「インランド・エンパイア」を観た(2回目) (8)
ヨタ話はもそっと続く(笑)。
すでにどこかで指摘があるかもしれないが、「Axxon N.」の文字がある周辺では、「観ることと観られることの転倒」すなわち「主体と客体の転倒」が発生している。つまり……
(1) スーがスタジオに入ると、台本あわせを行っている自分たちの姿を見るというシーン
(2) 娼婦であるスーが、通りの向こう側に娼婦仲間と談笑している自分を見るシーン
(3) 誰もいない映画館で、ニッキーがスクリーンに映し出される自分自身を見るシーン。
……の計三回。
「Axxon N.」ってナニ? についてだが、これは映画のシーン撮影開始時に監督がキューを伝える「Action!」のことではないかという説がある。まあ、これについては真偽のほどは定かでないが、いずれにせよ「Axxon N.」はまさしく「『演技者』が『登場人物』へと移行する瞬間」、つまり「主体と客体が転倒する瞬間」を表すマーキングとして理解できるような気がする。
そして、この「Axxon N.」が表れる前後のシーンおよび「シルクの穴を通して世界を観る」シーンは、ともに「インランド・エンパイア」におけるネスティング構造の括弧"()"が発生するポイントとして、編集面から作品構造をみるうえで足掛かりなる可能性があると思う。こうした「括弧の発生」に関して、実は過去作品に関する限り、リンチは律儀に映像文法を守ってきた(その括弧がなにを意味するかの違いはあっても)。自身の編集であることや作品内容を考慮しつつ、さて、今作ではそのあたりはどうなっているか。三回目の鑑賞ではそのあたりを中心にして確認するつもり。
ところで、(1)シーンや(2)のシーンにおいては、「観られる側の消滅」つまり「客体側の消滅」や、「観る側と観られる側の転倒(あるいは入れ替わり)」が描かれているのに対し、(3)のシーンでは若干、構造が違うように思う。だいたい、「Axxon N.」が出現ポイントも、映画館のスクリーンに自身が映っているのをニッキーが観た「後」だったりするのが、こちらの妄想をいろいろ喚起してくれるのだな(笑)。
また、「括弧の発生ポイント」として、当然ながらロスト・ガールがモニターを観ているシーンも含まれてくると思うのだが、もっとも後ろの受けの括弧")"となるはずの「ロスト・ガールとニッキーの抱擁シーン」において、モニター上にこの二人の姿が映しだされているのも「観る側観られる側の問題」という観点からすると意味深だ。そして、このとき、「モニターに映る二人の背後に映っているモニターの中に、また二人とモニター画面が映る」という具合に「合わせ鏡の無限」が発生しているはずなのだが、これも「受容者の数だけ世界=映画の解釈(誤読)が発生している」ことの表れとして、象徴的に読んでしまいたいところだ。
それにしても、最後、スーが「Rabbits」の部屋から照明の点いた映画館の天井を見上げるシーンは、このロスト・ガールの括弧の外にあるのだな。
あとは、腕時計に象徴される「時間」の要素だろうか。ロスト・ガールがスーに「時計を用意しろ」と伝え、その後スーが腕時計を腕に巻くシーンが作中にあるが(DVDの未公開シーンとあわせて考えると)、この「腕時計」が象徴するものがそれなりに重大な要素となっているような気がする。
それにしても、9時45分から「インランド・エンパイア」を観始めると、確かに観終わるのは「真夜中過ぎ」だな。実時刻にあわせて鑑賞してみて、午前12時過ぎに作品内では何事が発生しているか、ちょいと確認してみたい衝動にかられるのだが。
なんか駆け足になったけど、ということで三回目に突入です(笑)。






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