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2010年3月22日 (月)

リンチ、エド・ルシェ(Ed Ruscha)について語る

イギリスで「ツイン・ピークス」の「2ndシーズンDVDセット」と「ゴールド・ボックス」が発売されることになったそーな。え? まだ出てなかったんかい……とちょっとオドロキを隠せないんですが、そのタイミングにあわせて英「Times」誌の3月20日発売号に「ツイン・ピークス」の関連記事が掲載され、リンチがこの作品についての思い出を語っています。題して、「20年後のツイン・ピークス(David Lynch’s Twin Peaks, 20 years on)」。

……なんですが、米ABCとの確執とか、「丸太おばさん」の成立過程とか、ゴードン・コールの名前の由来とか、リンチがそこで語っていることはほとんど既に知られていることばかりなので、内容に関しては今回はバッサリ割愛(笑)。

むしろ興味深かったのは、当該記事からリンクされている2009年10月の同誌掲載記事でした。「デイヴィッド・リンチがエド・ルシェについて語る(Movie director David Lynch on artist Ed Ruscha)」というこの記事において、リンチはルシェを敬愛していることを明らかにするとともにその魅力について語っています。

Ed_ruscha エド・ルシェ(Ed Ruscha)についてざくっと触れておくと、1937年ネブラスカ州生まれ、1956年以降はカリフォルニア州在住のアーティストであります。その絵画作品の特徴を非常に雑駁に述べるなら、「言語と絵画の融合」だといえます。つまり、絵画作品でありながらそこにさまざまな「言葉」が散りばめられているわけですね。このあたりはジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)という先駆者もいるわけですが、実際のルシェの作品をみていただければいわんとするところはすぐにわかっていただけると思います。

こうしたエド・ルシェ作品の魅力について、リンチは以下のように語っています。

「言葉は文字から出来上がっている。文字は『形(shape)』をもっている。非常に興味深い『形』を。彼(エド)はこれらの文字を『形』として用いていて、それはとてもすばらしい。そして、文字が集まって言葉になり『意味』を形成するとき、また違ったレベルになる。それは思考や感覚が形成される出発点になるのだから。それはみごとに『思考』と『感覚』をミニマル化する。彼の作品は絵画的だ。広告ではなく、絵画的だ。それが非常に重要なことだ」

「なぜなら、これらの絵画的作品は、エドという『人間』が描いているからだ。そのことによって発生するテクスチャーは、CGでは得られない。エドという人間だけが可能なのだ」

さて、一方のリンチ自身も、絵画作品や映画作品のなかに「文字」を散りばめるという手法を好んで使うわけですが、それに関して以前このように発言しています。

「絵の中の言葉は過度にエネルギーを蓄えたエンジンのようなものだ――絵にさらにパワーを与えるとともに、物事の意表をつく。言葉は、人が絵の中で起こっていることをどう見るか、その見方を変化させる。切り文字を使う理由は、ただ単にそれが歯のように並んで美しく見えるからだ」

この発言は、先に引用したエド・ルシェに関する言及と微妙に重なっているように思えます。”文字要素による「思考」と「感覚」の形成”が、”「絵の見方に関する変化」が発生する契機”となるであろうことは、いうまでもないでしょう。また、「歯のように並んで美しく見える」という発言が示唆するのは、まさしく「テクスチャーの問題」ではないでしょうか。つまり、エド・ルシェについてリンチが語っている事柄は、そのまま自身の作品にも当てはまるといえるわけです。

ルシェが意欲的な創作活動を始めるのは1960年代前半からであり、当時画家を目指していたリンチがその影響を受けたことは充分に考えられるわけですが、まあ、このあたりはリンチ自身の”「言語」に対するそもそもの感覚や嗜好”もありで、あまり単純化はできません。しかし、少なくとも、互いが採用する「文字に関する手法」の根底において、自分がルシェと通じているとリンチが考えていることだけは確かなようです。(同じくリンチが気に入っている)エドワード・ホッパーの諸作品が、リンチの”「人間の内面」を表すものとしての「家」”という共通テーマに「テーマ」のうえで重なるならば、エド・ルシェの作品は言語に関する「モチーフ」の点で重なっている……ともいえるでしょう(と書いて気がついたけど、「ガソリン・スタンド」というモチーフについても、ホッパーとルシェは共通しているなあ)。

同時に、こうしたリンチの「文字」や「言葉」に関する考えをみるとき、別な共通モチーフである「成立しない会話」もまたそれと通底しているように思えてきます。上述した「文字と形の関係性」を「言葉と音の関係性」に置き換えれば、なんとなくリンチの志向するところがみえてくるような気が。

実は、デニス・ホッパーを通じて、リンチはすでに何度かルシェに会っているようです。ただし、きちんと話をしたことはないとか。ルシェと話すとしたら、何を話すのか? というインタビュアーの質問に対し、リンチは「そうだな。スタジオとそのセッティングとか、何時に仕事を始めるのかとか、コーヒーは飲むのかとかかな?」と回答しています。またルシェという人物を表すとしたら、どのようになるのか? という質問に対しては……

「Clean!」

……と即答。いや、確かにリンチ作品の「有機具合」と比較したとき、ルシェの作品が「クリーン」であることは間違いありません(笑)。が、それは単に表層的な部分にとどまらず、両者の「表現に対するアプローチそのものの差異」を表しているように思えます。

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