さて、なんだかんだでまだ劇場での再鑑賞を果たせてない「インランド・エンパイア」なんでありますが。とりあえず公開直後はそれなりに劇場も混んでるみたいなんで、様子をうかがってトライしてみるです。
ボチボチ観客の率直な感想もブログ等であがりはじめており、いろいろ興味深く拝見させていただいてたり。というわけで、自分も感じていること考えてることなど、もちっと書いてみる。
すでに何度か延べたが、「インランド・エンパイア」はリンチの非常にプライベートなところを反映した作品だと思っている。実はこういう方向性はリンチ作品すべてに共通するものだと思うが、今回は特にその色が濃い。
なぜ「共通するものがある」と考えるのかというと、「感情や主観」を描くリンチの表現主義的手法を考えるとき、そうした個々の表現の方向を決めているのは、やはりリンチ自身の実体験に基づく経験則的な部分だと思うからだ。いいかたを変えれば、それがデイヴィッド・リンチという監督の「作家性」だということになる。
こうした私的なところの反映は「イレイザーヘッド」を含めた初期の作品、たとえば「アルファベット」や「グランドマザー」に顕著で、ある意味「インランド・エンパイア」はリンチが自分の原点に立ち戻った作品だともいえるんじゃないだろうか。
そうした目でみたとき、「インランド・エンパイア」には、そうした初期作品に通じる点が他にもいくつか見つけられるように思う。そのひとつが、どこか作りにルーズなところがあるような気がすることだ。具体的な指摘はまだできないし、繰り返し観ていくうちに感想が変わる可能性はあるけれど、とりあえず初見の段階ではそういう印象を受けたのは確か。
そして、こうした初期諸作品と「インランド・エンパイア」には、製作上の共通要素がひとつある。それは、リンチが自分自身で編集作業を行っていることだ。
映像作品の製作において、編集作業が重要な要素を占めることはいうまでもない。そしてリンチ作品の編集に関するキー・パーソンといえば、長年にわたって公私共にリンチを支えてきたメアリー・スウィーニーである。
スウィーニーはもともと女優として映画界にデビューし、「Invasion of the Bee Girls 」(1973)、「Teenage Cheerleader」(1974)の2本の出演作がある。1983年以降は編集畑に転身、「ブルーベルベット」で編集の助手をつとめたのを機にリンチに出会った。「ワイルド・アット・ハート」での編集第一助手を経たあと、「ツイン・ピークス劇場版」からは独り立ちし「マルホランド・ドライブ」に至るまで、ずっとリンチ作品の編集作業に携わってきた。
……ってなことをツラツラ考えるに、この時期のリンチ作品を評価するうえで、彼女の編集も考慮に入れるべき要素のひとつなんではないかという気がすごくする。リンチのアイデアやモチーフを映像作品に「翻訳」するうえで、スウィーニーによる編集が非常に重要だったのではなかろーか……っつーことですね。
今後、再びスウィーニーがリンチ作品を編集することがあるのかどうかよくわからないけれど、これを機会に「編集」をポイントにリンチ作品を観返してみたい……と思ってたりする今日この頃なのでありました。
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