在処を尋ね、苦痛にあえぎながら「二階」にあるというその場所に向かう。彼がこれまで何度か「現実による侵入」に際して抱えた「頭痛」(1:11:45)、あるいはフレッドが死刑囚房で訴えた「頭痛」(0:47:04)と同じものに苛まれているのは明らかだ。そして、ピート=フレッドは「二階」でもうひとつの決定的な「体験=イメージの連鎖」に遭遇することになる。

(この項、続く)

2009年11月 3日 (火)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (63)

なにがなんでも、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」についてである。引き続き”「アンディの屋敷」の内部”のシークエンスについて。その第五回目として、(1:44:47)から(1:45:40)までをばウダウダと書いてみる。

アンディの屋敷 内部 夜 (1:44:47)
(34)アリスのアップ。ピートの左からのショット。アウト・フォーカス気味に見えるピートの頭の右側面から首。ピートから目を離して、アンディのほうに視線を落とすアリス。そのままアンディのほうを見下ろしている。少しアリスに近づくピート。
ピート: What do we do?
目を左に寄せて、ピートのほうを見るアリス。二人にクロース・アップ。その途中で、頭を左に向け、ピートを真正面から見るアリス。
ピート:(かすれ声で)What do we do?
(35)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。アリスの左後頭部が、アウト・フォーカスで画面右端に見切れている。真剣な表情で、アリスを見詰めている。
アリス: We have to get the stuff.
(36)アリスのアップ。ピートの右肩越しのショット。ピートを見詰めているアリス。
アリス: We have to get out of here.
ピートから体を離し、画面右に消えるアリス。それを見送るピート。画面右下のほうを向く。
(37)ミドル・ショット。横たわるアンディを、左上方からおさめるショット。左手を床につき、彼の体にかぶさるようにして右手をアンディの体に伸ばすアリス。彼女の背中を収めるショット。右手をアンディがしているネックレスの留金に伸ばし、そのまま彼の身体の左に膝をついて、両手でその留金を外すアリス。外れたネックレスを左手で持つ。
(38)ピートのアップ。バスト・ショット。アリスのしていることを見守っているピート。彼の左には、まだ映写を続けている映写機が見える。その右には、二階に続く階段の一部が見える。
(39)アリスの背中のアップ。床に膝を突き、右手で投げ出されたアンディの左手を支え、左手で彼の指輪を外そうとしている。画面左には、白い絨毯の上に置かれたアンディのネックレスが光っている。少し後退する視点。なかなか指輪は外れない。
アリス: Aw, fuck!
左手を床の上に突き、今度は右手で指輪を外そうとする。
(40)ピートのアップ。バスト・ショット。アリスのしていることを見守っているピート。彼にクロース・アップ。それと同時に、スクリーンのほうを見上げるピート。
(41)スクリーンに映された映像のアップ。体を揺らしつつ、口を開けて喘いでいる女性の顔のアップ。彼女の背後で動いている男性。
(42)ピートのアップ。スクリーンを見上げつつ、半ば口を開けてゆっくりと後退するピート。アリスのほうに再び目を下ろす。
(43)ミドル・ショット。床に膝を突き、アンディの左腕を持ち上げて両手で指輪を外そうとしているアリス。彼女を左後方からとらえたショット。プリズム・フィルターで歪むショット。やっと指輪が外れ、ちらりと左後方を見た後、ネックレスが置かれたあたりの床にそれを投げ出すアリス。頭を振って、顔に掛かった髪の毛を払いのける。歪んだまま、上方にパンする視点。上方に掛けられたスクリーンが視界に入ってくる。スクリーンに映された映像のなかで、後ろから男性にのしかかられて喘いでいる女性のアップ。

カット(32)においてアリスに「あなたがアンディを殺した」と指摘され、ピート=フレッドは動揺する。「ロスト・ハイウェイ」が提示する映像群がすべて「フレッドの内面で発生している事象」である以上この指摘はまったく正しいわけだが、それは彼が”「都合のいい幻想」の一部であるアリス”に期待していた回答ではないことも確かだ。自らの「幻想=アリス」に裏切られることによって「コントロールの喪失」を認識したものの、カット(34)が明示するように、どう事態を収拾したらよいか彼には判断がつかない。「我々はどうしたらいいのか?」とピート=フレッドは繰り返し問い掛けるが、もちろんこれは「自分はどうしたらいいのか?」という自問自答と同義だ。たとえば「自動車工場における音楽談議」(1:11:45)における「フィルによる代弁」などと同様に、それに対する回答は「代弁者」による「代弁」によって……「アリスによる代弁」(カット(35)(36))という形でもたらされる。「金品を奪って逃げる」という彼女の「回答」そのものは基本的に「アリスの教唆」(1:35:20)の内容と同一であり、いわば「当初目的」の再確認に過ぎない。だが、アリスが具体的行動によって実際にその「当初目的」を「代行」し始めた途端(カット(37))、フレッドの「内面」である「イメージの連鎖」が発生する。

この「イメージの連鎖の発生」を端的に表しているのが、カット(39)(40)(41)の三つのショットからなるシークエンスによって形成され、提示されるものである。具体的映像に沿って述べるなら、「アンディの指から指輪を外そうとするアリス」(カット(39))と「スクリーンに投影されるポルノ映画の映像」(カット(41))が、「アリスからスクリーンへと視線を移すピート」(カット(40))を挟んで提示されるというシークエンスである。このうち、(39)(41)の両カットは、カット(40)の映像との関係性によって、ともに「ピートの主観ショット」であることは明らかだ。結果として(39)(41)の両カットは”「ピート=フレッドの視線」の先にあるもの”として併置され、「並列関係」にあることが提示されていることになる。

問題は、”この「並列関係」によって表されるもの”が、たとえば以前に述べた「ピートの背後のポルノ映画の映像」(カット(18))と「二階から降りてくるアリス」(カット(19))とが形成していた「並列関係」とは質的に異なっている点だ。カット(18)カット(19)がそれぞれ「忌避すべき現実」と「好ましい幻想」に関連する概念を表し、両者は「対立関係」あるいは「対置関係」にあった(それを表すように、カット(18)のピートは「ポルノ映画の映像」に背を向けている)。それに対し、現在論じているシークエンスにおける「アリス」(カット(39))は同じ「アリス」でありながら「都合のいい幻想」から「忌避すべき現実に関連するもの」へと変質し、結果としてカット(41)の「ポルノ映画の映像」と「等価関係」を結ぶものへと転換/変化してしまっているのだ。

この「転換/変化」が発生した機序をどのように理解すべきだろうか? それを論じる方法論として、まず映画史的な観点からの検討を行ってみたい。具体的にいえば、「ロスト・ハイウェイ」が随所で採用している”フィルム・ノワール作品にみられる「図式」の踏襲”が表すものについてである。この観点からすれば、そもそも”「アリスの教唆」によって「アンディに対する犯罪」を実行するピート”という「図式」自体が、たとえば「深夜の告白」(1944)や「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1946)等にみられる「女性の教唆によって犯罪を犯す男性」の踏襲であることは間違いない。だが、より強調しておきたいのは、カット(39)の「アンディの死体から金品を強奪するアリスの姿」が、多くのフィルム・ノワールが描いてきた”「犯罪に手を染める冷酷な女性」という「ファム・ファタールの典型像」と重なっていることだ。

これらのフィルム・ノワールにおける「ファム・ファタールたち」は、(あくまでその相手となる男性の観点からみた場合だが)基本的に「コントロール不能性」を備えた存在として描かれている。その嚆矢となるのが、前掲の「深夜の告白」に登場するフィリスだ。彼女がフィルム・ノワールにおける「ファム・ファタール像」のあるパターンを決定づけたことは間違いない。だが、この作品が描く不倫相手であるウォルター・ネフにとって彼女が最終的に「コントロール不能」な存在と化してしまうという「図式」自体も、後続のフィルム・ノワール作品(やその他のジャンル作品)によって幾度となく踏襲/模倣の対象となっているのである。

こうした「フィルム・ノワールの図式」を考慮する一方で、同時に俎上にあげたいのが、「ロスト・ハイウェイ」が採用している”「あるものが付随させているイメージ」の援用/転用”という手法だ。その代表的な例が「ビデオ」や「映画フィルム」であり、この二つの「視覚メディア」に付随する(とリンチが感じている)「写実性」や「指標性」といったイメージが援用/転用され、”「ありのままの記憶=現実に関連するもの」の表象”としてこれらを登場させていることについては以前にも述べたとおりである。そして、これらの諸事項を考え合わせたとき浮上してくるのは、”「あるものが付随させているイメージ」の援用/転用”という手法が、「ビデオ」や「映画フィルム」といった「具体的なもの」にとどまらず、”フィルム・ノワールにみられる「図式」”という「抽象的なもの」を題材にしても行われているという可能性だ。

少し論点を整理してみよう。

(A)「ロスト・ハイウェイ」における”フィルム・ノワールにみられる「図式」の踏襲”という方法論は、そうした「図式」からリンチが感じ取った「イメージ」を(意識的であるか否かは別として)援用/転用するために採用されている。
(B)このシークエンスにおいて援用/転用されている「イメージ」とは、フィルム・ノワールのファム・ファタールが付随させている「コントロール不能性」である。

この二つの前提に立ち、(いつものように)「フレッドの感情」をキーにして「このシークエンスが表すもの」を考えたとき、最終的にたどり着くのはやはり「レネエのコントロール不能性」の問題に他ならない。(0:05:45)や(0:27:36)のショット/シークエンスのように、これまでフレッドが彼女に対して「コントロール不能性」を感じていることは何度も示唆されてきた。この「感情/意識」は、フレッドの「内面」において「典型的なファム・ファタール」が備える「コントロール不能性」のイメージと連鎖し、カット(32)でアリスが見せ始めた「コントロール不能性」とむすびつく。そしてその結果として、”「アンディの死体から金品を奪うアリス」という事象”がフレッドによって想起されているのである。

こうした検討を経て、カット(39)の「アンディの死体から金品を強奪するアリス」とカット(41)の「ポルノ映画の映像」の「等価性」がどのように成立しているかが、次第に明確になってくる。「ポルノ映画の映像」によって表されるものは「フレッドがレネエに対して抱く不安/疑惑」であり、その不安や疑惑は彼女に対する「コントロールの不能性」に裏付けられている。その一方で、「アンディの死体から金品を強奪するアリス」もまた、典型的なファム・ファタール像を踏襲しているがために「コントロール不能性」のイメージと連結している。この「コントロール不能性」という「共通項」によって、両ショットは「忌避すべき現実(に関連するもの)」として「等価」なものになり得るのだ。

ピート=フレッドはこの「等価性」に気づいて更なる衝撃を受け、カット(40)が示すとおり思わず視線を「アリス」から「ポルノ映画の映像」へと移す。フレッドの観点からすれば、この「アリスのファム・ファタール化」(あるいは「アリスとレネエの同一化」、もしくは”「都合のいい幻想」の「忌避すべき現実」への変質”)は、形を変えた「現実による侵入」に他ならない。そのことの傍証として、カット(43)に「歪む視点」が登場することは見逃せないだろう。この「歪む視点」が、たとえば(1:22:29)の「ピートの部屋の内部」や(1:36:09)の「デイトン家の前庭」のシークエンスなどに現れた「揺れる視点」と同様/同質のものであり、ともに”フレッドの「幻想」が「現実による侵入」によってダメージを受けたこと”を指し示していることは明らかだ。かつ、このカット(43)に現れる”「アリス」から「ポルノ映画の映像」へとパンする視点”が、両者の「等価性」を確認/強調/保証すべく機能していることも、あわせて指摘しておきたい。

(この項、続く)

2009年10月24日 (土)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (62)

「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は”「アンディの屋敷」の内部”の長ーいシークエンスに関する第四回目、(1:43:09)から(1:44:47)までを採り上げてみよう。

では、まず具体的映像から。都合上、カット(18)が前回と重複して記載されていることをお断りしておく。

アンディの屋敷 内部 夜 (1:43:09)
(18)ピートのアップ。首をやや右にかしげ、アンディのほうを見下ろしている。彼の背後では、スクリーンに投影されている女性のアップがアウト・フォーカスで見えている。大きな溜め息をつくピート。気配を感じて、視線を上げるピート。
(19)ミドル・ショット。二階に続く階段。黒いブラジャーに黒いスキャンティ姿のアリスが、右手に紫色のローブを持ち、右側の階段から階下に降りてくる。
(20)
ピートのアップ。アリスのほうを見ているピート。
(21)ミドル・ショット。画面手前に向かって歩くアリスを正面からとらえたショット。画面左手、アンディが倒れているあたりを見下ろしながらピートに近づくアリス。それに連れて後退する視点。彼女の右には背の高い黒い台の上に置かれた映写機が、強烈な光をスクリーンに向かって投げかけている。画面左から、ピートの後ろ姿が視界に入ってくる。
アリス:(アンディのほうからピートに視線を移しながら、明るい調子で)You got him!
なおも近づきつつ、画面右のほうに向かうアリス。アリスに近づくピート。それを追って少し右へパン。ピートとアリスのツー・ショットになる。
ピート:(かすれ声で)Alice...
ピートの右肩に左手をかけ、目を閉じてピートに口づけをするアリス。口づけを終えたあとも、消耗した感じで喘いでいるピート。うなだれ、アリスの右肩に頭を載せるようにする。一度離した左手をピートの肩甲骨あたりから首の後ろにまわし、慰めるようにするアリス。
(22)アンディのアップ。ピートとアリスがいる方向から、カウンターのほうを見るショット。いつの間にか意識を取り戻したアンディが、大きく口を開け、叫び声を上げながら画面手前、二人に向かって襲いかかろうとする。
(23)ミドル・ショット。ピートとアリスのツー・ショット。彼らの背中越しに、カウンターのほうを見るショット。ピートに掴みかかるアンディ。アリスは画面右のほうに逃れて姿を消す。そのままピートを肩で押し倒すアンディ。
(24)ミドル・ショット。黒い絨毯が敷かれた床に倒れるピートのアップ。上半身は左の画面外に飛び出し、足だけが視界に残る。倒れたピートの上を勢いあまって越え、画面左端から同じく姿を消すアンディ。
(25)床から上方を見上げるショット。天井に揺れながら映る、プールの照明の青い光。勢い余って画面右下から左上に飛ぶアンディの体のアップ。黒いシャツ、赤いビキニ・ショーツ。画面右上に消えるアンディ。
[何かがつぶれるような鈍い衝撃音]
(26)ミドル・ショット。スクリーンが掛けられている方向から、階段のある方向を映すショット。画面中央に立ちつくしている黒いブラジャーに黒いショーツ姿のアリス。画面左手前にある、背の低い大きなテーブルのほうを見ている。テーブルの天板はガラスでできており、そのその上には銀色の灰皿らしきものが置かれている。アリスの左には、人間の背丈の黒い台に載せられて映写を続けている映写機。アリスの左、映写機の前あたりで立ち上がろうしているピート。膝をついた位置で、アリスと同じく画面手前のテーブルのほうに目をやり、そこにあるものを認めて、ゆっくりと立ち上がる。
(27)ミドル・ショット。足を画面右手前方向に、うつ伏せになって床に倒れているアンディ。だが、彼の額は、テーブルの天板の右角にめり込んでいる。体の脇に沿って、投げ出された左腕。ガラスの天板と、彼の身体の下あたりの白い絨毯に広がる血。彼の右には黒い長ソファがあり、その端にはアリスの黒いバッグと豹柄の上着が置かれている。かすかに揺れる視点。
(28)
ミドル・ショット。ピートとアリスのツー・ショット。腰の下あたりからのショット。画面右にいるアリスのほうを振り向くピート。アリスもピートのほうを見る。アリスと目を合わせた後、再度アンディのほうを見下ろすピート。左手をあげ、拳の甲を口のあたりに押し付ける。やがて手をおろすピート。どちらからともなく、アンディのほうを見下ろしたまま、画面右手前のほうに向かって歩き始める二人。
(29)ミドル・ショット。ピートの主観ショット。倒れているアンディの上半身とテーブルを視界に収めたまま、アップになりつつ左方向に回り込むショット。天板のガラス板がアンディの額に食い込んでいる様子が視界に入ってくる。
(30)ミドル・ショット。ピートとアリスのツー・ショット。バスト・ショット。画面左端にピート、画面右端にアリス。二人の間には不自然な空間があり、背後の白い壁がぼんやりと映されている。ややピートはアリスに近づくが、二人の間は離れたままだ。二人とも、画面左下のほう、アンディが倒れているあたりを見下ろしている。
(31)アンディのアップ。二人がいるあたりからのショット。画面右上方を向いたテーブルのガラス板の角は、5センチ以上アンディの額に食い込んでいる。テーブルの上に広がりつつある血。アンディの顔は、曇りガラスの天板に隠れていて見えない。ダラリと体に沿って投げ出されたアンディの左腕。手の平は上を向いている。
(32)ミドル・ショット。ピートとアリスのツー・ショット。バスト・ショット。画面左奥の方に少し後退する二人。まだアンディのほうを見下ろしたままだ。
アリス:(感心したように軽い口調で)Wow!
ピートの表情は固いままだ。
ピート: We killed him...
画面左手、ピートのほうを目だけで見るアリス。
アリス:(しばらく沈黙した後)You killed him.
画面右のアリスのほうを振り返るピート。
(33)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。アリスの左後頭部が、アウト・フォーカスで画面右端に見切れている。アリスの言葉に、呆然としたように彼女を見詰めているピート。
ピート:(かすれ声で)Alice...

まず注目したいのは、カット(18)からカット(20)のシークエンスによって表されるものである。このシークエンスが具体的映像として提示しているのは、「ポルノ映画の映像」のイメージと「アリス」のイメージの間に立つピートの姿だ。この二つのイメージが、それぞれ「フレッドのレネエに対する疑惑/不安」と「レネエの優秀な代替イメージ」を指し示していることについてはこれまでも述べてきたとおりであり、結果として両ショットの関係性によって表象されるのは、この「二つのイメージ」の間を揺れ動く「フレッドの意識」である。

「ポルノ映画の映像=レネエに対する疑惑/不安」が「ありのままの記憶=レネエ殺害」につながるものである以上、それはフレッドにとって「忌避の対象」であるはずだ(それがゆえに、「ポルノ映画の映像」は”「アンディの屋敷」の内部=意識内意識”に隠匿されている)。逆に「アリス」が「優秀なレネエの代替イメージ」である限りにおいて(この場合「優秀な」というのは「都合がいい」のと同義である)、それはフレッドにとって「好ましい」ものである。このようにこれらのイメージが表す「概念」(とそれに対するフレッドの「感情」)を踏まえたとき、「ポルノ映画の映像」から目を背け、「アリス」に慰撫され安堵の表情を浮かべるピートの姿は(カット(21))、「ロスト・ハイウェイ」が描く”「フレッドの遁走」の本質”を端的に「図式化」したものということになる……その過程において、”「現実に関連するもの=アンディ」の排除”という行為が付随することをも含めて。

だが、カット(22)以降、事態は大きく変化する。これまで「アリスの教唆」(1:35:20)どおりに(それはつまり、「フレッドの意志」どおりにという意味だ)発生していた事象が、突然そこから逸脱して思わぬ展開を始めるのだ……具体的映像に沿っていうなら、ピートが頭部を殴ったことによって「人事不省」であったはずのアンディが意識を取り戻し、ピートに反撃を試みた挙句、とんでもない状況で命を落とす(カット(19)-(27))といった具合に。「アリスの教唆」の内容をみる限りにおいて、フレッドが想定していたのは「アンディの頭部を殴り(you crack him in the head)」、彼を人事不省にして金品を強奪することにとどまっており、少なくともアンディが命を落とすような事態は「フレッドの思惑」には織り込まれていない。

フレッドにとって、この”「計画あるいは教唆」からの逸脱”が意味するところは重大である。そもそも「アンディからの金品の強奪」は、繰り返しフレッドの「幻想」に対して侵入を行う「現実=ミスター・エディ」から逃れるための……つまりは「新たな遁走」を実現するための「手段」であったはずだ。かつ、その「新たな遁走」が必要とされたのは、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」が度重なる「現実の侵入」に耐えきれず変調をきたし、「崩壊」への途を辿り始めたからだった。しかし、その「新たな遁走」すらも、いまや変調を呈し始めているのだから。

フレッドが「アリス」という「代弁者」を立てて「直接的な関与」から逃れようとしていたこと……要するに「責任からの回避」を試み、安全な「立場」を確保したままでいたいと願望していたことは、前回にも触れたとおりである。加えて、彼は「アンディからの金品の強奪」という形で表される「現実への反抗」を、可能な限り密やかに(そう、ちょうど、自分の自動車を使わないでバスに乗り、人知れず犯行現場を訪れるように)執り行うとしていたはずなのだ。基本的にピート=フレッドは、「重大な事項に関与し、自分が厳しく糾弾されるような状況」を可能な限り回避したいと考えている……なぜなら、それこそが”死刑囚房に収監されている「現実のフレッド」の状況”そのものだからだ。にもかかわらず、このシークエンスで発生した事象は「フレッドの願望」に沿おうとせず、彼の「計画」からも逸脱している。このことが指し示す事実はひとつだ。結局のところ、彼は”「幻想/捏造された現実」に対するコントロール”を失っただけでなく、同様に”「新たな遁走」に対するコントロール”をも失いつつあるのである。

このような意味合いにおいて、”宙を飛ぶアンディの背後に、もしくは彼が画面から姿を消した後の天井に、プールから放たれる「揺らめく青い光」が反射している”というカット(25)の映像は、「フレッドの不安や疑惑」の本質を描くものとして非常に興味深いものがある。「現実に関連するもの=アンディ」が排除され消え去ったあとも、「フレッドの不安や疑惑」は変わらず残るのだ。「不安や疑惑の対象」が現実に存在するか否かは「フレッドの感情」にはまったく関係なく、たとえ「対象」が消失しても彼は「自らの不安や疑惑」にずっと苛まれ続けるのである。そうした観点からすれば、むしろカット(25)の映像は”「新たな遁走」に対するコントロールの喪失”に起因する”「新たな不安」の発生”を示唆するものですらある。

では、状況が完全にフレッドの手を離れているかというと、実はそうでもない。少なくとも彼は「アンディという障害の排除」には成功しているし、なによりも「アンディが命を落とす具体的経緯」にはピート=フレッドが「責任を回避する」余地が微妙に残されている……そもそもの経緯はどうであれ、ピートは突然襲いかかってきたアンディを避けようとしただけなのだから(カット(22)-(24))。非常に「都合良く」解釈するなら、これはピート=フレッドの直接的関与の域を越えた「回避不能な事故」の範疇なのである。それを補完するかのように、本編から編集時にはカットされているが、シナリオではカット(33)の直後に以下のようなアリスの台詞が存在する……すなわち、「これは事故よ。いつだって事故は起きるわ(It was an accident... Accidents happen every day)」。これが「アンディを排除した」直後の”フレッドの「意識」あるいは「願望」”を「代弁」していることは明白だが、それだけでなく、”「毎日のように起きる事故」のなかに「レネエ殺害」をも含めてしまいたい”という「フレッドの意志」が垣間見える点は見逃してはならないだろう。「アンディ殺害」という事象があたかも「回避不能な事故」であるかのような状況で発生する裏側には、「レネエ殺害も回避不能な事故であった」と考えたい「フレッドの願望」が横たわっているのだ。このことからもわかるように、この二つの「殺人事件」はフレッドの「内面」において互いに関連づけられ、「イメージ」として連鎖しているのである。

たとえば「アンディの屋敷のプール」が「隣家の子供用プール」へと置換されたのと同様に(0:55:08)、自分が引き起こした「犯罪」を「回避不能な事故」にすり替えようとすることも、フレッドが(意識的/無意識的に)行っている「現実の矮小化作業」のひとつであるのは確かだ。が、こうした「矮小化」が「詭弁」であることを、誰よりも認識しているのはフレッド自身なのである。それを端的に表しているのが、カット(32)におけるピートとアリスの「会話」だ。「我々が(アンディを)殺した」とピートは呟くが、それに対しアリスは「あなたが殺したんでしょ」と指摘する。もちろん、第一義的には、この「指摘」が「アンディ殺害」に関するものなのはいうまでもない。が、よく考えれば、この指摘は「レネエ殺害」に関しても(それこそ文字どおりの意味で)当てはまってしまうではないか。「アリス」が「レネエの代替イメージ」であり「彼女がレネエとニア・イコール」であることを考えるなら、これはまさしく「死者による糾弾」である。いかにフレッドが”「レネエ殺害」についての「ありのままの記憶」”を矮小化(あるいは忘却)しようとしても、彼自身が「レネエに対する希求」を捨て去れない以上、そうした試みは必然的に無為に終わるしかない。

いずれにせよ、フレッドの「欺瞞」は……「代弁者/代行者」であるアリスを「主犯」に仕立て、自分を安全な位置にとどめながら「新たな遁走」を達成しようという「フレッドの思惑」は、当のアリスによって手厳しく暴かれ、「主犯」が他ならぬ彼自身でしかあり得ないことが指弾されてしまう。この「アリスの指弾」が、たとえば「シーラによる非難」(1:36:09)と基本的に同種/同等のものであることは明白だ。”「都合のいい幻想(の一部)」であったはずの「もの」が、当の「幻想の主」の思惑から外れた行動をとる”という構造において、シーラとアリスの「反逆」はまったく同一なのである。こうした「構造上の合致」を踏まえつつ、「シーラの非難」が”「幻想/捏造された現実」に対するフレッドの「コントロールの喪失」”を指し示していたことを考えるならば、「アリスによる指弾」は”「新たな遁走」に対するフレッドの「コントロールの喪失」”を示唆するものとして了解するのが妥当となる。

また、前述したように、”ピートによる「アンディ殺害」”という事象が(フレッドの「内面」において)”フレッドによる「レネエ殺害」”という事件と関連づけられ連鎖しているのならば、この「アリスに対するコントロールの喪失」もまた「レネエに対するコントロールの喪失」と関連性を持ち、イメージとして連鎖しているという見方も成立するはずだ。言葉をかえるなら、「アリス」という「フレッドにとって優秀な(=都合のいい)レネエの代替イメージ」だったはずの「もの」は、もともとニア・イコールであった「フレッドのコントロールが効かない(=都合の悪い)現実のレネエのイメージ」との重なりを一層深め、(内面的/本質的な意味で)同一化し始めているのだ。逆説的にいえば、このシークエンス以降で本格的に発揮される「アリスのファム・ファタール性」は、フレッドが(現実の)レネエをどのようにみていたか」を端的に物語るものである。レネエはフレッドにとって永遠の「宿命の女」なのだ。

それにしても、具体的映像として描かれる「アンディ殺害」の状況は、それを見詰めるピートとアリスの呆然とした様子を含めて、リンチ独特のユーモアが漂う奇妙なものである。「ガラス天板のテーブル」と一体化したような「アンディの死体」(カット(27))は、「直線的な構成のテーブル」と「曲線から構成される人体」との対比を浮かび上がらせることによって、「死が引き起こす有機物から無機物への転換」を強調する。実はこの「転換」こそが、死刑囚房で処刑を待つフレッドが現在抱える最大の「根源的な恐怖」であるはずであることを考えるなら、「アンディ殺害」が、(それがどのようなものであれ)ユーモラスな状況下で発生することは大きな皮肉であるといえなくもない。

だが、それよりも興味をひかれるのは、アンディの直接的な死因が「頭部への異物の侵入」であることだ。リンチ作品において「内面が外界(現実)によって強制的に侵入されること」、その結果として「内面が変質してしまうことの恐怖」は、さまざまな形で繰り返し提示される共通テーマのひとつである。「ロスト・ハイウェイ」においてもこのテーマは「人間の内面としての家」という共通テーマとあわさり、たとえば「ミスター・エディによる自動車工場への侵入」という形で「フレッドの幻想に対する現実の侵入」が提示されていることはもはや説明を要さないだろう。もうひとつ見落としてはならないのは、シナリオ段階で頓挫した「Gardenback」にみられる「人間の頭部」と「家」のアナロジーや、あるいは「ブルーベルベット」にみられる「耳の穴へと侵入する視点」といった表現をリンチが過去作において採用していることである。これらの表現は、「侵入の対象先」として「人間の頭部」を明確に選択しており、そこが「人間の内面」が内包されている場所であるとリンチが認識していることを表している。

これらの事項を踏まえたとき、”「アンディの死因」が表すもの”が了解されることになる。要は、これもまた形を変えた「外界による内面への強制的な侵入」に他ならないのだ。ただし、これまで「ロスト・ハイウェイ」が描いてきた「外界/現実による侵入」に比べ……たとえば「山道でミスター・エディによって処罰される哀れなドライバー」(1:02:57)などに比べ、今回のそれはより直截的に「死のイメージ」と結びつけられているのは注目に値する。ドライバーに対する処罰は「脅迫」の範疇でおさまったが、今回はそうではないのだ。「フレッドの感情」をキーとして捉えたとき、こうした差異から浮かび上がるのは「フレッドがより追い詰められた立場に陥りつつあること」であり、それにともなって、彼が抱いている「不安/恐怖」の度合いがエスカレーションしていることであるはずだ。

(この項、続く)

2009年10月18日 (日)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (61)

色んな負け方があるとは思っていたものの、また器用な負け方をしやがりましたな>わしんとん でもNFL第5週の「ザ・ベスト・オブ・泥仕合」には、ぜひクリーブランド@バッファローを挙げておきたいと思います。だって1st&10からの「QBスニーク」なんて、滅多に見られるもんじゃありませんぜ、ダンナ。いやあ、長生きはするもんだ(笑)。

アメフト話はさておき、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は「アンディの屋敷」の内部のシークエンスの第三回目、タイム・チャートでいうところの(1:42:46)から(1:43:15)まで。

アンディの屋敷 内部 夜 (1:42:46)
(11)ピートのアップ。立ち止まり、口を開けたままスクリーンに映された映像を見ているピート。
[ドアが閉まる音]
音に驚き、背後を振り返るピート。キッチンのカウンターの上に置かれた置物を認め、慌ててカウンター・キッチンの裏に走る。それを追って左へ、次に右へパン。カウンター・キッチンの向こうには、ガラスがはまった木の扉の戸棚が並んでいるのが見える。
(12)ピートのアップ。カウンターの上に置かれていた黒い置物を左手で取り、身を屈めてカウンターの陰に隠れるピート。それを追って下方にパン。カウンター裏側は棚になっている。置物を両手で握りしめ、気配をうかがうピート。
(13)ミドル・ショット。二階に続く階段。パンツだけの裸に黒いシャツをひっかけただけのアンディが、右側の階段から階下に降りてくる。両手には、空になったグラスを持っている。彼を追って、下方にパン。そのまま彼は画面手前に向かって歩き続け、カウンターに向かう。それを追いかけて、左へパン。カウンターの前に立つ彼の左側面からのアップになって終わる。両手のグラスをカウンターに置くアンディ。
[グラスがカウンターに置かれる音]
(14)ピートのアップ。カウンターの裏側。急な動作で立ち上がるピート。
(15)ミドル・ショット。アンディの左斜め後ろからのショット。立ち上がったピートが、カウンター越しに右手に持った置物でアンディの頭部を殴りつける。
[衝撃音]
画面外、下方に崩れ落ちるアンディ。置物を持ったまま、急いで画面左に走るピート。それを追って左へパン。置物を右手に握ったまま、カウンターから出てアンディを見るピート。
(16)ピートのアップ。彼の左斜め前からのショット。息を切らして画面左方向に移動しながら、画面外の床の上に倒れているアンディの様子をうかがうピート。それを追って左へパン。彼の背後には、スクリーンに映され続けている映像がアウト・フォーカスで見える。
(17)アンディのアップ。ピートの主観ショット。黒い床の絨毯の上に、頭を画面下方に向け、目をつぶって横たわっているアンディのバスト・ショット。左のこめかみからは、血が流れている。
(18)ピートのアップ。首をやや右にかしげ、アンディのほうを見下ろしている。彼の背後では、スクリーンに投影されている女性のアップがアウト・フォーカスで見えている。大きな溜め息をつくピート。気配を感じて、視線を上げるピート。

このシークエンスではピートがアンディに対して凶行を働く様子が具体的映像(カット(11)ー(15))として描かれるが、「バスによる移動」(1:40:36)や「裏口からの侵入」(1:41:39)と同様、これもまた「アリスの教唆」(1:35:20)を完全に踏襲していることは明白である。あるいは「アリスの教唆」自体が”「フレッドの意識」の「代弁」”である以上、それに沿った形で事象が発生するのは当然のことといえるだろう。だが、そうした「代弁者」を設けるという行為自体が、あるいは「代弁者」が代弁する内容が、(それが意識的にせよ無意識的にせよ)「フレッドの意識」や「感情」を反映していることは何度も指摘してきたとおりだ……そして、ときとしてそれが”隠されていたフレッドの「生の感情」の露呈”であることもあるが、それよりも実にしばしば”彼にとって「都合のいい欺瞞」”であることも。この「アリスの教唆」は後者であり、ピート=フレッドがその「教唆」を遵守することによって手に入れるのは、”犯行を計画した「主犯」は彼女であり、彼はそれに従う「実行犯」(もっといえば「操り人形」)に過ぎない”という「限定された立場」だ。「現実=ミスター・エディ」のイメージに関連する「アンディ」に対してネガティヴな行為を密かに行うとき、こうした「立場」がピート=フレッドにとって「都合のいいもの」であることは間違いない。

興味深いのは、カット(16)およびカット(18)にみられる「映像」……具体的にいえば、両カットをつうじて現れる”前景のピートと、後景としてその背後に映し出されている「ポルノ映画」の映像”という構図だ。たとえば(1:00:23)などの「アーニーの自動車工場」のシークエンスにおいて、「ミスター・エディ」の背後には「外の道路を行き交う自動車」が配置され、彼と「外界」との関連性を強調していた。同様に、カット(16)およびカット(18)の構図が示唆するのも、”ピートと「ポルノ映画」の映像の関連性”であるはずである。

まず、フレッドが(意識的/無意識的に)抱える「代弁者を利用した責任回避への意志」を踏まえたとき、この「関連性」が示唆するのは、前述した”ピートが「アリスの教唆」を遵守して犯行を行っていること”の図式化であるといえる。両カットの「構図」が明示するとおり、たった今ピートが行った「アンディに対する犯罪」の背後には、文字どおり「女の影=アリス」が存在しており、彼の行動を規定している(という「欺瞞」をフレッドは作り上げている)というわけだ。

しかし、より興味深いのは、「女の影=ポルノ映画の映像」がフレッドの「レネエに対する感情/疑惑」を指し示していることを前提として、この「構図」を捉えた場合である。フレッドが「レネエの殺害=レネエに対する犯罪」を引き起こした背後には、彼が抱えていた「レネエに対する感情/疑惑」が存在していることについては以前にも触れた。それに基づくなら、カット(16)および(18)が提示する「構図」(あるいは”ピートと「ポルノ映画」の関連性”)は、そのまま「レネエに対するフレッドの犯罪」の図式とも重なることになる。

いずれにしても、「フレッドのレネエに対する疑惑」があるいは「実体」がないフレッドの思い込みであること、そして「アリス」という存在もまた「優秀なレネエの代替イメージ」である限りにおいて「実体」を持ち得ないことを考えるなら、この二つの抽象概念がともに”スクリーンに投影される「ポルノ映画」の女優”という「実体を持たない映像/虚像」へと仮託されることは、まったく不思議ではない。同時に、その発生の「表層的な機序」こそ異なるものの、その裏に「フレッドの(特定の)女性に対する感情」が存在しているという「図式」において、「フレッドのレネエに対する犯罪」と「ピートのアンディに対する犯罪」はともに共通しているともいえる。

そして、この「共通項」を糊代にして二つの「犯罪」の概念(イメージ)は連鎖し、続くシークエンスにおいて「事態の急変」を引き起こすのである。

(この項、続く)

2009年10月12日 (月)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (60)

ちょいとLinux機をいじくってたら、なんかシステムがおかしくなってしまいました。ありゃーと思ってアレコレしてたら、事態は一層悪化してブート・ファイルまで行方不明になる始末。おーい(笑)。もーメンドーだとゆーことで、ヴァージョン・アップしたシステムを再インストール……しても、引き続きブート・ファイルが行方不明(笑)。どーやら、面白がって二種類のLinuxをインストールしてデュアル・ブートにしてあったのが悪さしていたようで、システムを入れていたパーティションからブート可能フラグが外れていたり、いろいろ不具合があった模様。なんとか復旧させ、最低限の追加設定が終わったのが午前二時。静かな金曜の夜を返せ(笑)。

とゆーよーな艱難辛苦(いや自業自得)を経て、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は「アンディの屋敷」の内部のシークエンスの第二回目、(1:42:17)から(1:42:46)をば。

アンディの屋敷 内部 夜 (1:42:17)
(3)[ramsteinスタート]
天井の高い、薄暗いリビング・ルーム。吹き抜けになった六角形の建物の内部。白い壁の瀟洒な室内。あちらこちらに並べられた椅子と、ところどころに柔らかく光を投げかける間接照明。左側の壁の高いところには、プールの照明の青い光が窓枠のシルエットとともに映し出されている。中空には大きな映写スクリーンが下げられ、そこにはモノクロのポルノ映画が投射されている。顔をこちらに向けた金髪の女性が、男に後ろからのしかかられて体をうごめかしている。映像は、スクリーンからはみ出す形で投影されている。
(4)スクリーンに映された映像のアップ。あえぎながら体を揺らす女性のアップ。
(5)ピートのアップ。呆然と口を開け、スクリーンに映される映像を見上げている。部屋の中を見回しながら、画面外の段差を一歩、二歩と降りるピート。それにつれて後退する視点。画面右手を見るピート。
(6)ピートの主観ショット。黒いソファの上に置かれた豹柄の上着と、黒の本体に金の鎖がついた女性もののバッグのアップ。そのまま左下方にパン。白い絨毯の上に脱ぎ捨てられた黒いストッキングの左右。
(7)ピートのアップ。なかば口を開け、なおも部屋の中を画面手前に向かって歩き続ける。それに連れて後退する視点。画面左には、木のテーブルの上に置かれた、三角形の傘の電気スタンドが見える。その奥にはガラスがはまった木の枠の扉がある戸棚が見える。ピートの背後には、二階に続く二つの階段が、その右手には向かい側の白い替えと、そこにかかった間接照明の光が見える。
(8)スクリーンに映された映像のアップ。後ろから男にのしかかられ、口を大きくあえぎながら体を揺らす女性のアップ。
(9)ピートのアップ。立ち止まり、口を開けたままスクリーンに映された映像を見ているピート。
(10)スクリーンに映された映像のアップ。後ろから男にのしかかられ、口を大きくあえぎながら体を揺らす女性のアップ。

ついに”「アンディの屋敷」によって隠匿されていたもの”が、その姿を現す。カット(3)(4)(8)(10)にあるように、まずそれは”スクリーンに投射される「ポルノ映画」の映像”として表される。

まず指摘できるのは、この「ポルノ映画」が(映画内)映画である以上、「フィルム」という「映像記録媒体」の形状をとっていることだ。つまり、ともに「映像記録媒体」であるという点において、これは「前半部」に登場した「差出人不明のビデオ・テープ」の「リフレイン」であり「ヴァリエーション」なのである。

一般的に「フィルム」(ないしは「ビデオ・テープ」)に記録された「映像」は、たとえば「文章」や「絵画」に比べて高い「写実性/指標性を備えていること=ありのままの記録であること」とされる。これはさまざまな映画理論によって繰り返し指摘され、「映画」というメディアム=媒体の基本的特性を論じるうえでの、ある出発点にもなっている。「写真」と同じく、そうした媒体によって残された「映像」は過去のどこかの時点で確実に「そのような形」で実際に存在しており、そこに”創作者の主観による「歪み」”が混入する余地がないゆえに他の媒体と峻別されるという考え方である。ただし、「表現主義的発想」を基本とするリンチ作品においては、この問題もまた「外面的写実性」ではなく「心理的写実性」をキーにして捉えなければならない。つまり、ここで優先して議論されるべきなのは、フレッド(あるいはリンチ自身)が感じている”フィルム(あるいはビデオ・テープ)という「メディアム=媒体」が付随させる「真実性/写実性/指標性」”の「イメージ」そのものだということだ。「前半部」の「幻想/捏造された記憶」において、「レネエ殺害」につながる「ありのままの記憶」が「差出人不明のビデオ・テープ」として登場するのは、まさしくこの「媒体」が備えているそうした「イメージ」に裏打ちされている。なによりも「ビデオ・カメラ」に対するフレッド自身の言及(0:24:28)が、彼が「ビデオ・テープ」という「媒体」に対してどのようなイメージを抱いているか、雄弁に物語っているといえるだろう。それと同様に、このシークエンスに登場する「ポルノ映画」も、「フィルム」という「ビデオ・テープ」と同等/同種の「媒体」の形状をとっているがために、フレッドの「ありのままの記憶」につながるものとして、ひいては”彼による「レネエ殺害」という現実”と関連していることが保証されることになる。

その一方で、記録媒体=フィルムが映し出しているのが”「ポルノ」=「交接する女性」の具体的映像”であることを、我々=受容者はどのように捉えればよいのだろうか? この疑問に一定の回答を与えるのが、(0:33:04)の「フレッドとレネエとの対話」や(1:29:00)の「ピートとアリスとの対話」が断片的に示唆してきたものだ。彼女(たち)はアンディから「仕事」を紹介されたと語り、その「仕事」が「ポルノ映画の撮影」であることが(1:29:00)からの会話でピートによって言及されたのち、(1:31:18)からの「アリスの回想」によって具象化される(もちろん、この「言及」や「回想」も”フレッドの「感情/意識」が代弁されたもの”に過ぎず、作品全体を見回してもレネエが「不貞を働いたこと」あるいは「ポルノの被写体となったこと」を明示する映像は存在しない)。これらのショット/シークエンスから了解されるのは、フレッドが自分の感じている「レネエに対するコントロールの不能性」を「彼女の不貞」という「疑惑」に重ねあわせていることである。そして、最終的にその「疑惑」はフレッドの内面において「現実=ミスター・エディ」と関連付けられ、「ポルノ映画」のイメージへと連鎖していくわけだ。

このシークエンスに登場する”「ポルノ映画」の具体的映像”も、まさしくそうした「イメージの連鎖」のなかに位置づけられるべきものである。すなわち、それを記録する「フィルム=媒体」が備える「真実性/写実性/指標性」のイメージとは裏腹に、この”「ポルノ映画」の具体的絵像”そのものは、「フレッドの感情/意識」に歪められた「幻想/捏造された現実」のひとつに過ぎないのだ。こうした検討から浮かび上がってくるのは、この「ポルノ映画」こそがフレッドの「感情」を……彼がレネエに対して抱いていた”「不安」や「疑惑」そのもの”を具現化し、表象しているということである。それを裏付けるように、暗い邸内に掛けられたスクリーンに投射される”「ポルノ映画」の映像”は「青白く」輝き、「プールから放たれる青い光」と並んで「青のモチーフ」のひとつとして……すなわち、フレッドの「不安」や「疑惑」に関連付けられるものとして登場している。

この「不安」や「疑惑」は、カット(6)の「脱ぎ捨てられたアリスの衣服」によって、「過去」だけでなく「いま現在も存在するもの」として提示される。アリス自身が「教唆」したように、あるいはこの後の展開が明らかにするように、彼女は「この現在」アンディと階上にいる。そのこと自体が”フレッドの「レネエに対する疑惑」”の「リフレイン」であることは論をまたない。かつ、「ポルノ映画の映像」と「脱ぎ捨てられたアリスの衣服」はともに「ピート=フレッドの主観ショット」として提示され、このシークエンスから始まるラムシュタインの音楽とともに、文字どおり「フレッドの主観を介在させたもの=彼の内面に関連するもの」であることが強調されている点も見逃せないだろう。

(この項、続く)

2009年10月 5日 (月)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (59)

デトロイト方面で発生した出来事に、大山崎は先週いっぱい死亡状態でありました。うーん、それなりにオフェンス力がついて来てるみたいだったんで、危惧はしていたんだよなあ。なんにせよ、19試合ぶりの勝利、おめでとうございます>らいおんず 

とか言っている間にNFLは第四週が進行中で、贔屓チームもなんとか星を五分に戻し、大山崎もめでたく復活(笑)。いや、スケジュールがソフトな今のうちだけってーハナシもありますが、それはそれとして「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は(1:41:39)から(1:42:17)をば。

この後、「アンディの屋敷」の内部を舞台にして、非常に長いシークエンスが展開される。そこで発生しているさまざまな事象は、リンチが採用する「表現主義的手法」の典型例といえるだろう。これまで「ロスト・ハイウェイ」が提示してきた映像群と同様、このシークエンスが提示する具体的映像を、いわゆる「写実的な描写」としてナラティヴな観点から捉えることは不可能である。要請されるのは、それらの映像が伝える「外見的な歪み」がフレッドの「内面」に存在する「感情/意識」を反映しており、「外的写実性」よりもフレッドの「内的写実性」を優先した結果であるとみるアプローチだ。そうしたアプローチに従うなら、「アンディの屋敷」の内部で発生する事象(とその「歪み」)から浮かび上がってくるのは「フレッドのレネエに対する感情」の本質であり、彼が彼女を殺害するに至った心理的動機を理解するための「手掛かり」である。

では、何度かにわけて「アンディの屋敷」の内部のシークエンスをみていこう。

アンディの屋敷 内部 夜 (1:41:39)
(1)ミドル・ショット。照明が点灯された一部をのぞいて、薄暗い闇に沈んでいる部屋の内部のショット。カウンター・キッチンの蛇口越しに、画面左に見える通用口をのぞむショット。背よりも高いガラスがはまった通用口のドア越しに、屋敷の外の様子が見えている。木の幹、ビーチ・パラソルとその下のデッキ・チェア。パラソルとチェアには、青い照明の光が揺れて反射している。通用口のガラス越しに姿を表わすピート。通用口に歩みより、まず右手を伸ばした後、左手でドアを開ける。

[ドアが開く音]
そのまま左手でドアを開け、屋敷の内部に足を踏み入れるピート。ドア・ノブのあたりを見下ろしながら、なるべく音がしないように右手でゆっくりとそれを閉める。入り口あたりの闇の中を、画面右手に向かって歩き始めるピート。それを追って右へパン。キッチンのカウンターと天井からの戸棚の間から、明るい照明に照らされた両開きの木の扉と、その両側の白い壁が見える。自分の右手、画面手前のキッチンの内部を見ながら、画面右方向に向かって歩き続けるピート。途中で正面を向き、なおも歩き続ける。彼の向こうには冷蔵庫が視界に入ってくる。冷蔵庫の横にある通路の闇に姿を消すピート。
(2)ミドル・ショット。通路の暗闇から姿を表わすピート。画面手前右方向に向かって歩きながら、自分の左手にある階段の上を見上げる。ついで、画面左のほうを見るピート。豪奢な室内を彼が歩くのに連動して、右にパンしつつ後退する視点。ピートのアップになる。彼の背後には曲線を描いて左右に分かれ二階に続く、青い絨毯が敷かれた二つの階段が見える。画面外の段差を一歩降りるピート。そこにあるものを認めて呆然とした表情を浮かべる。

具体的映像として提示されるのは、「アンディの屋敷」の内部へと侵入するピートと、その直後に彼がそこで目にするものである。これまで「バスからの下車」(1:40:46)、「フェンスの乗り越え」(1:41:18)という具合にピートはその行動をエスカレーションさせてきたが、いよいよ彼は最終的な「引き返し不能地点」への関門をくぐり抜けるのである。カット(1)にあるように、侵入口となった「裏口」は、「アリスの教唆」(1:35:20)にあるように開け放たれている(The back door'll be open)。言外の機序にしたがうなら、もちろん裏口の「鍵」を開放しておいたのは「アリス」だ。こうした「図式」によって補強されるのは、やはり”ピート=フレッドをして「最終関門」をくぐらせたのは、「彼自身のレネエ(およびその代替イメージであるアリス)に対する希求そのもの」である”ことである。

その「最終関門」をくぐり抜けるに際して……具体的にいえばカット(1)の最後からカット(2)の始めにかけて、ピートが「闇」を通過する描写があるのは非常に興味深い。この”「闇」をくぐり抜ける”という表現は、これまでも作中に何度かすでに現れている。たとえば(0:37:54)の”もう一人の自分と相対するフレッド”のショットにおいて、あるいは(1:08:03)の”自分の鏡像と対峙するピート”というショットにおいて、彼(ら)はともに”「闇」をくぐり抜けて”いる。リンチ作品において頻繁に採用される”同一モチーフ/テーマの「リフレイン」あるいは「ヴァリエーション」”を念頭に置くなら、現在論じているシークエンスに現れる”「闇」をくぐり抜ける”モチーフと、上に挙げた二つのショットに認められるそれは、まさに「リフレイン」あるいは「ヴァリエーション」の関係にあるといえるだろう。そして、その関係性の根底にあるものこそ、もうひとつの共通モチーフ/テーマである「闇」だ。

たとえば(1:14:56)に現れる「夕暮れの風景」のショットについて述べた際に触れたように、リンチ作品に登場する「闇」は、「内面」と「外界」を区切る「表層」を不可視化し、その存在を消し去るべく機能する。存在しなくなった「表層」は「内面に存在するもの」をもはや留め置くことができず、本来は隠匿されるべきだったもの……たとえば「レネエに対する希求」を「外界」に向かって解き放ってしまう。上に挙げた(0:37:54)および(1:08:03)のショットが提示する映像に則して述べるならば、「闇」をくぐり抜けたフレッド/ピートが向かい合うのは「ありのままの自己」を喚起させるもの……つまり「もう一人の自分」であり、いわば彼(ら)は自分の「内面」に隠されている「自らの本質」と対峙しているのだ。「レネエ殺害」という「ありのままの記憶」を忘却しておきたいフレッドにとって、当然ながら「ありのままの自分」もまた「心のどこかに隠匿されるべきもの」である。だが、「リンチの闇=リンチ・ブラック」によって消え去った「境界」は、もはやそれを「内面」に押しとどめる力を持たない。

ドキュメンタリー「ナイト・ピープル」のなかで、前妻のペギーが「当時住んでいた部屋をリンチが黒く塗った」ことについて言及したのを受けて、「そうすれば壁があっても見えなくなるからね」とリンチは語っている。リンチにとって「境界の消失」は、他のどの色でもなく、「黒=闇」によって引き起こされることを端的に裏書きする証言であるといえる。

これらの事項もまた、カット(2)で”ピート=フレッドが「目撃したもの」の「性格」”がどんなものであるかを補強的に示唆するものだ。そして、以降、彼が「アンディの屋敷」の内部において体験する事象群もそれと同様の「性格」を帯びている。一言でいえば、それはフレッドにとって「忘却したいもの」であり、つまりは「ありのままの記憶」につながるものだ。では、ピートはいった何を「見た」のか? 「アンディの屋敷」という「家」に隠匿され、いまや「闇」によって開放されたのは、いったいどのようなものなのか? 

(この項、続く)

2009年9月24日 (木)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (58)

海の向こうではNFLのレギュラー・シーズンが始まっておりまして、それはつまり、月曜の朝に脱力したり雀躍したりしている大山崎が拝める季節が始まっておるとゆーことであるわけです(笑)。ただし贔屓チームは戦前からすでにダメっぽい気配が漂っていて、プレシーズン最終戦では解説のジョー・サイズマンのおっちゃんから「ugly」と言われてしまう始末。ご期待どおり先週今週と「みっともない泥仕合」を繰りひろげておるわけですが、しかし、ま、それでも勝ったり負けたりするから不思議なもんだ(笑)。なんにせよ、今季初勝利おめでとーございます>わしんとん。

……と贔屓チームの勝利を寿ぎつつ続く、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は(1:40:57)から(1:41:39)をば。

アンディの屋敷 外部 夜 (1:40:57)
(1)ロング・ショット。アンディの屋敷の前。芝生が生えた斜面。木々が立ち並んでいる。アンディの家の壁が、芝生に黒々とした影を落としている。画面右の木の陰から姿を表わすピート。そのまま画面左手前の方向へと芝生の上を進む。それに連れて左にパン。アンティの屋敷の白い壁と、それにはまった金属製の格子が視界に入ってくる。格子越しに、アンディの屋敷の庭の芝生が生えた斜面と、他と並ぶ椰子の木々が見える。その向こうに、屋敷の建物が見える。青色に揺れる光は、プールの水に反射した照明の光だろうか。鉄の格子の前でピートは立ち止まり、最終的に腰から上のミドル・ショットになってパンは終了する。画面に背中を向けたまま、パンツの左前ポケットに左手を突っ込み、腕時計を取り出すピート。そのまま、腕時計に目を落とす。
(2)腕時計と、それに添えられたピートの指のクロース・アップ。斜めに写されるアナログ式の腕時計の針は、11時5分を指している。少し左にパン。
(3)ミドル・ショット。屋敷の壁の前に、画面に背を向けて立っているピート。再び左手に持った腕時計をパンツの左前ポケットに突っ込み、ちらりと左右を見てから壁の鉄格子に近寄る。鉄格子に両手を伸ばし、壁の上部に左足を掛けて、鉄格子に登るピート。それを追って上方にパン。鉄格子の上部に両手をかけ、左足からそれを乗り越えるピート。そのまま、壁の向こうに飛び降りる。それにあわせて、下方にパン。身を屈め、芝生が生えた斜面を駆け上がるピート。
(4)ミドル・ショット。画面左には椰子の木の幹。幹に沿ってゴム・パイプらしいものがくくりつけられている。画面右には長い葉の生えた枝。幹と枝の間から姿を表わすピート。幹に右手を伸ばし、立ち止まる。揺れる青い照明の光が、幹とピートを照らしている。様子を伺っているピート。彼に向かってズーム。
(5)ロング・ショット。アンディの屋敷の外観。右側は背の高い窓が三つ並んだ、六角形の建物。内部には照明が点いたままで、二階分の吹き抜けになっているのが見える。その左には二階建ての建物があり、六角形の建物とつながっている様子だ。一階の窓からは明るい光が漏れている。二階建ての建物の左半分は、木立で半ば隠されている。建物の正面には、青い光の照明に照らされたプールがあり、プール・サイドに並べられたデッキ・チェアのシルエットが見て取れる。デッキ・チェアと同様、プールの手前に植えられた植物の陰が見える。
(6)ピートのアップ。画面左には椰子の木の幹。上目遣いに屋敷のほうを伺っているピート。木の幹と彼の顔に揺れながら反射する、プールの青い照明の光。やがてピートは右下方を向き、画面右に姿を消す。

観てのとおり、具体的映像として伝えられるのは、「アリスの教唆」に従って「アンディの屋敷」に忍び込むピートの状況である。当然ながらこのシークエンスが提示する事象もまた「フレッドの意識や感情を表象するもの」であるわけだが、その観点から真っ先に指摘できるのは、”「アンディの屋敷」のフェンスを乗り越える”という「ピートの行為」そのものによって表されるものだろう。いうまでもなく、これは直前のシークエンスでの「バスを降りる行為」が一層エスカレートしたものであり、「新たな遁走」に足を踏み入れたフレッドがより深く「引き返せない地点」を越えたことの表象でもある。

だが、このシークエンスにおいてより注目しなくてはならないのは、”「アンディの屋敷」の描かれ方”あるいはそれが伝えるメゾンセンだ。建物の一部はカット(1)からすでに認められ、カット(3)においてピートがフェンスを越える際にはその上部が垣間見えるが、決定的に全貌を現すのはカット(5)においてである。

この三つのショットを通じてまず目をひくのが、その外壁に揺らめく「青い光」である。これが「赤のモチーフ」と並んでリンチ作品に繰り返し登場する「青のモチーフ」の発現であることは、改めて指摘するまでもないだろう。「ブルー・ベルベット」や「マルホランド・ドライブ」あるいは「インランド・エンパイア」などにおいて「青のモチーフ」はさまざまな形で登場し、非常に抽象的なさまざまなものを表象していた。この作品においても、「赤のモチーフ」や「青のモチーフ」は「フレッドの心理状態」と連動して登場し、それを表象するものとして姿を現す。さて、では、このシークエンスに登場する「青のモチーフ」は、フレッドのどのような心理状態を指し示しているのだろうか。

それを推察する手掛かりの一端となるのが、「青い光=青のモチーフ」の発生源である”「プール」の存在”が示唆するものだ(カット(5))。このプールは「前半部=捏造された記憶」における”「アンディの屋敷」のパーティ”のシークエンスで初めて姿を現し(0:27:19)、その後「後半部=捏造された現実」の冒頭での”「ピートの家」の裏庭”のシークエンスにおいて「子供用プール」へと無力化された(0:55:08)。この変化のプロセスが「フレッドが自らの自我を守ろうとする行為」として捉えられることに関しては、当該シークエンスについて触れた項で述べたとおりである。(0:12:25)にみられるように、フレッドの「レネエに対する疑惑/不安」は基本的に「アンディ」と関連づけられており、よって彼に付随するさまざまなイメージ(「屋敷」および「プール」もそれに含まれる)もまたそうした「感情」に紐づけられている。そうした「感情」はフレッドにとって「ありのままの記憶=脅威」であり、その意味で「真の心の声=ミステリー・マン」が姿を現すのが”「アンディの屋敷」のパーティ”であることは決して偶然ではなく、そこに「青い光を放つプール」が登場するのも必然であるといえる。そして、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」を構築した当初、フレッドがそこから「ありのままの記憶=脅威」を排除することを目的として、「アンディの屋敷のプール」を「子供用プール」という無害なイメージに矮小化する作業を必要としたことも、また当然であるといえるだろう。

しかし、カット(5)が提示するように、その無害化されたはずの「プール」がこのシークエンスでは復活してしまっている……それも「前半部=捏造された記憶」のときとまったく同じ姿で。この事象が指し示すのは、矮小化のプロセスが逆転し、いったんは無害化された「プール」が再びフレッドに「脅威」を与える存在となったことである。いや、これは話が逆だ。彼の内面で”「ありのままの記憶=現実の脅威」に対する「不安」”が蘇りつつあることを反映して、「プール」は「青い光」を伴った本来の姿を取り戻すのだ。この後、(1:49:45)までの「アンディの屋敷」の内部におけるシークエンス全体を通じて、「青い光」は基調音として繰り返し登場し、フレッドの内面において再び発生している「不安な感情」を表象することになる。

ひるがえって、「アンディの屋敷」の外観のショット(カット(5))が伝えるメゾンセンである。揺れる「青い光」に照らされた屋敷は、それ自体が揺らめく「幻影」であるかのようだ。それが表すものは、(0:33:45)に現れる”「内部」で「白い光」がはためく「フレッドの家」”のショットとの対比において、より明瞭になる。当該シークエンスの項で述べたとおりそのショットが提示していたのは、「家の内部=フレッドの内面」において外部からは伺い知れない「感情」や「意識」がうごめいていることの示唆であった。それに対し、このシークエンスにおける「青い光」は、「アンディの屋敷の外部」において発生している点で鋭い対照をみせる。本来「家の内部=内面」で存在しているはずの「光=感情」が、このシークエンスでは(「庭」という「家の領域内」とはいえ)「家」の「外部」に存在しているのだ。こうした対照から了解されるのは、そもそも「アンディの屋敷」そのものが「フレッドの内面」に内包された「幻想」であり、(それに付随する「プール」同様)彼が抱える”「不安」を指し示す「感情=抽象概念」”であることだ。本来「フレッドの内面」にのみ内在しているはずのものが、このシークエンスにおいては外在化/外界化しているのである。

と同時に、「アンディの屋敷」が、リンチ作品の共通テーマである「家」の延長線上にあることも間違いない。カット(3)では二階の窓は闇に沈んでおり、カット(5)で見てとれるように(「アンディの屋敷」は比較的大きな「窓」をもっていはいるが)その「内部」は薄暗く、その内部で何が発生しているかは明瞭ではない。その点において「アンディの屋敷」は、「フレッドの家」や「ピートの家」とならんで、やはり「人間の内面」を表象する「家」そのものなのである。

これらの諸事項が浮き彫りにするのは、「アンディの屋敷」が備えている「二重構造」である。「内部」で発生している「事象=感情や意識」を隠匿しつつ、それ自体が「感情や意識」を表象する、いわば”「家」の内部に存在する「家」”というべき存在なのだ。

そして、そうした「二重構造」が必要とされる理由は、この後「アンディの屋敷」の内部で発生するさまざまな「事象」によって、逆説的に示唆されることになる。詳細は当該シークエンスについて述べる機会に譲るが、一言でいえば、それらの事象から浮かび上がってくるのは「レネエに対してフレッドが抱いている疑惑/不安」の「本質」であり「真相」だ。たとえば(0:05:12)や(0:12:25)など、これまでも彼の「疑惑/不安」は断片的に提示されてきた。その全貌が明示にされるのが、これから始まる「アンディの屋敷」の内部を舞台にした一連のシークエンスにおいてなのである。そして、その「フレッドのレネエに対する疑惑/不安」こそが彼をして彼女を殺害させた根本要因であることを考えるなら、それを指し示す事象群が「アンディの屋敷」の壁によって隠匿されなければならない理由もまた明らかだろう。それは、遠く離れた「砂漠の小屋」に押し込められた(はずの)「真の心の声=ミステリー・マン」と同様、フレッドにとって「隠しておきたい(忘却したい)事項」なのだから。

上記のような事項を踏まえたとき、現在発生している”ピート=フレッドによる「アンディの屋敷」への侵入”という事象自体もまた、実は彼にとって非常に危険かつ皮肉な事態であることが了解されることになる。それは、あるいは「隠匿しておきたい事項」を……自らの「レネエに対する感情」を暴くことになりかねない行為である。そうした選択をせざるを得ないこと自体、フレッドがどれだけ追い詰められいるかの証左でもあるといえるわけだが、現在の第一目標が”「アリス」を確保しつつ「新たな遁走先」を手に入れることであり、そのためには「アンディから金品を奪うこと」が必須である限り、彼はこの「二律背反」的な状況からは絶対に逃れられない。この「レネエ(あるいはその代替イメージであるアリス)を希求すること」が、そのまま「ありのままの記憶=現実」に近づくことになるという「二律背反」的状況こそが、これ以降の一連のシークエンスをとおして、あるいは「ロスト・ハイウェイ」全体をとおして「フレッドの心理状態」の根底に存在するものだといえるだろう。

2009年9月16日 (水)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (57)

先日買った「アヤしいDVDプレイヤー」でありますが、とりあえず問題なく作動しております。いや、作動はしておるのですが……なんで再生時間表示がいきなり「1:00:00」から始まるのかなあ?(笑) とりあえずDVDを再生して観るぶんには問題ないので、うっちゃらかしておりますが。

……などと「科学の驚異、女体の神秘」(なんだ、そりゃ)に首を捻りつつ続く「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は(1:40:36)から(1:40:57)をば。

バス 外部 夜 (1:40:36)
(ディゾルヴ)
(1)ピートのアップ。走行中のバスの窓越しに、右斜め前からとらえたショット。バスの左側窓際の席に座り、窓の外を見ているピート。彼の背後、ひとつ後ろの右の列の席にはワイシャツ姿の白人男性の姿が見える。画面右には、斜めに画面を分断している車窓の白い枠。窓ガラスには、外部の街灯やネオン・サインなどの光が反射しており、走行にあわせて後ろに流れていく。
(ディゾルヴ)
(2)ピートのアップ。走行中のバスの内部。右の列、窓際の席に座り、真っ暗な外を見ているピート。彼のひとつ前の席から、右斜め前から彼をおさめるショット。彼の前には、前の席の背が一部見えている。窓ガラスには、後部に座っている白いワイシャツ姿の男の姿が写っている。速度を緩めるバス。窓枠の下部に右手を当て、通路方向に体をずらすピート。それを追って右へパン。通路に立ち上がり、画面に背を向けて昇降口に向かうピートのバスト・ショット。左の列には、ワイシャツ姿で黄色い表紙の本を読んでいる男の姿が見える。その他の乗客は見えない。そのまま昇降口のステップを降り、右手を伸ばして折りたたみ式のドアを開けるピート。それを追って少し左へパン。バスを降りるピート。彼の背後で閉まるドア。
[ドアが閉まる音]

具体的映像として提示されるとおり、ピートは「アリスの指示(Don't drive. Take the bus)」(1:35:28)にしたがい、自分の自動車あるいはバイクを使わず、バスに乗って「アンディの屋敷」へと向かう。

もちろん、このように「アリスの教唆」どおりに動くこと自体、ピート=フレッドが自らの「主体性」を放棄していることの表れであることはいうまでもない。と同時に、たとえば「ミスター・エディの自動車に乗ること」が「ミスター・エディのコントロール下におかれ、自らに関するコントロールを失うこと」を表象していたように(1:01:30)、ピートが自らの移動手段を使わずバスに乗って移動する行為そのものもまた「他人のコントロールに身を委ねる行為」として捉えられる。

それを強調するかのように、カット(1)において、「バスのガラス窓に反射する街灯やネオン・サイン」が現れる。(1:23:21)の「ピートが夜の街をバイクで疾走するショット」においても「街灯やネオン・サイン」は現れており、現在論じているシークエンスは(1:23:21)のショットの「ヴァリエーション」であると考えることが可能だ。

両ショット間で大きく異なっているのは、ピートの「スタンス」である。(1:23:21)のピートが(その契機が「アリス」に会えない焦燥感であったにせよ)「シーラに会いに行く」途上であり、主体性をもって能動的な行為をとっていたのに対し(つまり、「自身に関するコントロール」を保全していたのに対し)、カット(1)のピートはバスに「運ばれながら」(つまりは「自身に関するコントロール」を放棄し)ガラス窓越しに「外界」を見詰めるという受動的な行為しかとれないでいる。また、バイクに乗ったピートが「外界」に対し直接身を晒していたのに対し、カット(1)では「バスのガラス窓」によって「外界」から遮断され庇護されている。「ロスト・ハイウェイ」で描かれる事象をすべてフレッドの心象が反映されたものと捉えるとき、この二つのショットの対比から浮かび上がってくるピート=フレッドの「心理的変遷」は明らかだろう。

我々=受容者が検討しなくてはならないのは、なぜそのような「心理的変遷」が発生したか……言葉をかえるなら、何故ピート=フレッドはこのシークエンスにおいて「受動的態度」をとらなければならないのか、である。確かに具体的映像を観る限りでは「アンディからの金銭の強奪」は”「新たな遁走」への手段”としてアリスによって「教唆」されていたわけだが、そもそもこれ自体がフレッドの「意識」を「代弁」するものであったことは指摘するまでもない。問題はその「アリスによる代弁」そのものが、フレッドにとって「都合のよいもの」であることだ。ピート=フレッドは「アリスが発案した犯罪行為=現実への反逆」を、あくまで「アリスの教唆に従って行う」のである。

そこに伺えるのは、やはりフレッドがこれまで何度も繰り返してきた”屈折した「自我の保護」”であるといえる。フレッドは巧妙に「レネエ殺害」の要因を「彼女のコントロールの不能性」に帰し、次いでその責自体を「現実=ミスター・エディ」に転嫁した(1:31:49)。同様に、彼はこれから行おうとしている「アンディからの強奪」という名の「現実=ミスター・エディへの反逆」を、いつでも「アリスの責任」に転嫁可能であるように「抜け道」を準備するのである。このシークエンスにおいてピート=フレッドが「受動的態度」をとり、「外界」から庇護されているのは、まさしくそうしたコンテキストにおいてだ。

しかし、いずれにせよ、現在の「幻想/捏造された現実」が崩壊に向かっている以上、ピート=フレッドは「新たな遁走」を余儀なくされているといってよい。直前のシークエンスで提示されてように、「現実=ミスター・エディによる侵入」は「家の領域」にまで及び、シーラと両親も「退場」してしまった。いつの間にか「砂漠の小屋」から逃れた「ミステリー・マン」の再登場は、封印したはずの「真の心の声」の蘇生を告げている。もはや引き返すことが不可能になったピート=フレッドは、彼を庇護する「バス」から降り、「新たな遁走」を目指して「外界」へと身を晒すことになる(カット(2))。

2009年9月 8日 (火)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (56)

わはは。ついに安物リージョンフリーDVDプレイヤーがぶっ壊れました。レイヤーの切り替え位置でバッタリ止まって、そのまま黙りこくりやがるの。うーん、「インランド・エンパイア」のときにゴー&ストップ&リバースで酷使したからなあ。一瞬、修理したもんかどうか悩んだものの、プレイヤーの値段が落ちまくって、新品を買ったほーが完全に安くつく今日この頃。というわけで、代替品としてこれまた中国製の超安物を購入。5000円でお釣りがくるくせに、aviファイルがそのまま再生できたり、SDカード・スロットとUSB端子があったり、5.1chのアナログ出力端子付きだったり、はてはデュエットでカラオケができたりと、便利なんかどうかよくわからん怪しい機能が満載であります(笑)。とりあえず初期不良はないようでありますが、さーて、今度はどのくらいで壊れるかな。

……と「DVDプレイヤー・クラッシャー」の異名をほしいままにしつつ(笑)、あいかわらず続く「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は、(1:37:49)から(1:40:36)をば。

デイトン家 外部 夜 続き (1:37:49)
(24)父親とピートのアップ。ツー・ショット。母親のほうを見ている二人。
母親:(画面外から)He's called a couple of times tonight.
少し視線を落とす父親。
ピート: Who is it?
(25)ミドル・ショット。開かれた玄関のドアの前に立っている母親。
母親: He won't give his name.
(26)父親とピートのアップ。ツー・ショット。首を少し傾げ、横目で見るようにピートを見守る父親。彼のほうをちらりと見るピート。そのまま、家に向かって歩き出すピート。
(27)ミドル・ショット。家に向かって歩くピートを背中から写すショット。彼に続いて、家に引き返し始める父親。彼らを追って前進する手持ちのショット。彼らの向こう、画面奥には、デイトン家の建物と、玄関のドアのところに立っている母親がアウト・フォーカスで見えている。二人が家に近づくに連れて、イン・フォーカスになっていく建物と母親。そのまま玄関のドアから内部に入っていくピート。それを追って家に入るとき、父親は母親に左手でまいったというような仕草をして見せる。ピートと父親の後から家に入る母親。この間、視点はずっと前進しつづけており、最後はスクリーン・ドアを閉めながら家に入る母親のアップになって終わる。彼女はピートと父親の後ろ姿を目で追ったままである。

カット(27)に現れる「侵入する視点」のモチーフには注目したい。このモチーフは、往々にして「外界」から「内面」の移行を示唆するが、このショットはその典型例であるといえる。何より、それが侵入する先は、ピート=フレッドの「内面」を表すものとしての「家」なのだ。

デイトン家 リビング・ルーム 内部 夜 (1:38:17)
(28)ミドル・ショット。リビング・ルーム。身を屈めて、画面外、下方にある電話機に左手を伸ばすピートの腰から上、左側面からのショット。左手で受話器を取りざま、画面正面を向いてソファに座るピート。
ピート: Hello?
少しピートにクロース・アップ。
ミスター・エディ:(電話越しに)Hey, Pete, how're you doing?
ピート:(間)Who is this?
ミスター・エディ:(電話越しに)You know who it is.
少し視線を上げるピート。
(29)ミドル・ショット。ピートの主観ショット。心配そうにピートを見守っている両親のツー・ショット。右に立った父親は、少し首を右に傾げている。
(30)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。ピートの左にある低いテーブルの上には、黒い電話機の本体と電気スタンドが置かれているのが見える。
ピート: Mr Eddy...
(31)ミスター・エディのクロース・アップ。左手に持った黒い受話器を耳に当て、笑みを浮かべている。左手の小指にはめられた大きな指輪。
ミスター・エディ: Yeah. How you doing, Pete?
ピート:(電話越しに)OK.
ミスター・エディ: You're doing OK... That's good, Pete.
(32)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ピート: Look, uh...it's late, Mr Eddy. I, uh...
(33)ミスター・エディのクロース・アップ。左手に持った黒い受話器を耳に当て、笑みを浮かべている。
ミスター・エディ:(ピートの言葉を遮るように)I'm really glad to know you're doing OK. (間)You're sure you're OK? Everything all right?
(34)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ピート:(間)Yeah.
ミスター・エディ:(電話越しに)I'm really glad to know you're...
(35)ミスター・エディのクロース・アップ。左手に持った黒い受話器を耳に当て、笑みを浮かべている。
ミスター・エディ: doing good, Pete. Hey...I want you to talk to a friend of mine.
受話器を耳から離し、そのままそれを持った左手を画面左方向に伸ばす。それに連れて左へパン。画面左からミステリー・マンのクロース・アップが視界に入ってくる。画面手前、真正面を見たまま左手で受話器を受け取り、それを自分のl左耳にあてるミステリー・マン。
ミステリー・マン: We've met before, haven't we.
(36)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ピート:(間)I don't think so.(間)Where is it you think we've met?
(37)ミステリー・マンのクロース・アップ。
ミステリー・マン: At your house. Don't you remenber?
(38)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。黙ったまま、両親のほうに視線を上げる。
(39)ミドル・ショット。ピートの主観ショット。心配そうにピートを見守っている両親のツー・ショット。
ピート:(画面外で)No.
(40)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ピート: No, I don't.
(41)ミステリー・マンのクロース・アップ。瞬きをせず、目を見開いている。
ミステリー・マン: In the east, the far east, when a person is sentenced to death, they're sent to a place where they can't escape,
(42)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ミステリー・マン:(電話越しに)never knowing when an executioner may setp up behind them,
(43)ミステリー・マンのクロース・アップ。瞬きをせず、目を見開いている。
ミステリー・マン: and fire a bullet into the back of their head.
(44)ミドル・ショット。おびえた様子で、ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ピート:
(あえぎながら)What's going on?
(45)ミステリー・マンのクロース・アップ。瞬きをせず、目を見開いている。
ミステリー・マン: It's been a pleasure talking to you.
(46)ミドル・ショット。おびえた様子で、ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ミスター・エディ:(電話越しに)Pete.
(47)ミスター・エディのクロース・アップ。左手に持った黒い受話器を耳に当て、笑みを浮かべている。
ミスター・エディ:(頭を振りながら)I just wanted to jump on and tell you that I'm really glad you're doing OK.
そのまま左手を画面外に伸ばし、受話器を電話機にかけるミスター・エディ。
[受話器が置かれる音]
(48)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当て、半ば口を開けて呆然としているピート。やがて、取り落とすように受話器を画面外、自分の膝の上に置く。目をつぶるピート。溜め息をつきつつ、画面左を向いて画面外の電話機に受話器をかける。
[受話器が置かれる音]
はっとしたように、両親のほうを見上げるピート。
(49)ミドル・ショット。玄関に続く通路の白い壁と、それに掛けられた三枚の小さな絵(写真?)。両親の姿は消えてしまっている。
(50)ピートのアップ。ソファに座ったまま、両親がいた方向を呆然と口を開け見詰めている。やがて、ややうつむき加減になり、目をつぶったり眉をしかめ始めるピート。
[金属音のような音楽]
あえぎながら、左の額に左手をやるピート。そのまま左手で自分の顔を覆い、顎まで撫ぜるようにする。口を開け、顔が伸びたような印象。
(ディゾルヴ)

「家」の内部で待ち受けているのは、”「電話」という間接的な手段”による侵入である。その間接性はたとえば冒頭の「インターフォン」や「ビデオ・テープ」と同列であり、逆にリンチ作品における「家」が「外界」から隔てられた一種途絶した場所であることを表象している。そして、「電話」をはじめとするこれらの「間接的な伝達手段」は、主として「フレッドにとってよくない情報」を受信/発信するものであったことは指摘しておきたい。「ディック・ロラントの死亡」(0:03:53)、「ありのままの記憶」(0:09:39etc)、「ビデオ・テープの到着」(0:21:56)、あるいは「相手=レネエが電話に出ないこと」(0:07:39)をも含め、それらが「伝達するもの」は基本的にフレッドにとって「不安の対象」でしかない。

そして、このシークエンスにおける「電話」が伝えるものも、ピート=フレッドにとってとびきり「よくない情報」である。何よりも、「電話の主」は、これまで何度も「後半部=幻想/捏造された現実」に対して「侵入」を繰り返してきた「ミスター・エディ=現実」なのだ。ただし、今回の「侵入」は対象が「家」という「職場」と比較して「外界から隔てられた場所」であるため、「電話」という「間接的手段」によって行われるのである。

これ以降、カット(35)まで続く「調子はどうだ?」というミスター・エディとピートの「電話」を介した会話は、そのまま(1:26:29)における「自動車工場」のシークエンスで発生した両者の会話を、部分的に「リフレイン」するものである。当該シークエンスで発生していた事象が「ミスター・エディ=現実による侵入」であったように、このシークエンスにおいて発生している事象も「現実による侵入」であることが、こうしたリフレインによって保証される。前回触れたように、いずれにせよ大きく問題となるのは、こうした「現実による侵入」が「職場=自動車工場の領域」に留まらず、(「電話」という間接的手段によるにせよ)ピート=フレッドの「内面」を指し示す「家の領域」において発生していることだ。

しかし、この「現実による侵入」はなお一層のエスカレーションをみせ、新たな局面へと移行する。ミスター・エディは彼の「友人」にピートと話をさせようとし、その「友人」とやらが「ミステリー・マン」であることが直ちに明らかにされるのである(カット(35))。このミステリー・マンの登場は「ロスト・ハイウェイ」が伝えるものに関して(その作品構造を含め)、さまざまなものを示唆しているといってよい。

この不気味な男がミスター・エディの「友人」であることは、すでに「前半部」においてアンディによって言及されているが(0:31:52)、それが示唆するものに関してはその項で述べたとおりだ。改めて指摘するなら、これはリンチが頻繁に採用する「抽象概念の登場人物化」という手法に則ったものである。両者は、ともに(一定の幅をもった)「ある抽象概念」を表しており、それがゆえに「同類」であるとともに「友人」たり得るのだ。具体的に述べるなら、「ミスター・エディ=ディック・ロラント」は(フレッドにとっての)「現実/外界」あるいは「社会規範」を指し示しており、「ミステリー・マン」は「フレッド自身の真の心の声」を表象しているわけである。あるいは、両者が表す「抽象概念の近接性」において……つまり、ともに”「フレッドのありのままの記憶」にもっとも近い存在”であるという意味合いにおいても、両者は「同類」あるいは「友人」であるともいえる。

加えて指摘できるのは、具体的映像が表すように、「ミステリー・マン」の「同一性」が保持されていることである。彼の「外見」は、「前半部=捏造された記憶」においても「後半部=捏造された現実」においても、まったく同一である。このことが指し示す意味は、「ピート(のイメージ)」や「アリス(のイメージ)」との対比において、明らかだ。たとえば「ピート」は、フレッドによって「もっとも自分と重ならない存在」として創りあげられた「人格のイメージ」であり、それがゆえにフレッドとはまったく異なる「外見」をもって登場した。「アリス」は「レネエでありながら完全にはレネエでない存在のイメージ」として、これまたフレッドによって構築されているがために、レネエと非常に近い「外見」を備えている。この両者とは逆に、「ミステリー・マン」はあくまで「外見の同一性」を保持しており、それはそのまま「前半部/後半部」をつうじ「彼が表すもの」が「同一」であること……すなわち、彼が一貫して「フレッドの真の心の声」を表象していることの証左である。

カット(35)~カット(40)間の「またお会いしましたね」に始まるミステリー・マンとピートの会話が、「アンディの屋敷」のシークエンスにおけるミステリー・マンとフレッドの会話(0:28:58)を完全に踏襲しており、結果としてこの二つのシークエンスが「リフレイン」あるいは「ヴァリエーション」の関係にあることは指摘するまでもないだろう。だが、同時に、これまで述べたような諸事項を踏まえたとき、両シークエンスの間に横たわる「リフレイン/ヴァリエーションの関係性」がなにを示唆しているのかも、なんとなくみえてくるはずだ。

「アンディの屋敷」のシークエンスにおいて、ミステリー・マンはフレッドに対し「自分が遍在すること」、要するにフレッド自身の「真の心の声」として彼の「捏造された記憶」のどこにでも存在できることを宣言した。そして、その宣言は、実際に「フレッドの屋敷」にいる自分と「携帯電話」で話をさせることによって証明された。同様に、このシークエンスにおいても、ミステリー・マンは「自らの遍在性」を宣言する。そしてこの宣言は、彼が隔絶された「砂漠の小屋」から逃れ出て、ミスター・エディとともにピートに「電話」をかけているという具体的映像によって証明されている。

前述した「ミステリー・マンによって表されるもの」の「同一性」をキーにして考えるなら、これらの事象によって浮き彫りにされるのは、「ピートの人格(のイメージ)」がフレッドによって構築され捏造された「幻想」であり、フレッドの「意識」や「感情」が反映された優秀な「代弁者/代行者」であることだ。もっといえば、具体的映像のうえでは「外見」も異なれば「周囲の環境」も違うフレッドとピートが、実はその「内面的本質」において「同一」であり「等価」であること……早い話が、その「内面」において「ピートはフレッドでしかないこと」である。であるがために、彼らはともにミステリー・マンによる「遍在の宣言」を受け、実際にあり得ない形での「訪問」を受けるのである。

カット(41)からカット(45)において、ミステリー・マンは「極東での死刑執行」について語る。この「逃れられない環境」に閉じ込められ「いつ処刑されるか明確でない」状況が、実はフレッドが「現実」におかれている状況と同一であることは論じるまでもないだろう。現在、死刑囚房に収監されたフレッドもまたいつ訪れるかもしれない「死刑執行」に脅えており、彼の「真の心の声」であるミステリー・マンは的確に(ありのままに)それを指摘するのである。

いずれにせよ、ミステリー・マンが「砂漠の小屋」から逃れ出ていること自体が、フレッドが「幻想/捏造された現実」に対するコントロールを失い、「自分の真の心の声」を封印することに失敗していることを物語っている。ピートを核にした「幻想/捏造された現実」にフレッドが遁走するに際して、自分の「真の心の声」を「ミステリー・マン」として第三者化する必要があったこと、かつ「ミステリー・マン」を「砂漠の小屋」に隔絶する手続きをとらなければならかったことに関しては、当該シークエンス(0:48:17)の項で述べたとおりである。「幻想/捏造された現実」に発生している「変調/失調」は重篤な状態に陥っているが、その「崩壊の兆し」はこうした事象そのものに現れているといえるだろう。ミスター・エディが繰り返しピートに言う「元気そうでなによりだ」という言葉に込められた「皮肉」はいうまでもない。だが、より根本的な問題は、ミスター・エディが「(電話の相手が)誰だかわかっているはずだ」と「代弁する」ように(カット(28))、「自分が大丈夫ではない」ことをピート=フレッドが自覚しており、それがそのまま彼の「幻想/捏造された現実」で発生している事象に反映されていることなのだ。

こうした「幻想」に対する「コントロールの喪失」を端的に物語るのが、カット(49)である。カット(39)では確かに存在していたはずの両親が、このショットでは姿を消してしまっている。この二人もまた、フレッドが「遁走先」として構築した「幻想/捏造された記憶」の一部であり、彼の「代弁者/代行者」として機能する「都合の良い存在」であることは論を俟たない。そもそもフレッド自身の「両親」の存在(あるいは非存在)について触れる具体的映像を「ロスト・ハイウェイ」は欠落させており、この「ピートの両親が存在すること」自体が「フレッドの現実とは重ならない事項」であったこと……要するに、「フレッドにとって都合の良い幻想」であったことも確かだ。そして、そのとおり、「両親たち」は「幻想/捏造された現実」があるべき姿を「テレビ」を通じて学習し(0:57:02)、「シーラによる侵入」に介入してそれを中断させる(1:36:09)。その「両親」の存在が「消滅」してしまうことが(そして、カット(48)との関係性において明らかなように、ピート=フレッドがそれを認識したことが)示唆するものは、もはや明瞭であるはずだ。フレッドの”ピートを核にした「幻想/捏造された現実」”は、度重なる「変調/失調」の結果その機能を失い、急速に「崩壊」に向かいつつある。「シーラの退場」(1:37:15)に続く「両親たちの退場」は、そうした「機能の喪失」の過程を表象しているのである。

付け加えれば、こうした「登場人物の消失」というモチーフそのものが、リンチ作品において頻繁に採用される共通のものであるといえる。たとえば「マルホランド・ドライブ」における(リタからみた)「ベティの消失」が”「ダイアンの幻想」の終結=機能の喪失”とともに発生したのと同様、今回の「両親の消失」も”「フレッドの幻想」の崩壊=機能の喪失”にともなって発生している点は注目するべきだろう……そして、両者の「幻想」が、基本的に両者にとって「都合の良いもの」であるという点にも。

2009年8月24日 (月)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (55)

お盆が終わってもあいかわらず続く、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は、(1:36:09)から(1:37:49)をば。

さて、前回述べたように、フレッドは「非難の対象」を「アリス(およびその原型であるレネエ」から「ミスター・エディ=現実」へと移し、「新たな遁走」を試みることで「ピートを核にした幻想/捏造された現実」を維持しようとしている。だが、その間にも「ピートを核にした幻想/捏造された現実」に発生した「失調/変調」はとどまらない。この後、(1:36:09)からのシークエンスでは、そうした「変調」が深く進行している状況が描かれることになる。

では、まず、”「ピートの家」の外部”では何が発生したか、具体的な映像からみてみよう。

デイトン家 外部 夜 (1:36:09)
(1)ロング・ショット。デイトン家の前庭から、家の前の道路と向かい側の家々を見るショット。視点は左に振られており、道路の向かい側に止められた黒い自動車、平屋建ての五軒の家を視界に収めている。街灯がぽつんと灯っているだけで家々は眠りについており、その窓は真っ暗だ。ピートの自動車が画面左から現れる。道路を右に向かって走る彼の自動車を追って、右へパン。彼の自動車の向こう側、道を挟んだ向かいの家のガレージと、その前に置かれたモーター・ボートが見える。なおもピートの自動車を追って右へパン。道路の向こう側、ガレージの右側には向かいの家の平屋建ての建物が見える。道路のこちら側に置かれたピートの両親のライトバン。ピートの自動車はライトバンの向こうを通り、右折して自分の家のガレージの前にやってくる。パン終了。画面右端にはガレージの白い壁の一部が見えている。それに前半分が隠れる位置で停車するピートの自動車。
[ドアが閉められる音]
ガレージの壁の向こうから、画面に姿を表わすピート。それを追って少し左へパン。ピートは何かを認め、歩調を緩める。
(2)ミドル・ショット。デイトン家の玄関。画面右、玄関のドアの前に、腕組みをしたシーラが立っている。黒い上着に黒いTシャツ、黒いミニ・スカートに黒いショート・ブーツ姿である。画面左には、ガレージの白い壁と、それに掛かった籠型の外灯が黄色い光を投げかけているのが見える。その右、シーラの左には窓があり、白いレースのカーテン越しに電気が点いた室内が見える。
(3)ミドル・ショット。ピートの腰から上のショット。呆然とシーラを見詰めているピート。
(4)ミドル・ショット。腕を組んだまま、ピートに早足で近づくシーラ。それに連れて後退する視点。
シーラ:(震える声で)You're fucking somebody else, aren't you.
(5)ミドル・ショット。ピートの腰から上のショット。彼に近づいていくシーラを、背中越しに収めるショット。
ピート: Sheila!
なおも彼に近づいていくシーラ。それを追って前進する視点。
シーラ: You fuck me whenever you want!
ピート: Sheila, Sheila, stop it!
ピートにたどり着き、両手で彼を突き飛ばすシーラ。彼女の剣幕に押されて後退するピート。なおも彼を追いかけるシーラ。それを追いかけて前進する視点。
(6)ミドル・ショット。シーラのアップ。アウト・フォーカスになったピートの背中越しのショット。
シーラ: You don't call! Who is she?!
再びピートを突き飛ばすシーラ。やや画面右方向に後退するピート。
ピート: Stop it!
彼女の背後には、電気が点いたデイトン家の家が見える。その玄関のドアが開けられ、中からピートの父親が姿を表わすのがアウト・フォーカスで見える。なおも右斜め後ろに向かって後退する視点。
シーラ: What's the bitch's name?!
玄関のドアを出て、二人の方に向かってくるピートの父親。その後ろには、母親の姿も見える。
ピート: I'm sorry!
シーラ:(なおも詰め寄りながら)Oh, you're 'sorry'!
ピート:(左手を画面外に伸ばして)Go home!
(7)ピートのアップ。シーラの右肩越しに、やや見下ろすショット。
シーラ: You're 'sorry'?!
後ろに尻もちをつくように倒れるピート。
ピート: Sheila, stop it! Go...
シーラ:(ピートの言うことに耳を貸さず)You're sorry, you piece of shit? You're sorry?!
倒れたピートにのしかかり、彼の体を殴り始めるシーラ。ピートは体を守るように両腕を交錯させ、シーラのなすがままである。
ピート: Go home!
(8)シーラのアップ。彼女の右斜め前から、やや見下ろすショット。
シーラ:(画面外のピートを左手で殴って)Fuck you!
ピート:(画面外から)Stop it, Sheila!
シーラ:(画面外のピートを右手で殴って)Fuck you!
彼女の背後には、デイトン家の前庭の芝生が見える。画面左の芝生の上を近づいてくるピートの父親の足が、アウト・フォーカスで見える。
(9)地面に倒れたままのピートのアップ。なおも彼にのしかかり殴り掛かるシーラの背後からのショット。彼女の後ろ、画面左からピートの父親が現れ、手を差し伸べて彼女を止めようとする。
父親: Sheila, Sheila, Sheila...
シーラ:(なおもピートを殴りながら)Fuck you!
(10)シーラのアップ。背後から差し伸べた両手でシーラの肩を掴み、彼女を止めようとしているピートの父親。彼は肩から下しか視界に入っていない。身をよじって、父親の手から逃れようとするシーラ。
父親: Sheila, stop it!
シーラ: Fuck you!
少し上方にパンし、シーラと父親のツー・ショットになる。後ろからシーラを抱きかかえるようにして、彼女を止めようとする父親。
父親:(なだめるように)Let's both go in and talk about this quietly.
後退する視点。右手の手首を顔にあて、泣いているシーラ。右手を下ろしたあとも、彼女は泣きつづける。彼女の顔を覗き込むようにする父親。
父親: Sheila? Sheila...come on.
(11)地面に倒れたままのピートのクロース・アップ。呆然と泣いているシーラのほうを見上げている。
シーラ:(画面外で)You are different!
父親:
(画面外で)Sheila!
(12)シーラと父親のツー・ショット。ピートの主観ショット。地面から二人を見上げるショット。倒れたピートを見下ろして泣いているシーラ。彼女の右腕を掴んだまま、彼女に話しかけている父親。二人の背後には、木の枝とそれに生えた葉、その向こうの真っ暗な夜空が見える。
シーラ:(父親を見上げながら)Tell him. Tell him!
アウト・フォーカスになるとともに、揺れる画面。
父親: Sheila, don't!
(13)地面に倒れたままのピートのクロース・アップ。半ば口を開けたまま、二人のほうを見上げている。
父親:(画面外で)No.
シーラ:(画面外で)I don't care any more...
(14)シーラと父親のツー・ショット。ピートの主観ショット。地面から二人を見上げるショット。泣きながらピートを見下ろしているシーラ。彼女を見守っている父親。
シーラ: ...anyway.
父親のほうを見るシーラ。
シーラ: I'm sorry, Mr. Dayton.
(15)地面に倒れたままのピートのクロース・アップ。黙ったままシーラと父親の遣り取りを聞いている。
シーラ:(画面外で)I won't bother you...
(16)シーラと父親のツー・ショット。ピートの主観ショット。地面から二人を見上げるショット。泣きながらピートを見下ろしているシーラ。彼女を見守っている父親。
シーラ: or any member of your family ever again.
アウト・フォーカスになるとともに、揺れる画面。
(17)地面に倒れたままのピートのクロース・アップ。頭だけを起こそうとしている。少しアウト・フォーカス気味。若干、彼に向かってクロース・アップ。
(18)シーラと父親のツー・ショット。ピートの主観ショット。アウト・フォーカスのまま。地面から二人を見上げるショット。泣きながらピートを見下ろしているシーラ。彼女を見守っている父親。画面右に向かって走り去るシーラ。
(19)シーラのアップ。彼女の背後からのショット。デイトン家の前の道路に向かって走るシーラの背中。膝から上のショットになるまで。
(20)地面に倒れたピートのアップ。体を起こし、立ち上がろうとするピート。画面左から父親が現れ、右手を差し伸べる。その右手を左手で掴み、立ち上がるピート。それに連れて上方にパン。立ち上がり、ピートと父親のツー・ショットになる。画面の奥、道路のほうを見る二人。彼らの頭の間から、夜の道路と向かいの家のガレージが見える。道路を走り去るシーラの後ろ姿。やがて彼女は父親の後ろ姿の向こうに消える。
(21)ロング・ショット。夜の道路。道路の向こう側、画面の左端には駐車している黒い自動車と、その向こうの家々が見える。道路を走って渡り、自動車の向こう側に姿を消そうとするシーラの後ろ姿。
(22)父親とピートのアップ。ツー・ショット。走り去るシーラの姿を追って、画面左方向を見ている二人の後ろ姿。
母親:
(画面外から)Pete?
体を右回りに回し、自分の背後を振り返る父親。少し間を置いて、ピートも溜め息をつきつつ、左方向に自分の背後を振り返る。
(23)ミドル・ショット。開かれた玄関のドアの前に立っている母親の腰から上のショット。彼女の右には家の白い壁と、閉められたアルミ・サッシの小さな窓、その壁の前の植木が見える。開けられた玄関のドア越しに、リビング・ルームの内部が見えている。
母親:(右手で家の内部を示し)There's a man on the phone.

まず、気がつくのは、このシークエンスにおける「ピートの家」周辺の位置関係および構図である。カット(1)(3)カット(2)(4)を対比させればわかるように、このシークエンスで発生している事象は、「ピートの家(およびその前庭)」と「道路」という位置関係を舞台にしている。

この「ピートの家」と「道路」の位置関係は、たとえば(1:00:14)や(1:26:42)などにみられる「アーニーの自動車工場」と「その前の自動車が行き交う道路」との位置関係と同一である。この「自動車工場」がピートの「職場」であり、「外界」との接触が日常的に発生する場所であるがために「外界/現実の侵入」に対して脆弱であることは、しばしば発生した「ミスター・エディによる侵入」によって端的に表されていたとおりだ。これまでも何度か触れてきたように、リンチ作品において、こうした複数のシークエンス間(あるいはショット間)における「構造的な一致」は、しばしばそこで発生している事象の「等価性」を指し示している。このような”固有のテーマ/モチーフの「リフレイン」(あるいは「ヴァリエーション」)の採用”は、リンチ作品に顕著にみられる特徴のひとつであるといえる。

こうした観点に立つならば、このシークエンスと「自動車工場」のシークエンスの間に認められる”位置関係の「リフレイン」”は、そこで発生している事象が「等価」であること……つまり、「自動車工場」において発生していたのが「外界/現実による侵入」であるならば、現在このシークエンスで発生している事象もまた「外界/現実による侵入」に関連していることを物語っていることになる。だが、現在「フレッドの幻想/捏造された現実」に侵入しているのは「ミスター・エディ」ではない。カット(2)およびカット(4)をみればわかるように、ピート=フレッドと「家」の間に立ちはだかり、彼がそこに帰還することを阻止しているのは「シーラ」だ。

一言でいうなら、これは「シーラの外界化」である。これまでも何度か述べてきたように、そもそもの彼女は”ピートを核にした「幻想」の一部”であり、フレッドに「とって都合のよい存在」であったはずだ。ピートが「現実のフレッド」と共通点をまったくもたない存在であるのと同様、シーラも「現実のレネエ」とは重ならない存在でありながら、同時に「レネエの代替イメージ」として機能していた。たとえば(1:08:29)や(1:23:38)にみられたように、ピート=フレッドが彼女をコントロール下において便利に「利用」してきたことは明らかであり、カット(5)における「好きなだけヤっておいて」というシーラの言及(あるいは代弁)にはまったく反論の余地がない。

だが、このシークエンスにおける彼女はもはやそうした「便利な存在」ではない。ピート=フレッドの彼女に対するコントロールは完全に失効しており、むしろ彼女は明確な「自我」を備え、「幻想/捏造された現実」に対する「侵入者」となって彼を「非難/処罰」する。その点において現在の彼女はミスター・エディと同等であり、「ミスター・エディによる侵入」に対してそうであったように、「シーラによる侵入」に対してもピート=フレッドは限りなく無力だ。たとえばカット(7)の「倒れたピート=低所」と「のしかかる(あるいは立ちはだかる)シーラ=高所」という位置関係が示唆するように、この場を支配しコントロールするのはシーラである。なによりも、地面に転がりシーラにのしかかられるピートの姿は、山道でミスター・エディによって「処罰」を受ける哀れなドライバーの姿(1:04:59)と重なっているといえる。フレッドが「(作品内)現実において受けている処罰」に対して無力なように、ピートもミスター・エディやシーラによる「処罰」に対しては完全に無力なのだ。

もちろん、これまたシーラが言及(あるいは代弁)するように(カット(11))「変わった」のはピート=フレッドであり、こうした「変化」は彼女に起因するものではない。繰り返し述べるように、フレッドの”ピートを核にした「幻想/捏造された現実」が「失調/変調」をきたす契機となったのは、彼の「レネエに対する希求」である。そして、シーラがフレッドにとって「都合のよいもの」でなくなったのは、彼が「アリス」という「より優秀なレネエの代替イメージ」を手に入れたからに他ならない。必要でなくなったシーラは「幻想/捏造された現実」からは除外され、相対的に「外界に属する存在」へとシフトする。結果として彼女が「家」との間に立ちふさがる「侵入者」となり、ピート=フレッドを「処罰」するに至った要因は、結局のところ彼自身の「変化」にあるのだ。

当然ながら、この「シーラによる侵入」によっても、ピートを核にした「幻想/捏造された現実」は打撃を受ける。それを端的に表しているのが、カット(12)およびカット(16)に認められる「揺れ動きつつ、焦点を失う映像」のモチーフである。このモチーフは(1:22:29)や(1:27:39)などにおいて現れたものと同一であり、文字どおり「ピートを核にした幻想/捏造された現実」が”揺さぶられる”様子を指し示していることは、当該シークエンスについて述べる際に触れたとおりだ。そして、(1:22:29)のシークエンスにおいてもそうだったように、このシークエンスにおいても、何度か「ピートの主観ショット」による「揺れ動きつつ、焦点を失う映像」が提示されたあと、最終的には「視点」の「主体」となるピートの映像そのものが「揺れ動く」(カット(17))。「幻想」が受けるダメージは度重なり、最後にはその「核」となる「ピート」にまで及ぶのである。

ピートとシーラの間に介入するのは、「父親」である(カット(9))。多くのリンチ作品においては往々にして「機能しない家族」が描かれるが、この「父親による介入」をみる限りにおいて、「ピートの家族」はその機能性を欠落させていないことがわかる。「ピートの家族」もまたフレッドの「幻想/捏造された現実」の一部であり、「フレッドにとって都合のいいもの」であることを考えるならこれは当然であるわけだが、その一方で、シーラは対照的な反応をみせる。彼女は「家に入って話し合う」という父親の提案(カット(10))を拒絶する。彼女はそもそも当初から「家族」としては機能しておらず、このシークエンスにおいて発生した事象によって、将来的にも「家族」となり得ないことも明確にされてしまった。その限りにおいて彼女が「家の内部」に属することは不可能であり、「侵入者」として排他されるしかない。「父親による介入」を受けた彼女は、「ピートおよびその家族に迷惑をかけることなく」(カット(15)(16))、「幻想/捏造された現実」から退場するのである(カット(19)(21))。

いずれにせよ、もっとも注目しなければならないのは、こうした「外界/現実による侵入」が”「家」に近接した領域”において発生していることだろう。本来「家」は、「外界」に向かって大きく開かれた「職場=自動車工場」とは異なり、「現実からの侵入」に対してもっとも堅固な避難所であるべき領域である。リンチ作品における共通テーマとしての「家」にのっとるなら、「ピートの家」はピート=フレッドの「内面」そのものであり、彼の「意識」や「感情」が内包されている場所なのだ。現在ある「幻想/捏造された現実」がフレッドの「意識」や「感情」を反映して構築されていることを考えるなら、「ピートの家」の内部にあるものは、いわばその「核心部分」だといってよい。ならば、このシークエンスで発生している事象の重要性……つまり、「外界の侵入」が”「家」の領域”の近くにまで及んでいることの重大性が理解されるはずだ。ピート=フレッドが「新たな遁走」を準備していた間にも(あるいはそれがゆえに)、”ピートを核にした「幻想/捏造された現実」”に発生している「変調/失調」はよりその度合いを進め、「崩壊への危機」は一層切迫したものになりつつある。

それを明示するかのように、「現実による侵入」はこれにとどまらない。シーラが「幻想/捏造された現実」から「退場」したあとも、形を変えて「現実による侵入」は続き、もはや「ピートの家」の内部ですら「安全な場所」ではない。新たな「侵入」の始まりを告げるのは、カット(23)で母親が伝える「電話の着信」である。

(この項、続く)

2009年8月13日 (木)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (54)

お盆休みに入ってもいつもの調子でだらだらと続く、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は、(1:28:13)から(1:36:09)までについての第五回目。今回は、そのうちのパート3(1:34:14)-(1:36:09)をば。

「アリスによる回想」の(形態をとる)パート2が終了し、パート3では再び「(作品内)現実」へと舞台は回帰する。パート1とこのパート3がいわば「括弧」として機能し、”「パート2=(作品内)非現実」の始まりと終わり”を明確化していることは、このシークエンス全体を概観する際に述べたとおりだ。我々=受容者がこの「括弧記号」を認識できるのは、パート1およびパート3に現れる映像が「共通のもの」であるから……現在論じているシークエンス群を例にすれば、ともに「スターライト・ホテルの一室」を舞台とし、「ピートとアリスが会話を交わすショット(ツー・ショットおよびクロース・アップを含めて)」が提示され、この両パートにおける「(作品内)時制」が一致しているからだ。こうした「共通の(作品内)現実」を示すショットの間に「(作品内)非現実」を挟み込むことによる「(作品内)非現実の明確化」の手法は、すでに1910年代にはハリウッド映画を含めた多くの映像作品に採用されていたものである。

とういう点を再確認したうえで、とりあえずは具体的な映像からみてみよう。

パート3
スターライト・ホテル 客室 内部 夜 (1:34:14)
(48)[音楽は継続している]
青いマニキュアをしたアリスの右手のクロース・アップ。それが伸ばされるにつれて、左へパン。画面左からピートの顔が視界に入ってくる。彼の左頬に当てられるアリスの右手。
[終了する音楽]
伸ばした親指が彼の顔を撫ぜる。無表情なまま、アリスのほうを睨んでいるピート。一度離れかけたアリスの右手は再度伸ばされ、ピートの左頬を撫ぜる。
ピート:(ささやき声で)Why didn't you jest leave?
(49)アリスの左斜め前からのアップ。泣きそうな顔をしている。やがて目を伏せるアリス。
(50)ピートの右斜め前からのアップ。アリスのほうを睨んだままだ。彼の左頬を撫ぜているアリスの右手。
ピート: You like it, huh?
やがてアリスの右手はピートの頬から外される。
(51)アリスのアップ。目を伏せたままのアリス。やがて目を開いてピートのほうを見る。
アリス: If you want me to go away...
アリス:(間)I'll go away.
(52)ピートのアップ。小さく左右に首を振る。
ピート: I don't want you to go away.
アリスのほうに顔を寄せるピート。
(53)アリスのアップ。画面左から、右手をアリスの顔に伸ばすピート。目をつぶるアリス。そのまま画面左から顔を寄せていくピート。目を上げ、ピートを見るアリス。
ピート: I don't want you to go away.
再び目をつぶるアリス。彼女にキスをするピート。そのままアリスをベッドの上に押し倒していくピート。
(54)ピートとアリスのアップ。ベッドに横たわっているアリス。その上に覆いかぶさっているピート。ピートの右側面からのショット。白いシーツ。
ピート: I love you, Alice...
音を立てて口づけを交わす二人。アリスが左手をピートの首筋に伸ばし、彼を引き離す。微かに微笑みを浮かべるアリス。
アリス:(少し左に体を向けながら、ピートを見詰めつつ)Should I call Andy?
ピート: Andy?
ピートの左頬を伸ばした左手の親指で撫ぜるアリス。
アリス: That's his name, 'Andy'. Our ticket out of here.
ピート: Yeah. Call him.
笑みを浮かべ、右手を自分の枕元のほうに伸ばすアリス。ちらりと右肩越しにそちらを見ながら、折った右手の肘を枕代わりにする。
アリス:(左手の人差し指でピートの顎を撫ぜながら)I'll set it up for tomorrow night.
(55)アリスのアップ。ピートの主観ショット。ベッドに横たわったアリスを真上から見下ろすショット。涙でマスカラが流れている。
アリス:(淡々と)You meet me at his place at 11 o'click. Don't drive. Take the bus. Make sure no one follows you. His address is easy to remember. It's 2224 Deep Dell Place. It's a white stucco job on the south side of the street. I'll be upstairs with Andy. The back door'll be open. Go through the kitchen into the living-room; there's a bar there. At 11:15, I'll send Andy down to fix me a drink. And when he does, you crack him in the head, OK?
(56)ピートのアップ。アリスの主観ショット。下から彼を見上げるショット。彼の背後には白い天井が見える。一度目を伏せたあと、決意したように目を上げるピート。
ピート: OK.

このシークエンスでまず注意をひかれるのは、カット(48)とパート2に属するカット(47)との間の「コンティニュティ」である。まず、サウンド・ブリッジとして機能している「I Put a Spell on You」による、音響的なコンティニュティがある。そして、もうひとつが「アリスの動作」によるコンティニュティだ。

この二つのコンティニュティによって強調されるのは、やはり「ミスター・エディとピートの等価性」である。そして、ピートが優秀なフレッドの「代行者/代弁者」である限りにおいて、これは最終的に「ミスター・エディとフレッドの等価性」を指し示していること……より正確にいうなら「フレッドが自らの記憶/感情を土台にして、ミスター・エディ(のイメージ)を構築していること」を指し示していると捉えられる点については、「暖炉で燃える炎」などを例に前回述べたとおりだ。「アリスの動作」によるコンティニュテイは……パート2に終わり(カット(47))でミスター・エディに差し伸べられたはずの「アリスの右手」が、カット(48)ではその対象をピートへと移行させるのは、三者をむすぶこうした「等価性」に基づくものである。

カット(48)からカット(52)にかけて、ピートは「なぜ立ち去らなかったのか?」「それが気に入ったのか」と「アリスの軽挙」を咎める姿勢をとる。だが、それも長くは続かない。いずれにせよ、責はすべてミスター・エディに転嫁され、彼が本当の「非難の対象」となった時点で、アリスは(そしてレネエは)「許容」されるべく決定づけられている。そのとおりに、カット(53)およびカット(54)において、ピートはアリスを許容し彼女への「希求」を明確にする。

しかし、カット(54)以降に示されるように、この「許容」が、結果的に”アリスが提案した(あるいは代弁した)「犯罪」の実行”に同意することにつながっている(あるいは「同義」である)点には注目したい。前述したとおり、一義的には、これはフレッドが「アリス=レネエを許容する」ために、「ミスター・エディ(およびその周辺の人物)」に責任を転嫁し、「処罰の対象」を彼らへと変えているからだ。だが、忘れてはならないのは、カット(54)でアリスが代弁するとおり、その「処罰」=「アンディから金銭を強奪すること」の目的が、そもそも「この状況から脱する」ためのものであることである。要するに、フレッドの意識が向かっているのは、”「ミスター・エディ=現実」による侵入の排除”というよりは、むしろ「新たなる遁走」あるいは「遁走内遁走」なのだ。その意味において、一見積極的行動にみえながら、その本質においてこれは「逃避行動」以外のなにものでもないことがわかる。

それを明示するのが、このシークエンスで「主体」となっているのがあくまでアリスであり、ピート=フレッドではないことだ。ピートから「許容」を引き出す契機となるのは彼女の「別れたほうがいいなら、別れるわ」という発言であるし(カット(51))、その後「アンディに電話をしてよいか?」と「処罰あるいは犯行」を実行に移す”許可”をピートから引き出すのもアリスだ(カット(54))。その”許可”を受けて手配をかけるのもアリスなら、事細かに「犯行の手順」をピートに教唆するのもアリスなのである(カット(55))。この「新たな遁走」に関してさえ、ピート=フレッドはアリスという「代弁者」を必要とし、可能な限り自らが主体となることを回避するのである。だが、こうしたピート=フレッドの「主体性の欠落」が、逆にアリス(ひいてはその原型であるレネエ)の「ファム・ファタール性」を……つまり、その「コントロールの不能性」を浮かび上がらせる結果になっていることには注目しておくべきだろう。

このようにしてフレッドは、「ミスター・エディ=現実」の「直截的な力」による侵入/介入を回避し、自らの「幻想/捏造された現実」と「自我」を守るために、”「新たなる遁走」の道筋”をつける作業を終了する。だが、その間にもピートを核にした「幻想/捏造された現実」が抱えた変調はますますエスカレートし、崩壊の危機に近づいていることが次のシークエンスにおいて明確にされることになる。

(この項、おしまい)

2009年8月 6日 (木)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (53)

えーと、リンチんち(某「名犬」の名前みたいだな)から「インタービュー・プロジェクト」に関するメールをいただいたんでありますが……あ、登録しておくとスタートしたときに教えてくれるってんで、登録しておいたヤツね。その内容っていうのが「もう二ヶ月前から始まってまっせ」とゆー、悠長というかなんとゆーかな感じ(笑)。ま、もともと一年間という長丁場のハナシなんで、こんくらいユルいほーがよろしいのかもしれません。こちらも気長におつきあいさせていただくことにしましょー、そーしましょー。

で、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回は、(1:28:13)から(1:36:09)までについての第四回目。でもって、パート2についての第二回目。

さっそく、具体的映像の続きから。

(1:32:03)
(23)アリスのアップ。画面右から、画面左方向を見ながら進んでくる。背後右手には、中近東風の青い装飾が施された柱。左の奥、画面正面にはぼんやりと闇に沈む鉄の装飾窓らしきものが見える。画面中央で、左回りに向き直り始めるアリス。
(24)ミドル・ショット。アリスの主観ショット。右から左へパン。赤い絨毯の上に立ち、アリスのほうを見ている三人の男たち。彼らの背後にある赤いカーテンが閉まった窓からの光で逆光になっており、彼らの表情は見えない。続いて、白い壁の前に置かれた置物棚。低いテーブルの上に置かれた白い傘の電気スタンド。壁に掛けられた金の額縁に入った大きな絵。少し下方にパンしつつ左へのパンは続き、椅子の上に足を組んで座っているワイシャツ姿のミスター・エディが視界に入ってくる。彼の前に置かれた小さな長方形のテーブル。その上の緑色のテーブル掛けと置物。その後ろ手は巨大な暖炉で燃えている火が見える。陽光がスポット・ライトのようにミスター・エディを照らしている。
(25)アリスのアップ。彼女の右斜め前からのショット。画面右端にいるアリス。ミスター・エディのほうに完全に向き直るアリス。
(26)ミスター・エディのアップ。彼の正面からのショット。彼の顔の左半分は、闇に沈んでいる。彼の背後に見える壁に掛かった巨大な絵。その右には白い傘の電気スタンドが点灯されているのが見える。じっとアリスのほうを見ているミスター・エディ。
(27)アリスのアップ。ほぼ正面からのショット。ミスター・エディのほうを見つめている。
(28)画面右端から、階段のところに控えていた用心棒が早足で歩いてくる。それを追って左へパン。彼の背後には、中近東風の装飾が施された柱や、立っているダーク・スーツ姿の男や灰色のスーツの男、上辺がアーチ状になった、上部が緑、下のほうが白い装飾の布が掛けられた窓などがアウト・フォーカスで見える。歩きながら左手で懐からリボルバーを取り出し、真っすぐ前方に向かって突きだし、アリスの頭にそれを突きつける用心棒。[ハンマーが起こされる音]
(29)アリスのアップ。画面右から彼女の頭に突きつけられているリボルバー。脅えた表情を浮かべてリボルバーを見る。
--I put spell on you
唇を震わせながら、ゆっくりとミスター・エディのほうを見るアリス。
--Becouse you're mine
(30)ミスター・エディのアップ。足を組み、椅子に座っている彼を正面からとらえるショット。
(31)ミドル・ショット。アリスの腰から上のショット。画面右から彼女の頭に突きつけられているリボルバー。
--I can't stand the things that you do
恐怖にあえぎ、絶望的な表情で突きつけられたリボルバーを見て、また正面のミスター・エディのほうを見る。
(32)ミスター・エディのアップ。足を組み椅子に座ったまま、両手を肩の高さに差し上げて、広げた両手で「来い」というような仕種をする。
--no, no,
--no, I ain't lyin', no
(33)アリスのアップ。絶望的な表情。頭に突きつけられているリボルバー。
--I don't care if you don't want me
ミスター・エディをみつめたまま、画面外でスーツの上着を脱ぎ始めるアリス。
--Because I'm yours, yours, yours, anyhow
(34)ミスター・エディのアップ。右腕を組んだ膝の上に載せ、頬杖をつくように左手の親指をを口のあたりまで持ってきて、アリスがどうするかを見守っている。
--Yeah, I'm yours, yours, yours
(35)
ミドル・ショット。アリスと用心棒のツー・ショット。バスト・ショット。左腕を伸ばし、アリスの頭に銀色に輝くリボルバーを突きつけている用心棒。上着を脱ぎ、恐怖に喘ぎながら、黒のボレロの前ボタンを開けるアリス。黒のブラジャーに包まれた胸が見えてくる。ボレロを脱ぐアリス。
(36)ミスター・エディのアップ。クロース・アップ。伸ばした左手の親指を右の口の端にあて、微かに首を右に傾け、愉快そうにアリスを見守るミスター・エディ。
-- I love you, I love you
左手の親指を口から離し、なおもレネエを見守っているミスター・エディ。椅子の上で身じろぎし、目の端からレネエのほうを見ている。
-- I love you, I love you
(37)レネエのアップ。腰から上のショット。画面右に見切れた用心棒にリボルバーを突きつけられたまま、画面外のスカートのファスナーに両手を伸ばすアリス。彼女の背後では、黒人の男が彼女の様子をうかがっている。ミスター・エディのほうを見たまま、画面外でスカートのホックを外すアリス。
-- I got you!
-- Yeah!
体をくねらせ、スカートを下ろすアリス。右へパン。アリスと用心棒のツー・ショットになって、パン終了。用心棒の伸ばした左腕に重なるように、画面奥には灰色のスーツを着た白人の男が見える。
(38)ミスター・エディのアップ。クロース・アップ。頭を微かに上下させ半眼になったあと、満足げにアリスのほうを見る。
-- Well, I put a spell on you
(39)ミドル・ショット。スカートを脱いでいるアリスの全身像。その右では、左腕を伸ばしリボルバーを突きつけている用心棒。二人の背後には、低い机に腰を下ろしたダーク・スーツの黒人の男と、両手を体の前で組んだ灰色のスーツの白人の男が見守っている。画面左には、ダーク・スーツを着た白人の男が立っている。彼の背後の壁には、額に入った大きな絵が掛かっている。その右、画面中央の壁には装飾品があり、その前には背の低い机が置かれ、その上には背の低い電気スタンドや様々な装飾品があるのが見える。
-- Lord, lord, lord!
スカートの両側に手をかけ、それを下ろしていくアリス。
-- 'Cause you're mine, yeah
スカートを床に落とし、右足を抜くアリス。
(40)ミスター・エディのアップ。クロース・アップ。頭を微かに傾げたまま、アリスを満足げに見守っている。
-- I can't stand the things that you do when you're foolin' around
(41)ミドル・ショット。アリスの腰から上のショット。ミスター・エディのほうを見たまま、両手を背中に回し、黒のブラジャーのホックを外す。両手を体のまえで交差させ、まず左手で右肩の肩紐を外すアリス。右手でブラジャーの下のほうを押さえたまま、次に左手で左肩の肩紐をはずし、左肩を揺すって肩紐を落とす。
-- I don't care if you don't want me
両手でブラジャーの紐を持ち、それを外すアリス。乳房が露わになる。そのまま右手にブラジャーをまとめ、自分の右側、画面外の床の上にそれを落とす。画面右には、リボリバーを握った用心棒の左手だけが見えている。
-- 'Cause I'm yours, yours, yours
(42)ミスター・エディのアップ。クロース・アップ。頭を微かに傾げたまま、アリスを満足げに見守っている。
-- Anyhow, yeah
(43)アリスのアップ。ミスター・エディのほうを見つめるアリス。画面右外からリボルバーを突きつけている用心棒の左手。親指を起きていたコックにかけ、それを戻す用心棒。[コックが戻される音]
そのまま用心棒の左手は画面右、上方に消える。
(44)ミスター・エディのアップ。クロース・アップ。かすかに目を伏せ、またアリスのほうを見る。
-- Yeah, yeah, yeah...
(45)ミドル・ショット。黒のスキャンティ一枚になったアリスの腿から上のショット。彼女の左背後には机に座った黒人の男が、真後ろには灰色のスーツの男が、右側にはリボリバーを仕舞った用心棒が、左手を自分の腿の上に当てて立っている。ゆっくりと画面手前、ミスター・エディの方に歩み寄るアリス。クロース・アップになったあと、立ち止まって身を屈めるアリス。それを追って下方にパン。画面左にアウト・フォーカス気味になったミスター・エディの右側頭部が見えてくる。ミスター・エディの顔をじっと見詰めるようにするアリス。
(46)ミスター・エディーのクロース・アップ。アリスを見詰めるミスター・エディ。アリスの左肩越しのショット。ミスター・エディの右背後には、点灯している電気スタンドの円筒形の傘が見える。彼の背後には、柄物のカーテンが見える。
(47)アリスのクロース・アップ。ミスター・エディを見詰めるアリス。赤いマニキュアをした右手を上げ、ミスター・エディの顔に伸ばす。

このシークエンスの「具体的映像」として提示されているのは、観てのとおり”ミスター・エディに脅され、彼のために性的サーヴィスを提供することになるアリス”である。典型的な「犯罪の状況」であり、同様の状況は何度となく映画をはじめとする様々なメディアにおいて何度となく描かれてきたし、これからも描かれるであろうことは間違いない。その意味において、このシークエンスははなはだ「クリシェ=常套句的」であり、全体が一種の「記号」として成立しているとすらいえなくもないだろう。

と同時に、フレッドの「意識」や「感情」をキーにしてみたとき、このシークエンスによって提示されているのは”新たに構築されつつある彼の「幻想」ないしは「欺瞞」”であり、それに対するディテール・アップが行われる様子だということになる。その「幻想/欺瞞」によれば、アリス(およびその「原型」であるレネエは)自らの意志で「いかがわしい仕事」に関わったわけではなく、「頭に突きつけられる拳銃」や「部下たち」といった「記号」……つまり”「ミスター・エディ=現実」が備える「直截な力」の脅威”によって、強制的に従事させられたということになる。

こうした「幻想/欺瞞」の構築によってピート=フレッドがまず獲得するのは、前回も述べたとおり、自分が抱えている「アリス(およびその原型であるレネエ)に対する希求」の正当化である。アリスがミスター・エディの支配を受けているのは、彼女の責任ではない(その軽率な行動に幾分かの非はあったとしても)。あくまで責任の所在は”「犯罪」あるいは「いかがわしい仕事」”に従事するミスター・エディ(もしくはその友人であるアンディ)にあり、本来非難されるべきは彼らなのだ。このような「幻想/欺瞞」を通じて、ピート=フレッドはアリス=レネエの「過ち」を許容し、「ミスター・エディ」(あるいはその取り巻きである「アンディ」)にその罪を転嫁して「非難/処罰の対象」にする。

もちろん、このような「情状酌量」あるいは「責任転嫁」は、「アリスの原型」であるレネエに向かってスライドし、そのまま適用されることになる。レネエがフレッドにとって「コントロール不能」であるのは、彼女のせいではない(とフレッドは願望する)。アリスがそうであるように、アンディの「仕事の紹介」を経て、ミスター・エディによる「直截な力」によってそうならざるを得なかったのだ(とフレッドは認識する)。だが、レネエに関するフレッドのこうした「認識」は、このシークエンスにおいて初めて獲得されたわけではないのも確かだ。(0:33:04)におけるフレッドとレネエとの会話をみればわかるように、この段階から彼はすでにこうした「幻想/欺瞞」をその裡に抱えていたのであり、ある意味、このシークエンスで行われているのはその「顕在化」に過ぎず、「詳細を埋める」作業でしかない。

それと平行して、この「幻想/欺瞞」は、「現実=ミスター・エディ」から蒙った「幻想」あるいは「自我」のダメージを修復させるためにも機能する。アリス(レネエ)が「救済」される一方、相対的に「現実=ミスター・エディ」は「貶め」られる。アリスの「代弁」によってアンディが「強奪の対象」にされるのは(1:29:00)、まさしくこうした機序の具体的事象としての現れだ。このようにして、フレッドは「現実」の立つ位置を相対的に低くすることによって、それが与える脅威を回避しようとするのだ。フレッドは常に、都合の悪い「記憶」や「認識」を隠匿ないしは歪曲し、その時点その時点でもっとも自分に「都合のよい」ような「認識/記憶/認識」を捏造しようとする。この一連のシークエンスにおいてもそれは変わらず、フレッドの思考の方向性は作品全体を通じて一貫しているといってよい。

だが、ここである根源的な疑問が発生する。確かに、フレッドは自らの「幻想/捏造された現実」のなかで、「ミスター・エディ」に唾棄すべき「現実」を演じさせ、彼を「直截な力」を備えた暴力的な存在として創り上げ、相対的にその脅威を軽減することに成功した。しかしその一方で、実際の(作品内)現実に即するなら、レネエに対し「直截な力」を行使し、その生命を奪ったのはフレッド自身ではなかったか? では、ミスター・エディがアリスに対して行った「行為」と、フレッドがレネエに対して行った「行為」の間に、はたしてどれだけの本質的な差異があるのだろうか? もっというなら、彼らをしてその「行為」に向かわせた彼らの「内的なもの」……「レネエ(あるいはアリス)に対するコントロールの欲求」において、どれだけの違いがあるのだろう?

このように考えるとき、前回に述べたような事項……たとえば「ミスター・エディの屋敷」と「フレッドの家」の両者に現れる”「炎のモチーフ」や「赤のモチーフ」が表象するもの”の意味がぼんやりと見えてくる。「フレッドの家」の内部の「暖炉で燃えていた炎」(0:16:52)は、リンチの共通モチーフである「炎のモチーフ」の表れとして理解され、それに基づけば、この「炎」は彼のレネエに対する「激しい感情」を指し示すものであった。では、このシークエンスにおいて登場する「ミスター・エディの屋敷」の「暖炉の炎」によって表されるのは、はたして誰の「感情」なのか? 

ミスター・エディ? いや、そうではない。ミスター・エディがアリスに向ける「行為」とそれを喚起する「内的なもの」が、フレッドがレネエに対して行った「行為」とそれをもたらした「内的なもの」と等価である限りにおいて、この二つの「暖炉で燃える炎」は互いが互いの「ヴァリエーション」であり、ともに「フレッドの感情」を指し示している。「フレッドの家」の内部に現れる各種のモチーフが、「ミスター・エディの屋敷」の内部に存在するさまざまなモチーフと重なるのは、まさしくこうした理由によるのだ。そして、それらのモチーフを内包する「ミスター・エディの屋敷」自体が「フレッドの家」のヴァリエーションであり、ともに「人間の内面を指し示すものとしての家」というリンチの共通テーマの表れであることも。

こうした見方の演出面からの証左となるのが、このシークエンスを通じて流れる「I Put a Spell on You」*である。こうした「過剰な演出」が、たとえば(1:13:39)からの「アーニーの自動車工場」での「ピートとアリスの邂逅」のシークエンスにおけるものと同一であることは、指摘するまでもないだろう。そして、「ロスト・ハイウェイ」において(あるいはリンチ作品全般において)、こうした「演出上の合致」あるいは「構造上の合致」が、しばしばそれが表象する「意味上の合致」を表していることは何度か指摘したとおりだ。加えて、前述の「自動車工場」のシークエンスが”フレッドの内面における「レネエ(の代替イメージであるアリス)への希求」の発生”を表しており、その「希求」はその後の「闇の訪れ」にしたがって顕在化していくことも、当該シークエンス群に関連した「イメージの連鎖」として述べたとおりである。それと「対応」する演出構造をもったこのシークエンスにおいても、同様である。そこで発生しているのは「ミスター・エディ」に仮託された「フレッドの意識や感情」……「アリス(およびその原型であるレネエ)に対する希求」であり、「彼女(たち)へのコントロールの欲求」の存在を指し示す事象なのである。かつ、アリスの言及(1:31:49)にあるように「すでに闇は訪れてしまって(When it got dark...)」いるのだ。であるからには、このシークエンスに認められる「希求/欲求」は、フレッドの心の奥底にある「本来は隠されるべき」はずのものなのである。

あるいは、カット(47)から(次回で論じる)カット(48)にかけての「コンティニュティ」もこうした見方の傍証になるのだが、これに関しては後に触れよう。

視点をかえれば、このシークエンスで発生している事象は、実はフレッドの「記憶」を基に構築されているといえる。上述したように、ミスター・エディのアリスへの「コントロールの欲求」は、フレッドのレネエに対する「コントロールの欲求」を下敷きにして構築されたものであるし、現在発生している「典型的/常套句的な犯罪の状況」自体もそうだ。これらの事項が示すように、前半部の「捏造された記憶」だけでなく後半部の「捏造された現実」を構築するに際しても、結局のところフレッドは自らの「記憶」……”過去の「認知/認識」”の枠からは逃れられていない。いくらフレッドが、ピートという自分からもっとも離れた「人格」を核とした「幻想」を構築したとしても、自らという「主体」が存在する限りにおいて、「自分自身(が抱える「ありのままに近い記憶」)」という「現実による侵入」を排除することは不可能なのだ。

”「ミスター・エディの屋敷」の内部で発生している事象”もまたフレッドの「意識」や「感情」を反映させたものであると捉えたとき、「暖炉の炎」や「赤い絨毯」以外のさまざまな「記号」が指し示すものもまた見えてくる。たとえばカット(24)カット(28)に認められる「(用心棒以外の)男たちの存在」だ。ミスター・エディの前で服を脱ぐアリスを見守る彼らは、そのまま(ミスター・エディを含めて)「いかがわしい仕事=ポルノ」の観客となる「不特定多数の男性(の視線)」を表象する。「ミスター・エディの屋敷」の「階段」は、「フレッドの家」の「寝室」と同じく「赤のモチーフ」に満ちたフレッドの新たな「幻想/欺瞞」の「核心となる場所」……「ミスター・エディの部屋」へとアリスを導く(カット(22))。ただし、「寝室」に続く階段が上りであるのに対し、「ミスター・エディの部屋」に続く階段は下りであるといったようにその上下の位置関係は入れ替わっており、この「逆転した高低の差」は、あるいはそのまま「論理の逆転」……すなわち、現在フレッドが行おうとしている”「何が原因で何が結果か」の入れ替え”を示唆するものだ。

このように、”自分の「罪(の意識)」を「ミスター・エディ=現実」へと「責任転嫁」する”フレッドの作業が完了するとともに、パート2は終了する。彼は「レネエ=アリスに対する自分の希求」を正当化し、それによってピートを核にした「幻想/捏造された現実」を保全し、傷ついた自我を修復する。だが、それは、これまでもそうであったように、(無意識的にせよ)フレッドの意識の奥深いところにある「隠しておきたいもの=ありのままの記憶/感情」までをも同時に露見させてしまっていることは、、指摘したとおりだ。そして、その「隠しておきたいもの」は、(これまでもそうであったように)この後の「幻想/捏造された現実」に対してさまざまな形で影響を与えることになる。

(まだ続いたりして)

*この曲の歌詞自体が、恋人に対する「コントロールの欲求」(あるいは恋人からの「被コントロールの欲求」)を表すものとして読めることは明らかだ。(1:13:39)からのシークエンスで使われていた「This Magic Moment」と同じく、リンチの選曲は的確……というより、いっそベタだ。

2009年7月18日 (土)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (52)

おかげさまで腰の具合は大分よくなりました。いやあ、一時はこのまま寝たきりになるかと心配しておったりしたんですが、若干違和感は残っているものの、まずまずな回復具合……てなコトを言ってるあいだに、なんでか脈絡なくAVアンプがご臨終。なーんか電源スイッチを切ってもアツアツでファンが回りっぱなしで音が出なくなる……てーのは、やっぱ電源部分が壊れてるのかいね? なんかこのままだと火を吹きそうな具合なので、コンセントを抜いて放置状態。モニターにHDレコーダーを直結というとりあえずの緊急避難処理はとったもんの、これではCDプレイヤーやらDVDプレイヤーやらLDプレイヤーが単なるAVラックの肥やし状態でわないか。うーむ、どーしてくれよう(笑)。

てな感じで諸行無常とゆーか「形あるものはすべて滅びるのだよなあ(AV機器編)」という無常観を抱きつつぶっ書く「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回は、(1:28:13)から(1:36:09)までについての第三回目。こっからはパート2についてのナンだかカンだか。

さて、基本的なところを再度押さえておくと、このパート2のシークエンスは、アリスがピートに向かって語る「話の内容」の映像化という形態をとっている。現在、アリスとピートが存在しているのはパート1(およびパート3)において舞台となっている「スターライト・ホテル」の一室であり、そこでアリスが語る話はそれ以前のどこかの時点、つまり「過去」に発生したものとして、アリスによる「回想」という形式でもって描かれる……というのが具体的映像だ。

その一方で、前回にも述べたように、このシークエンス全体として伝えられているのは、フレッドが「ミスター・エディ」を「非難の対象」とする作業の肉付けであり、その過程である。具体的にいえば、アリスが「ポルノ」という「いかがわしい仕事」に関わったのは彼女の落ち度ではなく、ミスター・エディの強制によるものだ……という「経緯」をフレッドは「構築」するのである。

もちろん、この「経緯」も、ピート=フレッドがアリス=レネエの軽挙を「非難しつつも許容する」ための「幻想」であると同時に「欺瞞」であり、いわば「捏造されたもの」に過ぎない。実際にそのような「経緯」が(アリスの原型である)レネエの身に発生したか否かを明確に表す具体的映像は、作中にはまったく存在せず、その限りにおいて「真相」は藪の中であるといえる。だが、その真偽を推測するための材料として敢えて指摘しておきたいのは、このシークエンスが提示する「犯罪の状況」があまりに典型的あるいは類型的である点だ。たとえば死刑囚房のシークエンスにおける「看守たち」の描かれ方がそうであったように、ここで描かれる大時代がかった「犯罪シーン」も非常に誇張されたカリアチュアあるいはクリシェであり、リアリティを欠落させている。

リンチ作品が備える「抽象性」を考慮したとき、こうした「類型性」が示唆するのは、この「ミスター・エディの屋敷」を舞台にしたシークエンス全体が、「犯罪(あるいは「いかがわしい仕事」)の抽象概念」を指し示す「記号」として機能しているということだ。そして、リンチ作品において、こうした”記号化された類型的な「犯罪の状況」”が現れるのは「ロスト・ハイウェイ」が初めてではない。「ブルーベルベット」において登場する「犯罪の状況」も、「ロスト・ハイウェイ」におけるそれに劣らないくらいリアリティを欠落させており、「抽象概念化」されているといえる。このことから逆説的にわかるように、「ブルーベルベット」という作品自体、ナラティヴな作品のルックをまといつつ”(ジェフリーに代表される)「子供」と(フランク・ブースとドロシーに代表される)「父性/母性」の関係性”をいろいろな側面から複合的に描いた「抽象的な作品」であるのだ*

いずれにせよこうした「犯罪の状況」が備える「抽象性」が指し示すのは、それらが(ジェフリーあるいはフレッドが想起する)具象性をもたない「幻想」……より正確に言うならば、”彼らの「内面」で想起されているもの”だということだ。かつ、その一方で、リンチ作品が非常に「私的なもの」であるという観点に立つならば、こうした「類型的な犯罪の状況」の採用自体が、リンチ個人のフィルム・ノワール(あるいはそれ以前の犯罪映画)への「目配せ」であり、それらの作品が提示していた”「犯罪の状況」のごった煮”であるといえるかもしれない。

というようなことを念頭に置きつつ、まずは具体的な映像から。

パート2
ミスター・エディの屋敷 内部 昼 (1:31:18)
(17)ミドル・ショット。玄関ホール。二階から、大理石の床に立つアリスを斜め右上方から見下ろすショット。金髪をアップにし、黒いミニのスーツ姿のアリス。画面左手にはアーチ状の白い枠の開口部が、一階分の高さの壁に開いている。壁には落ち着いた緑色の装飾がされ、上辺には白い梁が通っている。開口部の向こうには、右手方向に向かって二階に上がる階段が見えている。開口部の左右には中近東風の装飾がされた柱が見える。右の柱の横に、黒く塗られた長細い背の低いテーブルが置かれ、その上には白い傘の電気スタンドが置かれている。テーブルの左端のあたりに、手を体の前で握ったスーツ姿の用心棒が立っている。彼の左、画面の上方には、黒い枠のガラスがはまった、外部に続く両開きの扉が見える。その右手には、別の部屋に続くらしい、白い枠のガラスの両開き扉が見えている。両方の扉からさしこむ陽光が、大理石の床の上に光を投げかけている。画面右端には、黒い梁が見えている。
アリス:(画面外から)I went to this place.
落ち着かなげに体を揺すっているアリス。
アリス:(画面外から)They made me wait there forever.
(18)用心棒のアップ。無表情のまま、画面の斜め左、アリスを見ている。彼にクロース・アップ。
アリス:(画面外から)There was a guy guarding the door.
用心棒のアップになる。
(19)アリスのアップ。落ち着かない様子で画面左から手前に向かって歩き、目を伏せて、画面外の灰皿で煙草を消すアリス。彼女の左斜め前からのショット。彼女の背後には、アウト・フォーカスで部屋の内部が写されている。奥の壁にはは白いアーチ状の装飾が二つあり、左側は装飾が掛かった白い壁がその中にある。右側は二階に上がる階段がある開口部になっている。開口部越しに見える階段の下は白い壁になっており、そこには上辺がアーチ状になった小さめの開口部が暗い口を開けている。左右のアーチ状の装飾の間には、中近東風の装飾がされた柱が立っている。柱の右には白い傘の電気スタンドが見える。右側のアーチの右端には、体の前で両手を組んだ用心棒が立っている。
アリス:(画面外で)In another room there was this other guy lifting weights.
目を上げて、自分の前方を見るアリス。
(20)ミドル・ショット。アリスの主観ショット。ベンチ・プレスでバーベルを上げている黒人の男。ベンチ・プレス・シートに横たわっている彼の頭のほうから、右斜めにおさめるショット。屈強な筋肉を浮かび上がらせながら、一度、二度とバーベルを差し上げる。[バーベルの重りが触れ合う金属音]
(21)アリスのアップ。彼女の左斜め前からのショット。不安気な表情でベンチ・プレスの黒人を見ているアリス。
アリス:(画面外から)I started getting nervous.

このパート2のシークエンスが「回想形式」を採用していることは、たとえばカット(17)カット(18)などにおいて「画面外からのアリスの声=ヴォイス・オーヴァー」が使われていることからも明瞭である。

カット(17)は上方から見下ろす構図になっており、まずは場所等の説明を行うエスタブリッシング的に機能している。同時に、このショットのアリスは敵対的状況に取り囲まれ、画面の中央下方に小さく押し込められ、孤立している。一見開放的に見える出入り口は「用心棒の男」によって固められ、容易にこの状況からは逃れられない。もちろん、この用心棒もミスター・エディの「直截な力」を指し示す記号として機能している。

また、彼女が屋敷の奥で見つけるものもまた、「ベンチ・プレスをしている屈強な黒人」というこれまた「直截な力」だ(カット(20))。全体として、このシークエンスで提示されている状況は、一見「陽光に満ちた開放的なもの」のようにみえて、実は完全に閉塞された敵対的なものなのである。

(1:31:49)
(22)アリス: When it got dark...
画面いっぱいに広がるアリスの黒いスーツの背中。彼女が階段を下りるに連れて、部屋の内部の様子が視界に入ってくる。
アリス: they brought me into this other room.
左半分に赤い絨毯が敷かれた床。右手には、板張りの床の上に五人の男たちが立っている。画面右方向から差し込んでいる陽光。アリスの左奥には、赤い絨毯の上に置かれた椅子の上に、足を組んだ男が一人座っている。その背後には、白い傘の電気スタンド。その左手には薪が燃えている巨大な暖炉がある。正面奥、赤いカーテンが掛かった窓を背中に男が三人立っている。階段を下りるアリスの左背後から、用心棒の男がついて下りてくる。階段を下り切ったところで左に折れ、手すりの前で待機する用心棒。そのまま板の床の上を進むアリス。

アリスを取り巻く状況が敵対的なものであることはカット(22)以降のシークエンスにおいてより明確になるわけだが、そのエスカレーションの契機となるのがやはり「闇の訪れ」であること(カット(22)のアリスによる「あたりが暗くなったとき」というモノローグが宣言するようにだ)には注目したい。(1:14:56)や(1:20:32)における「闇の訪れ」がフレッドの「内面」に隠匿されていた「レネエへの希求」をあらわにさせたたように、このシークエンスにおける「闇の訪れ」は「ミスター・エディの屋敷(によって表されるもの)」を顕在化させるのである。

そして、「ミスター・エディの屋敷(によって表されるもの)」を把握する手掛かりとなるのが、アリスが導かれる部屋に満ちている「記号群」である。たとえばカット(22)にみられるように、そこに至るには「下りの階段」があり、床には「赤い絨毯」が敷かれている。同時にそこではアリスを見詰める男たちの「視線」が交錯し、ミスター・エディが座る椅子の左には「炎が燃える暖炉」が配置されている……といった具合だ。

こうした「記号群」のうち、ここであらかじめ特記しておきたいのは「赤い絨毯」によって表される「赤のモチーフ」、そして「暖炉で燃える炎」という「火のモチーフ」についてである。作中、この二つのモチーフが繰り返し登場していることは改めて指摘するまでもないだろうが、注目すべきなのは(0:12:25)に登場する「赤いカーテン」、および(0:16:52)に現れた「暖炉で燃える炎」との関連性である。この「関連性」に注目しなければならない理由はいくつかあるが、概括していうなら、当該シークエンスの前後を含む一連のシークエンス群と、この項で論じているシークエンスを含む一連のシークエンス群の間に認められる「共通性」ということになるだろう。ここでは便宜上、前者をシークエンス(A)、後者をシークエンス(B)と仮称して話を進めることにしよう。タイム・スタンプに沿って定義するなら、シークエンス(A)は(0:12:25)-(0:18:44)間の一連のシークエンスを、シークエンス(B)はもちろん(1:28:13)-(1:36:09)間の一連のシークエンスを指すことになる。

まず目につくのは、(A)および(B)のシークエンス群の間の構造的共通性である。これらの二つのシークエンス群はともに三つのパートに分割され、かつそのうちのパート2にあたる部分は、パート1およびパート3に現れる登場人物による「回想(あるいは幻想)」の映像化なのだ。具体的にいうなら、シークエンス(A)におけるパート2が提示しているのは「フレッドの夢(の回想)」であり、シークエンス(B)のパート2が提示しているのは「アリスによる回想」なのである。つまり、この二つのシークエンスはともに「同一の構造」を保有しているわけだが、リンチ作品が頻繁に同一モチーフあるいは同一テーマの「リフレイン」あるいは「ヴァリエーション」を用いることを鑑みるならば、こうした「構造的同一性」は両シークエンスが「対置関係」にあり、「対応するもの」として捉えられるべきものであることを示唆しているといえる。そうした「構造的同一性」を強調するかのように、先に述べた「赤のモチーフ」と「炎のモチーフ」が姿を現すのが両シークエンスともにパート2においてであることもあわせて指摘しておきたい。

「炎のモチーフ」がリンチ作品にしばしば登場する「共通モチーフ」であり、往々にしてそれが登場人物が抱く「激しい感情」を指し示すことについては以前にも述べた。「ロスト・ハイウェイ」においても、開巻直後にフレッドが咥える「煙草」や「砂漠の小屋に吸い込まれる炎」という形で(しばしば「煙のモチーフ」と連動して)「火のモチーフ」は現れ、それがフレッドが抱いているレネエに対する「感情」を表象していることに関しても、繰り返し述べているとおりである。また、「赤のモチーフ」もリンチ作品に頻繁に現れる「共通モチーフ」であり、多くの場合「心的/内面的なもの」に関連して登場していると考えられることについても、ここではもはや詳述を避ける。

いずれにせよ重要なのは、リンチ作品において、こうした「構造的同一性」がその「表象における同一性」を意味することである。すなわち、シーケンス(A)における「赤のモチーフ」と「火のモチーフ」が「フレッドの感情」を指し示しているのであれば、それに「対置/対応」するものであるシーケンス(B)における両モチーフもまた同じ「フレッドの感情」を指し示すものとして受け取ることができるということだ。あるいは、リンチ作品に登場するもうひとつの「共通テーマ」である”人間の内面を表象するものとしての「家」”という概念に基づいて述べるなら、シークエンス(B)に登場する「ミスター・エディの屋敷」は「フレッドの家」の「ヴァリエーション」として、「対置/対比」されるべきものなのだ。

いうまでもなくこうした見方は、一義的にはこのシークエンス全体が(ひいては「ロスト・ハイウェイ」が提示する映像すべてが)「フレッドの幻想=(作品内)非現実」であることの根拠の一つとなるものである。しかし、同時に、この後のシークエンスで発生している事象に関して、より広い視野を与えるものでもある。

さて、ではこの「視点」に従って「ミスター・エディの屋敷」の内部で現在発生している事象をみたとき、はたしてどのようなことが読み取れるのか。

(この項、続く)

*このように「子供と父親/母親の関係性」を題材としているという点で、「ブルーベルベット」もまたリンチが執拗に繰り返す「機能しない家族」という「共通テーマ」に沿った作品であることがわかる。

2009年7月 8日 (水)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (51)

教訓:エレピを運びながら、ベーアンの位置を動かそうとしないこと

えー、ナニがナニやらとお思いでしょーが、上記のようなコトをやらかすってーと、あまりおヨロシクない結果になりますよ……とゆーお話でありマス。ええ、はい、大山崎は某音楽系の集まりの際にやらかしまして、まあこの、一言でいうと「腰が痛えよ!」(笑) てなわけで、PCの前にまとまった時間座れないどころか、寝っ転がってネットブックをお腹に載っけても腰に響く始末で、実はデジタル・デバイドって腰から来るんですねえ。ははは(力のない笑い)。

かような艱難辛苦(いや、自業自得だろ?)を乗り越え、腰をさすりさすり続く「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回は、(1:28:13)から(1:36:09)までについての第二回目。んでもって、パート1の続きをば。

この後、引き続き「ロスト・ハイウェイ」は「ピートとアリスの会話」という形で、フレッドの「内面」で発生している「意識の流れ」を追い掛ける。フレッドの意識は、これまた引き続き直前の「ミスター・エディの訪問=現実による侵入」(1:26:29)によってダメージを受けた「自我」および「幻想/捏造された現実」の修復を続けるが、その過程でみられるのは、やはり”新たな「欺瞞」の構築”だ。

パート1(続き)
(1:29:00)
(6)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。彼の右頬を撫でるアリスの黒いマニキュアを施した親指。右手を伸ばし、アリスの頭に添えて、目をつぶり顔を寄せていくピート。接吻を革す二人。アリスの左手も、ピートの左頬から耳の後ろあたりまでに添えられる。顔の角度を変え、何度もキスをするアリスとピート。やがて二人は唇を離す。
アリス:
If we could just get some money,(両手でピートの頬を撫でさすりながら) we could go away together.
アリスを見つめるピート。彼の頬を滑り落ちるアリスの両手。
(7)
アリスのアップ。ピートの右肩越しのショット。また彼の頬に手をあて、唇を合わせながら目を見開く。手は彼の頬に残したまま、顔を離すアリス。真剣な表情を浮かべている。
アリス: I know a guy.
ピートの首筋の後ろに左手を回すアリス。ふと表情が曇り、目を伏せ気味にする。
アリス:(目を上げ、ピートの目を見つめながら)He pays girls to party with him. He's always got a lot of cash. (かすかに笑みを浮かべながら)He'd be easy to rob.
ピートの首筋に左手を掛け直すアリス。
アリス: The we'd have the money. We could go away,
(8)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。上半身をかがめ気味にアリスの目を見つめているピート。アリスの両手はピートの首筋の後ろに掛かっている。ピートは無言のままだ。
アリス: and we could be together.
無言のまま、上半身をやや起こすピート。彼の首筋から滑り落ちるアリスの両手。離れる二人。ため息をつきつつ、上げた左手の指を顔の横でこすり合わせながら、アリスを見つめるピート。
ピート:(かすれ声で)Have you partied with him?
(9)アリスのアップ。彼女の左斜め前からのショット。目を伏せ、ややうつむき加減になる。また目を開き、居心地悪そうに画面左のピートのほうを見るアリス。無言のまま、また目をつぶる。
(10)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。そのまま、アリスの返答を待っている。やがて、自分の右下方向を、続いて左上方をちらりと見てから、アリスに視線を戻す。
ピート: Do you like him?
自分の右下方向に目を逸らすピート。
身を乗り出し、右手を彼の頬に伸ばして撫でるアリスの後頭部。
アリス: No. it's part of deal.
ピートの顎に右手を伸ばし、彼を自分の方に向かせるアリス。手を離し、体を離す。顎を突き出すようにするピート。
ピート: What deal?
(11)アリスのアップ。彼女の左斜め前からのショット。躊躇ったあと、意を決したように話し始めるアリス。
アリス: He works for Mr Eddy.
ピート:(画面外で)Yeah? And what's he do?
アリス: He makes films for Mr Eddy.
(12)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。顔のあたりまで上げた左手の指をこすり合わせつつ、眉を上げるピート。
ピート: Pornos?
アリス: Yeah.
動揺したように自分の左のほうを見てから、再び正面を向くピート。
ピート: How did you get in with these fucking people, Alice?!
左手の人差し指の先を、自分の左の額に当てるピート。
アリス: Pete...no...
ピート:(遮るように)No 'Pete'!
ピートの剣幕に、黙るアリス。
ピート: I want to know how it happened.
(13)アリスのアップ。彼女の左斜め前からのショット。うつむき加減に目を伏せているアリス。やがて目を上げてピートを見る。時々目を伏せながら、話し始めるアリス。
アリス: Long time ago...I met this guy at a place called Moke's. We became friends. He told about a job.
(14)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。うつむき、左手で額のあたりを押さえるピート。やがて眉のあたりを人差し指で支えて、目をつぶる。
ピート: In pornos?
まばたきをしながらアリスを見るピート。
(15)アリスのアップ。彼女の左斜め前からのショット。しばらく黙っていたが、笑みを浮かべて小さく首を振る。
アリス: No. Just a job, I didn't know what.
笑顔を消し、目を伏せてうつむくアリス。
(16)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。左に首を傾け、アリスの言うことを聞いている。
アリス: He made an appointment for me to see a man.

フレッドの「意識」や「感情」をキーにしてみたとき、カット(6)からカット(8)にかけてのアリスの言及が「新たな遁走」の示唆であることは明白だろう。結局のところ、当面のフレッドの目的である”「アリス=レネエの代替イメージ」を確保しつつ「捏造された現実」を保持する”ためには、「ミスター・エディ=現実」の影響から逃れるしかないという、単純といえば非常に単純な発想である。

問題は、そのための方法論として、「ある男」から金銭を強奪するという「提案」がアリスからなされることだ。そこにはフレッドが抱いている複雑な「意識の流れ」が交錯しているのがみてとれる。かつ、注目に値するのは、それをトリガーにして発生する新たな「イメージの連鎖」が表象するものだ。

まず指摘できるのは、アリスが言及する「ある男」が、具体的には「アンディ」を指していることだ。これは後に(1:42:54)から提示される映像などによっても明示されるわけだが、注目すべきなのは、”なぜ彼がここで「強奪」の対象として言及されるのか”という点だろう。

この疑問への回答は、実は「前半部」において提示された「アンディ関連の映像群」に隠されている。それらの具体的映像を観返してみれば、アンディが非常に「胡乱な存在」として描かれていることに気がつくはずだ。「遊び人」のような風体という表層的な造形はもちろん、どのような職業に就いているかも不明であるのにプール付きの豪邸に住み、盛大なパーティを開いているという描写など、彼は徹底的に「不審な人物」として提示されている。いうまでもなく、こうした「描写」自体が、アンディに対してフレッドが抱いている「感情」の反映であり、基本的にリンチ特有の「表現主義的な発想」に基づくものだ。最終的にパーティから帰宅する途上の車中で、フレッド自身がレネエに向かって「あの糞野郎とどこで知り合ったんだ?(So how'd you meet that asshole Andy anyway?)」と言及するように(0:33:04)、彼はアンディに対して抜きがたい「不信感」を抱いているのである*

アンディに対するこうした「不信」をフレッドが抱くに至ったそもそもの理由もまた、「前半部」における映像によって示唆されている。(0:12:25)における「レネエをいずこかへと連れ去っていくアンディ」の映像がそれだ。つまり、フレッドがレネエを殺害するに至った「彼女に対する不信」の要素のひとつが他ならぬ「アンディ」であり、もっというなら「彼女と彼の関係」だということだ(もちろん、この「具体的映像」もあくまで「フレッドの主観映像」に過ぎず、この二人の関係が作品内現実において成立していたか否かを明確に表す映像は存在しない)。

というような機序を踏まえれば、「後半部」においてアンディが「強奪の対象(のイメージ)」として想起されるのは、ある意味、当然であることがわかる。フレッドにとって、彼は「レネエを奪った相手」(繰り返すが、この疑惑がリアルであるかどうかはまったく定かではない)であり、それがゆえに「罰せられるべき存在」たり得るからだ。彼からの「金銭の強奪」は、形を変えたフレッドによる「処罰」であり「復讐」なのである。

ここまではよいとして、特筆すべきなのはこの後、「処罰の対象=アンディのイメージ」をトリガーとして発生している「イメージの連鎖」である。ひとつ明確なのは、この連鎖において、フレッドが「現実のレネエ」に対して抱いていた「不信」の本質、あるいは彼がレネエに対して抱いている「二律背反的」な感情が明瞭に浮き彫りにされていることだ。

カット(13)でアリスがピートに向かって語る「アンディと知り合った経緯」が、(0:33:04)においてレネエがフレッドに語った「アンディと知り合った経緯」のリフレインであることはすぐに気がつくだろう。いわく、「モークの店で出会い、友人になり、仕事を紹介してもらった」……この発言はアンディの屋敷から自宅に帰る途中、レネエがフレッドに説明した内容と完全に同一である。当該シークエンスにおけるレネエとフレッドの会話はそれ以上進展することなく終わったが、その際にフレッドが口には出さなかったものの「内心」抱いていた疑惑は、現在論じているアリスとピートのシークエンスに至って完全に顕在化する。そして、その「疑惑の性格」を端的に表しているのが、カット(12)およびカット(14)で発生している「アンディが紹介した仕事」と「ポルノ」の連結だ。

もちろん、これまた何の具体性も裏付けもない「疑惑」でしかない。というより、ここで重要なのは「何が作品内現実において発生したか」というような具象的な問題ではない。重要なのは”「紹介された仕事」と「ポルノ」の「イメージ上の連結」”という抽象的な問題であり、その結果として構築される「フレッドにとって都合のよい幻想」……「新たな欺瞞」そのものだ。その「欺瞞」はこう告げる……アンディが罰されるのが当然であるように、彼が紹介した「いかがわしい仕事」に関係した「レネエ」もまた罰されるべきである……フレッドは「レネエ殺害」という自分の罪を、このように都合よく正当化するのだ。それも、カット(12)のピートの様子が示すように、「保護者然」とした態度でアリスの身の上を気遣うそぶりをみせつつ、彼女がとった軽率な行動に「非難」を浴びせながら。

その「非難」に対し、アリスは「仕事の内容は知らなかった」と弁明する(カット(15))。当然ながら、これもまた「フレッドの意識」の「代弁」として捉えられるべきものだ。すなわち「保護者」たるピート=フレッドには、アリス=レネエの「懺悔」を聞き、彼女を「許す準備」があるという宣言である。そして、その根底に存在するのは、フレッドがレネエに対して抱いている愛憎が入り交じった「感情」だ。結局のところ、フレッドはレネエを「処罰」すると同時に「希求」せざるを得えないのである。こうした「感情」を反映して、このシークエンスにおいては、「非難」という(作品内現実において発生した「レネエ殺害」という事態に比べて)より「穏やかな処罰」がアリスに対して下されるのみで終わる。

だが、ピート=フレッドがみせるこの「寛容」には、もう一段「からくり」がある。彼は、「アリス=レネエ」の代わりとなる”別の「非難の対象」”を設定するのである……カット(11)でアリスが言及するように、「ミスター・エディ」という対象を。「ミスター・エディ」が「現実に関連するイメージ」として登場していることを考えるなら、これは非常に巧妙な「責任転嫁」であるといえるだろう。「レネエ殺害」という事態が発生したのは、フレッドのせいでもなければレネエのせいでもない、すべて「彼ら以外の他者=現実」にその責があるというわけだ。ある意味で、これこそフレッドがその「内面」において抱いている「本音」である。

振り返ってみれば、実は早い段階から「ミスター・エディ」のイメージは「いかがわしい仕事=ポルノ」と連結されていることに気づく。(1:06:49)における"「ポルノのビデオ・テープ」のオファー"という事象がそれであり、これはフレッドが「現実」に対して抱いているイメージ(あるいは「感情」)を物語るものであることは以前にも触れたとおりだ。現在論じているシークエンスの映像群は、そうしたフレッドの「現実」に対する「感情」をより詳細に、かつ明瞭に表象しているといえるだろう。アンディが「レネエを奪い取り去る者」であり「いかがわしい存在」であるならば、その背後で黒幕として存在する「ミスター・エディ」も同類なのである。いや、これは順序が逆だ。「現実」こそが「レネエを奪ういかがわしいもの」であり、アンディはその一部であると同時に「現実」によって「使役されている存在」に過ぎないのだ。度々現れてきた”「アリス=レネエの代替イメージ」が「ミスター・エディ=現実」の支配下にある”ことを示す映像は、こうした文脈においても、フレッドの「意識」の反映としてまったくもって妥当なのである。

このようにして、フレッドは「レネエ喪失」の責任を「現実」へと転嫁する。前述したフレッドの目的……”「アリス=レネエの代替イメージ」を確保しつつ「捏造された現実」を保持する”うえで、あるいはダメージを受けた「幻想」と「自我」の修復を図るうえで、これは「非常に都合の良いもの=欺瞞」だ。以降、パート2において、フレッドの「意識」はこの「欺瞞」の強化(あるいは具象化)の方向へとイメージを連鎖させていくことになるわけだが、その詳細は以降の回に譲ろう。

さて、このようにフレッドが新たな「欺瞞」(あるいは「遁走」)を構築するかたわらで、アリスがいわゆる典型的な「ファム・ファタール」としての性格をあらわにし始めていることも見逃してはならないだろう。それこそエミール・ゾラの「ナナ」から「嘆きの天使」(1930)のローラを経て、「深夜の告白」(1944)をはじめとするフィルム・ノワールの諸作品など、過去、さまざまなジャンルの数多くの作品において「男を破滅に導く運命の女」の存在が描かれてきた。「金銭強奪」という犯罪教唆をまつまでもなく、アリスが明確にその一員であることは、この後の「ロスト・ハイウェイ」の展開が示すとおりだ。

しかし、忘れてはならないのは、アリスが「ファム・ファタール」であり得るのは、その「原型」であり、彼女と「内的に等価」であるレネエこそが、そもそもフレッドにとって「ファム・ファタール的存在」であったからだという「事実」である。「前半部」における「現実のレネエ像」が、たとえば「ルナ・ラウンジに行かない」と彼女が宣言するシークエンス(0:05:45)にみられるように、フレッドの「希求」(あるいは「願望」、あるいは「欲望」)にときとして応えない「コントロール不能」の存在として描かれていることは、以前にも述べたとおりだ(もちろん、これらも「フレッドの主観映像」に過ぎない)。いずれにせよ、レネエが「一個の人間存在」として自我を備えている限り、彼女がフレッドの「希求/願望/欲望」に100パーセント応えることは現時的に不可能であり、彼女をコントロールできると考えること自体がフレッドの「幻想」であることも間違いない。だが、こうした「幻想」と「現実」の乖離こそが、結果としてフレッドをして「レネエ殺害」に向かわせた要因であることもまた確かだ。いうならば、フレッドを凶行に走らせたのは彼自身の「過剰な願望/欲望」であり、それが「十全に応えられなかった」ことによって芽生えた「猜疑心」なのである。

ファム・ファタールと呼ばれる存在が備える「本質」の「ある一面」がここにある。さまざまな作品に登場するファム・ファタールが共通して備えるのは、まさしく「コントロール不能」という「特性」であり、それは彼女たちによって破滅させられる男たちが抱える「応えられない希求」……「過剰な願望/欲望」によって成立しているのだ。言葉をかえれば、そうした男たちはすべて自らの「欲望」によって「自滅」しているのである……ちょうどフレッドがそうであったように、あるいはこの後のピートがそうであるように。もしこれをリンチによるフィルム・ノワール作品への「目配せ」だとするならば、これまた単純な「引用」の域を超えた、”「本質性/普遍性」への言及”であるといえるのではないだろうか。

(この項、またもや続く)

*この「フレッドの不信感」は、カット(7)におけるアリスの言及……アンディが「金で女の子を手配した」という言及によっても「代弁」されている。これが”アンディ宅での「パーティ」に対する揶揄”でなくてなんだろう。

2009年6月25日 (木)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (50)

「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回から数回に分けて(1:28:13)から(1:36:09)までについて、何やらやらかしてみる。

この後、「ロスト・ハイウェイ」は三つのパートに分割される大きなひとつのシークエンスを提示する。タイム・カウントを使って述べるなら

・パート1 (1:28:14)-(1:31:18)
・パート2 (1:31:18)-(1:34:14)
・パート3 (1:34:14)-(1:36:09)

といった具合だ。

構造的なところから述べるなら、「パート2」は、「パート1」と「パート3」という”「空間的/時制的」に一致した二つのシークエンス”の間に挿入される形になっており、両パートとは一致しない「空間/時間」における事象を描いている。いうまでもなく、これは「作品内非現実」を混乱なく受容者に伝えるための典型的な映像文法であり、端的にいえば「パート2」が「(作品内現実における)現在のものではないこと」=「回想であること」を明示している。結果としてこの3パートからなるシークエンス全体の映像によって描かれているのは、”「スターライト・ホテル」の一室におけるピートとアリスの会話”であり、そこで行われている”アリスによる「言及」”の「部分的映像化」だということになる。こうした手法の採用自体が、リンチが「ハリウッドの古典的映像文法に批判的でないこと」を裏付ける証左のひとつといえるだろう。

前回述べた”「アリス」のイメージが付随させる「不確実性」や「曖昧性」”は、このシークエンスにおける「アリスの言及」にも当てはまる。彼女の「言及」の「正確性/真実性」に対し、我々=受容者は一定の「担保」を掛けざるを得ないのだ。もちろん、それらの「具体的映像」がに反映されている「フレッドの意識」もまた、この「担保」の対象となることはいうまでもない。そうした「担保」と引き替えに我々=受容者が手に入れるのは、ときとして屈折し、非常に歪んだ形で表現される「フレッドがその内面で抱いている感情」に対する理解である。

さて、そうした「フレッドの感情」をキーにした観点に基づき、このシークエンスが提示している「事象」をごく大雑把に述べるなら、”ダメージを受けた「幻想/捏造された現実」”をフレッドが修復し、補強しようとしている様子である。ただし、これまでも何度かフレッドが繰り返してきた同様の「修復作業」と比較して、このシークエンスにおけるそれはより複雑な様相を帯びている点には注意したい。たとえば、これまでフレッドが重ねてきた「自分に都合の悪いイメージ」あるいは「自分にとって危険なイメージ」を「矮小化/安全化」する作業である。(0:55:08)の「裏庭のシークエンス」では、「アンディの屋敷のプール」が「子供用プール」に矮小化され、「ビデオ・テープを回収する際に鳴いていた犬」は「子犬」に安全化されていた。だが、このシークエンスにおいて認められる同様の「作業」は、そのような単純な「記号の置き換え」の域を越えている。その原因のひとつとして考えられるのが、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」自体、構築された直後と比較してより複雑化し屈折していることであるのは間違いないだろう。が、より根本的な要因となるのは、フレッドが抱いている”「レネエ」に対する愛憎が入り混じった「感情」”そのものだ。

……という具合な前置きを述べたところで、では、さっそく「パート1」に相当するシークエンスの具体的映像から観てみよう。

パート1
スターライト・ホテル 客室 内部 夜 (1:28:14)
(1)画面左を向いたアリスの太股に添えられた、ピートの右手のアップ。そのままアリスの体の右側面伝いに上にパン。アリスの右腕の肘を越えて、両の手で覆われたアリスの顔までパン。
アリス: He'll kill us.
(2)アリスのアップ。ピートの右肩越しに、斜め右からのショット。黒いマニキュアをした指を広げ、うつむき加減の顔を手で覆っているアリス。
アリス:(ため息)
ピート: Are you, uh...positive that he knows?
(3)ピートとアリスのアップ。ツー・ショット。画面右を向いているピートの右側面からのショット。耳のあたりを押さえてうつむき加減にしているアリス。彼女をのぞき込むようにしている革ジャンを着たピート。アリスは黒いスリップ姿だ。二人の向こうには、白いホテルの壁と、黒い窓らしきものが見えている。
アリス:(泣きそうな声で)I'm not positive that he knows.
ピート:(間)So?
一層うつむくアリス。
ピート: What are we supposed to do?
耳あたりを押さえていた両手を離し、画面外のピートの両腕あたりにかけるアリス。顔を上げて、ピートを見る。
アリス: I don't know.
ピートの目を見つめつつ、弱々しく首を振るアリス。長いため息をつきつつアリスから体を離し、左手を自分の頬のあたりまで上げるピート。それに連れて左へパン。
(4)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。左手を自分の頬のあたりに上げたまま、曲げた指を動かしつつ、アリスを見つめるピート。
(5)アリスのアップ。彼女の斜め 右からのショット。泣きそうな顔をして、ややうつむき加減にしている。顔を上げて、画面右方向、ピートのほうを見るアリス。吐息をついて、ピートのほうに少し体を寄せる。

さて、ここで基本的な疑問が発生する……はたしてミスター・エディは「ピートとアリスの関係」を認識しているのだろうか? 少なくとも、これまで提示された「ミスター・エディが何かを察知している」という「電話を介したアリスによる言及」(1:21:50))や「ミスター・エディによる自動車工場への訪問と恫喝」(1:26:29)の「具体的映像」、あるいはカット(1)からカット(3)の前半における「ピートとアリスの会話の具体的映像」をみる限り、それは明瞭ではない。確定事項として理解されるのは、ミスター・エディが「アリスが誰かと関係をもっている」と疑っていることのみである。その「誰か」がピートではないかという疑義を抱いているらしき様子はあるものの、確信に至った様子は今のところ「具体的映像」としては明示されていない。

「アリスの相手がピートであることをミスター・エディは知っているか」という問題に関して、アリスは否定的な発言をする(カット(3))。が、これも何らかの裏付けがある話ではないのは明らかだ。結局のところ、「ピートとアリスの関係をミスター・エディが知っているか」という疑問に関する限り、「真相」は闇のなかというしかない。いずれにせよ、(アリスがカット(1)で言及するように)一度ミスター・エディが「二人の関係」を知れば、その「直裁的な力」による「処罰」を受けることになることだけは確実である。そして、カット(3)の後半からカット(5)にかけての描写にあるように、(ミスター・エディがどこまで知っているかを確認することを含めて)ピートとアリスが現状に対してなんら対処方法を見出せず、絶望的な状況にあるのは明白だ。

ひるがえって、このシークエンスを「フレッドの意識」をキーにしてみたとき、この「二人の会話」が”ピートとアリスという「代弁者」による「自問自答」”であることは容易に理解される。このあたりの基本的な構造は、たとえば「ピートとシーラの会話」(1:10:08)あるいは「ピートとフィルの会話」(1:11:45)と同じだ。異なるのは、前述の二例がフレッドの「内面」で発生している「二律背反的な思考」を表象しているのに対し、このシークエンスにおける「自問自答」が、むしろ「ミスター・エディがピートとアリスの関係を知っているかどうかを曖昧にする」ために行われていることである。

それが他ならぬフレッドの「内面」において発生している事象である以上、”「アリス=レネエの代替イメージ」の獲得”は彼にとっては「既定事実」である。その一方で、「ミスター・エディ」が「現実のイメージ」を指し示すものとしてフレッドの「内面」に存在し、広い意味で彼の「代弁者」として機能している限りにおいて、「ミスター・エディがピートとアリスの関係を知っていること」も、本来は「既定事実」のはずなのだ。「具体的映像」にあるようにこの件に関してアリスとピートが「結論」に達しないのは、実は”フレッドが自分にとってネガティヴな「結論」を出したくない”からに過ぎない。一言でいうなら、これもまた「フレッドの欺瞞」なのだ。そして、その根底にあるのは、”自分の「幻想」のなかに存在する「アリスのイメージ」を「隠蔽」しておきたい”というフレッドの「感情」あるいは「欲望」である。表現を変えるなら、もし可能であれば、彼は自らの「幻想」のなかに「レネエの代替イメージ=アリス」を確保しておきたいのだ……それも、「レネエ=アリスのイメージ」が付随させている「現実=ミスター・エディ」のイメージによる侵入や介入を排除した形で。

繰り返し指摘するように、「現実による侵入」は、”フレッドが構築した「幻想/捏造された現実」の崩壊”に直結する。それは、「前半部」における「幻想/捏造された記憶」が、「ビデオ・テープ=ありのままの記憶」による度重なる侵入の末に崩壊したことにも明らかだ。同様に「後半部」における「幻想/捏造された現実」も、このまま「現実=ミスター・エディ」による侵入が繰り返されれば崩壊の危機に瀕するであろうことは、明白である。フレッドにとって、この「幻想の崩壊」がすなわち「遁走先の喪失」と同義であることはいうまでもないだろう。かつ、「遁走先」を喪失することは、”「客観的(作品内)現実」に自分が強制的に回帰させられること”同義である……ちょうど、「三本目のビデオ・テープの到着」を機に決定的に崩壊した「幻想/捏造された記憶」(0:39:47)が、そのまま「警察の取調室」(0:41:49)や「死刑囚房」(0:42:11)という「客観的現実(もしくは”よりありのままに近い記憶”)」のイメージへと連鎖していったように。

フレッドからみれば、”「幻想/捏造された現実」の崩壊”は「二重の処罰」だといえる。自分の現状からの「遁走手段」を奪われること自体が「精神的処罰」であるのはもちろん、回帰した先の「客観的(作品内)現実」においても彼を待ち構えているのは、「収監/死刑執行」という「肉体的処罰」なのだから……そう、カット(1)でアリスが「ミスター・エディは私たちを殺すわ」と言及するとおりに、「現実はフレッドを殺す」のである。フレッドが「アリスのイメージ」を隠匿しておきたいと「願望」するのは当然のことだ。

だが、もちろん、これは達成不能な「願望」である。「レネエのイメージ」が「現実のイメージ」と分割不可能であるのと同様に、その「レネエのイメージ」をもとに構築された「アリスのイメージ」も「現実のイメージ」とはそもそも分断不能だ。である以上、「アリスのイメージ」を喚起することは必然的に「ミスター・エディの訪問=現実による侵入」を招くことになる。有り体にいえば、「アリスのイメージ」を構築してしまった段階で、フレッドの「幻想/捏造された現実」はすでに崩壊すべく運命づけられているといってよいだろう。そして、実際に「幻想/捏造された現実」がどのような結末を迎えるかは、「ロスト・ハイウェイ」のこの後の展開が物語るとおりである。

このようにしてみるかぎりにおいて、カット(3)の後半からカット(5)にかけての描写……「為す術がないピートとアリス」という「具体的映像」は、そのまま「フレッドの現況」を表象していることが理解されるだろう。”「幻想」とアリスの両方を獲得したい”という「フレッドの願望」が根本的に達成不能な命題である以上、彼に抜本的な「解決手段」などあるはずがないのだから。

(この項、続く)

2009年6月21日 (日)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (49)

「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回は(1:27:56)から(1:28:13)まで。ちょいと切り所がムズカシイので、今回はかんなり短めに、ちゃっちゃと……終わらせられたらいいな(笑)。

前々回、前回で述べた「ピートの自宅のシークエンス」(1:24:18)と「自動車工場のシークエンス」(1:26:29)の二回にわたる「現実による侵入」を受けたピート=フレッドは、大きくその「内面」を揺さぶられる。「客観的(作品内)現実からの遁走」のために構築したはずの「幻想/捏造された現実」が、自分の思ったように機能しなくなり始めているのだ。「レネエ殺害」とそれに端を発するさまざまな「忘却したい記憶」が、次第に蘇り始めている。”両親による「あの夜」についての曖昧な言及”から”「ミスター・エディ=現実」による直裁的な脅迫”へといった具合に、フレッドに対する「精神的圧力」はエスカレートするばかりだ。

大きな流れで捉えたとき、これ以降のいくつかのシークエンスによって提示されるのは、フレッドがこうした「精神的圧力」に耐えかね、それからの回避を目的として、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」に対して修正あるいは補強を試みようとする様子である。

デイトン家 内部 夜 (1:27:59)
(ディゾルヴ)
(1)[電話のベルの音]
デイトン家のキッチンの壁に掛かった黒い電話機のアップ。アウト・フォーカス。
ピート:(画面外から)I'll get it!
画面右から姿を現すピートの背中。アウト・フォーカスのまま、受話器をとるピート。イン・フォーカスになると、左斜め前からの彼のアップになる。左手に持った受話器を左の耳にあてるピート。彼の背後には、戸棚などのキッチンの中の様子がアウト・フォーカス気味に見えている。
ピート:(受話器に向かって)Hello?
(2)アリスの両目のあたりのアップ。目のあたりに、スリット状の光が当たっている。その他の部分は闇になっている。下方にパン。
アリス: Meet me at the Starlight Hotel on Sycamore in 20 minutes.
パンは続き、鼻のあたりを過ぎて、受話器に向かってささやいている口元と受話器を持っている右手の指のアップになる。鼻の頭は闇に沈み、口元あたりにスリット状の光がさしている。右手の指にも光が当たっている。指にはめられた銀色の指輪。

まず注意をひくのが、直前のシークエンスの最終ショットからこのシークエンスのカット(1)へとつながるカッティングである。単純なディゾルヴではなく、若干の「クロースアップ」とともに「アウト・フォーカス&イン・フォーカス」といった操作が伴われている。この「アウト・フォーカス&イン・フォーカス」は、(1:22:16)のシークエンスに現れた「揺れ動きつつ、焦点を失う映像」というモチーフの明瞭なリフレインである。当該シークエンスにおいても述べたように、このモチーフが表象するのは、「現実の侵入」を受けて文字どおり”揺さぶられる”「ピートを核にした幻想/捏造された現実」である。今回の例に関して具体的に述べるなら、直前のシークエンスにおいて発生した「ミスター・エディの訪問=現実による侵入」によって「ピートを核にした幻想/捏造された現実」にダメージを受けている。この「揺れ動きつつ、焦点を失う映像」は、それによって揺れ動く「幻想/捏造された現実」を表し、ひいてはそれに起因する”フレッドの「内面」に発生した「動揺」”を表象していることになる。

その「動揺」に応じて喚起されるのは、観てのとおり「アリス」のイメージである。ピート=フレッドはダメージを受けた「幻想」の修復を、「自分にとって好ましいもの」である「アリス=レネエの代替イメージ」をもって行おうとしているのだ。このあたりの構造は、(1:08:29)において発生した”「シーラ」へとつながる「イメージの連鎖」”とまったく同一であることに留意しておきたい。かつ、この二つの「イメージの連鎖」が、いずれも「ミスター・エディの訪問=現実による侵入」をトリガーにして発生していることも見逃せない点である。こうした「共通性」から指摘できるのは、「ミスター・エディの訪問=現実による侵入」が、「幻想/捏造された現実」を揺さぶると同時に、その「幻想」を構築したフレッドの「自我」に対してもダメージを与えていることだ。「幻想」が「自我」を守るために構築されている以上、あるいはこの連動性は必然であり、逆にいえばフレッドにとって”失調をきたした「幻想」を修復すること”は”傷ついた「自我」を修復すること”と同義といってよい。

しかし、「シーラへの連鎖」が彼女との「直接的」な接触という形で現れていたのとは異なり、「アリス」のイメージは「電話」という「間接的」なイメージを付随させて、まずは喚起される(カット(2))。前回の「アリス」の映像(1:21:23)と同様、彼女の「顔」は影によって分断され、かつ、「クロースアップされた目から口元へのパン」といった具合に「局所的な映像」によってしか提示されない。彼女の「顔」が全体像をみせることはなく、その表情は「影」によって覆い隠されている。全体としてこのシークエンスにおける「アリス」のイメージも(前回と同じく)分断され不明瞭であり、ひいては「彼女の言動によって表されるもの」の「不確実性」をも表象することになる。少なくとも我々=受容者は、彼女の発言の「正確性」や「真実性」に関して、ある一定の担保を掛けざるを得ない。

一方で、我々=受容者が常に意識しなくてはならないのは、こうした担保を「彼女の言及」に対して掛けざるを得ない本当の理由……ぶっちゃけた言い方をするなら、それを「額面どおりに信用できない理由」である。根底にあるのは、繰り返し述べるように、「ロスト・ハイウェイ」が提示する映像がすべて「フレッドの意識」を反映した「表現主義的なもの」であるという前提だ。こうした視点に立つならば、我々=受容者が担保しなければならないのは、実は「フレッドの意識」そのものに対する「信頼性」であることが理解されるだろう。これまでの何度かみてきたように、フレッドは「レネエを殺害したという現実」から目を背け「遁走」しようとしている。彼は「自我」を守るためにさまざまな形で「欺瞞」を重ね、その「内面」で想起されるイメージ群は彼の「願望」や「欲望」によって……つまり、彼の「感情」や「主観」によって大きく歪められている。「フレッドの意識」の「真実性/正確性」に対し、我々=受容者が一定の担保を掛けざるを得ないのはまさにそのためであり、この「担保の必要性」は「フレッドの意識」の反映である”「ロスト・ハイウェイ」が提示するすべての映像群”に関して当てはまることになる。このシークエンスや(1:21:23)で提示される「分断されたアリスの映像」が備える曖昧性や不確定性は、こうした”「フレッドの意識」の「不確定性」の示唆”であることを押さえておきたい。

加えて指摘しておきたいのは、フレッドが「アリス」のイメージを構築するもととした「(現実の)レネエ」が、作中でどのような描かれ方をしてきたかである(この「描かれ方」自体が、「フレッドの主観」によって歪められたものであることはいうまでもない)。たとえば「前半部」に登場する「レネエ」をみれば理解されるように……(0:05:39)における「フレッドのライヴに行かないと表明するレネエ」や(0:33:04)における「フレッドの詰問を曖昧にはぐらかすレネエ」の映像をみればわかるように、基本的に彼女は「コントロール不能な存在」として提示されている。もちろん、この「コントロールの不能性」は「フレッドにとって」のことであり、彼女が彼にとってきわめて「曖昧で不確定な存在であること/あったこと」(いわゆる「ファム=ファタール的存在」であること/あったこと)が「前半部」ですでに明示されているのである。こうした「レネエのイメージ」を基礎にしている以上、「アリス」もまた最終的に(ピート=フレッドにとって)「コントロール不能な存在=曖昧で不確定な存在」にならざるを得ない。このシークエンスや(1:21:23)で描かれる「分断されたアリス」の「曖昧で不確定な」映像は、「レネエ」が備える「曖昧性/不確定性」を踏襲したもの(ひいては、フレッドが了解している「レネエ像」の反映)でもあるのである。

いずれの理由にせよ、「アリスの言動」に対し、我々=受容者は”何らかの「担保」”を掛けざるを得ない。そしてそれは、この後のシークエンスでアリスが言及する「彼女とミスター・エディとの関係」に関しても同様である。

2009年6月16日 (火)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (48)

まさかのときに書き込まれる「スペインの宗教裁判」……じゃなかった、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回は(1:26:29)から(1:27:56)まで。

引き続き、このシークエンスにおいても「失調」をきたしたフレッドの「幻想/捏造された現実」が描かれる。前回のシークエンスの舞台は「家」だったが、今回は「職場」だ。そして、より「現実」に近いこの場所で発生する事象は、前回の「両親による言及」のように曖昧なものではない。より直截的であると同時に暴力的であり、もはや明確な「現実による侵入」の様相を帯びている。

さて、さっそく具体的映像から観てみよう。

アーニーの自動車修理工場 内部 昼 (1:26:29)
(フェイド・イン)
(1)ミドル・ショット。フィルとピートのバスト・サイズのツー・ショット。画面左にこちらのほうを向いたフィル、画面右端には、半ば背中を向けて左側面をみせているピート。ピートは白いTシャツ姿で、うつむいて画面外で作業をしている。横目でピートをちらりと見るフィル。
フィル: Hey.
声を掛けられ、頭を上げてフィルを見るピート。顎を軽くしゃくり、自分の正面のほうを示すフィル。
フィル:(目だけでピートをみながら)Mr Eddy.
[(画面外で)自動車のドアの閉められる音が工場内に響く]
慌てて左背後を振り返るピート。フィルは下からねめつけるように画面手前のほうを見たあと、画面外の自分の手元に視線を落とす。
(2)ミドル・ショット。工場の内部から、入り口の方向をみるショット。工場の真ん中ほどあたりまで入り込んで停車している黒いベンツ。ベンツの正面をこちらに向かって歩いてくるスーツ姿のミスター・エディ。背後のベンツの左側では金髪のボディ・ガードが、右側では黒髪・口髭のボディ・ガードが、同じく画面手前に向かって歩いてくる。画面奥の道路には自動車が行き交っている。ミスター・エディが工場の奥に向かって歩くに連れて、左にパン。二人のボディ・ガードはちょうどベンツの前あたりで立ち止まり、仁王立ちになって待機する。そのまま画面手前に向かって歩き続けるミスター・エディ。
(3)ミドル・ショット。手を拭いつつ、左肩越しに自分の背後のほうを見ているピート。フィルは画面左、作業台の向こうで右手に持った金属のパーツを左手でいじっている。顔を伏せながらもピートの様子をうかがっているフィル。作業台を離れ、向き直って画面右に向かって歩き始めるピート。手元に目を落として作業に戻るフィル。ピートが歩くに連れて右へパン。
(4)ミスター・エディのバスト・ショット。工場の奥から入り口方向を見たショット。彼の背後左にはアウト・フォーカスで半ば閉じられた赤いシャッター。彼の右背後には金髪のボディ・ガードが立っているのが見える。バスト・ショットからアップになるまで歩き続けるミスター・エディ。
ミスター・エディ: Hey,
(5)ピートのアップ。バストショット。彼の左斜め前からのショット。画面右手、ミスター・エディのほうを見ているピート。アップになるまで進む。
ミスター・エディ:(画面外で) Pete!
(6)ミスター・エディのアップ。ピートの右肩越しの、斜め右からのショット。
ミスター・エディ:(ピートに近付きづつ)How you doing?
(7)ピートのアップ。ミスター・エディの左肩越しの、斜め左からのショット。
ピート: I'm OK.
(8)ミスター・エディのアップ。ピートの右肩越しの、斜め右からのショット。ピートに顔を近づけ、彼の目をのぞきこむようにするミスター・エディ。
ミスター・エディ: I'm sure you noticed that girl that was with me the other day...Good-looking blonde? She stayed in the car?
(9)ピートのアップ。ミスター・エディの左肩越しの、斜め左からのショット。細かく首を振るピート。
(10)ミスター・エディのアップ。ピートの右肩越しの、斜め右からのショット。ピートの様子をうかがうミスター・エディ。
ミスター・エディ: Her name is Alice. I swear I love that girl to death.(首を振りながら)If I ever found out somebody was making out with her...
沈黙し、ちらりと自分の右方向を見てから、またピートを見るミスター・エディ。
(11)ミドル・ショット。ピートとミスター・エディのバスト・サイズのツー・ショット。ピートの右側面からのショット。右手で銀色の大口径の拳銃を取り出すミスター・エディ。
(12)ピートのアップ。ミスター・エディの左肩越しの、斜め左からのショット。右手の拳銃の銃口を上方に向けて持ち、ピートの顔の前に突きつけるミスター・エディ。
ミスター・エディ: I'd shove it so far up his ass it would come out his mouth.
(13)ミスター・エディのアップ。ピートの右肩越しの、斜め右からのショット。右手に持った拳銃をちらつかせながら、ピートの顔をのぞき込むミスター・エディ。
ミスター・エディ:(沈黙)And then you know what I'd do?
(14)ピートのアップ。ミスター・エディの左肩越しの、斜め左からのショット。脅えた表情。
ピート: What?
(15)ミスター・エディのアップ。ピートの右肩越しの、斜め右からのショット。右手に持った拳銃をちらつかせながら、ピートの顔をのぞき込むミスター・エディ。
ミスター・エディ: I'd blow his fucking brains out...
唇の端を吊り上げて笑うミスター・エディ。笑顔を浮かべてピートの顔をのぞき込んだまま、画面外で拳銃をしまう。
(16)ピートのアップ。ミスター・エディの左肩越しの、斜め左からのショット。言葉が出ない。
(17)ミスター・エディのアップ。ピートの右肩越しの、斜め右からのショット。満足気に画面外でピートの肩を叩くミスター・エディ。
ミスター・エディ: Hey.(画面外でもう一度肩を叩き)You're looking good. What you been up to?
ピートの顔を見つめるミスター・エディ。
(18)ピートのアップ。ミスター・エディの左肩越しの、斜め左からのショット。黙ったままミスター・エディをみつめているピート。彼の顔にクロース・アップするとともにアウト・フォーカスになる。
(ディゾルヴ)

このシークエンスにおける「失調をきたした幻想」を指し示す事象は、観てのとおり「ミスター・エディによる訪問」という事象をとおして描かれる。この「訪問」自体が「現実による侵入」であることは、たとえば(1:00:23)や(1:12:50)における「ミスター・エディによる訪問」がそうであるのと同様である。これらの”「訪問」によって表わされるもの”が備える「共通性/等価性」は、現在論じているシークエンスを含めたこの三つのシークエンスに登場する「ミスター・エディ関連の映像」が、ともに”背後に配置された「開放された自動車工場の入り口」や「自動車が行き交う道路」”(カット(2)(4))という「彼と外界の関連性」を表象する「共通項」を備えている点にも表されている。また、ミスター・エディが保持している(そして恣意的に行使できる)「直截的な力」を指し示す「二人のボディガード」の存在も、これらのシークエンスが備える「映像的共通項」である。

だが、今回の「ミスター・エディによる訪問」は、前述した(1:00:23)や(1:12:50)の「訪問」とは様相を異にしている点がある。表層的なところはともかく、その本質において今回の「訪問」は、前二回がそうであったような「友好的なもの」では、必ずしもない。というよりもそこに認められるのは、ミスター・エディによる彼の「直裁な力」の露骨な誇示であり、その力によって処罰される「対象」が”あるいは”ピート=フレッドである可能性が示唆されるといった、(ピート=フレッドにとって)むしろ「敵対的」な性質のものである。

なによりも、この”あるいは”という仮定が「仮定」ではないことをフレッドは(そして我々=受容者も)熟知している。フレッドの「内面」においては(もしくは彼が構築した「幻想/捏造された現実」においては)、「アリスの獲得」がもはや「既定事実」であるのは明白だ。その意味でフレッドが「ミスター・エディの処罰の対象」であることもすでに決定済みであり、このシーケンスで発生している事象……「ミスター・エディによる訪問」は、フレッドにとってあらかじめ「予見」されていたはずの事態だったといえる。具体的にいうなら、(1:21:50)におけるアリスの言及……「ミスター・エディが何かを察知しているようだ(I think he suspects something.)」という電話後しの言及は、フレッドのそうした「予見」を「代弁」するものに他ならない。「レネエの代替イメージ」である「アリス」に関与することは、すなわちそれが付随させる「現実のイメージ」の喚起につながり、それはそのまま「幻想/捏造された現実」に対する「現実の介入/侵入」に至る。このシークエンスで描かれているのは、まさにそうした”あらかじめ発生が予見されていた「事象」”である。

あえて指摘するならば、この「予見された事象」が、同時にフレッドにとって「出来れば回避したい事象」であることも間違いない。それを裏付けるように、「ミスター・エディの侵入」を先に認めるのが「フィルであってピートではない」ことは注目に値する(カット(1))。「現実の介入」が不可避であると知りながら、ピート=フレッドは可能な限り「都合の悪い事態」を先送りしようとし、出来れば「知らないふり」を通そうとする。ピートと比較して「より間接的なフレッドの代行者」であるフィルによって「ミスター・エディの侵入」が認識されるのは、まさしくそのためだ。

度々指摘してきたように、このような「認識の先送り」あるいは「意識的/無意識的な誤認=知らないふり」は、”フレッドによる「欺瞞」”以外のなにものでもない。そしてそれが「欺瞞」であり得るのは、そうした「認識」そのものが「客観的な事実」に反しているからだけでなく、どちらかといえばフレッド自身が「それは客観的な事実ではない」と「認識」しているからである。この後のシークエンスを観ても理解されるように、フレッドがそう「認識」している限りにおいて(映像的現象面でいえば「ミステリー・マン」が存在している限りにおいて)、彼にとって「都合の悪い事態」は必ず「現実」のものになる。言葉をかえれば、フレッドがたとえどれだけ巧妙かつ精緻な「幻想」を構築しようと、彼の裡にある「レネエに対する希求」を排除できない限り、それは必然的に崩壊するしかない。

さて、このようなことを念頭におきつつ「ミスター・エディとピートの遣り取り」を観たとき、まず気がつくのはカット(6)およびカット(7)におけるミスター・エディとピートの会話が表象するものである。「調子はどうだ?」というミスター・エディの問いかけは、一見すると何でもない普通の「挨拶」のようにも受け取れる。だが、子細にみればこれは直前の「ピートの家」におけるシークエンスにおいて、父親がピートに対して発した「具合が悪そうだな(You don't look so good)」という「問い掛け」(1:24:31)の「ヴァリエーション」であることがわかる(このことは、後のシークエンス(1:38:17)において、より明瞭にされることになる)。いずれにせよ問題は、ピート=フレッドの状況が、彼がそれに応えて言うような「OK」な状況では間違ってもないことだろう。「頭痛」という形而下的問題と「失調を呈し始めた幻想」という形而上的な問題を抱えたフレッド=ピートの「現状」を評するなら、むしろ父親の発言のほうがストレートであり的確だ。あるいはこれもまた”フレッドの「欺瞞」の表れ”として了解するならば、カット(17)における「調子が良さそうだな」というミスター・エディの発言は「大きな皮肉」であり、かつ「反語的」なものであることになる。

このように、このシークエンスにおける「現実による侵入」は「ミスター・エディによる侵入」という非常に端的な形で表現され、かつ、そこに認められる「記号」はたとえば「拳銃」(カット(11)(12)(13)(15))のように直裁的であり、ストレートに「処罰」のイメージとむすびついている。山道で「ルール」を守らなかった哀れなドライバーを「追跡/追求」の果てに「処罰」したのと同様(1:04:21)、いつでもミスター・エディは「直截的な力による処罰」をピート=フレッドに対して行使することができるのである……そう、ちょうどフレッドが「客観的(作品内)現実」において受けているのと同じような「直截的な処罰」を。こうした「直截性」は、直前のシークエンスにおける「現実の侵入」が「デイトン家の内部」における「両親による曖昧な言及」(1:24:18)に留まっていたのとは対照的であり、同時に「自動車工場=職場」という「より現実/外界に密着した場所」において「よりエスカレートした形」でリフレインされている。このシークエンスが提示している事象を、”「幻想/捏造された現実」の「失調」がその度合いをより進めたことの表れ”として理解されるのは、まさしくこのような機序によってだ。そしてこの「失調」が、「前半部」の「幻想/捏造された記憶」においてそうであったように、フレッドの内面において「現実に関する記憶」が次第に蘇りつつあることをも意味していることはいうまでもないだろう。

2009年6月 3日 (水)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (47)

ボチボチと進行する「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回は(1:24:18)から(1:26:29)まで。

このシークエンス表象しているものを大雑把にいうならば、「変調」の度合いを進行させつつある「ピートを核にした幻想/捏造された現実」である。

このシークエンス全体をとおしてまず注目したいのは、それがデイトン家の「家」の内部における「両親と息子の間の深刻な会話」という形で提示されていることだ。そこでは「不幸に見舞われた家族」の様相が、「悲嘆にくれる父と母」「混乱し懇願する息子」といったある種「常套的(クリシェ)」をつうじて描かれる。それらの映像的要素から明らかなように、このシークエンスで発生している事象はリンチ作品に頻繁に現れる二つの「共通モチーフ」……すなわち、”「家」のモチーフ”と”「機能しない家族」のモチーフ”を踏襲する形で提示されているのである。

そしてこの「家族劇(の幻想)」において、「両親(特に父親)」は「あの夜のこと=ありのままの記憶」や「警察からの電話=現実/外界からの接触」について語り、ピートは「記憶の欠落」について語る。みてのとおり、これは「家」=「フレッドの内面」で発生している「意識」を反映したものだ。狂い始めた「幻想/捏造された現実」のなかで、フレッドは「現実」に関連する「記憶」を漠然と蘇らせ始める一方、それを否定し「忘却」していたいと望むのである。言葉をかえるなら、前者の「フレッドの意識」を「両親」が「代弁」し、後者をピートが「代弁」するという構造である。要するに、「フレッドの内面」で発生している「二律背反的な葛藤=思い出したくないのに、思い出してしまうという状態」を、複数の「人物イメージ」の言動をとおして描いているわけだ。

……というような概要を押さえたうえで、具体的な映像をみてみよう。

デイトン家 リビング・ルーム 内部 夜 (1:24:18)
(フェイド・イン)
(1)ミドル・ショット。デイトン家の暗いリビング・ルーム。画面左には、灰色の革の椅子に座り、膝の上で手を組んでいる父親。画面中央には、それと直角に画面手前に向けて置かれた長ソファの右端に座っている母親。画面外の玄関からピートが部屋に入ってくるのを見つめている。画面右からフレーム・インするピートの足から胸あたりまで。
ピート:(両親に向かって)Hey...
ピートが近づくにあわせて、彼を見上げる両親。
父親: Sit down a minute.
ピート: What's up?
父親:(合わせていた両手を小さく広げて)Sit down.
長ソファの自分の左隣を伸ばした左手の手のひらで示す母親。二人は再びもとの姿勢に戻る。母親の右側に座るピート。長ソファの前には、背の低いテーブルが置かれている。
父親: You don't look so good.
左手に持っていた煙草を右手に持ちかえ、左手を自分の左の額にやるピート。
ピート: No, I just, uh, just have a headache.
そのまま額をなぜ回し、また左手を膝に戻し煙草を持ち替えつつ、父親のほうを見るピート。母親のほうも父親を見て、テーブルの上の灰皿に右手を伸ばして吸っていた煙草を消し始める。
ピート: What's going on?
ピートの左手の煙草からたゆたう煙。
父親:(低い声で)The police called us.
煙草の火を消し終わる母親。
(2)革ジャンを着たピートのアップ。彼の正面からのショット。画面左手の父親のほうを見ている。彼の背後には、上が暗く下が明るくグラデーョンになった白い壁。
ピート: What'd they want?
(3)父親のアップ。袖を切り落としたチェックのシャツを着ている。彼のやや右斜めからのショット。画面右の、ピートがいる方向を見ている。
父親:
They want to know if we had had a chance...to find out what happend to you the other night, and they want to know if you remembered anything..
(4)ピートのアップ。しばらく沈黙するピート。舌で唇を湿す。
ピート: But I don't remember anything.(間)What'd you tell them?
(5)父親のアップ。しばらく沈黙していたが、やがて肩を上下させてあえぐ。
父親: We're not going to say anything about that night to the police.
(6)母親のアップ。薄茶色のセーターを着ている。右画面外にいるピートを見つめている。
母親:(静かな声で)We saw you that night, Pete.
(7)父親のアップ。
父親: You came home with your freind Sheila.
(8)ピートのアップ。目を伏せ、考え込むような表情。
ピート: Sheila?
(9)父親のアップ。
父親:(うなずきながら)Yeah. There was a man with you.
(10)ピートのアップ。追いつめられた表情で、画面左方向、父親のいるほうを見ている。
ピート: What is this? I mean, why didn't you tell me anything?
画面左、母親のほうに視線を向けるピート。
(11)母親のアップ。黙ってピートを見つめている。
(12)ピートのアップ。
ピート: Who was the man?
(13)父親のアップ。
父親:
I've never seen him before in my life.
(14)ピートのアップ。しばらく沈黙したあと、口を開く。
ピート: What happened to me?
(15)母親のアップ。ピートを見つめていたが、耐え兼ねたように唇を噛んで顔をそむけ、うなだれて視線を逸らす。髪の毛に隠されて彼女の表情はわからない。
(16)ピートのアップ。父親に懇願するピート。
ピート: Please! Please, Dad,
(17)父親のアップ。ピートを見つめている父親。
ピート:(画面外から)tell me!
黙っている父親。やがて、泣きそうな表情で首を振り始める。
(18)母親のアップ。うなだれて、顔を背けたままの母親。
(19)ピートのアップ。ため息をつき、目を伏せ気味に自分の正面のほうを向き、首を振るピート。もう一度小さなため息をつき、目を伏せたまま自分の画面右手のほうを向く。

カット(1)において、舞台が「ディトン家」の内部であることが明示される。家の内部は暗く、陰鬱なメゾンセンによってこのシークエンスが「提示するもの」の基調はすでに提示されている。

まず、「話題」になるのが「ピートの状態」である。それに応えてピートは「頭痛」に関して言及する。「後半部」に入って以来、「アーニーの自動車工場」でのシークエンスをはじめとしてピートが「不調」を訴える映像が何箇所か存在するが、その「不調」が具体的にいえば「頭痛」であることが、ピートの発言として初めて明示される。この「頭痛」が、フレッドが死刑囚房において訴えていたもの(0:45:28)と同質のものであろうことは想像に難くない。だが、フレッドの「頭痛」が、「罪悪感」や「喪失感」をはじめとする様々な感情にさいなまれた結果、「現実」として彼が抱いているものとしてストレートに理解できるのに対し、ピートの「頭痛」の表れ方に関しては少しく考察を要するかもしれない。先に触れた「アーニーの自動車工場」での例をみればわかるように、ピートが「頭痛」を訴えるのは、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」が(程度の差はあれ)なんらかの形で「現実の侵入」を受けた際である。このとき、いわば「幻想」は「現実」に接近し、その境界線は「侵入の度合い」に比例して曖昧になる。結果としてフレッドとピートの境界も曖昧になり、現実のフレッドが感じている「頭痛」はピートによっても「共有」されることになる。この「頭痛」もまた、フレッドとピートの内面的な「同一性」あるいは「等価性」を示唆する材料なのだ。

同じくカット(1)において、父親は「警察からの電話」について言及する。「刑事たち」に代表される「警察」が「監視/追求のイメージ」としてフレッドの「幻想」に現れていること、あるいは「電話」がしばしば「外界/現実との間接的接触」として登場していることを考えるなら、この「警察からの電話」そのものが「外界/現実からの侵入」を指し示すイメージとして機能していることになる。

続いて、話題は「あの夜(the other night/that night)」のことに移る。たとえばカット(3)で父親が言及するのは”「あの夜」にピートに何が起きたか”であり、カット(5)では”「あの夜」のことを警察に話すつもりはない”と語る。また、カット(6)では今度は母親が”「あの夜」にピートを見た”と告げる。おそらくこれは(0:58:10)でシーラがピートに向かって言及した「あの夜」と同一の夜のことだと理解されるのだが、さて、では、「あの夜」とははたして具体的にいつの「夜」のことであるのか?

作品の冒頭からここに至るまでの間に「映像」として提示されたものからストレートに理解するなら、フレッドにとって大きく転機となった「夜」は二つある。まず思いつくのが、「フレッドがレネエを殺害した夜」であり、次に思いつくのが「死刑囚房において、フレッドがピートを核にした幻想を構築し、それに遁走した夜」だ。しかし、このシークエンスにおける両親の言及をみても、あるいは(0:58:10)におけるシーラの発言をみても、「あの夜」をこのどちらかの「夜」と特定する決定的な材料は乏しい。敢えて挙げるとしたら、カット(7)における父親の「(あの夜)ピートが友人のシーラと一緒に家に帰ってきた」という言及だろうか。「シーラ」のイメージそして「ディトン家」のイメージが形成されたのが、フレッドが「ピートおよび彼に関連した幻想/現実」を捏造した時点であると考えるなら、この父親の発言は「あの夜」が「死刑囚房でフレッドが遁走した夜」であることの示唆となるものだ。

あるいはこうした疑問に一定の回答を与えるのが、このシークエンスに続いて提示される三つのインサート・ショット(カット(20)(21)(22))である。順序は逆になってしまうが、「ディトン家の会話」について述べる前に、まずこのインサート・ショット群をみてみることにしよう。

(1:26:25)
(20)ミドル・ショット。夜。デイトン家の建物を、前庭の芝生あたりからとらえたショット。青白い光がまたたく。その光が向けられているのは画面左端、前庭の芝生に立っているシーラである。黒い革ジャンに黒いミニ、ショート・ブーツ姿のシーラ。両手を両頬に当て、ちょうどムンクの「叫び」のようなポーズ。彼女の背後にはデイトン家の家が見える。彼女のちょうど背後はガレージの側壁であり、ちょうど彼女の左右には側壁につけられた街灯が点っている。ガレージの横を通って母屋の玄関に至る小道。玄関の扉は開けられ、ピートの両親がそこに立ち尽くして、画面手前の視点のあたりを見ている。
[光とともに効果音]
光が弱くなり、シーラは頬に押し当てられた手をゆるめるが、再び青白い光がまたたき、彼女はその前と同じように両頬に両手を強く押し当て、体をよじるようにして叫ぶ。
シーラ: Pete!
[光とともに効果音]
玄関のところから小道を画面手前に向かって走り出す、父親と母親。父親が先頭である。
シーラ: Come back!
(21)はぜるように口を開ける肉。めくれあがった肉は細かく揺れている。その開口部に向かって侵入していく視点。
(ブラック・アウト)
(22)フレッドの家のベッド・ルーム。アウト・フォーカス気味。ベッドの足元のほう左端を斜め右から見下ろすショット。左斜め下に向かってパン。やがて、バラバラにされ、床に横たえられたレネエの死体の上半身のアップが視界に入ってくる。血にまみれた胸あたりから、レネエの顔がおさまるまで左下にパン。
(23)ピートのアップ。目を伏せ、震えるため息をつき、唾を飲み込むピート。
(フェイド・アウト)

カット(19)からカット(23)まで」の連続する5ショットからなるシークエンスに関して映像文法のうえから指摘できるのは、カット(19)およびカット(23)の二つの「ピートのアップ」に挟まれた三つのショット(カット(20)(21)(22))が、そのとき「ピートが想起したもの」であるということだ*。あわせて指摘できるのは、その「想起されたもの」の具体的内容が、それぞれ「フレッドのピートへの遁走」(カット(20))、「”ピートを核にした幻想”がフレッドの頭に侵入する様子」(カット(21))、「フレッドによるレネエ殺害」(カット(22))であることである。手っ取り早くいうなら、(0:49:39)における「独房内のシークエンス」が提示していた事象を……「レネエを殺害したフレッドが、ピートという別人格を核にした幻想に逃げ込んだ」ことを、この三つのショットからなるシークエンスはフラッシュバックで提示しているのだ。ただし、その提示方法は「帰納的」であり、”フレッドの「ピートへの遁走」の原因が、彼がレネエを殺害したことにある”という具合に構成されている点には注意したい。つまり、「両親」による「あの夜のこと」に関する言及をトリガーにして「ピートへの遁走」の記憶が喚起され、またそれを契機として雪崩的に「レネエ殺害」の記憶が想起されるという「イメージの連鎖」が発生していることが認められるのである。これをみる限り、「あの夜」が「フレッドがピートに遁走した夜」であると捉える見方は、それなりの正当性を備えているように思える。

だが、ここで思い起こさなければならないのは、リンチ作品が本質的に抽象的なものであり、かつ(「ロスト・ハイウェイ」がそうであるように)往々にして非ナラティヴな形態をとっていることだ。であれば、「あの夜」に関して論じるうえでまず検討されなければならないのは、そこに「時系列的な概念」に基づいたアプローチを持ち込むことの有効性そのものである。

そもそも、「ロスト・ハイウェイ」という作品は、どのような「(作品内現実における)時間的スパン」を描いたものなのだろう? 通常のナラティヴな作品に限っていえば、「(作品内)現実」における「時間経過」に関して明瞭であるのが大多数である。登場人物の「台詞」によって「時間経過」が明示されることも稀ではないし、親切にも「字幕」によって「何日後」あるいは「何時間後」といった具合に、直前のシークエンスから次のシークエンスへの移行時に省略された「時間経過」が提示されるのもよく使われる手だ。ナラティヴな作品が「受容者による登場人物への感情移入」を前提として「物語を語る」ものである以上、基本的に「受容者の感情移入」を阻害するような「混乱」はあらかじめ排除されるものだからである。しかし、みてのとおり「ロスト・ハイウェイ」はそうした「経過時間を記述する手法」を一切放棄しており、なんら我々=受容者に「経時に関する手がかり」を与えてくれない。というより、この作品が「フレッドの内面」で発生している「意識の流れ」を描いている限りにおいて、そこに存在しているのは「フレッドの主観時間」のみであり、「(作品内現実における)客観的時間」を前提としたアプローチ自体が効力をもたないのだ。確かに、いくつかの「夜」と「昼」は映像として登場しはする。が、たとえば「夕刻から夜へと変遷する映像」(1:14:56)がそうであったように、それすらも「フレッドの意識の変遷」の反映であるならば、そうした映像を「(作品内における)客観的時間経過の表れ」として了解するのはまったく妥当ではない。結論として、「ロスト・ハイウェイ」が描く事象群が発生したのが「(作品内の)客観的時間」において一日のことであるのか、一週間のことであるのか、確定的に述べることは不可能である**。作品の「時間枠」そのものが不確定である以上、「あの夜」の「発生時点」を特定しようとする作業自体が同じように不確定な「解」しか得られないこと……つまりは「不能」であることは自明である。

このような観点から前掲した「三つのインサート・ショット」を論じるとするなら、より重要なポイントはこれらのショットが備える「概念的な共通項」のほうだ。みてのとおり、これらのショットが伝えるイメージが共通しているのは、それが「フレッドによるレネエ殺害」であるにせよ「フレッドの遁走」にであるにせよ、すべて「(作品内現実において)実際に発生した事項」……「ありのままの事実」であることである。そして、それは(「前半部」の「ビデオ・テープ」がそうであったように)フレッドにとって「思い出したくない事項」あるいは「忘却の対象」であることと同義だ。これらの事項を踏まえるなら、「あの夜」とは、「ピートへの遁走」や「レネエ殺害」をも包括した「フレッドが思い出したくない事項全般」を指し示す「抽象概念」であることがみえてくる。逆にいえば、カット(20)(21)(22)の映像が提示している事象はそれぞれ”「フレッドが思い出したくない事項」の「個別例」”であり、それらが集合的かつ総体的に”「フレッドが思い出したくない事項」の「抽象概念」”を構成しているのだ。「インランド・エンパイア」におけるニッキーやスーやロスト・ガールの”「機能しない家族」の「個別例」”が、総体として”「機能しない家族」の「抽象概念」”を構成していたのと同一の構造であり、リンチが好んで採用する表現手法である。

また、このようなコンテキストの上に「あの夜」を捉えるなら、それと「闇」との関連性もみえてくるはずだ……そう、「夕刻から夜へと変遷する映像」(1:14:56)によって到来が宣言された、あの「闇」である。「夜の闇」が均一にすべてを包み込み「境界線の輪郭」を消し去ったとき、その消失した境界を越えて本来隠されるべきであったはずの「フレッドの想念」が彼の心の中に忍び出る。(1:15:19)において露わになった「隠匿されるべき想念」は、「アリス=レネエの代替イメージへの希求」だった。同じように今回明らかにされたのは、「レネエ殺害」や「ピートへの遁走」という「隠匿されるべき想念」である。ともに「隠匿されるべき想念」であるという点でこれらは「等価」であり、「闇」それ以上の区別をつけない。ピート=フレッドが「希求」を満たす契機を作る一方で、「闇」は幻想の崩壊につながる「忘却の対象」をも同時に甦らせてしまうのだ。

これが「フレッドが抱えている本質的な陥穽」と同軸のものであることは、いうまでもないだろう。「レネエのイメージ」が「現実のイメージ」と関連づけられている以上、それを強く希求することはすなわちフレッドの「幻想=捏造された記憶/現実」を危うくする。「アリス」という優秀な「レネエの代替イメージ」への欲望は、「あの夜=忘却すべき事項」の蘇生と直結しているのである。

このような事項の延長線上に、現在論じているシークエンスが提示するもの……”「両親」と「ピート」の会話”という事象が指し示すものがみえてくる。「前半部」では”いつの間にか届けられる「ビデオ・テープ」”という形で現れた「ありのままの記憶=忘却の対象」が、このシークエンスでは”「両親」をはじめとする「ピートの周辺イメージ」による「言及」”という形で現れているのだ。これもまた形を変えた”幻想に対する「現実の侵入」”であり、結果としてこの「家族の対話」が伝えるのは、(すでに述べたように)フレッドの「内面」で発生している二律背反的な「葛藤」……蘇ろうとする「ありのままの記憶」と、それを懸命に押しとどめようとする「意識」とがせめぎあう有様なのである。カット(4)でピートは「自分は何も覚えていない」と主張するが、それはフレッドの「思い出したくない」という感情の「代弁」に他ならない。その一方、「両親」は「あの夜」について曖昧な言及を繰り返し、最終的には「悲嘆にくれる家族のイメージ」をなぞりつつ沈黙する(カット(15)(17)(18))。「前半部」に登場した「ビデオ・テープ」の映像が低画質のおぼろげなものであったように、「両親」たちの言及も「核心部分」にまでは至らない。だが、フレッドにとって、それは「ピートへの遁走」および「レネエ殺害」に関する「ありのままの記憶」を蘇生させるトリガーとして十分であったわけだ。

こうした「葛藤」が発生すること自体、どれだけフレッドが「ありのままの記憶」の存在を否定しようとしても、それが彼の心の奥深いところに(たとえば遠く離れた「砂漠」のようなところに)「隠匿」され、確固として存在していることを物語っている(カット(6)で「母親」が代弁するように、「あの夜」フレッドは「目撃」されていたのだ……他ならぬ自分自身に)。であるならば、カット(9)で父親が言及する「それまで見たこともなかったような男」が誰を(あるいは何を)指しているのかは、非常に明快だろう。具体的な映像こそ提示されないが、それは明らかに「第三者化」されたフレッドの「真の心の声」……すなわち「ミステリー・マン」を示唆している。フレッドが「ピートを核にした幻想/捏造された現実」に「遁走」するに際して、フレッドは「ミステリー・マン=真の心の声」を自己から切り離し、隔絶された「砂漠の小屋」に追いやらなくてはならなかった(0:48:17)。しかし、このミステリー・マンの「隔離/隠匿」はまったく無意味であったことが、父親の「ピートが帰宅したとき、男=ミステリー・マンが一緒にいた」という父親の言及によって明らかにされる。ミステリー・マンは「砂漠の小屋」から易々と抜け出て、あろうことか「ピートの家=内面」を知らないうちに訪れていたのだ。しかし、それは当然の機序である。「前半部」における"「アンディの屋敷」と「フレッドの自宅」に同時に存在するミステリー・マン”(0:30:03)という事象によって明らかなように、彼がやはり「フレッドの意識の一部」であるかぎりにおいて、ミステリー・マンは「フレッドの内面」のどこにでも(それは「フレッドの幻想」のどこにでも、というのと同じ意味だ)なんら制限を受けることなく「遍在」できるのだから。そう、隠匿された「ありのままの記憶」が、折あるごとにいつのまにか蘇えるように……。

*ここでもリンチ作品が古典的映像文法に批判的でなく、むしろそれを頻繁に踏襲することが表れているわけだが、これもまた(1:13:39)などと同じく「過剰な映像」であることは論をまたない。なぜなら、そもそも「ピート」自身がフレッドが構築した「イメージ=幻想」であり、ピートに関連する事象自体がフレッドの「内面」で発生しているものだからだ。つまり、「ピートが何かを想起する」というイメージを「フレッドが想起している」という二重構造なのである。

**個人的には、”「ロスト・ハイウェイ」における「作品内実経過時間」はその「上映時間」と同一である”としておきたい。

2009年5月21日 (木)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (46)

「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回は(1:23:21)から(1:24:18)まで。

では、さくさくと具体的映像から。

街路 外部  夜 (1:23:21)
(1)ロング・ショット。夜の街。四車線の道路。画面右には、道路の右端に停められている自動車の正面。道路の両側に並ぶ街灯の灯り。遠くに見える建物の灯りと、店々の明るい看板やネオン・サイン。疾走してくるピートのバイクのヘッド・ライト。ピートのバイクを追いかけて左から右へパン。バイクに乗ったピートの右側面からのアップになる。
[バイクの爆音]
(2)走り去る道路を、左斜め後方に見たショット。アウト・フォーカスで画面の右から左へと移動し画面外に消えていく自動車の赤いテイル・ランプ、建物、街灯の支柱、街路樹、また別の白い建物。視点はそのまま疾走しているピートのバイクの正面に回り込み、やや左斜めからの彼の上半身のアップになる。まばゆいバイクのヘッド・ライト。アウト・フォーカスで過ぎて行く道路脇の建物。バイクの背後を走る自動車のヘッド・ライト。画面奥には、アウト・フォーカスで街の照明の遠景が見える。
(ディゾルヴ)

今回取り上げるシークエンス全体が表すものを踏まえたうえで、この二つのショットからなるシークエンスが提示しているものを敢えて名付けるなら、「遁走内遁走」あるいは「小規模な遁走」であるといえる。その「遁走手段」は、これまでのような「自動車」ではなく「バイク」であることも、あるいはこれが(”フレッドの「ピートを核にした幻想」への「遁走」”に比較して)「小規模な遁走」であることの示唆である。

ピートを核にした「幻想/捏造された現実」自体が、本来フレッドにとって都合のよい「遁走の対象」であることはいうまでもない。だが、それは、いまや変調をきたし始めている。その起因となったのが「アリス=レネエの代替イメージ」の発生、そしてそれに対するフレッドの強い「希求」そのものであることは、これまでも何度か述べたとおりだ。一度は自分のものになったと思っていた「アリス」が、実はいまだに「現実=ミスター・エディ」の支配下にあるという認識によって、一時は最高潮に達したピート=フレッドの「全能感」は色あせ、それにともなって彼の「自我」は大きく傷つけられている。結果としてフレッドは、「遁走」先であるはずの「幻想/捏造された現実」の内部においてさえ、なおかつ「遁走」する場所を捜さなければならないのだ。

ホテルの部屋 内部 夜 (1:23:38)
(ディゾルヴ)
(3)ベッドの天板にあしらわれた鳥の彫刻のアップ。ベッドの振動にあわせて揺れ、背後の壁にぶつかっている。上から下へパン。
シーラ:(画面外で)Pete!
下方にパンするにつれ、ベッドの上で性交しているピートとシーラの姿が視界に入ってくる。ベッドの足元の方向から、ピートの背中越しにやや見下ろすショット。二人はベッドの左上部からずり落ちそうになりながら、体を重ねている。ピートの背中と、大きく割広げられたシーラの足。ピートはシーラにのしかかるようにして、体を激しく揺すっている。ピートの背中に回されたシーラの両腕。

このシークエンスが明示するとおり、結局のところ、ピート=フレッドが”「遁走内遁走」の対象”として選んだのは「恋人(の幻想)」である「シーラ」である。このピート=フレッドの「行動」が、(1:08:29)における彼自身の行動のパターンを踏襲していることは明瞭だ。このときピート=フレッドは、「現実=ミスター・エディ」による「幻想への侵入」(1:00:39)によって傷つけられた「自我」を、「シーラ」のイメージを喚起することによって修復しようとした。今回もピート=フレッドはまったく同様の「イメージの連鎖」を発生させ、「都合のいい恋人」であるシーラのイメージを喚起して、「アリスの喪失」によって「傷ついた自我」を修復するための「手段」として使うのである。

ホテルの駐車場 外部 夜 (1:23:45)
(4)ミドル・ショット。ホテルの駐車場に停められたピートのバイクを、右側面やや後方からとらえたショット。駐車場のすぐ前は壁のないホテルの通路で、そこには部屋の赤いドアが二つ見えており、ドアの上には黄色い照明が光を投げかけている。ドアとドアの間には、部屋の窓がある。右のドアの横の壁には二脚の椅子が、左のドアの横の壁には一脚の椅子が置かれている。駐車場と通路の間には、木が植えられており、画面の上三分の一程度をその木の葉がおおっている。
(5)ピートを張り込んでいる二人の刑事のアップ。二人が乗った自動車の、運転席のサイド・ウィンドウ越しに斜め右から刑事たちを捉えたショット。運転席にすわったハンクは、うんざりしたようにシートにもたれている。画面奥にはルーが助手席に座っているのがアウト・フォーカス気味に見える。
ルー: What a fucking job!
ハンク:(ホテルのほうを見詰めたまま)His or ours, Lou?
ルー:(ちらりとハンクの方を見て、また視線を正面に戻し)Ours, Hank.

再び、「監視/追及」のイメージである「二人の刑事」が想起される。具体的映像から認められるように、(1:20:55)で発生していた彼らとピートたちの間の「高低差」は消滅してしまい、再び同等の「高さ」にまで戻ってしまっていることがわかる。ピート=フレッドが感じていた「高揚感」や「全能感」が色褪せてしまった現在、「刑事たち」はもはや「見下ろされる対象」ではない。

問題となるのは、カット(5)におけるルーとハンクの「遣り取り」が表象するものである。繰り返し述べてきたように、この「刑事たち」は”フレッドの「代弁者/代行者」”として機能している。カット(5)で彼らが「代弁/代行」しているものをストレートに捉えるなら、フレッドの「内面」において発生している「優越感」……「現実」に関連している「監視/追及の施行者」に対する「優越感」の表れということになるはずだ。より詳細に述べるなら、「シーラとの性交」のイメージによって、”フレッドは「自我」に負った傷を回復させ、再び「全能感」を取り戻したことに表れとして、(刑事たちにとっては)自虐的な「言動」がルーとハンクによってとられるということである。「アリス=レネエの代替イメージ」が取り上げられたとしても自分には別の「代替イメージ」があり、ピート=フレッドを「監視/追及」しようとしても「無益」であって、そのような「作業」は「糞みたいな仕事」である……「刑事たち」の言動に仮託しされたフレッドの「意識」を言い表すとすれば、そういうことになるだろう。

だが、どうやらことはそれほど単純ではなさそうだ。なぜなら、この直後のシークエンスが提示する映像を観る限りでは、ピート=フレッドが「シーラとの性交」のイメージによって満足を得ていないように理解されるからだ。それはつまり、フレッドの「自我」が負った傷はまったく癒されておらず、「全能感」も回復されていないことと同義である。であるならば、この「刑事たち」の言動はフレッドの何を「代弁」しているのか。

ホテルの客室 内部 夜 (1:23:57)
(6)ピートのアップ。ピートをベッドの右斜め下から見上げるショット。眉をしかめ、口を半ば開けている。
シーラ:(画面外で)Pete!
ベッドの端(あるいは枕)を左手で握りしめ、なおも激しく体を動かすピート。
シーラ:(画面外で)Pete!
(7)ミドル・ショット。ベッドの上で体を揺らしているピートとシーラのバスト・ショット。ベッドの足元のほうから、ピートの背中越しに見下ろすショット。ピートの裸の背中が見えている。ベッドの左上からずり落ちそうになっている二人。枕に横たえられたシーラの頭が、ピートの右肩越しに見えている。シーラの右手はピートの背中に、左手は彼の脇の下から肩に掛けられている。なおも激しく体を揺らしてシーラを突くピート。それにあわせて上がるシーラのあえぎ声。シーラは一層強くピートを抱きしめる。
(8)ピートのアップ。シーラの上のピートを、ベッドの右斜め下から見上げるショット。シーラを突きながら、目をつぶり、眉をしかめてあえぐピート。画面左には、シーラの頭部が見えている。ピートの首に回されたシーラの右腕。やがて動きを止めつつ、目を開くピート。
(フェイド・アウト)

注目すべきは、カット(6)カット(8)だろう。この両ショットの構図は、(0:15:29)において提示された、「レネエと性交するフレッド」をとらえたショットとまったく同一だ。具体的映像を比較すれば明瞭なように、差異があるとすれば「フレッドとピートが入れ替わっているだけ」だといっていい。さて、ではこの「映像的同一性」は何を示唆しているのか。

まず指摘できるのは、「フレッドとピートの同一性」である。つまり、「フレッドとピートが入れ替わっているだけ」の映像は、この二人がいわば「置換可能」であり「等価」であることの示唆として了解されるということだ。要するに、ピートはフレッドが「遁走先」として構築し自分自身を仮託している「イメージ」であり、その「本質」において両者はイコールであることの表れである。このような「示唆」をいくつか経たうえで、最終的に(1:56:41)からのシークエンスにおいて”この二人の「等価性」”は明示されることになる。

次に指摘できるのは、このような”(構図を含めた)映像の「同一性」”は、”フレッドの「内面」においてその時点で発生している「感情や意識」の「同一性」”をも表しているということである。この作品が提示する映像がすべてフレッドの「内面」で発生している事象を描いており、かつそれらの「事象」には彼の「感情」や「意識」が反映されていることについては繰り返し述べているとおりである。逆にいえば、もしある時点のフレッドがある「感情や意識」を抱き、また別の時点のフレッドがそれと「同一」の「感情や意識」を抱いたとしたら、それぞれの時点の「事象」を描いた二つの映像の間になんらかの「同一性」が存在していても、なんら不思議はないことになる。現在比較の対象としているショット群はその典型例であり、これらのショットが備える「映像の同一性」の根底にあるのは、それぞれが描いている「フレッドの感情/意識の同一性」であるわけだ。

早い話が、これもリンチが自作において頻繁に採用する「リフレイン/ヴァリエーション」の一例であるといえる。たとえば、「インランド・エンパイア」で繰り返された「Where am I?」や「I'm afraid」といったキー・ワードの「言及」は、それを発する”女性たちの「内的同一性」”を表していた。同様に、「ロスト・ハイウェイ」において反復される「同一の映像」は、ときとして”フレッドの「内的同一性」(あるいはその「ヴァリエーション」)”を表象するのである。

そして、フレッドが抱いている「同一の感情/意識」がどのようなものかを端的に示唆しているのが、共通して採用されている「構図」自体である。ベッドの左下、床に近い位置からフレッド(あるいはピート)を捉える「視点」は、しかしその相手であるレネエ(あるいはシーラ)を写さない。この「レネエ(あるいはシーラ)の映像的欠落」は、あたかもフレッド(あるいはピート)は、そこには存在しない「非在の女性」と交わっているかのようだ。だが、考えてみれば、それらの映像によって表象されているのが「フレッドによって捏造された記憶あるいは現実」であり、彼にとって都合のよい「幻想」である限りにおいて、それらの「女性たち」の「非在性」は最初から保証されているといえる。あからさまな言い方をするならば、映像として現れている「性交の相手」が「前半部のレネエ」であろうと「後半部のシーラあるいはアリス」であろうと、彼は自らが構築した「幻想=(現実の)レネエの代替イメージ」と交わっているだけなのだ。極論すればそれは「自慰行為」でしかなく、こうした「一方的な関係」からフレッドが本質的な「満足」を引き出すことは困難である。「代替イメージ」はどこまでいっても「代替イメージ」であり、「レネエそのもの」ではないのだから。

なおかつ、シーラが(1:10:08)において「代弁」したように(「Why don't you like me?」)、ピート=フレッドは当初から「レネエの代替イメージ」としての「シーラ」に満足していなかったわけだが、これもまた当然の帰結である。フレッドが意図的に”現実の自分自身とまったく重ならない「イメージの集合体=人格」”として「ピート」を構築したのと同じく、「シーラ」も”レネエと重ならない「イメージの集合体」”として形成されていたはずなのだから。これは彼の「幻想」が抱える最大の、そして致命的な欠陥である。「現実の侵入」を怖れて「現実との関係性」を排除すればするほど、あるいはフレッドにとって「都合のよいもの」になればなるほど、その「幻想」に彼は「満足」できなくなるのだ。結果として、ピート=フレッドは「レネエの代替イメージ」としてより優秀な「アリスのイメージ」を発生させ、より大きな「満足」を味わってしまった。いったんそうなった以上、もはや「シーラ」によってピート=フレッドが「満足」を獲得できる可能性は皆無に等しい*。たとえどんなに激しくシーラを抱こうとも(カット(3))、彼がそれによって「自我」を回復し「全能感」を取り戻すことなど、もはやあり得ないのだ。

といった具合に現在のシークエンスにおける”フレッドの「感情」や「意識」”を了解したとき、カット(5)における「刑事たち」の「遣り取り」が基本として「代弁」しているものが、非常に端的な「フレッドによる自己言及」に他ならないことがみえてくる。ルーのいう「fucking job」を、”字義的に”ピート=フレッドが現在「行為」として行っているなどということはさておき、ハンクが投げかける「あいつのか、それとも俺たちのか?(His or ours, Lou?)」という「問い掛け」を「論理的命題」として捉えたとき、それは実はただ一つの「解」しかもたない。その「解」とは「フレッド」であり、自分が「クソみたいな仕事」を……「決して満足が得られることのない無益な行為」を行っていると「感じている」のは「ピート」でも「刑事たち」でもなく、「フレッド」自身なのだ。そこに「彼我」の概念を持ち込むことは無意味であり、もはやハンクの「問い掛け」自体が「トートロジー(「同義循環」)」に類したものだといえるだろう。

このようにピート=フレッドは「自我」を修復するに至らず、「全能感」も回復されずに終わる。シーラを対象にした「遁走内遁走」は失敗したのだ。フレッドに残されたのは、「欲求不満」と「何かがおかしくなりかけている」という感覚である。そして、これ以降、彼のそうした「予感」のとおりに(あるいはそうしたフレッドの「感情/意識」を反映して)、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」は失調の度合いを強めていくことになる……いったん狂い始めた歯車が、回転を続けるにつれてますますその歪み具合を進め、最後には自壊してしまうように。

*カット(4)の映像は(1:18:56)のショットとまったく「同一の構図」であり、両ショット間の映像的差異は、ホテルの駐車場に停められているのが「自動車」であるか「バイク」であるかだけである。この「映像の同一性」が指し示すものがフレッドの「内面」で発生している「意識の同一性」……つまり、両ショットの直後で共通して明示される”「刑事たち=監視/追及のイメージ」の想起”であることはいうまでもない。だが、より本質的な「差異」として重要視しなくてはならないのは、「同一のホテル」の内部において、ピート=フレッドが性交している相手が片方は「アリス」であり、もう片方が「シーラ」であることだ。「同一のホテル」において「違った相手」と「同一の行為」をピート=フレッドが行っているという図式は、おのずと「レネエの代替イメージ」としての「アリス」と「シーラ」の比較という図式に結びつくことになる。

2009年5月12日 (火)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (45)

んでは、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回は(1:22:16)から(1:23:21)まで。

前回発生した事象を受けて、ピート=フレッドの「内面」は大きく揺れ動く。直前まで彼が感じていた「高揚感」は消し飛び、「全能感」は傷つけられている。「アリス=レネエの代替イメージ」が「現実=ミスター・エディ」の支配下にあることに対する「欲求不満」や「焦燥感」が彼を苛む。と同時に、一度は手に入れた「アリス」を喪失するかもしれないという「不安」や、なによりもそれに対する「希求」は募る一方だ。このシークエンスは、フレッドの「内面」に発生しているそうしたさまざまな「感情」を、「多重露光」など使った非常に典型的な(まはや「古典的」といってよいかもしれない)「表現主義的手法」でもって描く。

デイトン家 内部 夜 (1:22:16)
(ディゾルヴ)
(1)ミドル・ショット。ピートの部屋の内部。薄暗い部屋の中で、ポツンと所在なげにベッドの上に座っているピート。彼は画面の左下のほうにおり、上半身しかフレームに入っていない。彼の背後には白い壁がぼんやりと見えている。壁の右には廊下の闇があり、その上のほうには小さな灯りが円周状に並んだ照明の光が見えるが、それは周囲を照らすほど強くない。
(2)ピートの部屋の内部。ベッドのあたりの壁。右から左へパン。薄暗い白い壁をバックに、ベッドの頭のほう、左脇に置かれた金属の傘が二つついた電気スタンド(両方の電球が点灯されている)、物置への入り口の闇、スタンド式のハンガーに掛けられた衣服、低いテーブルとその上に置かれた諸々の順に視界に入り、パンのスピードが上がる。途中で映し出された闇のなかにオーヴァー・ラップで浮かび上がる、アウト・フォーカスのアリスの頭部。猛烈なスピードでパンは続く。アウト・フォーカスで写される部屋の内部。ときどき青白い光で照らし出されるアリスの顔。徐々にアリスの顔がイン・フォーカスになり、最後はくっきりと浮かび上がる。

表層的に受け取るなら、先に触れた「表現主義的な映像」によって提示されているのは「ピートの感情/意識」である。だが、彼が「フレッドの代弁者/代行者」として機能している以上、「ピートの感情/意識」を介して最終的に描かれているのが「フレッドの感情/意識」であることには留意しておきたい。

まずこのシークエンスは、自室に一人いるピートの映像で始まる(カット(1))。画面を支配しているのは「暗く茫漠とした壁」であり、彼が感じている(つまりフレッドが感じている)「漠たる不安」と「行き詰った欲望」を示唆している。それとは対照的に「全能感」を傷つけられ「高揚感」を喪失した彼自身は、画面の左下に小さく押し込められて「矮小化」されてしまっている。このショットの陰鬱なメゼンソンは、そのままピート=フレッドの「内面」の表象だといえるだろう。付け加えるなら、このショットは、(0:44:51)の「監獄の中庭にいるフレッド」のショットと対をなしている。そこではフレッドが同じく監獄の壁を背にして画面右に押し込められているといったように構図的にみても「左右対称」をなしているわけだが、そこでフレッドが感じていた「感情」は、現在ピート=フレッドが抱えている「不安」や「喪失感」とまったく同じものであるといっていい。なぜなら「レネエ」とその代替イメージである「アリス」が等価である以上、フレッドにとって「アリス」を喪失することは「レネエ」を再び喪失することと同義なのだから。

続くカット(2)は、あるいはピート=フレッドの「主観ショット」として捉えてよいかもしれない。「主観ショット」として物理的にはあり得ない「視点の移動」をこのショットは行うが、表現主義的な観点に立つならばこの次第に回転を早める「視点」こそが、ピート=フレッドの「内面」で高まりつつある「理不尽な焦燥感」や「やり場のない怒り」、あるいはますます募る一方の「アリス=レネエの代替イメージ」への「希求」を指し示すものだといえる。なによりも、酩酊感を与えつつ回転する「部屋の内部」の映像に重なって提示されるのは、次第に明確になっていく「アリスのイメージ」……すなわち、ピート=フレッドの「希求の対象」に他ならないのである。

(1:22:29)
(3)ピートのアップ。チェックのシャツを着て、険しい顔をして座っているピートを正面からとらえたショット。ゆっくりと彼にクロース・アップ。画面左上のほうをゆっくりを見上げるピート。
(4)ミドル・ショット。ピートの主観ショット。木の天板の机と、その上に置かれた双頭の電気スタンドやペン立て。揺れながら、イン・フォーカスからアウト・フォーカスへ。
(5)壁を上方に向かって伝う蟻の足のクロース・アップ。それを追って下から上へパン。
(6)ピートのアップ。画面左上方を見つめている。
(7)壁を上方に向かって伝う蟻の全身。それを追って下から上へパン。
[ガサガサという蟻の足が壁に触れる音が増幅されて聞こえる]
(8)ピートのアップ。画面左上方を見つめている。ゆっくりと、今度は画面の右上のほうに視線を移すピート。
(9)天井につけられた照明器具のアップ。ピートの主観ショット。天井のざらざらした表面。黒点があしらわれた白い円形のカバー。その中心には青白い透明部分があり、金属の輪がはまっている。照明器具のカバーの内部で羽根をばたつかせている蛾のシルエット。揺れながらイン・フォーカスからアウト・フォーカスへ。アウト・フォーカスのまま、一段ジャンプしてアップに。
[蛾の羽根がカバーとこすれる音]
[蛍光灯のうなる音]
(10)ピートのアップ。画面右上を見つめている。
(11)天井の照明器具のカバーの内部。電球の下部のクロース・アップ。それに繰り返しぶつかる二匹の蛾。カバーの内部にはさまざまな塵芥や虫の死体が転がっている。
[蛾の羽根が電球にぶつかる乾いた音]
(12)ピートのアップ。画面右上を見上げているピートを、彼の上方やや右から見下ろすショット。ベッドからゆっくりと立ち上がる。それに連れて、揺れながらイン・フォーカスからアウト・フォーカスへ。
(13)天井につけられた照明器具のアップ。ピートの主観ショット。カバーの内部で電球にぶつかっている蛾のシルエット。揺れながらイン・フォーカスからアウト・フォーカスへ。またイン・フォーカスへ。

カット(4)(9)(12)(13)において、「揺れ動きつつ、焦点を失う映像」というモチーフが提示される。この後、たとえば(1:27:53)や(1:37:08)などにおいて、このモチーフは繰り返し提示されることになるが、これが基本的に表象するのは、「現実の侵入」を受けて文字どおり”揺さぶられる”「ピートを核にした幻想/捏造された現実」である。言葉をかえるなら、フレッドが「現実」であると思い込んでいるもの(あるいは思い込みたがっているもの)が、実は「自分が構築/捏造した幻想」に過ぎないことを彼がおぼろげにでも想起したとき、「世界」は確固とした基盤を失い「揺れ動く幻影」と化すのである。同時に、後により明確にされる「不調」……「死刑囚房」に収監されたフレッドが訴えたのと同じ「頭痛」を、このシークエンスのピートが覚えているのも間違いない。

続くカット(5)からカット(13)にかけて、「虫」のモチーフが登場する。

ごくストレートに捉えるなら、カット(9)(11)(13)に現れる「照明器具の内部に囚われた蛾」が表象しているものが、「現在のピート=フレッドそのもの」であることはいうまでもない。「現実=ミスター・エディ」の存在と彼の「直截な力」を知りつつも「アリス=レネエの代替イメージ」に惹かれそれを希求するフレッドと、「光に誘われ逃げられなくなった蛾」との対置である。もしくは、これまでの作品構造を踏まえるなら、この「蛾」もまた、フレッドの「意識」や「感情」の「代弁者/代行者」として機能しているといえるかもしれない。

だが、子細に映像をみれば、こうした理解だけではこのシークエンスに登場する「虫」のモチーフのすべてをカバーできないことに気づく。なぜなら、カット(5)およびカット(7)に現れる「壁を這う蟻」は「蛾」のような囚われた状況におかれておらず、上述したような「フレッドとの対比」からは外れているからだ。このシークエンスに現れている「虫」のモチーフは、「フレッドの現状」といった端的な「象徴」を含みつつも、そこからはみ出した部分をも内包しているのである。

Antinhouse こうした「虫」のモチーフを理解する取っ掛かりになると思われるのが、「Beautiful Dark」におけるGreg Olson氏の指摘である。氏は、映像化されなかったリンチのシナリオ「Gardenback」に関する項で、そこに登場する「虫」のモチーフについて触れている。詳細は当該紹介記事を読んでいただくとして、重要なポイントと思われるのは「Gardenback」に登場する「虫」が、最終的には「家」のモチーフと関連付けられていることだ。そして、この”「虫」と「家」”という観点からリンチの諸作品をみたとき、両者の「関係性」がしばしば、いろんな形で表れていることに気づくはずだ。たとえばアニメ作品「DumbLand」の「Ants」と題されたエピソードにおいては、「蟻」たちは主人公の男の「家の内部」を闊歩し、歌い踊り、トラブルをもたらす。「ブルーベルベット」では、「虫」たちは「家」の裏庭に敷かれた芝生の下の暗闇で、蠢き繁殖しているさまが描かれている(0:03:20)。映像作品だけでなく、「ant in house」や「Ants in My House」などといった(テーマもタイトルもズバリそのものの)絵画作品が複数存在していることも、こうした”「虫」と「家」の関係性”がリンチ固有の共通テーマのひとつであることの裏付けとみてよいだろう。

このような諸例を踏まえたうえで、リンチ作品における「家」のモチーフが「人間の内面」を指し示していること、「家」が「何かよくないことが起きる可能性のある場所」であることを考え合わせたとき、「虫」という共通モチーフが示すものが何となくみえてくる……それは、目には見えない物陰で人知れず生まれ、「人間の内面=家」にどこからともなく姿を現しトラブルを引き起こす、ときとしてネガティヴな「想念や衝動」そのものなのだ。

「ロスト・ハイウェイ」においてもこのパターンは変わらない。このシークエンスに現れる「虫たち」も「家」の内部に……ピート=フレッドの「内面」に存在している。そしてこの「虫たち」は、彼の「内面」で蠢き這い回る「ネガティヴな感情」を……すなわち、「アリス=レネエ」を喪失することへの「不安」や「怒り」や「焦燥感」といった「感情」を、ひいては彼女に対する「希求」という抜きがたい「衝動」を表象しているのである。

(1:22:59)
(14)ミドル・ショット。ベッドから立ち上がって画面の右上のほうを見ているピート。口を半ば開け、せっぱ詰まった表情を浮かべている。画面左手を急いだ動作で振り返り、下方に手を伸ばして画面外の革ジャンをとるピート。それにあわせて小さく左へパン。手にした革ジャンをあせったように羽織るピート。それにあわせて細かく右へパン。ちらりと右上方を見たあと、一度左を見てから正面を向き、革ジャンの前を閉じながら部屋の出口に向かうピート。それにあわせて左へパン。廊下の闇を進むピートにあわせて、なおも左へパン。廊下は右へ折れており、その先にはリビング・ルームの光景がアウト・フォーカスで見えている。リビング・ルームに向かって廊下を歩くピートの背中のシルエット。彼が廊下を進むに連れて前進する視点。リビング・ルームの入り口あたりで立ち止まり、右のほうを見るピート。一度正面からやや左を見たあと、また右のほうを見て、最初は後ろ向きに、途中で向き直って左手のほうに去るピート。イン・フォーカスで残されるリビング・ルームの内部。

さまざまな「感情」や「衝動」が押し寄せるとともに、頭痛に耐えられなくなったピートは自分の部屋を、そして「家」を追い立てられるように飛び出す。ピート=フレッドは傷ついた「全能感」を癒し、どうしようもなく高まる「アリス=レネエ」に対する「希求」を「処理」しなくてはならない。そうした彼の「意識」を反映して、「ロスト・ハイウェイ」は次なる「イメージの連鎖」を引き起こす。

2009年5月10日 (日)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (44)

えー、それでは「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回は(1:21:13)から(1:22:16)まで。

大きな流れで捉えたとき、これ以降のシークエンスで提示されるのは、フレッドの「ピートを核にした幻想/捏造された現実」が崩壊に向かう過程である。

そもそも直前のシークエンスで頂点を迎えたフレッドの「全能感」自体が「幻想」であり「欺瞞」であることは、改めて指摘するまでもないだろう。「現実」から乖離している以上、客観的にみれば彼の「幻想」は基本的に脆弱なものでしかない。彼の「幻想/捏造された現実」は、自身の「真の心の声=現実認識」を「ミステリー・マン」という形で第三者化し、遠く離れた辺境にある「砂漠の小屋」に押し込めるという手順を踏むことで(0:48:17)、かろうじて成立しているのだ。その脆弱性は「前半部」における「幻想/捏造された記憶」と同等であり、「後半部」における「ピートを核にした幻想/捏造された現実」も常に崩壊の危機にさらされていることに変わりはないのだ。

デイトン家 外部 夜 (1:21:13)
(1)ロング・ショット。ビートの家の外観。家の前の道路の中ほどからのショット。家の前の道路にはデイトン家の白いライトバンが停められており、画面左にその後部が見えている。ライトバンの車体で半ば隠されているデイトン家のガレージの入り口。デイトン家のガレージの側壁には街灯が二つ灯され、黄色い光を投げかけている。玄関にも白い光の街灯が灯され、玄関のドアを照らしている。真っ黒な夜空。突然、画面左から強烈な青白い光がまたたく。その光に照らされてくっきりと浮かび上がるデイトン家の建物。停められたライトバンの影が道路に、あるいは歩道の街路樹の影が前庭の芝生に落とされる。光が消え、また夜の闇に沈むデイトン家。

「幻想/捏造された現実」の「崩壊」は、まずリンチ作品の共通モチーフである「家」の提示から始まる。「前半部」におけるフレッドの「家」が彼の「内面」を指し示すものとして現れたのと同様、「後半部」におけるピートの「家」は彼の、そして最終的にはやはりフレッドの「内面」を指し示すものとして提示されていることが、この後のシークエンスにおいても明瞭にされる。

たとえば(0:53:47)に登場するデイトン家の家屋が陽光のもと「安穏」なイメージを付随させていたのとは対照的に、このショットにおけるデイトン家は夜の闇のなかに、その中で発生している事象を覆い隠すように現れる。このカット(1)がこの後に続くシークエンスの発生現場を説明するためのエスタブリッシュメント・ショットとして機能していることはいうまでもないが、同時にこれがフレッドの「内面」で発生している事象であることを、青白くはためく突然の「光」が表象する。以前にも述べたように、あるいは「イレイザーヘッド」における「メアリーX宅の居間で明滅する電球」や「マルホランド・ドライブ」における「明滅する牧場の電球」などにも現れているように、この「青白くはためく光」などを例とする「電気」に関連するモチーフは、しばしば登場人物の「大きな感情の動き」を指し示すものとして現れる。このショットにおいても、フレッドの「大きな感情の動き」を指し示すものとして「青白くはためく光」は現れ、それはこの後に続くシークエンスで提示される事象が彼にとってネガティヴなものであることを予見させる。

デイトン家 内部 夜 (1:21:23)
(2)壁に掛けられた黒い電話機のアップ。電話機は画面の右を占め、左にはアウト・フォーカスで白いTシャツを着たピートの母親の背中が見える。電話のベルが鳴り、左肩越しに電話機のほうを振り返る母親。電話に出ようと、彼女は電話機のほうに急いで歩み寄る。受話器をとろうと左手を伸ばす母親。
ピート:(画面外から)I'll got it.
画面右端からピートの左手が伸び、受話器をかっさらうように取る。取られた受話器を追って画面は右上へパンし、正面からのピートのアップになる。キッチンの入り口の壁にもたれたピート。左耳にあてた受話器を左肩で支え、口には煙草をくわえている。
ピート: Hello?
口の煙草に左手を伸ばすピート。
(3)電話をしているアリスの口元の、右斜めからのアップ。その中でも唇の周辺と白いマニキュアの指の一部がスリット状の光で浮かび上がっており、周囲は闇に沈んでいる。
アリス:(ささやき声で)Meow, meow! It's me.
(4)ピートのアップ。キッチンの入り口の壁にもたれ、左肩で受話器を支えたまま、にやりと笑う。
ピート: Hey, baby...
(5)電話をしているアリスの口元の、右斜めからのアップ。
アリス: I can't see you tonight.
(6)ピートのアップ。笑いが消えている。
ピート: OK.
(7)電話をしているアリスの口元の、右斜めからのアップ。
アリス: I have to go somewhere with Mr Eddy.
(8)ピートのアップ。
ピート:(左手に持った煙草をくわえながら)Sure.
左手に持ったままの煙草を一服し、また口から離すピート。
(9)電話をしているアリスの口元の、右斜めからのアップ。
アリス: I think he suspects something. We have to be careful.
(10)ピートのアップ。黙ったまま、左肩で支えた受話器に耳を傾けている。
アリス:(受話器から)I miss you.
黙ったままのピート。
アリス:(受話器から)Pete?
ピート: Me, too.
左手に持った煙草を口元に運ぶピート。
(11)電話をしているアリスの口元の、右斜めからのアップ。
アリス: I'll call you again.
画面外で、受話器を右耳からはずし、電話を切るアリス。
[受話器を電話機に置く音]
(ディゾルヴ)

カット(5)あるいはカット(7)におけるアリスの言及が明らかにするように、このシークエンスで発生している事象が指し示しているのは、「アリス=レネエの代替イメージ」がいまだに「ミスター・エディ」の支配下にあること、つまり「現実のイメージ」に関連づけられたままであることだ。同時に、カット(8)におけるアリスの言及によって、ミスター・エディが「ピートとアリスの関係」を察知しはじめていることが示唆される。

当然ながら、これらの事象もまた、フレッドの「意識」あるいは「感情」の反映として捉えられるべきものであることはいうまでもない。直前のシークエンスにおいては、ピート=フレッドは「アリス」を自分の支配下におくことに成功したと認識しており、彼が抱いていた「全能感」はそれに裏づけられたものだった。より正確にいうなら、フレッドにとって「アリスを支配下におくこと」は、彼が「レネエを再獲得すること」と同義である。つまり、「レネエ」と等価である「アリス」を手に入れることによって、フレッドは(間接的に)「レネエ」を手に入れるわけだ。ただし、逆にいえば、というよりそれゆえに、この「アリスのイメージ」は「現実のイメージ」と関連づけられるを得ない。なぜなら、「アリスのイメージ」はそもそも「現実のレネエ」をもとに構築された、いわば「修正物(モデファイ)」であるからだ。その意味で、「アリスのイメージ」は、本質的に「前半部」の「幻想/捏造された記憶」に登場した「幻想のレネエ」同質のものであるといってよく、である以上、彼女が「現実」の支配を……「ミスター・エディ」の支配を逃れられるはずがないのはそもそも自明のことなのである。

カット(5)(7)における「アリスの言及」は、まさに上記のような事項……「現実による侵入/支配」に関するフレッドの「不安」を代弁しているといえる。「前半部」で提示された「幻想/捏造された記憶」において、「幻想のレネエ」は繰り返される「ビデオ・テープの配送=ありのままの記憶」の侵入を受けた結果、「現実のレネエ」のイメージによって侵食され「変質」してしまった。「後半部」における「アリス=レネエの代替イメージ」が同じような結末をたどる可能性は常に存在し、フレッドは心のどこかで「不安」を抱かざるを得ない(そして作品を観ればわかるように、最終的にこの「不安」はそのとおりのものとなる)。しかし、なによりも、フレッドが「ミステリー・マンの第三者化」という手順を踏まなければ「幻想」を構築できなかったこと自体に、彼が心のどこかで自分の「欺瞞」に気づいていることが表れているといえるだろう。どのように「幻想=自分に都合のよい非現実」を構築し客観的現実から目を背けようと、「現実のレネエ」がすでにフレッドに殺害され「非実在」である以上、彼が「彼女そのもの」を手に入れることなど最初からあり得ないのだから。

その意味で興味深いのは、カット(8)でのアリスの言及である。彼女がフレッドの「代弁者/代行者」であるかぎりにおいて、「ミスター・エディが何か怪しんでいる」という彼女の発言は、前述したようなフレッドが懸命に隠匿しようとしている「自らの現実に対する認識の存在」そのものを指し示している。つまり、「アリスの獲得」をつうじた「レネエの再獲得」が「欺瞞」であり「幻想」であることを「現実=ミスター・エディ」は認知しており、かつその「現実の認知=ミスター・エディの認知」=「客観的事実からみたとき、自分の幻想が非現実であること」をフレッドが認識しているという構造だ。こうした「間接性」は、このシークエンスのアリスとピートが(作中、たびたび登場する)「電話」によって……”「外界」と「内面」をつなぐ「間接的な方法」”によって接触していることとも符丁するといえる。だが、それよりも問題としなければならないのは、アリスの言及の「後半」……「私たちは気をつけなければならない」という発言が表象するものだ。

たとえそれが「幻想」あるいは「欺瞞」であろうと、一度「アリス=レネエの代替イメージ」を自分のものにしたと感じた以上、それをとりあげられるかもしれないという「不安」はより一層ピート=フレッドの「レネエ(あるいはその「代替イメージ」であるアリス)に対する希求の度合い」を強くする。彼は「アリス」が「レネエの代替イメージ」であることを理解し、それに手を出せば「現実=ミスター・エディ」の「直裁な力」による介入を呼び、その「処罰の対象」となる可能性を知りながらも、自分の「希求」をあきらめることができない。この彼の「葛藤」の結果が、アリスによる「私たちは気をつけなければならない」という発言に表れている。すなわち、”注意深く「ミスター・エディ」を欺き、彼の目を逃れることによって、「アリス」との関係を続けることができるのではないか”というフレッドの「都合のよい願望」が……言葉をかえるなら「現実から入念に目を背けることによって、幻想を自らの現実として維持し続けたい」という「欲望」が、このアリスの発言によって「代弁」されているのだ。何度か繰り返し述べたように、こうした「自らに対する欺瞞」こそが、フレッドが陥っている罠である。

特筆しておきたいのは、このシークエンスにおける「アリス」に関する映像である。彼女が映像として登場するショット(カット(3)(5)(7)(9)(11))は、すべて彼女の「口元のアップ」のみであり、他の部分は「影」で覆い隠されている。逆にいうと、彼女の「顔」は影によって分断されており、上述したようなもろもろの「言及」をもたらす「唇」だけがクロース・アップで提示されると一方、肝心の彼女の「表情」はまったく見えない状況になっている。はたして、彼女の「言及」の内容は(たとえば「会えなくて淋しい」という発言は)「真実」であり、彼女はその「内面」において発言どおりのことを「意図」しているのか? このような「光と影」による表現自体が、「ドイツ表現主義映画」から受け継がれ「フィルム・ノワール」の諸作品に(あるいは40~50年代のハリウッド映画に)かなりの頻度で採用されたものだ。そして、しばしば(実にしばしば)、「分断され一部が覆い隠された映像」は「分断された意味」を表象し、ひいては「外面と内面の不一致」を……すなわち、「発言が真実でない」ことを意味するのである。このシークエンスにおいては、我々=受容者には「外面と内面の合致もしくは乖離」を判断する材料は与えられず、我々はいわば「宙ぶらりんの疑念」と「獏たる不安」を抱かされることになる。「真実」は覆い隠されたままであり、明確な「結論」は与えられないのだ。そして、この我々が抱いた「疑念」や「不安」は、ピート=フレッドが現在抱いている「疑念」や「不安」とも重なるものだといえるだろう。

さて、直前のシークエンスで最高潮に達したフレッドの「全能感」は、このシークエンスの事象によって大きく傷つけられている。それは、カット(4)からカット(6)を経てカット(8)に至るショットにおける「ピートの表情の変遷」からも明らかだ。そして、このフレッドの「感情」を反映した「イメージの連鎖」が、これ以降のシークエンスにおいて発生することになる。

2009年5月 5日 (火)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (43)

さーて、ゴールデン・ウィークの真っ最中でございますが、皆様方にあらせられましてはいかがお過ごしでございましょーか。大山崎は例によって、買ったっきり溜まっているDVDやら本やらを消化するつもりでおったのですが、ついうっかりノテノテと「芸者vs忍者(Geisha Assasin)」(2008)なんてものを観て、「んじゃ、忍者は芸者じゃないわけ?」とか「主人公の父親は、いったいナニを弟子に教えてたのだろーか?」とか悩んでいるうちに連休が終わっちゃいそーな勢いなので、ちょっと困ってます(笑)。

それはそれとして、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回は(1:20:32)から(1:21:13)まで。

映像のつながりとしてみたとき、このシークエンスは、前回とりあげた「ホテル」でのシークエンスから継続する大きなシークエンスとして理解されるものである。そのことは、前回のシークエンスから今回のシークエンスがディゾルヴによってつながれることによって、あるいは同じBGMがずっと継続して流されていることによって明示されているといえる。

というようなことを踏まえたうえで、まず具体的な映像からみてみよう。

どこか 夕方 (1:20:32)
(1)ロング・ショット。暗い海辺の丘。下方から上方へパン。海を挟んだ半島。水平線に沈もうとしている夕日。茜色と灰色が混じった雲(S083と同一)。
(ディゾルヴ)

ホテル 外部 (1:20:37)
(2)(ディゾルヴ)
テラス状になったホテルの二階の通路から、階下を見ているアリスのバスト・ショット。アリスはノー・スリーブの黒いドレスを着て画面右端に立ち、通路の黒い金属の手すりに両手を乗せている。ピートの車の音を聞きつけて前方右に視線を上げ、伸び上がり気味に手すりから身を乗り出すアリス。それとともに左下方へパン。画面中央あたりには、ホテルの受付の灯りの点った窓が見える。受付の建物の前、画面の左のほうには駐車場へ続くと思われるホテルの道路があり、そこにヘッド・ライトを点けたピートの黒い車が入ってくる。道路の奥に向かって、画面左に進むピートの自動車。それを追って左へパン。
アリス:(画面外から)Hey!
(3)アリスのバスト・ショット。画面の右に、二階通路の手すりに両手をかけ、眼下のピートの自動車を見下ろしている彼女を見上げるショット。
アリス: Up here!
(4)ミドル・ショット。ホテル内の道を画面左に向かって進むピートの自動車を、上斜め右から捉えたショット。それを追って、左へパン。道路に設けられたバンプ(障害帯)を乗り越えてゆっくり進ながら右へ曲がろうとする自動車。
アリス:(画面外から)Come on up, baby.
(4)アリスのバスト・ショット。画面の右に、二階通路の手すりに両手をかけ、眼下のピートの自動車を見下ろしている彼女を見上げるショット。
アリス:  I already got the room.
(5)ミドル・ショット。ピートの自動車の左側面を、上方やや左からおさめるショット。左腕を開けられた運転席のサイド・ウィンドウにかけ、右手でハンドルを操作しながら、ほほ笑みを浮かべてアリスのほうを見上げているピート。
(6)アリスのバスト・ショット。画面の右に、二階通路の手すりに両手をかけ、眼下のピートの自動車を見下ろして、ほほ笑んでいる彼女を見上げるショット。
(7)ミドル・ショット。ピートの自動車の左側面を、上方やや左からおさめるショット。そのまま画面の左端から走り去るピートの自動車。

ホテルの敷地の外 外部 夜 (1:20:55)
(8)ロング・ショット。ホテルに向かって近づく刑事たちの車の後部座席から、刑事たちの肩越しにフロント・ガラスをとおして見た、ホテルの外観。やがて、刑事たちの自動車は停車する。二階建てのホテルの白い壁、その前にまばらに立っている木々。オープンになった一階と二階の通路。通路の黒い鉄の手すり。二階の左のほうの通路で待っているアリスと、彼女に向かって左から近い付いてくるピートの姿が小さく見えている。
(9)ミドル・ショット。刑事たちの主観ショット。ホテルの二階の通路で身を寄せ合い、口づけを交わしているピートとアリスの全身のショット。二人の右には開け放たれた客室のドアがある。やがて、アリスを先頭に、二人は開けられていたドアから客室の中に入る。後ろ手にドアを閉めるピート。客室の青いドアが音を立てて閉まる。
(フェイド・アウト)

再び(前回に比べて簡易な)映像による「闇の到来の宣言」とともに、前回とりあげたシークエンスで発生した事象が、形を変えてリフレインされる。「監視/追及」のイメージである「二人の刑事たち」が登場するところも含めて、このシークエンスが提示する「ピートとアリスの逢引」は前回のパターンの完全な踏襲であるといえるだろう。ピート=フレッドは「アリス=レネエの代替イメージ」を手に入れ、とりあえずの彼の「希求」は満たされたわけだが、当然ながら一度手に入れた「希求の対象」を彼が手放すわけがない。リフレインされる「ピートとアリスの関係」は、フレッドが「アリス=レネエの代替イメージ」に固執し、「内面」においてそのイメージを繰り返し想起していることを指し示している。

興味深いのは、アリスが”ホテルの「二階」”でピートの到着を待っていることである。カット(2)からカット(7)をとおしてみればわかるように、ピートはアリスを見上げ、かつ彼女に見下ろされている。ピート=フレッドにとって、彼女が「見上げる対象」であること……つまりは「希求の対象」であることがこの「高低差」によって示唆されているわけだが、その状況はこのシークエンスにおいて変化する。アリスはピートに「上がって」くるように呼びかけ(カット(4))、彼がそれに応えて「二階」に上がり、彼女に合流することで最終的にこの「高低差」は解消されるからだ(カット(8)(9))。この「高低差の解消」が、ピート=フレッドが「アリス=レネエの代替イメージ」を手に入れ、「希求の対象」と同じ「高み」に至ったことを表象しているのは明らかだ。

そして、かわって「低い位置」に取り残され、ピートとアリスを「見上げる」のは「監視/追及の施行者」である「二人の刑事たち」である(カット(8)(9))。(0:25:33)の「フレッドの家」における「監視」のイメージ、あるいは(0:43:40)の「死刑囚房」における「監視」のイメージをみればわかるように、「監視/追求の対象」であるフレッドは同時に「見下ろされる対象」でもあった。以前にも述べたように、これは「監視/追求」のイメージから彼が受けている「威圧感」や「被害意識」の表れであると捉えられる。しかし、この「高低の位置関係」は、(0:54:29)(0:59:47)(1:09:49)の三回にわたって提示された「監視する者」と「監視される者」が「同一平面上」に存在するという描写を経て、このシークエンスにおいてついに逆転する。かつて「見下ろされる対象」であったフレッドは、(角度こそまだマイルドだが)「見上げられる対象」あるいは「見下ろす者」へと遷移するのである。

かつ、上記三つのシークエンスで採用されていた「画面の奥から監視者の自動車が近づき、アップになる」という(フレッドが感じていた)「威圧感」を伝える表現は、(1:18:56)に現れる「監視/追及のイメージ」以降は姿を消してしまう。あるいは、現在論じているシークエンスでは、「監視/追求の施行者」であるはずの「二人の刑事たち」は、(1:18:56)のシークエンスでは存在したような「感想(The fucker get more pussy than a toilet seat!)」を述べる機会も与えられない(ということは、彼らはフレッドの「代弁者」として十全に機能していないわけだ)。それどころか、このシークエンスにあるのは「刑事たちの肩越しにホテルを見る車中からのショット」(カット(8))と「刑事たちの主観ショット」(カット(9))のみであり、「刑事たち自身」はもはや映像としてすら明瞭には提示されずに終わる。そして、最終的にピートによって閉ざされる扉によって刑事たちの「視線」は遮断され、彼らは「監視者」としての機能=アイデンティティをも喪失してしまうのだ。

こうした「監視/追及のイメージ」の「変遷」が物語るものは明らかだろう。フレッドが抱いている「全能感」は、「前半部」「後半部」を通じて抜きがたく彼につきまとっていた「監視/追及のイメージ」をも矮小化してしまう。その矮小化はエスカレートし、「監視/追及のイメージ」から感じていた「威圧感/圧迫感」を払拭してしまうばかりか、むしろ「優越感」すら抱くに至るのである。

2009年4月29日 (水)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (42)

さて、ゴールデン・ウィークも間近となり、仕事関係をはじめアチコチ切羽詰りながらもチンタラと続く「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」についてである。今回は(1:18:22)から(1:20:32)までをば、ナニやらカニやらタコやらアワビやらすることにする。

この後、アリスはフレッドの「代弁者/代行者」としての機能を明確に表す。それは続く「ホテル」の室内におけるシークエンスの具体的映像からも明らかである。

ホテル 内部 夜 (1:18:22)
(1)アリスとピートのアップ。閉められるホテルのドア。ドアには「9」の表示がある。部屋の内部の壁はピンク色の光で照らされている。ドアが閉まると同時にキスを交わす二人。ピートの右側面からのショット。二人にクロース・アップ。何度もキスを交わしたあと、互いに見つめあう。
(2)アリスとピートの下半身のアップ。ピートの右手を両手で握り、スカートの上から自分の股間に導くアリス。アリスの手が離れたあとも、アリスの股間をさぐるピートの右手。
(3)アリスとピートのアップ。再び激しいキスを何度もする。
アリス: Take my clothes off...

カット(2)の映像が非常に端的に物語るように、アリスは積極的にピートを誘惑する。そしてそれに応える形で、ピート=フレッドは自らの「希求」を具体的行動として発露させる。つまりはこの局面においても、ピート=フレッドは自分が「行動の主体」であることを回避しているのである。もちろん、以前にも述べたようにこれは「欺瞞」以外のなにものでもない。図式的には彼女(のイメージ)を支配する「現実=ミスター・エディ」に対する「逃げ道」の用意としてこの「欺瞞」は描かれるが、これまでもみてきたようにそれは本質的には自分自身荷対する「言い訳」でしかない。「アリス」という「レネエの代替イメージ」を希求することが「幻想/捏造された現実」の崩壊につながる可能性があることをフレッドは認識しており、それがゆえに彼が「アリス」を手に入れることに対して「葛藤」を抱いていることは以前にも述べたとおりだ。アリスを「現実の支配」から引き離し自分のものにするためには、この「葛藤」は解消あるいは宥和されなければならならない。一連のシークエンスが描く”屈折したフレッドの「レネエに対する希求」”は、そうした宥和を目的としたものであるといえる。

ホテルの駐車場 外部 (1:18:56)
(4)ミドル・ショット。ホテルの駐車場に停められたピートの自動車を、右側面やや後方からとらえたショット。駐車場のすぐ前は壁のないホテルの通路で、そこには部屋の赤いドアが二つ見えており、ドアの上には黄色い照明が光を投げかけている。ドアとドアの間には、部屋の窓がある。右のドアの横の壁には二脚の椅子が、左のドアの横の壁には一脚の椅子が置かれている。駐車場と通路の間には、木が植えられており、画面の上三分の一程度をその木の葉がおおっている。
(5)アップ。ピートの張り込みをしている自動車の中の二人の刑事のアップ。運転席に座ったハンクの斜め右からのサイド・ウィンドウ越しのショット。画面奥には、ルーのアウト・フォーカス気味のバスト・ショット。二人はしぶい顔をしている。
ハンク:(小さく首を振って)The fucker get more pussy than a toilet seat!
ルーも首を振る。
(6)ミドル・ショット。ホテルの駐車場に停められたピートの自動車を、右側面やや後方からとらえたショット。

ここにも「監視/追及」のイメージとしての「二人の刑事たち」がリフレインされる。この「二人の刑事たち」もフレッドの「代弁者/代行者」として機能することを考えるなら、「ヤツは易々と女を手に入れる」というハンクの言及(カット(5))もまた、フレッドが抱いている「意識」や「感情」のある側面を反映していることになる。その観点にしたがうなら、ここでハンクが「代弁」しているのは「アリス=レネエの代替イメージ」を手に入れたフレッドの「歓喜」、あるいは彼が感じている「全能感」である。彼が「ピート」として存在するかぎり、「監視/追求」の施行者であるはずの刑事たちがまったく手を出せないという状況には以前と何ら変わりはない。それに加え、ここに至ってフレッドは「希求の対象」を手に入れるが、それに対しても「監視者たち」は完全に無力である。すべてはフレッドの思うがままであり、彼の「都合のよい」ように展開する。「後半部=ピートを核にした幻想/捏造された現実」が始まったときと同様、フレッドは自分が「全能」であることに酔いしれている。その「裏返し」が二人の刑事たちの「渋い表情」であり、ハンクの言及であるわけだ。

そして、このフレッドが感じている「全能感」は以降のシークエンスにも引き継がれる。

ホテルの部屋 内部 夜 (1:19:07)
(7)ミドル・ショット。ベッドの上で性交しているピートとアリスを右側面から捉えたショット。アリスにのしかかり、腰を振っているピート。画面中央奥のシェードが半ば降りた窓からさしこむオレンジ色の柔らかい光にぼんやりと照らされている室内。窓際には白い傘の電気スタンドが見える。窓の右横には開かれたカーテンと、木張りの壁。
(ディゾルヴ)
(8)アリスの右目あたりのクロース・アップ。アウト・フォーカスからイン・フォーカスへ。画面左からの照明で、彼女の顔の左半分は影になっている。
(素早いディゾルヴ)
(9)ピートの左目あたりのクロース・アップ。画面右方向からの照明で、右目のあたりは影になっている。左から右へパンしてピートの左目が画面中央に来る。
(10)アリスとピートのアップ。横たわったアリスの顔を、上からピートがのぞき込むショット。画面左が頭方向、ピートの右側面、やや頭方向からのショット。アリスが右手の人差し指の腹で、ピートの顎のあたりを愛撫している。ピートの右手は、アリスの髪を撫でている。アリスは顎を愛撫していた右手の人差し指をピートのペンダントにかけ、それを下に引っ張ってピートの頭を引き寄せ、口づけを交わす。一度唇を離したピートは、自分の顔を右によせ、再度アリスにキスをする。三度、キス。
(ディゾルヴ)
(11)アリスとピートのアップ。二人はすでに服を着ている。画面左のアリスが、キスをしながらピートを右方向に押していく。背後の壁にピートの背中が行き当たるが、そのままキスを続ける二人。画面の左端に窓の端が見える。二人にクロース・アップ。一度離れ、今度はピートの方からキスをする。また離れ、ピートが首の角度を変えてまたキス。アリスがピートの顔に広げた右手を伸ばしてキスをする。
アリス: I want more!
ピート: Me, too.
キスする二人。顔を離すアリス。ピートはそれを追いかけてキスしようするが、アリスは頭を後ろにひいてそれを許さない。
アリス:(笑いを浮かべながら)Can I call you?
ピート: Yeah, Call me at home. I'll give you the number.(笑みを浮かべる)
頬をすりあわせ、やがてキスをする二人。右手をピートの頭の左側面に伸ばす。
アリス: OK, baby.
(ディゾルヴ)

カット(7)からカット(10)にかけて、ピートが「アリス」と激しい性交を行う様子が描かれる。この二人の様子は、「前半部」において「レネエ」とフレッドの性交が不首尾に終わること(0:12:25)が示唆されていたのとは対照的であるといえる。「レネエ」がフレッドとの行為の最中もほとんど「感情」を表さなかったのとは異なり、「アリス」はきちんとピートとの性行為に「満足」し、最終的にはより一層の「希求」を表明する(カット(11))。このアリスの言動が、フレッドの「満足」もしくは「希求」を「代弁/代行」していることは指摘するまでもない。また、辛辣な見方をするなら、「アリスが満足し一層の希求を表明すること」自体がフレッドの「希求」に包括されているともいえるだろう。

だが、この「アリスとピートの関係」もまたある種の「欺瞞」でしかないことは指摘するまでもないはずだ。なぜならフレッドもしくはピートと女性たちの「性行為」(とみえるもの)は、それがフレッドの「幻想/捏造された現実」の内部において発生している事象であるかぎり、実は「幻想」でしかないからだ。それはいわばフレッドの「自慰行為」でしかなく、どのように「他者との関係性」が成立しているように見えるとしても、そこにあるのはフレッドと「イメージ」との間にむすばれた「一方的な関係」なのである。それを端的に表しているのが「不首尾に終わるフレッドとレネエの性行為」のシークエンスであり、特にレネエがほとんど無反応であることはきわめて示唆的であるといえる。だが、前述したように、「ピートとアリスの性行為」も「幻想」としての本質においてまったくの差異はなく、これは「ロスト・ハイウェイ」が描く「性行為」全般(「映像内映像」として現れるものも含めて)について共通して指摘できることになる。

こうしたことを念頭においてこのシークエンスをみたとき、興味をひかれるのはカット(8)からカット(9)にかけての映像……「アリスの右目のアップ」と「ピートの左目のアップ」がデゾルヴによってつなげられる映像である。まずこの二つの映像は、明らかにアリスとピートが「対置される存在」であり、かつ「対称的な存在」であることを示唆している。つまり、二人はともにフレッドの「代弁者/代行者」であり、それぞれが(ときとして背反する)彼の「意識」あるいは「感情」を表象しているということだ。

示唆的なのは、「アリスの顔の右半分」と「ピートの顔の左半分」を瞬間ディゾルヴで重ね合わされた瞬間、左右が揃った「一つの顔」が完成することである。前段で触れた”フレッドの「意識」あるいは「感情」の表象としてのアリスおよびピート”を踏まえるなら、この「完成した一つの顔」が「フレッドの意識の総体」を表わすことはいうまでもなく、であなるならばこの「顔の統合」がアリスとピートそれぞれの顔の「影」の部分……つまり「闇」の部分を糊代にしてなされることも、リンチ作品における「夜」と「闇」のモチーフが表すものを踏まえるなら、あるいは当然であるかもしれない。

ピートの自動車 夜 (1:20:16)
(12)(ディゾルヴ)
ピートとアリスのアップ。自動車に乗っている二人を、ウィンド・シールド越しに右斜めから撮ったショット。ハンドルを操作しているピート。目をつぶり、彼の右肩に頭を乗せるアリス。それを見下ろすピート。正面に視線を戻し運転を続けるピート。ピートの右肩に頭を乗せたまま、彼を見上げるアリス。それを見下ろすピート。また正面に顔を戻して運転を続けるピート。
(フェイド・アウト)

この映像は、(0:33:04)で提示された「車中のレネエとフレッド」のリフレインでありヴァリーエションであるといえる。ヴァリエーションで有り得るのは、アンディの屋敷から帰宅する途中のレネエとフレッドの間には不和と諍いしかないのに対し、このショットにおけるアリスとピートはその真逆であるという点においてだ。その意味合いにおいて、直前のシークエンスにおける「ピートとアリスの性行為」と同じく、これはフレッドにとって「あったかもしれないレネエとの関係」あるいは「構築したいと思っていたレネエとの関係」だといえる。

だが、作品の各所で示唆される映像をみるかぎりにおいて、そうした関係の成立を阻害していたのは実はフレッドによる「一方的な関係の強要」に他ならないのも確かだ。かつ、フレッド自身はその阻害要因が”「現実のレネエ」のコントロール不能性”にあると理解していること……いいかえれば”阻害の責を「現実のレネエ」のコントロール不能性に帰したいと「感じている/考えている」”ことも明白なのである。そもそもその「幻想」の根幹において、フレッドは徹底的に「遁走」しているのだ。

2009年4月19日 (日)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (41)

てなことで慌てず急がず続く「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」のお話であったりする。今回は、前回に引き続き(1:14:56)から(1:18:22)までのシークエンスを追ってみる。

前回述べたように、(1:15:19)から(1:18:22)までのシークエンスにおいて、ピート=フレッドは葛藤のすえ「アリス=レネエの代替イメージ」を自分のものにする決意を下す。いわば”フレッドの「感情」が「理性」に勝った瞬間”であるわけだが、しかし、あるいは「ロスト・ハイウェイ」は編がそうした「瞬間」を描いているといえなくもないだろう。それはさておき、前回触れたようにこのフレッドの「内面」で発生している”「アリス=レネエの代替イメージ」への傾倒”は、彼にとって非常に大きな「心理的変遷」であるといえる。そして、(1:14:56)から(1:15:19)までのシークエンスで提示される「夕刻から夜へと移り変わる情景」の映像が、その変遷のキーとなっていると考えられることを前回の最後で触れた。

なぜそう考えられるのか? それを述べるうえで触れておきたいのは、リンチ作品における共通モチーフとしての「夜」あるいは「闇」である。この共通モチーフに関しては、Greg Olson氏がリンチに関する伝記「Beautiful Dark」において何度か触れているが、たとえば「エレファントマン」に現れる「夜」についてOlson氏はこのように指摘している。

メリックにとって「良い事(good things)」が(たとえばトリーヴスによる教育や、ケンドール夫人とのロマンティックな語らいや、病院にずっと住み続ける許可が伝えられるといったことが)「昼」に発生し、「悪い事(bad things)」が(病院の夜警が酔っ払いたちにメリックを見せびらかすといったようなことが)「夜」に発生するというパターンをリンチは辿る。

また、「ブルーベルベット」においてジェフリーがみた「夢」のシークエンス(0:52:15)などに現れる「闇」への言及に関して、Olson氏はこのように述べる。

脅迫者であるフランク・ブースは「さあ、闇だ(Now it's dark)」と宣言する。それはいたぶる対象を発見したという宣言であるとともに、彼の歪んだ精神から飛び出さんと待ち構える飢えた野獣のような悪魔を召喚する呪文でもある。あるいはリンチが作詞したジュリー・クルーズの「Into the Night」では、「闇が来た(Now It's dark)」というフレーズが、失恋し悲しみにくれる女性を涙の暗い海に送り出す。リンチにとって「闇」は邪悪や恐怖、悲嘆あるいは苦痛が存在するところである。と同時に「闇」は幻想が育まれる肥沃な大地であり、創造的な自己発見と遠大な精神的航海の王国でもあるのだ。

つまり、リンチ作品における「夜あるいは闇」は、(往々にしてネガティヴな)「隠されたもの」や「不可視のもの」が姿を表し、可視化されるところであるといえる。「夜あるいは闇」のなかでは、物事の「境界」……たとえば「内面」と「外界」を区分けする「境界」(それは「家」であったり「人間」そのものであったりする)は暗闇に溶け込み、見えなくなってしまう。かつ、リンチの映像作品において「見えないこと」は「存在しないこと」と同義であり、「境界」を見失うことはその存在が消失することを意味する。このような機序にしたがい、リンチ作品に「夜あるいは闇」が訪れるとき、「内面」に隠されていた不可視のものは、「外界」(に相当するもの)に向かって解放されこぼれ出すのである。

このような視点を念頭におきつつ「ロスト・ハイウェイ」を観たとき、ある興味深い点に気づく。現在論じているシークエンス以降、「後半部」が提示する映像は、一部のシークエンスを除いてほとんどが「夜」において展開されるのだ。具体的にいうと、その「夜」でないシークエンス(「昼」のシークエンス)とは以下の二箇所である。

・「ミスター・エディ」が「自動車工場」を訪れ、拳銃でピートを脅すシークエンス(1:26:39)
・「友人(アンディ)に紹介された仕事の顛末」に関するアリスの「言及」を映像化したシークエンス(1:31:18)

この二つのシークエンスの「共通項」は明らかだ。その「性質」の差異はあるとしても、これらのシークエンスで発生している事象にはともに「ミスター・エディ」が登場しており、つまりは「現実」のイメージに紐付けられているのである。このような点を踏まえつつ今度は「前半部」を振り返ってみると、「ビデオ・テープの到着」「刑事たちの訪問」といった「現実」のイメージに関連づけられる事象は「朝」あるいは「昼」において発生しており、それ以外の事象は(アンディの屋敷でのフレッドとミステリー・マンとの邂逅を含めて)すべて「夜」において発生していることがわかる。ごく大雑把に定義するなら、「ロスト・ハイウェイ」の作品全体をとおした基本構造として、「昼」は「フレッドの現実」と関連付けられ、それに対し「夜」は「フレッドの幻想」に関連付けられているといえるのだ。

「ロスト・ハイウェイ」の「全体構造」からみた「夜」と「昼」が指し示すものをこのように仮定したとき、問題となっている(1:14:56)から(1:15:19)の「夕刻から夜へと向かう情景」が何を表象しているのかが、なんとなくみえてくる。そう、これは映像による「さあ、闇だ(Now it's dark)」という宣言なのだ。その「宣言者」はもちろんフレッドであり、その意味でこれらの「情景」もまた”彼の「内面」の反映”に他ならないのである。

フレッドの「内面」に「夜」が訪れ「闇」が広がるとき……すなわち彼が「幻想」に向かって傾くとき、彼の「内面にあるもの」は境界を越えて「表層化」する。フレッドの「感情」は赤裸々になり、「レネエに対する希求」も剥き出しになる。それに応え「アリス」は「ミスター・エディ=現実」の軛(くびき)を逃れ、フレッドにとって「都合のよい幻想」の「代弁者/代行者」としての機能をあらわにする。あるいは逆に、フレッドが自らの「感情」や「希求」に傾斜し、それにしたがった「幻想」が構築されるとき、彼の「内面」は「夜」と「闇」へと向かうと捉えることも可能だろう。いずれにせよ、前回および今回とりあげている一連のシークエンス……「夕刻から夜へと向かう情景」と「自動車工場を訪れるアリス」のシークエンスの関係性は、こうした「イメージの連鎖」のもとに成立していると考えられるわけだ。

しかし、具体的映像を観たとき、上記のような「定義」に当てはまらないと思われるシークエンスがいくつか存在するのも確かである*。たとえば「後半部」が始まった直後のシークエンス……「死刑囚房におけるピートの発見」から「ピートの自宅への帰還」そして「裏庭でくつろぐピート」といった一連のシークエンスは、こうした「夜」と「昼」の対置から外れているのではないだろうか? これらのシークエンスで発生している事象は、フレッドがピートという「別人格」へと「遁走」した結果発生したものであり、彼の「幻想/捏造された現実」以外のなにものでもないはずなのに。

あるいはこうした疑問に対して回答を与えてくれるのが、「ターニング-2」における「ミスター・エディの死体」のショット(2:07:15)……「夜」が明けつつある砂漠に横たわる「ミスター・エディの死体」から上方にパンしたカメラの視点が、最終的に山の端の曙光をとらえるショットである。”「ミスター・エディ=ディック・ロラント」の死”がフレッドにとっての「現実の消滅」を表象していることに関しては、これまでも何度か触れたとおりだ。だが、フレッドの「幻想」から「現実」が消滅するということは、「完全なる幻想」が構築されたこと、あるいは「彼に都合のよい現実の捏造」が達成されたことと同義である。このように考えれば、「ミスター・エディの死」によって、「闇」が消失し「朝」が訪れるのは非常に象徴的な事象であることがわかるだろう。「現実の消滅」=「完全なる幻想」=「捏造された現実」の等号式が成立するとき……すなわち「幻想」がフレッドの「内面」を支配し、「幻想」こそがフレッドにとって「現実」となったとき、「夜」もまたフレッドにとっては「昼」となるのである。そして、大きな作品の流れからとらえるなら、この「ミスター・エディの死とともに訪れる朝」のショットは、今回論じている「夕刻から夜へと向かう情景」と対置され「括弧」を形成するものといえるのだ。

こうした観点に立つならば、前述した「後半部」が始まった直後のシークエンスが「昼」であることも、なんら不思議ではないだろう。構築されたばかりの「ピートを核にした幻想/捏造された現実」はまだ「現実による侵入」を受けておらず、その意味で「幻想」として瑕疵がない。そこに初めて「夜」が訪れるのは(0:56:33)からの「友人たちがピートを訪れる」シークエンスであり、その際に友人の女性は「(ピートに)何が起きたのか?(Yeah, what happend?)」という「現実」に関連する質問を発している。また、それに続く同じく「夜」である「ボーリング場」のシークエンス(0:58:00)では、シーラによって「あの夜(other night)」に関する言及がなされる。いいかえれば、「夜」が訪れるのは「昼」との対比あるいは「幻想」と「現実」の対比が発生した時点においてであることになる。そのような対比そのものがなく、フレッドの「幻想」のみしか存在しないあいだは、そもそも「昼」と「夜」の対置性に基づいた「定義」自体があてはまらないわけだ。

あるいは、前述した「砂漠に横たわるミスター・エディの死体」のショット以降、フレッドが自宅のインターフォンに向かって「ディック・ロラントは死んだ」と告げるシークエンスが「昼間」において展開されることも、きわめて妥当であることがわかるだろう。また、その直後、フレッドが警察のパトカーに追跡されつつ「遁走」する間に、また「夕暮れ」が訪れすぐに「夜」に変わることも。このように、「ロスト・ハイウェイ」における「夜」と「昼」は、”「フレッドの内面」で発生している「感情」の描写”という基本テーマにきわめて密着した形で発生しているのである。


*「後半部」における「ミスター・エディとミステリー・マンが、電話でピートを脅す」シークエンス(1:38:17)などもこれに当てはまらないと思われるのだが、これらに関しては当該シークエンスについて触れるときに述べることにする。

2009年4月12日 (日)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (40)

てなことで続く「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」のお話であったりする。今回は(1:14:56)から(1:18:22)まで。まずは、具体的な映像から。

どこか 外部 夕刻 (1:14:56)
--Will last forever...
(ディゾルヴ)
(1)ロング・ショット。夕焼け。近くの山、遠くの山。その間に広がる雲海。右から左へパン。沈もうとしている夕日が視界に入ってくる。茜色の雲。夕日が画面真ん中までくるまでパン。
(ディゾルヴ)
(2)ロング・ショット。暗い海辺の丘。下方から上方へパン。海を挟んだ半島。水平線に沈もうとしている夕日。茜色と灰色が混じった雲。空が画面の上三分の一を占めるまでパン。
(ディゾルヴ)
(3)ロング・ショット。都市の夕方。藍色に染まっている、雲が浮かんだ空。画面下端には灯りが点っている建物。空と建物が接しているあたりの雲は、夕焼けの茜色のなごりがある。

このように「This Magic Moment」をサウンド・ブリッジにしつつ、映像はディゾルヴによってピートのアップから「夕暮れの山々」や「日没の海辺」、そして「街部の夜空」といった情景へと変遷する。ごくストレートに捉えるなら、このシークエンスは、直前および直後のシークエンスの間に発生している「時間経過」を途中経過を省略しつつ示すものとして了解されるはずだ。具体的映像においても、現在論じているシークエンスの直前に提示されていたのは”ミスター・エディに連れられて「アリス」が自動車工場を訪れた「昼間」”のシークエンス(1:12:50)であり、直後に提示されるのは”ピートが「職場」での仕事を終えて工員仲間と談笑している「夕刻」”のシークエンス(1:15:19)である。この間に発生している「時間経過」は、現在論じているシークエンスが提示する「時間経過」と一応は合致しているわけだ。

だが、作品全体を見回したとき、このシークエンスは少なからず「奇異」である。少なくともこのシークエンス以前には、このような表現は……「山部や海辺の情景」のような前後のシークエンスとはまったく無関係な情景が、それこそいわゆる「イメージ映像」のように挿入されるといった表現は存在しない。というより、これまでみてきたように、「ロスト・ハイウェイ」が(あるいはリンチ作品のすべてが)フレッドの(あるいは各作品の登場人物の)「感情」や「意識」をキーにした「イメージの連鎖」によってそのコンテキストを構築しているならば、このような表現の採用はむしろそれを阻害するものでしかない。

では、このシークエンスが提示するものがいわゆる「イメージ映像」的な発想に基づくものでなく、ひいては単純に作品中の「時間経過」を示唆する表現に収まらないと仮定したとき……すなわち、これまでの諸映像がそうであったように”フレッドの「感情」や「意識」を表象するもの”であるとしてみたとき、この「夕刻」から「夜」に向かうこの一連の映像は何を表象していると考えられるのか? それについて論じる足掛かりとして、まずは続く(1:15:19)から(1:18:22)に至るシークエンスにおいて提示されている事象がどのようなものかを確認しておきたい。

アーニーの自動車修理工場 内部 夜 (1:15:19)
(4)ミドル・ショット。仕事が終わり、工場内で談笑している修理工たち。ピートは作業ツナギの上半身をはだけ、黒のTシャツ姿で画面に背中を向けている。ピートに煙草の火をつけてもらう黒人の修理工。二人の間には、腰までぐらいの高さの赤い移動工具棚がある。工場内の照明は落とされ、この二人の左あたりだけが天井からの照明で明るくなっている。二人の向こうには白い作業台があり、その上にはいろいろな工具類が置かれている。工具台の向こうにも二人の修理工が、その右手の赤色の工具らしいものの右、画面の右端にも修理工が一人立っている。
(5)ミドル・ショット。(1)のショットのアップ。画面に背中を向けて立っているピートの、腰から上の後ろ姿。彼と向き合って煙草を吸いながら話している黒人の修理工。その背後では、フィルがもうひとりの黒人の修理工と談笑している。
ピート:(右腕を振りながら)Well, he's the boss.
(6)
ミドル・ショット。工場内から工場の入り口をみるショット。暗くなった道路。向かいの店の照明とネオン・サインが見える。画面左から黄色のタクシーがゆっくりと現れ、入り口に停車する。
(8)ミドル・ショット。工場内のショット。画面に背中を向けているピートの腰から上の背中。左手に煙草を持ち、彼と話をしている黒人の修理工。二人の背後を、画面手前、工場の入り口のほうを見ながら、フィルが画面右から左へと移動する。
(9)ミドル・ショット。工場内から工場の入り口を見るショット。停車したタクシーの右後部ドアを開けて、白いミニ・ドレス姿のアリスが降りてくる。後ろの道路を激しく行き交う自動車の列。自分の右背後を半ば振り返り、ドアを閉めるアリス。バッグを腰の前あたりに両手で持って、工場の入り口に立ちつくす。その背後で発車し、画面右に消えていくタクシー。
(10)ミドル・ショット。工場内のショット。画面に背中を向けているピートの腰から上の背中。左手に煙草を持ち、彼と話をしている黒人の修理工。二人の右手に立ち、入り口のほうを見ているフィル。
フィル: Holy smokes!
左に振り向いて、入り口のほうを見るピート。その左手に持っていた煙草を口にくわえ、画面左のほうを見る黒人の修理工。
(11)ミドル・ショット。工場内から工場の入り口を見るショット。バッグを両手で体の前に持ち、画面左三分の一あたりに立ち尽くしているアリス。彼女の背後では、右方向に向かう自動車が速度をゆるめ、停車し始める。
(12)ミドル・ショット。好場内のショット。ややひいたショット。左に半身になり、工場の入り口のほうを振り返っているピート。その左には移動式工具棚に手をつき、身を乗り出すようにして、画面手前の入り口のほうを見ているフィル。その右で煙草をふかしている黒人の修理工。彼らの背後、背の低い作業台の向こうに立っている黒人の修理工。やがてピートは向き直り、画面手前に向かってゆっくりと歩き出す。
(13)ミドル・ショット。工場内から工場の入り口をみるショット。画面手前、工場の内部に向かって歩き始めるアリス。
(14)ミドル・ショット。工場内のショット。画面手前、工場の入り口に向かって歩くピート。
(15)ミドル・ショット。工場内から工場の入り口をみるショット。歩き続けるアリス。腰の上あたりまでのショットから、アップまで。それに連れて右にパン。ピートの左肩越し、彼の左後頭部を収めたショットになる。
(16)ピートのアップ。アリスの右肩越し、彼女の右後頭部を収めたショット。ピートの背後には、アウト・フォーカスになった工場内が見える。アリスを見つめるピート。
ピート: Hi.

見てのとおり、このシークエンスで描かれているのは「アリスの再訪」……すなわちフレッドの「幻想/捏造された現実」の内部における「レネエの代替イメージの再発生」という事象である。前回彼女が現れたときと同じように(1:12:50)、あるいはそもそもミスター・エディが初めて姿を現したときと同じように(1:00:14)、今回のアリスも「自動車工場の入り口」という開口部を通じた「外部からの侵入」というパターンを踏襲して現れる(カット(9))。だが、彼女が初めて「自動車工場」に現れたときとの「差異」は簡単に見て取れるはずだ。そう、そこには「現実=ミスター・エディ」の姿が欠落している。前回の彼女がミスター・エディの運転する自動車に乗せられて……つまり、彼の「支配下」におかれた状態で現れ退場したのに対し、今回の彼女は「タクシー」という手段を「自己の意思」で使い、ミスター・エディの支配を逃れて単独で姿を現すのだ。

もちろんこの「アリスの再登場」という事象自体がフレッドの「意識や感情の反映」として発生していることは自明であり、端的にいえばその発生の要因が彼の「レネエに対する希求」であることは指摘するまでもないだろう。この「希求」の存在は、カット(12)およびカット(14)における「レネエに向かって近づくピート」の映像にも表れているといえる。ピート=フレッドが「恋人(の幻想)」であるシーラに充足しておらず、そのために「アリス=モデファイされたレネエ=レネエの代替イメージ」がフレッドによって構築されたと考えられることについては、以前に指摘したとおりだ。ということは、基本的に「アリス」のイメージがフレッドの「幻想」の一部であり、彼女もまた彼の「代弁者/代行者」として機能すると同時に、彼にとって「都合のよい存在」であることを意味している。続いて提示される具体的映像からも、これらの諸点は明瞭に認められる。

(1:16:20)
(17)アリスのアップ。ピートの左肩越しのショット。少し左に首をかしげ、笑みを浮かべながらピートを見るアリス。
アリス:
I'm Alice Wakefield.
ピート: Pete Dayton.
目をつぶり、また開けてほほ笑むアリス。彼女の背後の道路を行き交う自動車。
アリス: I was here earlier.
(18)ピートのアップ。アリスの右肩越しのショット。笑みを浮かべ、何度か小さく頷くピート。
ピート: Yeah. I remenber.
(19)アリスのアップ。ピートの左肩越しのショット。笑みを浮かべたまま、黙ってピートをみつめるアリス。
アリス: How'd you like to take me to dinner?
(20)ピートのアップ。アリスの右肩越しのショット。笑うピート。
ピート:(首を振りながら)Uh, I don't know, I...
(21)アリスのアップ。ピートの左肩越しのショット。目をつぶり、また開けて笑い掛けるアリス。
アリス:(少し顎を突き出し)OK. Why I don't take yo to dinner?
(22)ピートのアップ。アリスの右肩越しのショット。笑いが消え、真剣な顔のピート。頬を膨らませた後、口を切る。
ピート: Look, uh...I don't think (首を振りながら)this is a very good idea.
(23)アリスのアップ。ピートの左肩越しのショット。しばし黙ったあと、無理をして笑みを浮かべるアリス。目をつぶり、左に首をかしげ、また目を開けて尋ねる。
アリス: Do you have a phone?
(24)ピートのアップ。アリスの右肩越しのショット。真剣な表情で、少し沈黙する。
ピート: Yeah. It's right,(自分の右を見ながら、画面外でそちらを指差し))it's right there.
再び、アリスと向き合うピート。
(25)ミドル・ショット。ピートの左側面からの、アリスとピートのツー・ショット。首をかしげてピートを見つめているアリス。首を突き出すようにして、アリスをみつめているピート。
アリス: I'm going to have to call myself another taxi.
二人の背後には、上半分がガラス窓になった、赤く塗られた仕切りが見える。仕切りのガラス窓越しに、工場の内部が見えている。白い横方向のシャッターは閉められ、その向こうに照明のついた赤や青の看板、道路を走る自動さのヘッド・ライトがアウト・フォーカスで見えている。左を向き、画面手前に背中を向けながら、仕切りの壁ぎわの電話機に向かって歩くアリス。画面手前に背中を向け、彼女を見守るピート。右手で受話器を取り、耳に当てながらピートを振り返るアリス。
(26)ピートのアップ。アリスを見ているピートの正面からのショット。鼻から煙草の煙を出すピート。
アリス:(画面外で)Hello?
(27)ミドル・ショット。仕切りの壁ぎわで、ピートに右半身を見せながら電話を掛けているアリス。その右には、それを見守っているピートの背後の腰から首あたりまでが見える。
アリス: Ban Nuys? Could I have the number for Vanguard Cab?
(28)ピートのアップ。アリスを見ているピートの正面からのショット。
(29)ミドル・ショット。仕切りの壁ぎわで、ピートに右半身を見せながら電話を掛けているアリス。その右には、それを見守っているピートの背後の腰から首あたりまでが見える。画面に背中を向け、タクシー会社の電話番号を書き留めるアリス。
(30)ピートのアップ。アリスを見ているピートの正面からのショット。やがて意を決したように前に進み、画面左に消える。
(31)ミドル・ショット。画面に背中を向け、右手に受話器を持ち左手にバッグがぶらさげつつ、タクシー会社の電話をかけるアリス。彼女に近づいていくピートの後ろ姿。それを追って、前進するショット。
アリス: Hello. Yes, I need taxi. Arnie's Garage, the cotner of 5th...
少し右にパンしつつ、二人のバスト・ショットになるまでクロース・アップ。アリスが持っている受話器に右手を伸ばすピート。それを取り上げ、うつむき加減に左側面をみせながら耳に当てる。
ピート: Hello? Uh, yeah, we're not going to need that cab. Thanks.
画面右手のピートのほうをやや振り返るアリス。そのまま受話器を電話機に戻すピート。彼はアリスを見る。笑みを浮かべながらピートのほうに向き直るアリス。仕切りに背中を向け、ピートを見つめる。しばし、黙ったままみつめあう二人。やがて、アリスはピートのほうに二歩近づく。
アリス:(しばらく躊躇ったあと)Maybe we should just skip dinner.

カット(19)以降に描かれているアリスの「言動」は、フレッドにとってこれ以上ないほど「都合のよい」ものであることは論をまたない。アリスはピートを「食事」に誘い、彼のほうは「どうかな(I don't know)」と応える(カット(20))。要するに、(1:08:48)におけるピートとシーラの遣り取りの「ヴァリエーション」をこの二人はリフレインしているのだ……ただし、「男女の位置」を逆にした形で。これがフレッドによる巧妙な「自己弁護」であり、「欺瞞」でしかないことは明白だろう。シーラのときと違い、彼はあくまでこの再度の邂逅を意図したのは自分ではなく、アリスであることにしたいのである。そのほうが彼にとって「都合のいい」ことは、たとえば今この瞬間アリスが「ミスター・エディ=現実」から分断されているとしても、彼女が基本的に「現実」のイメージを付随させその支配下にあることを考えれば明らかだ。このシークエンスの具体的映像においても、彼女は「工場」の「外界=自動車が行き交う道路」を背にし、それと関連付けられていることがわかる(カット(9)(11)(17))。

なによりもミスター・エディが備える「直截な力」に関しては、「山道」のシークエンス(1:02:57)における事象をとおしてピート=フレッドもよく知るところだ。であるからこそ、(フレッドに都合よく)なおも迫るアリスに対して、ピートは「それはあまりいい考えではないと思う」と婉曲に断らざるを得ない(カット(22))。繰り返しになるが、フレッドは「レネエの代替イメージ=アリス」を構築しておきながら、同時にそのイメージが自分にとって危険なものであることを……「ミスター・エディ=現実」による「幻想/捏造された現実」への「介入/侵入」を発生させる可能性を秘めたものであることを認識している。あるいは「前半部=幻想/捏造された記憶」が、”「ビデオ・テープ」によって表される「ありのままの記憶」”や”コントロール不能な「現実のレネエ」のイメージ”の侵入によって崩壊させられたことも、フレッドにとっては苦い経験だったはずだ。そもそもそれを踏まえて、フレッドは自分とは大きくかけ離れた「人格」であるピートを核にした「幻想/捏造された現実」を構築したのではなかったか? ピートはこうしたフレッドの「意識」を、その言動によって忠実に「代弁/代行」するのである。

その一方で、前述したように、アリスもフレッドの「意識/感情」を……つまり彼の「レネエに対する希求」を「代弁」し、彼が「意図」する行動を「代行」する存在である。となれば、このシークエンスにおける「ピートとアリスの遣り取り」もまた、「ピートとシーラの会話」(1:10:08)あるいは「ピートとフィルの会話」(1:11:45)と同じく、フレッドの「内面」で発生している二律背反的な「葛藤」を表象していることがわかるだろう。はたして自分=フレッドは、「希求」にしたがって「アリス」を手に入れるべきなのか?

こうしたフレッドの「内面」に発生している「葛藤」を踏まえるなら、カット(23)にみられる彼女の表情が意味するものも、また別な観点から捉えられるはずだ。ストレートに考えるならば(つまり、ナラティヴな観点からみるならば)これは男から誘いを断られた女性の内心を語るものだ。だが、アリスをフレッドの「代弁者/代行者」として考えるなら、これは「希求の対象」をあきらめようとした瞬間にフレッドの「内面」をよぎったものを「代弁」していることになる。

ピートに「誘い」を断られたアリスは、再び「タクシー」で去ろうとする(カット(31))。彼女がタクシーを呼ぶために使用しようとするのは、「前半部=幻想/捏造された記憶」において、何度も繰り返し「外界との間接的接触手段」として登場した「電話」である。しかし、その「外界との接触」をピートは遮断する。その後彼が(あるいは彼らが)とった行動をみるなら、このピートによる「電話の切断=外界との接触の遮断」が表象するところは明白だろう。彼は「外界=現実」との接触を拒否し、自らの「内面」を、そしてそこで発生している「感情」を優先するのだ。彼は「レネエの代替イメージ=アリス」への「希求」を選択する決意をしたのであり、それはカット(30)における彼の表情からも明らかだ。

これまで述べてきたことからもわかるように、フレッドにとってはこれはかなり大きな「意識の変動」である。もちろん、この「変動」は、フレッドが抱いている「レネエへの希求」がどれだけ強いものであるかを物語ると同時に、彼が彼女を殺害するに至った「心理的経緯」を我々=受容者が理解するための手掛かりを提示するものだ。一応、それらの事項を理解しつつも、我々はやはりこのシークエンスにおけるフレッドの「心理的変遷」の落差を思わずにはいられない。片方で「現実の侵入」への恐怖を抱きながらも、彼がこの「決意」に至る機序とはどういうものなのだろうか? あるいはその「変遷の落差」を埋め、作品の全体構造のなかで彼のこの「決意」が意味するものを明確にするのが、冒頭で挙げた”「夕刻」から「夜」へと変遷する映像”であるわけだが、その詳細に関しては次回に譲ろう。

(この項、続く)

2009年4月 2日 (木)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (39)

某集団の花見大会は、現地着が24時間遅れるという豪快な遅刻者を出しつつ(笑)、つつがなく終了。すげえ寒くて酔っぱらうはなから醒めて悪酔いしないという、日頃ダメダメな連中にはいいんだか悪いんだかよくわからない仕様のお花見でありました。いや、どーせ二次会以降の居酒屋でテッテ的にダメになってんだから、結局は同じなんだけどネ(笑)。以上、季節ネタでした。

てなことで続く「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」のお話であったりする。今回は(1:13:39)から(1:14:56)まで。

アーニーの自動車工場 内部 昼 (続き)(1:13:39)
(22)[This magic moment]
スロー・モーション。キャディに近寄るミスター・エディの背中のアップ。それが画面左に消えたあと、キャディの助手席に座ったアリスのアップが視界に入ってくる。目を伏せるようにして、左の画面外から差し伸べられたミスター・エディの左手を左手で握り、右手をシートの上辺にかけつつ、開けられた助手席のドアから車外に出るアリス。それを追って左上方にパンする視点。左側からミスター・エディの腹部が視界に入ってくる。車から降り、目を伏せたまま立ち上がる半袖の黒いドレスを着たアリス。
--This magic moment
ミスター・エディの背中がアウト・フォーカス気味に視界に入ってくる。立ち上がり、工場の入り口のほうに向かいながら、画面の手前、ピートがいる方向を見るアリス。歩くにつれ、ミスター・エディの体の陰に隠れてアリスは見えなくなる。
(23)ピートのクロース・アップ。右斜め前からのショット。画面左、アリスのほうを見ている。
--So different and so new, was like any other
(24)アリスのアップ。スロー・モーション。工場を出ていくアリスの、左斜め背後からのショット。左にパン。歩きながら左の肩越しに後方、ピートのほうをを振り返るアリス。画面左端には、金髪のボディ・ガードがこちらを向いて立っているのがアウト・フォーカスで見える。
--Untill I met you
(25)ピートのクロース・アップ。右斜め前からのショット。画面の左、アリスの方を見ている。
--And then it happened
(26)アリスのクロース・アップ。スロー・モーション。ミスター・エディのベンツに乗り込もうとしている、アリスの背後からのショット。右側に振り返り、画面手前、ピートのほうを見るアリス。ベンツの屋根が見えている。
--It took me by surprise
画面手前を見たまま、ベンツの助手席に座るために腰を下ろすアリス。それを追って下にパンするショット。ベンツの屋根から上部が視界に入ってくる。ベンツの向こうでは、運転席に向かうミスター・エディが、アウト・フォーカスで見えている。ベンツの右後部座席のドアの前には、黒髪のボディ・ガードが立っているのがアウト・フォーカスで見えている。
--I knew that you felt it, too
画面手前を見たまま、ベンツの助手席に座るアリス。その背後では、進み出た黒髪のボディ・ガードがミスター・エディのために運転席のドアを開けるのが、助手席の開いたドア越しにアリスの背後に見える。
(27)ピートのクロース・アップ。右斜め前からのショット。画面左手、アリスたちのほうを見ているピート。
--I could see it by the look in your eyes
(28)アリスのアップ。スロー・モーション。ベンツの助手席に座り、斜め右前方を見ている。その背後では、運転席のドアを開ける黒髪のボディ・ガードの右腕と胴がサイド・ウィンドゥ越しに見えている。
--Sweeter than wine
運転席に座り、ハンドルに右手を伸ばすミスター・エディが見える。閉められる助手席のドア。
--Softer than a summer's night
ドアを閉めている金髪のボディ・ガードの薄茶色のジャケットが、画面右端から視界に入ってくる。スモークのサイド・ウインドゥに映っている金髪のボディ・ガードの歪んだ顔。運転席を閉め終わり、後部座席のドアに向かっている黒髪のボディ・ガードが、サイド・ウィンドウ越しに見えている。
--Everthing I want, I have
助手席のドアを閉め終わり、後部座席のドアのほうに向かう金髪のボディ・ガード。j書首席のドア越しに画面手前を見ているアリスの前を横切り、画面左端から消える。
--Whether I hold you tight
(29)ピートのクロース・アップ。ピートの右斜め前からのショット。画面左、アリスのほうを見ているピート。画面外でベンツが走り去るのにあわせて、視線を自分の正面方向に移動させる。
--This magic moment
--While your lips are close to mine
(ディゾルヴ)

このシークエンスでは「スローモーション」が使われるとともに、そのバックにはルー・リードの「This Magic Moment」が流される。通常の映像文法的に捉えるなら、こうした手法は「客観的描写」から「主観的描写」への転換……すなわち、この作品に沿っていえば「作品内現実」からピート=フレッドの「感情」といった「内的部分」を描く映像への「転換」として理解されるものである。スローモーションをこのように「登場人物の感情を表象する(あるいは強調する)表現」として使用する手法自体は非常に「常套的」であり、おそらく特段の説明を必要としないだろう。このシークエンス関していうなら、「レネエのヴァリエーション」である「アリス」のイメージに対してピート=フレッドが「希求」を感じたことが表象(あるいは強調)されていることは明白だ。

しかし、見方によっては、これはある種の「過剰性」である。そもそもこれまで提示されきた映像がすべてフレッドの「内的なものの反映」であるならば、こうした「転換の手法」はいわば屋上屋を重ねるようなものである。この「過剰性」は、たとえば「前半部」の「幻想/捏造された記憶」のパートに登場する「フレッドの夢」(0:16:52)のシークエンスや、あるいは「フレッドとミステリー・マンの邂逅」のシークエンス(0:27:48)との対比においても明らかだ。そこで使われていたヴォイス・オーヴァーや「音楽の消滅」もまたこうした「過剰性」の範疇に入りかねないものだったが、構造上それを免れているといえる。なぜなら、これらの「フレッドの幻想」自体がむしろ「ありのままの現実」に限りなく近いものであり、彼の「捏造された記憶」のなかではそれが逆転して「夢/幻想」として語られていると捉えられるからだ。しかし、このシークエンスにおけるスローモーションあるいは音響(=音楽)は、ピート=フレッドが抱いた「感情の表象(あるいは強調)」としてストレートに表れている。

以前にも指摘したように、これはリンチ作品のある特性を表す好例といってよいだろう。リンチの諸作品におけるカッティイングは、基本的にハリウッド的な編集からはみ出さず、むしろそれを踏襲していることは明らかだ。このシークエンスの「スローモーション」や使用される音楽の選択もあまりに「常套的」であり……率直なところをいうと「ベタ」過ぎて、かえってある種の「異化作用」を狙っているのかとすら疑ってしまうほどだ。

だが、おそらく、そのような「異化作用」すらリンチが意図するものではない。基本的に非ナラティヴな作品でありながら、リンチの諸作品はナラティヴな作品……つまり、「物語」を伝えることに特化した映画作品群と同一の「外見(ルック)」をなぞる。そして、おそらくリンチ自身は自分の作品が(前述したような「過剰性」といった)ある種の「矛盾点」を抱えることになんの疑問も抱いていないようだ。先鋭的な映像作家の多くが、映像文法を自覚的に「放棄」したりあるいは「過剰」に用いることを通じて「映像文法自体」の「解体/再構築」を行い、「映像というメディア」の特性そのものに言及するのに対し、リンチはほとんどそうした方法論に目を向けない。リンチにとって「映画」とは(ざっくばらんにいえば)「ハリウッド映画の文法規範」によって作られる「べき」ものなのであり、そこからの「意識的な逸脱」は特に視界にないようだ。多くの評者がリンチ作品に「映画の記憶」を見い出し言及するが、そこに存在するのは特定の作品への「目配せ」の範疇を越えた、もっと根源的な部分……「ハリウッド映画が備える形式」の踏襲である。

それはリンチが「映画」を「動く写真」の延長線上に捉えていないこと、あるいはアンドレ・バザンのいう「本質的な客観性」を備えたものとは考えていないことを表している。あるいは「アリスが消滅する写真」(2:06:38)といった発想の根底にあるのは、そうした意識だ。基本的にリンチにとって、映画や絵画や写真といった「メディアの差異」は「個別のアイデアをどれが適正に表現できるか」を基準に選ばれる「選択肢としての差異」でしかない。そして、「インランド・エンパイア」によって宣言されたように、リンチが考える「映画」とは、やはりその「表現主義的なアイデア」を反映させることのできる「とびきり優秀な感情移入装置」に他ならないのだ。

さて、カット(22)にあるように引き続き「ミスター・エディ=現実」の介入を受けながらも、アリスに向けられるピートの「視線」は次第にエスカレートする(カット(23))。そして、カット(24)において、ついにピートとアリスは「視線の交換」に成功する。これはフレッドの「感情」をキーにして考えるなら、「アリス=レネエのヴァリエーション」からの「視線」を受け取りたいという「希求」の結果に他ならない。「現実の妨害」……というより、「レネエはすでに存在しない」という「現実」を乗り越えて、フレッドはピートを核にした「幻想/捏造された現実」のなかで究極の「レネエの代替イメージ」を構築したのだ。いうまでもなく、「アリス」もまたフレッドの「代行者/代弁者」として機能しており、彼女がピートと「視線」を交換するのはフレッドの「希求」に応えてのことである。

ピート=フレッドは「工場の内部」から、「工場の外部」を背景にした……つまり「外界」に関連付けられたアリスに向かって執拗に「視線」を向ける(カット(25)(27))。だが両者の「視線の交換」は一度は成立したものの、最終的にアリスはミスター・エディのベンツに「乗り」……すなわち彼女がミスター・エディの「コントロール下」におかれていることを明示しつつ、ボディ・ガードという「直截な力」が閉めるドアによって再びピートから「分断」される。手に入れかけたと思われた「希求の対象=アリス」は、またもやピートの手の届かないところにやられるのだ。カット(29)におけるピートの表情が、フレッドの複雑な「感情」を「代弁」する……はたして彼は自分の「希求」に従って、「現実」の支配下にある「アリス」を手に入れるべきなのか?

2009年3月22日 (日)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (38)

さて、非常にお陽気もおヨロシくなってきて、某集団主催のお花見大会も近づいてきた今日この頃。てなことで、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」についてである。いや、あんまし関係ないのだけれど、いつもいつもまったく季節感がないこと夥しいので、ちょいと時事ネタも入れてみよーかなと(笑)。そーいえば、そろそろNFLのドラフトも近くなって、レギュラー・シーズン全敗のデトロイトは果たしてドラ1でどのポジションを補強するのか、ワシントンは選手じゃなくてオーナーをドラフトで獲得できればいいのにね……って、ほら、なんと時事ネタが二つも(笑)。

なんのこっちゃな前振りが終わったところで(笑)、今回は(1:12:50)から(1:13:39)まで。

しかし、「ラジオの音楽」という形の「現実の侵入」を回避したのも束の間、「自動車工場」は再び新たな「侵入」を受ける。「ミスター・エディ=現実」が、先に宣言したように(1:06:57)「再訪」を果たすのだ。

アーニーの自動車修理工場(続き) 内部 昼 (1:12:50)
(11)ミドル・ショット。画面右半分を閉めるタイヤのアップ。画面左にはアウト・フォーカスで工場の赤い壁と、その後方の三つ並んだ大きな窓。下方にゆっくりとパン。それに連れて、画面左から入ってきた、白リボンのタイヤに黒いボディのキャデラックのオープン・カーにフォーカスがあう。逆にアウト・フォーカスになっていく画面右のタイヤのアップ。そのタイヤのアップにボンネットあたりまでを隠しながら停車するキャディ。助手席には金髪の女性が座っているのが見える。
[工場内に響くキャディのクラクション]
(12)ミドル・ショット。自動車の下に潜り込んで、修理作業を行っているピート。足元、左斜め下から見下ろすショット。クラクションの音を聞いて、自動車の下から滑り出るピート。少し体を起こしてクラクションの方向を見る。
(13)ミドル・ショット。修理工場内に停車している黒のキャディの右側面。助手席には金髪の女性が座ったままで、キャディの向こう側にはミスター・エディが車を降りて立っている。画面右端には、アウト・フォーカス気味のタイヤのアップ。画面手前を見たまま、キャディの前部の方に歩き出すミスター・エディ。
(14)ピートのアップ。作業台から慌てて立ち上がるピート。それを追って上方にパン。画面手前、キャディのほうを見ているピート。右斜め前からのショット。
(15)ミドル・ショット。右側面を見せて停車している黒のキャディと、助手席に座ったまま画面手前、ピートのほうを見ている肩までの金髪の女性。
(16)ピートのアップ。右斜め前からのショット。自分の正面、キャディが停められている方向を見ている。
(17)アリスのアップ。キャディの右側面からのアップ。助手席に座ったまま、画面手前、ピートの方を見ている。その前に画面右から現れるミスター・エディ。彼の顔をアップで画面に収めて少し上方にパンすると同時に、彼の顔にイン・フォーカス。背景は、逆にアウト・フォーカスになる。
ミスターエディ:
I'm leaving the Caddy like I told you.

そして、「アリス」のイメージが登場する。作品の終盤でミステリー・マンが喝破するように(1:58:09)、彼女は「レネエ」のイメージを踏襲して構築されており、本質的にこの両者が「等価」であることについては以前にも述べた。また、こうした表現がリンチ特有の表現主義的な発想に基づいたものであることも「概論」で指摘したとおりである。すなわち、フレッドとピートが「異なる人格」であることが「異なった演技者」によって演じられることで表されるのとは逆に、レネエとアリスが「同一の人格」であることが「同一の演技者」によって演じられることで表される。

この「アリス」のイメージがフレッドの「意識/感情」の反映として現れていることについても、あえて詳述する必要はないだろう。前々回に触れたように、ピート=フレッドは「レネエの代替イメージ」としてのシーラに充足していない。「幻想/捏造された現実」の維持を優先するなら、ピート=フレッドは「恋人(の幻想)」であるシーラで満足する「べき」なのだが、彼の心のどこかに存在する「レネエを希求する感情」がそれを許さないのだ。いわば「アリスのイメージ」は、このような彼の「葛藤」の結果の産物……あるいは「妥協」の産物である。「ありのままのレネエ」のイメージを自らの「幻想/捏造された現実」の内部に喚起することができないフレッドは、「黒髪→金髪」という「修正(モデファイ)」が加えられた「レネエのヴァリエーション=アリス」のイメージを喚起してしまうのだ。

だが「レネエのヴァリエーション」である限りにおいて、「アリスのイメージ」もまた「ありのままの現実」に所属するものであり、「現実」のイメージを付随させるものにならざるを得ない。それを表象して、彼女は「ミスター・エディ=現実」に連れられて「アーニーの自動車工場」に姿を現す(カット(13))。カット(16)の映像に表れるピートの表情が、彼の「希求」の度合いを明確に物語るが、後のシークエンスにおいて明示されるように彼女はミスター・エディの支配下に置かれており、ピート=フレッドからは「分断」され「隔絶」していることがさまざまな映像によって示唆される。

たとえば、カット(11)にあるように、画面を支配するのは右半分を占める「黒々としたタイヤ」のアップであり、アリスはあくまでその遠景として押し込められた形で現れ、ピートからは距離をもって描かれる。ピートは彼女を仔細に見ようとするが(カット(16))、カウンター・ショットとして提示される彼の主観ショット(カット(17))では、その「視線」の前にミスター・エディが立ちはだかり、せっかくアップになったアリスの姿をアウト・フォーカスの背景へと追いやってしまう。同時に、成立しかけていたピートとアリスの「視線の交換」もミスター・エディによって妨害され、完全に分断される。二人は「分断」され、「隔絶」させられるのだ。

あるいは見方をかえるなら、アリスにとってかわって、最終的にミスター・エディがこのショット(カット(17))の「支配的映像」となることに表されるように、ミスター・エディはフレッドの「幻想/捏造された現実」に侵入し、そこで発生する「事象」をまさしく「支配」している。このシークエンスで起きる事象は、明らかに彼=現実の統制下にあり、その結果、本来はフレッドにとって「都合のよいもの」であるはずの「幻想」は機能を著しく制限されてしまうのである。

前述したように、アリス=レネエへのピート=フレッドの「希求」は「ミスター・エディ=現実」によって阻害され、決して充足されることがない。とはいえ、ごく客観的にみるかぎりにおいて、これは至極当然のことである。なぜなら「ありのままの現実」においてレネエがすでに「不在」である限り……有体にいうならフレッドによって彼女が殺害されてしまった以上、フレッドのレネエに対する「希求」を満足させる方法など、現実問題としてどこにも存在し得ないからだ。つまり、「現実的」にフレッドの「希求」が満たされる可能性は、最初からゼロなのである。もしこの「希求」が充足される可能性が存在するとしたら、それは「非現実=幻想」においてのみなのだ……そう、「前半部」における「幻想/捏造された記憶」がそうであったように。

(1:13:17)
(18)ピートのアップ。ミスター・エディの右背後からのショット。至近距離で二人は向き合っている。
ミスター・エディ:
Think you'll get a chance to give her the once-over today?
ピートにフォーカスをあわせ、右に回り込む視点。
ピート: Sure. Uh, you want to pick it up later on, or uh, or in the morning?
ミスター・エディの右肩越し、彼がアウト・フォーカス気味になる地点で停止する視点。
(19)ミスター・エディのアップ。ピートの左肩越しのやや斜め左からのショット。彼の背後にはアウト・フォーカスになった工場の内部。
ミスター・エディ: Well, if you think you can finish it, I'll be back later today.
(20)ピートのアップ。ミスター・エディの右肩越し、やや斜め右からのショット。
ピート:(ミスター・エディを見つめながら)It'll be done.
ミスター・エディ: You're my man, Pete.
右手を上げ、ピートの左頬をつねるミスター・エディ。目をつぶって頬をつねられているピート。ミスター・エディが手を放し、ピートは笑みを浮かべる。
(21)ミスター・エディのアップ。ピートの左肩越し、やや斜め左からのショット。笑みを浮かべているミスター・エディ。そのまま振り返り、キャディのほうに歩み寄る。それを見守っているピート。右に回り込み、歩み去るミスター・エディの背中越しに、助手席にアリスが座ったキャディを捉えるショット。
(22)ピートのアップ。画面左の方向、キャディのほうを見ているピート。
[サンダーで物を削る音]

このシークエンスが提示するように、「顧客=ミスター・エディ」と「被雇用者=ピート=フレッド」の関係は継続されたままである。この「関係」が持続する限りにおいて……すなわち、「現実=ミスター・エディ」が規定する「ルール」に従っている(ように振舞う)限りにおいて、ピートはミスター・エディの「お気に入り(my man)」でいることができ、「直裁的な力」の行使を免れることができる。ピート=フレッドはこのことを認識しており、「幻想/捏造された現実」を維持するべくリアクションするわけだが、いずれにせよ、彼に選択の余地はないといえる。ミスター・エディが修理されたキャデラックを回収するために、早かれ遅かれ(今日中であれ明日の朝であれ)「自動車工場」を「再々訪=侵入」することは確実であり、ピート=フレッドにそれを排除する手段は(今のところ)ないのだから。

しかし、カット(18)で行われる「今日、彼女をちょっと調べられるか?」というミスター・エディの発言は興味深いものがある。もちろん、第一義的に「彼女」という代名詞が指すのは「修理に持ち込まれたキャデラック」のことである。だが、先ほどのシークエンスのカット(16)で描かれ、この後も何度か描かれる「ピートの視線」が意味するもの、そしてその「対象」を考えるなら、あるいはこれは複義的な言及である。さて、ピート=フレッドが「ちょっと調べる」のは「キャデラック」だけなのか?

(この項、続く)

2009年3月17日 (火)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (37)

てなことで、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」についてである。今回は(1:11:45)から(1:12:50)まで。

「恋人(の幻想)」であるシーラを「使い」、「幻想/捏造された現実」の修復を遂げるとともにそれへの統制を取り戻したピート=フレッドだったが、その後も「現実の侵入」は止まらない。このシークエンスで描かれるのもそうした「現実の侵入」を表す事象であり、その舞台となるのは、やはり彼の「幻想/捏造された現実」においてもっとも開放され、「現実の侵入」に対して脆弱である部分……「職場(の幻想)」である「アーニーの自動車工場」においてだ。

アーニーの自動車修理工場 内部 昼 (1:11:45)
(フェイド・イン)
(1)ミドル・ショット。ジャッキ・アップした自動車の下で仰向けになり、作業をしている作業服姿のピート。ピートの足元左斜めの方向から見下ろすショット。画面左には、修理されている自動車の白いボディの一部と、白リボンのタイヤとホィールの一部が見えている。右手でボディの裏側にある何かをいじっているピート。
[ラジオからジャズが流れている]
(2)ミドル・ショット。初老の修理工(フィル)の腰の上あたりのショット。彼の左斜め前、やや下方からのショット。大きなジャッキ台で目の高さに上げられた自動車を修理しているフィル。長いドライバーを使ってネジを外し、外したネジを自分の左手にある棚式の工具入れの上に置くフィル。置き終わって、また別のネジを外しにかかる。
(3)ミドル・ショット。車の下で仰向けになって作業しているピートの、足元左斜めからの見下ろすショット。両手をボディの陰に突っ込んで、何かをいじっているピート。
[高まるテナー・サックスの音]
手をだらりと下ろし、目をつぶって顔をしかめるピート。左手を頭のあたりに持っていく。あえぎ始めるピート。左手は、頭を離れて左胸のあたりに置かれる。まず左手を、次に右手を修理していた車のボディにかけ、起き上がるピート。それに連れて右上にパン。立ち上がり、赤い工具入れの上に置かれた卓上ラジオに右手を伸ばし、選局のダイヤルを回す。
[局間のザーというノイズ]
(4)ミドル・ショット。フィルの腰から上あたりのショット。右手に持ったスパナを見ていたが、ラジオの音楽が消えたのに気づき、画面左手を見る。そのままスパナを両手で持ち、首を右にかしげながら、ピートのほうに近づくフィル。それを追って左にパン。
(5)ピートのアップ。彼の左側面、やや後方からのショット。うつむき加減に左に体を回すピート。苦しそうな表情をしている。
(6)ミドル・ショット。ピートの正面からの腰の上あたりからのショット。右からレンチを両手で持ったフィルが近寄ってくる。少し後退する視線。
フィル:(ピートのほうに首を突き出すようにしながら)What'd you change it for?
フィルのほうを見るピート。
(7)ピートのアップ。フィルの左肩越し、斜め左からのショット。唇をなめるピート。
フィル:(ラジオのほうに首を振って)I like that.
ピート:(あえぎながら)Well, I don't.
画面左方に目を逸らすピート。
(8)ミドル・ショット。ピートの正面からのショット。画面左下方に目を落とし、あえいでいるピート。そのまま自分の右前のほうに歩き始める。それを追って、左へパン。アップになるまで近付き、またローラーのついた作業台の上に腰を下ろし、ついで仰向けになるピート。だが、右手を頭の上に投げ出して苦しそうにしており、すぐに作業にはかかれそうにもない。
(9)ミドル・ショット。フィルのバスト・ショット。斜め右、やや下方からのショット。半身になり、右手の人差し指をラジオのほうに向けて振るフィル。
フィル: I like that.
右手を下ろし、自分の作業を続けるために右手に歩くフィル。それを追って右へパン。持っていたレンチを工具台の上に置く。画面右に見えているジャッキ・アップされた自動車の一部。
(10)ミドル・ショット。仰向けになって車の下に潜り込んでいるピート。足元、斜め左からの見下ろすショット。作業に戻ろうとしているが、すぐにだらりと左手を左胸に乗せ、目をつぶる。
[流れているピアノ音楽]

カット(1)(2)(3)で、ラジオから流れているフリー・ジャズは、「前半部」においてフレッドが「ルナ・ラウンジ」で演奏していた曲と同一である(0:06:52)。つまり、この「音楽のイメージ」は、「フレッドの現実=ありのままの記憶」のイメージに関連しているものであるわけだ。結論からいうなら、これは形を変えた「現実の侵入」なのである。そもそも「後半部」におけるピートを核にした「幻想/捏造された現実」は、「フレッドの現実」に関連するものを可能な限り排除し、それと重ならないイメージを集積することで成立していたはずである。であるからこそこの「幻想/捏造された現実」はフレッドにとって「遁走の対象」となり得るのであって、そこに「フレッドに関連するイメージ」が現れることは、本来は考えられない事態なのだ。

この「音楽=現実の侵入」を耳にしたピートは、頭痛を訴え「苦悶」する(カット(3))。頭を押さえ顔をしかめるその様子は、死刑囚房のシークエンスでフレッドがみせた様子とまったく同一である(0:47:04)。この「同一性」は、第一義的には、フレッドとピートの「同一性」……つまり、フレッドとピートが、その「内面性」において本質的に「同一の存在」であることを示唆するものである。これ以降もピートはときとして同様の「苦悶」をみせるが、そのトリガーとなっているのは、やはり「フレッドにとって都合の悪い事象」の発生である。ピートを核にした「幻想/捏造された現実」が「ありのまま現実の侵入」を受け、フレッドの「意識」が「ありのままの現実」への覚醒に傾くに際し、ピート=フレッドは(肉体的にも)「苦悶」を覚えるのである……「現実」から逃れ「遁走」に向かう直前にそうであったように。

いうまでもなく、このシークエンスで発生している事象……「ありのままの現実」に関連する「音楽のイメージ」の発生……も、フレッドにとって「都合の悪いもの」である。それを回避するために、彼の「代行者」であるピートは「ラジオ局を変える」というリアクションをとる(カット(3))。ところが、このリアクションは、同じ工員仲間であるフィルの非難の対象となってしまう(カット(6))。この二人による音楽を巡る「遣り取り」が、実は前回とりあげた「ピートとシーラの会話が表すもの」の「構図(パターン)」を踏襲しており、いわばその「ヴァリエーション」であることはおわかりだろう。フィルもまた、シーラやピートと同様「フレッドの代弁者/代行者」として機能し、フレッドの「もうひとつの感情」を「代弁」しているのである……すなわち、「ピート=フレッド」はこの曲が「嫌い」だが(カット(7))、「フィル=フレッド」はこの音楽が「好き」なのだ(カット(7)(9))。「ピートとシーラの会話」と同様に、「ピートとフィルの会話」もフレッドの「内面」で発生している葛藤を表象している。本来「好き」であるはずの音楽を、フレッドは自分の「幻想/捏造された現実」を維持するために「嫌い」と宣言しなくてはならない……フレッドが抱く背反した「感情」を、「代弁者/代行者たち」は雄弁に物語るのである。

さて、大きな視点で捉えるなら、最初の「アーニーの自動車工場」のシークエンス(0:58:53)以降に提示される一連の「事象=イメージ」が、フレッドの「感情」や「意識」を反映し、それらをキーにして連鎖的に発生していることは指摘するまでもないだろう。フレッドが構築した「職場=自動車工場」のイメージは、「顧客」のイメージを連鎖的に発生させ、それは「ミスター・エディ=現実」のイメージを喚起してその「侵入」を呼んでしまった。次にそれは「ポルノのビデオ・テープ」という「現実のレネエ(に対するフレッドの疑惑)」のイメージを付随させた「脅威」の喚起へとつながり、それによる「ダメージ」から「幻想/捏造された現実」を修復する作業は、フレッドの「内面」において発生している「背反した感情」をかえって浮き彫りにしてしまう。こうしてみる限りにおいて、「前半部」における「幻想/捏造された記憶」の崩壊がそうであったように、「後半部」における「幻想/捏造された現実」を崩壊に導くのも実は「フレッド自身」の「意識」や「想念」に他ならないのだ。かつ、「後半部」の幻想を「崩壊」させる萌芽は、実はかなり早い段階から現れていることに気づく。

とはいえ、ピート=フレッドは、まだそれほどの危機感を抱いてるわけではない。「ラジオのチューニング」を変えて「現実の侵入」の排除に成功することに表れているように、「幻想/捏造された現実」のコントロールは現在も彼の手の中にある。ピート=フレッドは「ありのまま現実」の侵入を警戒しながらも、自分はそれが引き起こす「危機」を回避できると思っている。そして、みてのとおり、実際、それに成功しているのだ……少なくとも今のところは。

2009年3月14日 (土)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (36)

てなことで、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」についてである。今回は(1:08:29)から(1:11:45)まで。「ミスター・エディ=現実」の「侵入」によって「自我」を傷つけられたピート=フレッドが、いかにそれを「修復」するかを表象するシークエンスについてをば。

さて、ピート=フレッドが「自我」を「修復」するに際して、「シーラのイメージ」が選択されるのは決して偶然ではない。そもそもフレッドが「ピートの恋人(の幻想)」として「シーラのイメージ」を構築したのは、「現実のレネエに関する記憶」の代替として機能させるためであったはずだ。その一方で、ミスター・エディによって提示された「脅威」は、「ポルノのビデオ・テープ」の形をとっていた。それが付随させる「直裁的なセックス」のイメージはいうまでもないが、前回述べたような機序で、この「ポルノのビデオ・テープ」は「フレッドが抱いていた、レネエへの疑惑」を表象しており、ということはつまり、「現実のレネエ」のイメージと連結されている。ピート=フレッドが「自我」にダメージを受けたのは、まさにそうした理由であり、であるならばそのダメージから回復するためには、「レネエの代替イメージ」であり、かつレネエの「欠点」を欠落させた「シーラのイメージ」が必要とされるのである。

そして、ピート=フレッドの思惑どおり、「シーラ」のイメージは彼に「都合のいい」ように「機能」する。「何が欲しいのか?(What do you want?)」と親切にも彼に尋ね、「ドライブ」に誘われると(You want to go for a drive?)、一度は「どうしようか(I don't know)」と迷う素振りをみせながらも、再度ピートに誘われればそれにしたがって素直に「車に乗り込む」(1:08:48)……まるで、ピートがミスター・エディの車に乗せられ、山道を連れ回された事象(「Let's take a ride!」)をリフレインするかのように(1:02:43)。いや、より正確にいうなら、そうではない。「ミスター・エディが彼に対して行った行為」を、ピートはシーラに対して同じようにトレースすることを「求める」のである。山道のシークエンスでは「どこに向かうかわからない、他者が運転する車に乗り込む行為」によって、”ピートがミスター・エディの「コントロール下」に置かれること”が表象された。それに対し、このシークエンスでは、”シーラがピートの「コントロール下」に置かれること”が「ピートの車に彼女が乗り込む行為」によって表象されるのだ。このように「シーラのイメージ」がコントロール可能であると確認することを通じて、フレッドは再び「幻想/捏造された現実」を自分の統制下に置くことに成功する。彼の傷ついた「自我」は「修復」される……直前のシークエンスから引き継がれた「夜の闇」に紛れて、密やかに。

だが、その一方で、「シーラ」を喚起するにあたって発生した「彼女との逢瀬」のイメージは、フレッドが抱える「別の問題」をも明らかにしてしまう。

(1:10:08)
シーラ:(唇を離して)Why don't you like me?
ピート:(シーラを見つめながら、左手で彼女の首筋をなぜつつ)I do like you.
シーラ:(右手でピートの左頬を愛撫しつつ、ピートを見返しながら)How much?

「ピートを核にした幻想/捏造された現実」において、そこに現れる事象がすべて「フレッドの意識や感情」の反映であることに関しては、繰り返し述べた。その一例として、そこに登場する人物たちは全員「フレッドの代弁者/代行者」として機能することについても、何度か触れたとおりだ。そうした観点に従うなら、「どうして自分(シーラ)が好きでないのか?」と問い掛けているのは、実はフレッド自身である。言葉をかえるなら、要するに彼は「シーラ」という「レネエの代替イメージ」に満足していないのだ。この「不満足」の理由は後に明示されるが、一言で言うなら、フレッドが希求しているのはあくまで「レネエ」だからだ。シーラがその代替として非常に「都合のいい」存在であるにもかかわらず(あるいはそうであるがゆえに)、彼女はやはり「レネエの代用物」でしかないのである。だが、「レネエ」を希求し彼女に関連するイメージを想起する行為は、せっかく構築した「幻想/捏造された現実」に自ら「現実の侵入」を許してしまうことと同義だ。それを回避するために(あるいはそうした「感情」を否定するために)、ピート=フレッドはシーラに「好きである」由の発言をし、彼女の「どのくらい?」という問い掛けには文字どおり行動で答えるしかない。そもそも「セックスの対象の入手」が、「ポルノのビデオ」から喚起されたフレッドの「希求」のひとつであったのも確かだが、シーラとのそれは彼に完全な「満足」をもたらさないのだ。

このように、シーラとピートの間に発生している会話自体が、背反するフレッドの感情を「代弁」する。彼の「感情」が「シーラ」と「レネエ」との間で引き裂かれていることが、このようにして示唆される。以前にも触れたとおり、これはフレッドが陥っている本質的な「罠」である。「自分に都合のいいもの」であるはずの「幻想/捏造された現実」のなかで、フレッドは「もっとも自分が希求するもの」を手に入れられない。だからといって、「もっとも自分が希求するもの」を「幻想/捏造された現実」のなかに引き込んだなら、それはそのまま「幻想」の崩壊につながってしまう。いずれにしても、再度の「侵入」をミスター・エディが予告したことに表されるように(1:06:57)、フレッドがどのように巧妙に「幻想」を構築しようと、彼は本質的に「現実」から逃れようがない。そして、だからこそ、生ある限りフレッドは繰り返し「遁走」の必要に迫られる……そう、ちょうど作品の「円環構造」が示唆するように、彼は「逃れられない閉じた輪」のなかにいるのだ。

ピート=フレッドに「修復作業」を、「刑事たち」によって表される「監視/追求」のイメージが見守る(1:11:14)。基本的に彼らが依然として「揶揄の対象」でしかないことは、その「登場」の映像(1:09:49)が、これまで現れた二回のショットのパターンを踏襲していること……すなわち、画面の奥から近づいてきて「圧迫のイメージ」を伴いつつ画面一杯になり、座席に座った「刑事たち」のクロース・アップでショットを終えることにも表れているといえる。あるいは、この「パターン化した登場方法」自体が、ユーモアを狙ってのものとも理解されるかもしれないが、いずれにせよ、フレッドが「自我」を修復し「幻想/捏造された現実」への統制を回復する様子を、彼らは黙って見守ることしかできないのである。

2009年3月10日 (火)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (35)

えー、さても南京玉すだれな感じで続く、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」についてのハナシである。今回は(1:07:58)から(1:08:29)までをば。

フェイド・アウト、フェイド・インに続いてまず提示されるのは、夜の闇に浮かぶ「ピートの家の外観」のエスタブリッシュメント・ショットである。そして、この「闇」は、続く「家の内部」のショットにも引き継がれる。

ピートの家 内部 夜 (1:08:03)
ミドル・ショット。画面右の闇の中から、ゆっくりと姿を現すピートのバスト・ショット。画面右三分の一のところで、乏しい灯りを浴びながら立ち止まる。じっと前方を見すえているピート。やがて、意を決したように前方に歩き始める。画面左端からピートの横顔が現れ、最初認められた画面右端のピートが鏡に映った鏡像であることがわかる。暗い色のチェックのシャツを着て、鏡の中の自分をじっと見つめるピート。やがて右手を上げ、右の額の傷に指先で触れる。

このショットは、明らかに「前半部」に現れた「フレッドが鏡に映った自分自身を見るショット」(0:37:54)の「ヴァリエーション」である。リフレインではなくヴァリエーションであるのは、両ショットがちょうど「鏡」を見たように左右が反転し、裏返しになっているからだ。現在論じているショットではピートの「鏡像」が画面右に、そして「実体」が左に位置しているが、(0:37:54)からのショットではフレッドの「鏡像」が画面左に、「実体」が右に位置している。この「配置」の「鏡像関係」は、第一義的にはフレッドとピートの「鏡像関係」……つまり、ピートがフレッドの「実体のない鏡像」でありフレッドがピートの「実体」であることを示唆しているといえるだろう。いずれにせよ確実に指摘できるのは、この「ヴァリエーション」が描く「ピートとフレッドの対置関係」が、この二人の「等価性/同一性」を表象しているということだ。

以前に述べたように、(0:37:54)からのショットに現れるフレッドの「実体」と「鏡像」は、それぞれ「幻想のフレッド」と「現実のフレッド」……正確にいえば、”「捏造された記憶」に生きるフレッド”と”「ありのままの記憶」を蘇生させつつあるフレッド”の発生を表していた。そして、現在論じているショットで発生している”ピートの「実体」と「鏡像」”もまた、そうした表現を踏襲していると理解できる。つまり、ここに登場しているのは、”「捏造された現実」に生きるピート=フレッド”と”「ありのままの現実」を思い出しそうになっているピート=フレッド”である。いうまでもなく、こうしたイメージを引き起こしたのは、フレッドの「幻想/捏造された現実」に傍若無人に「侵入」し、「ルールを破った者」を「直裁的な力」で「処罰」してみせるばかりか、「ポルノ=レネエに対するフレッドの疑惑」が収録された「ビデオ・テープ=ありのままの記録」をピート=フレッドに突きつけた存在……ミスター・エディに他ならない。

「現実=ミスター・エディ」による「侵入」と、彼から受けた「脅威」によって、ピート=フレッドは大きく動揺している。”「鏡像」と「実体」のフレッド”の発生は、そのまま「前半部」における「幻想/捏造された記憶」の崩壊へとつながってしまった。同様に、”「鏡像」と「実体」のピート”の発生は、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」もまた崩壊の危険に曝されていることを示唆している。いうまでもなく、それはピート=フレッドにとって非常に好ましくない事態だ。

そもそもこの「脅威」の本質を具体的に述べるなら、「外界」から「強制的なコントロール」が下され、フレッドの意のままに「幻想/捏造された現実」が機能しなくなることにある。「山道」のシークエンスについて述べる際に触れたように、「ミスター・エディの車に乗ること」自体が「他者のコントロールを受けること=自分がコントロールする権限を失うこと」を表象するわけだが、問題はそうした事態に直面するにあたって、「処罰されるドライバー」と同様、ピート=フレッドがほとんど無力であったことだ。かろうじて「ポルノ」の「ビデオ・テープ」のオファーを断ることには成功したものの、「幻想/捏造された現実」(それは自分自身のために構築したはずだった)に対するコントロールを一時的にせよ奪われたことで、フレッドの「自我」は傷ついている。「ピートを核にした幻想/捏造された現実」への「遁走」が、「レネエを殺したこと」による「自責の念」や「罪の意識」から「自我を保護すること」をも目的にしていると考えるなら、フレッドの「自我」は二重に傷ついているといってよいだろう。

「裏庭」のシークエンス(0:55:08)において、「前半部」に登場したいろいろな「脅威」が「安全化/無力化」されたように、ミスター・エディによる「脅威」もまた「安全化/無力化」されなくてはならない。「後半部」の冒頭でピートが獲得した「全能感」を取り戻すためにも、「ミスター・エディ=現実」の「脅威」によって傷つけられた「自我」は修復されねばならないのだ。こうした「イメージの連鎖」に基づき、ディゾルヴによるカッティングを伴って、シークエンスは”ピート=フレッドが「傷ついた自我の修復」を試みる”イメージへと連結される。そこで喚起されるのは、「恋人(の幻想)」のイメージである「シーラ」だ。

2009年3月 8日 (日)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (34)

ぶっ壊れたデスクトップの入れ替えやら、新しい無線LANルータの設置やらでバタバタしている大山崎でございます。今年に入って、もう何度PCのセッティングをしてるのやら(笑)。おかしいなあ、そんなハズじゃなかったのになあ。とりあえずひととおりセッティングを終えて、一息ついている状況。もう当分、何も壊れてくれるなよ(笑)。

そんなこんなしながら難渋しつつ進行中の「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」であったりする。今回は(1:06:39)から(1:07:58)まで。

ミスター・エディとピートを乗せたベンツは、山道のドライブから「自動車工場」に帰還する。引き続きこのシークエンスにおいても、ミスター・エディが付随させているさまざまなイメージが明らかにされる。

アーニーの自動車修理工場 外部  (1:06:49)
(1)ピートとミスター・エディのバスト・ショット。ベンツの助手席側からの助手席のサイド・ウィンドウ越しのショット。助手席のドアを開けて降りようとするピートを、その向こうの運転席にいるミスター・エディが呼び止める。
ミスター・エディ: Wait a minute...
ベンツを降りようとしてとどまり、再び座席に座ってミスター・エディの方を見るピート。シャツの胸ポケットから紙幣を取り出し、二枚ほどをピートに差し出す。
(2)ピートとミスター・エディのバスト・ショット。ベンツの運転席側から、運転席のサイド・ウィンドウ越しのショット。助手席のピートのほうを見て、紙幣を差し出しているミスター・エディ。それを受け取り、ミスター・エディを見るピート。
ピート: Thanks, Mr Eddy.
(3)ピートとミスター・エディのバスト・ショット。ベンツの助手席側から、助手席のサイド・ウィンドウ越しに車内を見るショット。作業服の胸ポケットに、受けとった紙幣を突っ込んでいるピート。残った紙幣を再びシャツの胸ポケットにしまうミスター・エディ。
ミスター・エディ:
No. Thank you. I'll be bringing the Caddy by tomorrow.
ミスター・エディが助手席のほうに身を乗り出し、ピートの前にある画面外のダッシュ・ボードに右手を伸ばす。画面外でコンパートメント・ボックスを開け、右手で取り出したビデオ・テープをピートの前に差し上げる。
ミスター・エディ:(ピートを見ながら)You like pornos?
(4)ピートとミスター・エディのバスト・ショット。ベンツの運転席側から、運転席のサイド・ウィンドウ越しに車内を見るショット。
ピート:(差し出されたビデオ・テープを見ながら)Pornos...
ミスター・エディに視線を移すピート。
(5)ピートとミスター・エディのバスト・ショット。ベンツの助手席側から、助手席のサイド・ウィンドウ越しに車内を見るショット。
ミスター・エディ:(手に持ったビデオ・テープを見ながら)Give you a boner?
横目でピートを見るミスター・エディ。
(6)ピートとミスター・エディのバスト・ショット。ベンツの運転席側から、運転席のサイド・ウィンドウ越しに車内を見るショット。笑いながら差し出されたビデオ・テープに目を移すピート。
ピート:(右手を振って、ミスター・エディを見る)Uh, no, no thanks. No.
(7)ピートとミスター・エディのバスト・ショット。ベンツの助手席側から、助手席のサイド・ウィンドウ越しに車内を見るショット。
ミスター・エディ:
Suit yourself, champ.
そのまま、右手に持ったビデオ・テープを、画面外のコンパートメント・ボックスにすまうミスター・エディ。
(8)ピートとミスター・エディのバスト・ショット。ベンツの運転席側から、運転席のサイド・ウィンドウ越しに車内を見るショット。ビデオ・テープをしまったあと、左手をハンドルの上部に掛け、ピートに向き直るミスター・エディ。ミスター・エディを見ているピート。
ピート: Well, uh...I, I'll see you, then.
ミスター・エディ:(小さく頷きながら)You will.
ピートは少しミスター・エディを見つめていたが、やがて助手席のドアを開け、車外に出る。車外で立ち上がるピートを追って、上方にパン。ベンツの屋根越しに、ピートをおさめるショットになる。彼の向こうには、白と赤の修理工場の柱と壁。画面右端に、停められている自動車のサイド・ウィンドウが見える。振り返って助手席のドアを右手で閉め、腰をかがめてベンツの内部をのぞき込むピート。

カット(1)(2)で提示されているのが、ミスター・エディの「顧客」としての資格の再確認であることはいうまでもないだろう。ピートの労働に対して、ミスター・エディは「対価」を支払うのである。続いて、ミスター・エディは「もう一台の別な車=キャデラック」を明日までに持ち込むことを伝えるが(カット(3))、これは彼のピートの「労働」に対する「評価」であり、今後も継続して「顧客」としての関係を結び続けることを宣言するものである。それを受けて、カット(8)のピート(=フレッド)の言及や表情によって明らかなように、彼も自分とミスター・エディとの「関係性」が継続的なものであることを認識する。この宣言/認識によって、これより後のシークエンスでピート=フレッドがとる「行動」が一部規定されることになるのだが、それについては当該シークエンスについて述べる際に触れよう。

だが、より重要と思われるのは、同じくカット(3)およびカット(5)で行われるミスター・エディのピートに対する「オファー」……すなわち、「ポルノ」の「ビデオ・テープ」を提供するという申し出である。この「アイテム」には、二つのイメージが内包されている。まず一つは、「前半部」の「幻想/捏造された記