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2010年3月

2010年3月31日 (水)

「ツイン・ピークス」の建物シリーズ(だったんかい!) その2

先日の「ローラ・パーマーの家 On Sale なう」に続いて、「ツイン・ピークス」に登場した建物に関する話題。今回は、劇場版に登場した「FBI本部」の撮影に使われたビルについて。そう、監視カメラは壊れているわ、目の前で人が行方不明になるわとゆー、とんでもない建物であります(違うって)。

撮影に使われたビルが「Cabrini Hospital building」という元病院であったことは、撮影当時の新聞報道でファンの間では有名だったっぽいです。映画の設定ではリンチの好きなフィラデルフィアになることになっていたけど、実際の所在地はシアトルとのこと。さて、おかーさん、あの建物はどーなったんでしょー……と「Twin Peaks Archive」の管理人さんがねちねちと何時間もかけてGoogle Mapを駆使しシアトル市内を捜した結果、クーパー特別捜査官が窓辺に座っているシーンで背後に見えるビルと一致する建物を発見! おお、これぞ情報技術の勝利、Googleありがとう!

……まではよかったのだけど、どんだけ目をかっぽじいてGoogle Mapを捜しても、肝心の「Cabrini Hospital building」が見つからない。勇んで現地に突撃、リアル捜査してもよくわからない。さてはフィリップ・ジェフリー捜査官だけでなく、建物ごとブラック・ロッジに飲み込まれたか?

……ってなわけはなく、この建物、すでに1995年に取り壊されてしまっていたのでありました。あら、残念。ローラ・パーマーの家があの値段だってーと、シアトル市あってなおかつデカいこの建物だったら、すんげえ値段だったのになー(買うんかい)。

そーゆー次第で、「Twin Peaks Archive」のページには在りし日の「Cabrini Hospital building」の写真が掲載されております。非常に瀟洒といいますか、ヴィクトリア様式っつーんですか、こーゆーの? 「ここらへんにクーパーの机」「ここらへんにゴードン・コールの机」「ここらへんにアルバートの机」等々の面白くて為になる説明入りですので、ファンの方は、ぜひどーぞ。

2010年3月27日 (土)

「ツイン・ピークス」パイロット版上映会! 35mmで!

久々のdugpa.comネタ。

「ツイン・ピークス」20周年を記念して、ワシントン州シアトルのSeattle Art Museumでパイロット・フィルムの上映があるそーだ。期日は8月6日。

で、今回はレアな35mmフィルムでの上映になるのだけど、どーやらこれはもともとデイヴィッド・リンチが個人的に所有していたものらしい。現在はMotion Picture Academyで保管されていて、通常デュープ・プリントがないと貸し出し不可のものを、リンチのたってのお願いで上映にこぎつけたとか。

管理人さんは約10年前にこの35mmパイロット・フィルムを観たことのあるそうで、「でっかいスクリーンで35mmだと、初めて観る作品のよーな気がした」と述べております。

直前に開かれる毎年恒例の「ツイン・ピークス・フェス」の参加者にはこの上映会の入場券が配られ、残ったチケットが(どのくらいの数かわかんないけど)一般入場者枠に回される模様。確実に観たい方は、フェスからの参加がお勧めってことですね。関係ないけど、今年のフェスにはジェニファー・リンチも参加するという噂をチラっと耳にしましたが、例の「蛇女映画」は完成したんでしょーかしらん?

んでもって、おまけ。リンチが語る”ジョージ・ルーカスから「ジェダイの逆襲」の監督を依頼されたときの模様”に誰かさんがアニメをくっつけたもの。疲労困憊して這いずるリンチがカワイイ(笑)。

2010年3月24日 (水)

巨大デイヴィッド・リンチのハナシ

Lynch4large なんじゃ、こりゃあ! と思わずジーパン刑事・松田優作になってしまいそうなシロモノでありますが、こちらはバンクーバー在住の彫刻家ジェイミー・サーモン(Jamie Salmon)氏の作品であります。材料はラテックス、グラス・ファイバー、アクリルの髪の毛、人毛(!)等々。うはは、ちょっと目尻が赤くなっているあたりなんか、リンチの感じ出てます(笑)。

で、こちらには製作過程の写真もアリ。ぐは、ちょっとグロい(笑)。

しかし、なんでサーモン氏は、こんなデッカい顔を作るのか? 以下が氏によるその説明。

「我々が『現実』と考えるものの本質を探求するために、あるいはその『現実』に自分の視覚が異議を唱えたとき我々がどう反応するかを確かめるために、私は人体を用いるのが好きだ。この現代社会において、我々は自分たちの外観に捉われている。かつ、現代のテクノロジーによって、我々は自分たちの外観をほとんど好きなように変えることができる。この外観の変更は、我々にどのような影響を及ぼすのか? あるいは、我々はどのようにして他者を認識するのか?」

いや、なんかよくわかったよーな、わからんよーな話でありますが、「愛しのジャイアント・ウーマン」のダリル・ハンナはインパクトがある……ということでヨロシイのでしょーか?(きっと違うと思う)

この作品、現在、ポルトガルにある彫刻専門美術館に所蔵されているようでありますので、当地にお立ち寄りの際には、「巨大デイヴィッド・リンチ」とご対面されてはいかがでしょーか。

2010年3月22日 (月)

リンチ、エド・ルシェ(Ed Ruscha)について語る

イギリスで「ツイン・ピークス」の「2ndシーズンDVDセット」と「ゴールド・ボックス」が発売されることになったそーな。え? まだ出てなかったんかい……とちょっとオドロキを隠せないんですが、そのタイミングにあわせて英「Times」誌の3月20日発売号に「ツイン・ピークス」の関連記事が掲載され、リンチがこの作品についての思い出を語っています。題して、「20年後のツイン・ピークス(David Lynch’s Twin Peaks, 20 years on)」。

……なんですが、米ABCとの確執とか、「丸太おばさん」の成立過程とか、ゴードン・コールの名前の由来とか、リンチがそこで語っていることはほとんど既に知られていることばかりなので、内容に関しては今回はバッサリ割愛(笑)。

むしろ興味深かったのは、当該記事からリンクされている2009年10月の同誌掲載記事でした。「デイヴィッド・リンチがエド・ルシェについて語る(Movie director David Lynch on artist Ed Ruscha)」というこの記事において、リンチはルシェを敬愛していることを明らかにするとともにその魅力について語っています。

Ed_ruscha エド・ルシェ(Ed Ruscha)についてざくっと触れておくと、1937年ネブラスカ州生まれ、1956年以降はカリフォルニア州在住のアーティストであります。その絵画作品の特徴を非常に雑駁に述べるなら、「言語と絵画の融合」だといえます。つまり、絵画作品でありながらそこにさまざまな「言葉」が散りばめられているわけですね。このあたりはジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)という先駆者もいるわけですが、実際のルシェの作品をみていただければいわんとするところはすぐにわかっていただけると思います。

こうしたエド・ルシェ作品の魅力について、リンチは以下のように語っています。

「言葉は文字から出来上がっている。文字は『形(shape)』をもっている。非常に興味深い『形』を。彼(エド)はこれらの文字を『形』として用いていて、それはとてもすばらしい。そして、文字が集まって言葉になり『意味』を形成するとき、また違ったレベルになる。それは思考や感覚が形成される出発点になるのだから。それはみごとに『思考』と『感覚』をミニマル化する。彼の作品は絵画的だ。広告ではなく、絵画的だ。それが非常に重要なことだ」

「なぜなら、これらの絵画的作品は、エドという『人間』が描いているからだ。そのことによって発生するテクスチャーは、CGでは得られない。エドという人間だけが可能なのだ」

さて、一方のリンチ自身も、絵画作品や映画作品のなかに「文字」を散りばめるという手法を好んで使うわけですが、それに関して以前このように発言しています。

「絵の中の言葉は過度にエネルギーを蓄えたエンジンのようなものだ――絵にさらにパワーを与えるとともに、物事の意表をつく。言葉は、人が絵の中で起こっていることをどう見るか、その見方を変化させる。切り文字を使う理由は、ただ単にそれが歯のように並んで美しく見えるからだ」

この発言は、先に引用したエド・ルシェに関する言及と微妙に重なっているように思えます。”文字要素による「思考」と「感覚」の形成”が、”「絵の見方に関する変化」が発生する契機”となるであろうことは、いうまでもないでしょう。また、「歯のように並んで美しく見える」という発言が示唆するのは、まさしく「テクスチャーの問題」ではないでしょうか。つまり、エド・ルシェについてリンチが語っている事柄は、そのまま自身の作品にも当てはまるといえるわけです。

ルシェが意欲的な創作活動を始めるのは1960年代前半からであり、当時画家を目指していたリンチがその影響を受けたことは充分に考えられるわけですが、まあ、このあたりはリンチ自身の”「言語」に対するそもそもの感覚や嗜好”もありで、あまり単純化はできません。しかし、少なくとも、互いが採用する「文字に関する手法」の根底において、自分がルシェと通じているとリンチが考えていることだけは確かなようです。(同じくリンチが気に入っている)エドワード・ホッパーの諸作品が、リンチの”「人間の内面」を表すものとしての「家」”という共通テーマに「テーマ」のうえで重なるならば、エド・ルシェの作品は言語に関する「モチーフ」の点で重なっている……ともいえるでしょう(と書いて気がついたけど、「ガソリン・スタンド」というモチーフについても、ホッパーとルシェは共通しているなあ)。

同時に、こうしたリンチの「文字」や「言葉」に関する考えをみるとき、別な共通モチーフである「成立しない会話」もまたそれと通底しているように思えてきます。上述した「文字と形の関係性」を「言葉と音の関係性」に置き換えれば、なんとなくリンチの志向するところがみえてくるような気が。

実は、デニス・ホッパーを通じて、リンチはすでに何度かルシェに会っているようです。ただし、きちんと話をしたことはないとか。ルシェと話すとしたら、何を話すのか? というインタビュアーの質問に対し、リンチは「そうだな。スタジオとそのセッティングとか、何時に仕事を始めるのかとか、コーヒーは飲むのかとかかな?」と回答しています。またルシェという人物を表すとしたら、どのようになるのか? という質問に対しては……

「Clean!」

……と即答。いや、確かにリンチ作品の「有機具合」と比較したとき、ルシェの作品が「クリーン」であることは間違いありません(笑)。が、それは単に表層的な部分にとどまらず、両者の「表現に対するアプローチそのものの差異」を表しているように思えます。

2010年3月21日 (日)

「狂った一頁」の上映会。今回は、なんと弁士付き!

さて、イェール大助教授アーロン・ジェロー氏が「じゃあ、オレがいっちょ、乗り出すか!」とまで言うほどDVDが出る気配がない衣笠貞之助監督作品「狂った一頁」ですが、3月22日(月)に奈良で上映会があるようです。

このよーな上映会では16mmのサウンド版が上映されるのがこれまでの例でありましたが、今回はなんと活動写真弁士/片岡一郎氏による説明付き! ジェロー氏が「A Page of Madness  Cinema and Modernity in 1920s Japan」でも述べているように、1926年のこの作品の封切時には徳川夢声氏による説明がついておりました。フィルムの再発見後、岩波ホールにおける上映会等、何度もサウンド版による上映があり、2007年にはリストアされたサイレント版がFIAFの国際大会で上映されたりしておりましたが、国内で弁士付きで上映されるのは、戦後これが初めてかもとのこと。弁士による説明があるとないとでは、この作品のナラティヴに対する理解がまったく違ってくる可能性があるだけに、これは貴重な機会かと。

んでもって、上述の奈良での上映に先立って、実は20日には東京でも弁士付きで上映会がありまして、大山崎は終わってからそれを知ったんですねえええええ>地団太

てなわけで、近畿方面にお住まいの方は、ぜひお見逃しのないよーに。

2010年3月20日 (土)

「Dark Night of the Soul」のCDがリリースへ

Darknightofsoul さて、デイヴィッド・リンチとのコラボレーション企画(になるはずだった)Danger MouseのCD「Dark Night of the Soul」っつーのがありまして、リンチ撮影の写真集にこのCDをつけて、限定数発売の予定だったのはご存知のとおり。

ところが、このCDには他レーベルのミュージシャンが参加しており、そことのトラブルを恐れた音楽会社EMIとの調整が頓挫。CD発売が無期延期になっちゃったもんで、「レーベルだけ印刷した生CD」がついた「リンチ撮影の写真集」が発売される結果に。んでもって、「中身の音楽はネットの海のどこかに転がっているから、勝手にダウンロードして生CDに焼いてちょ」という豪快なハナシになりました……というのも、既報のとおり。

ここにきてやっとモロモロの調整がついたらしく、件のCDがめでたく発売される運びとなったという情報が流れております。発売時期はまだ現在のところ確定していませんが、「6月くらいに出せたらいいなあ」というのが担当プロデューサーのコメント。

そりゃ、めでたい。よかった、よかった……なんですが、「生CD付き写真集」を購入した人の処遇は、いったいどーなるんでしょーか? って、大山崎のことなんですが(笑)。まさか購入者にタダでCD配ったりは……してくんないだろうなあ、やっぱ(笑)。

あのローラ・パーマーの家が売り出し中!

Twiin_peaks 「ツイン・ピークス」ファンなら、きっとこの写真の家に見覚えがあることでしょう。そう、リーランド&セーラ&ローラのパーマー一家が住んでたあの家であります。この家が、現在、売りに出されている模様です。お値段は、なな、なーんと$459,500 ポッキリ!

この家は、ワシントン州モンロー(Monroe)に実在しており、「ツイン・ピークス」のロケ地となったスノコルミー (Snoqualmie)やノース・ベンド (North Bend)からも、そんなに離れていないとゆーハナシ。

この家を買えば、もれなくキラー・ボブがついてくる! ……かどーかは知りませんが、ちょいと「ビニールに包まれた死体」になってみたい方は、ぜひ購入を検討されてみてはいかがでしょーか。ご連絡先等はコチラになっております。

ドラマでは映ってなかったと思うけど、プールもついてたのね。知らんかったわ。

2010年3月18日 (木)

リンチ(といっても娘のほう)が映画祭の審査員に

3月21日にロスで開催される「国際シュールリアリスト映画祭 (THE INTERNATIONAL SURREALIST FILM FESTIVAL)」の審査員の一人として、ジェニファー・リンチが参加する模様。

どーやら20年くらい続いている映画祭らしいのですが、寡聞にして過去の出品作・受賞作にどんなのがあったのかとか、さーっぱりわかりません。しかし、公式サイトをみてみるってーと……

何がシュールリアルかは、オレたちが決める (WE WILL DECIDE WHAT IS SURREAL)」

……とか言っちゃったりなんかして、やたら元気がいいです(笑)。

17作品がエントリーされているみたいですが、Jerzy Roseさん製作の「テルミンを奏でるすべての女性幽霊(All Ghost Women Play the Theremin)」なんか、ちょっと観てみたいかも。

いやあ、優秀作品賞の賞品が「vintage 16mm BOLEX MOVIE CAMERA」というところなんか、泣かせますねい。中古とちゃうんかい、それ(笑)。

てか、根本的な問題として、ジェニファー・リンチ自身がシュールリアストかってーとちょいと疑問もあるんですが、まあ、いっか(笑)。

とゆーわけで、そこはかとなく「手作り感」が漂う公式サイトはコチラ

2010年3月15日 (月)

「David Lynch: Interviews」を読む (3)

そんなこんなで、Richard A. Barney編の「David Lynch: Interviews」を読んでのアレコレの第三回目。

今回は、「エレファントマン」(1980)関連の記事をば二発。

一本目は、作品が公開された年、すなわち1980年の「Box Office」10月号に掲載されたJimmy Summersによる記事です。この記事もリンチへのインタビューをもとに記者がまとめるという、「聞き書き」の形式をとっています。

記事中、本当は「イレイザーヘッド」の次回作として、これも完全オリジナルである「ロニー・ロケット」が作りたかったとリンチは述べています。しかし、「イレイザーヘッド」がミッドナイト・ムービーとして成功したとはいえ、スタジオから声がかかるほど収益をあげられたわけではなかったことも、同時に認めています。そして、映画の仕事を続けるためには、他の誰かの題材をもってするしかないと決意したと述べます。このあたりの経緯はGreg Olson氏が「Beautiful Dark」でも触れていましたが、おそらく元ネタはこの記事だと思われます。

このあと、リンチがメル・ブルックスに認められて「エレファントマン」を作ることになった経緯が述べられていますが、ここではサクっと省略っと(笑)。

クリストファー・デヴォアとエリック・バーグレンが書いた「エレファントマン」のシナリオは、まずメル・ブルックによって、次にリンチが参加して、都合二回の修正が施されています。当初のシナリオ自体がよくできていたことを断ったうえで、リンチは「シナリオは手直しされたが、我々のジョン・メリックに対する愛情はなにも変わらなかった。我々は彼に対して忠実であり続けたし、彼のキャラクターをもてあそぶことはしなかった」と述べています。この発言の「彼」という言葉を「アイデア」に置き換えれば、リンチがことあるごとに繰り返す「アイデアに忠実であれ」という発言と完全に重なるのは非常に興味深いところであります。

「エレファントマン」の製作が終わったあと、デヴォアやバーグレンたちと、もう一度組んで仕事をするかどうか話し合ったことをリンチは明らかにしています。そして、最終的に、自分で何かシナリオを書くほうを優先させることにした、と。「自分が本当にやりたいことをするには、自分自身でやるしかないと思った。自分がこの作品はいいと信じていても、そうでない人間が少数でも携わっていたとしたら、結局のところそれは妥協することになる。可能な限りコントロールする権利を手に入れることは、自分にとって本当に重要なことなのだ」というのがこのときの弁。ですが、ご存じのとおり次に作ったのがデ=ラウレンティスと組んだ「砂の惑星」で、なおかつここで恐れていたとおりの結果になっちゃったわけで、リンチ、言ってることとやってることが矛盾しています(笑)。わかってんなら、やんなきゃいーじゃんよーてなもんですが、まあ、「諸般の事情」というのはどこにでもあるということで(笑)。

二本目の「エレファントマン」関連の記事は、「Movie Maker」の1985年10月号に掲載されたStuart Dillinによるもの。掲載年をみればわかるように、この記事が掲載された時点で「砂の惑星」(1984)は公開済みで、すでにリンチは次の作品である「ブルー・ベルベット」の製作に入っています。そんなタイミングに掲載された記事だけあって、公開あわせの紹介記事とは少しく違った傾向のものになっています。

どこが異なっているかというと、記事が主眼としているのは「モノクロ映画の撮影」についてであって、その例示作品として「エレファントマン」がとりあげられているんですね。監督であるリンチがモノクロ映画としての「エレファントマン」についてその芸術的側面を語り、撮影監督だったフレディ・フランシスが技術的側面を述べる構成になっています。といった機序の記事なので、前半はフランシスの発言をもとにし、後半はリンチの発言をもとにしているというように、文字量的にも二人はほぼ均等に扱われています。

フランシスはモノクロ撮影ならではの技術的困難について説明しています。カラーだとそれぞれの色はそれぞれの色として撮影されるけれども、モノクロでは「色」を光と影に落とし込まなくてはならない……つまり、もとが異なった色であってもモノクロでは同じ明度になってしまうことがあり、それを見越した「色彩設計」が必要になるということです。なるほど、言葉をかえればさまざまな撮影対象の「色」がモノクロで表現されたとき、どのような明るさの「灰色」になるかを考えねばならないというわけですね。また、フィルムそのものの選択(「エレファントマン」ではKodak Plus Xを使用)や、カラー全盛時代になってモノクロ・フィルムの需要が減り、そもそも生産量が少なくて品薄なのに、撮影途中で駄目になっているフィルムが見つかって必要量を確保するのに苦労したといったエピソードも明らかにされています。

一方のリンチですが、「エレファントマン」をなぜモノクロで作ったのかという質問に対してこのように答えています。「自分にとっては、すべてがフィーリングと直感だ。カラーであるべきと感じた作品はカラーで撮るし、モノクロで撮るべきと感じた作品はモノクロにする」……って、おーい、あんまり参考にならんぞ(笑)。当然ながら記者も同様に感じたようで、ではカラーでは不可能だけどモノクロだと出来ることってナニ? という突っ込んだ質問をぶつけています。それに対しても「それもよく聞かれるんだが、言葉で説明することは難しい」と答えるリンチ。うーん、この時点で、記者は「ぐわ、とりあげる作品を失敗した」と思ったかも(笑)。

とはいえ、そのかたわらリンチは「モノクロ映像がもつ力」について、自分なりの観点から語ってもいます。「モノクロ映像は、観客を異なった世界に誘う力を備えている。『エレファントマン』では過去(の世界)だし、『イレイザー・ヘッド』ではパラレル・ワールドだ。ときとして、カラー映像はリアル過ぎて異なった世界に没入するのを妨げることがある。モノクロ映像は、物事をより純粋にするのだ」「(モノクロ映像は)より物事をパワフルにする--観客を現実から切り離すという点で。これがうまく寄与する作品もあれば、そうでない作品もある。そこが直感の働かせどころだ」……というように。なんだ、割とうまく説明できてるんじゃん(笑)。よかった、よかった、安心した(笑)。

この時点で「ブルー・ベルベット」の製作作業に入っていたことは前述したとおりですが、この作品をカラーで撮ることを決めるに先だって、リンチはモノクロでのテスト撮影を行ったそうです。それを上映してみたあと、最終的に「ごちゃごちゃし過ぎて、かえって平板になっている」という判断をリンチは「直感にしたがって」下し、カラーでの撮影を決めたとか。「フィーリング」や「直感」というと、我々はどうしても漠然としたイメージを連想してしまいますが、リンチの場合、そうした周到な実テストを踏まえたうえでの「フィーリング」や「直感」であることには留意しておくべきだと思います。あるいは「インランド・エンパイア」も、そのような「実テスト」の延長線上に成立した作品であるといえるかもしれません。

続いて、フレディ・フランシスと同様、リンチもモノクロ撮影特有の難しさを語ります。そこで言及されているのは、基本的にはやはり「撮影対象の描き分け」についてです。ただ、フランシスがこの問題を「撮影対象の色彩設計」の視点から語っていたのに対し、リンチは「撮影対象のテクスチャー」……滑らかなのか、柔らかいのか、稠密であるのか、あっさりしているのか……という観点から考える必要性を主張します。かつ、それにとどまらず、「テクスチャー」を基本として考えるほうが自分には好ましく、「撮影対象が備える色」をそのまま撮影することが可能なカラーはあまり面白くないとまでリンチは言及しています……当時製作中だった「ブルー・ベルベット」に関しても、「撮影対象をカメラの前に置いて、ただ撮っただけ」であると。同作品の冒頭に現れる鮮烈な色彩群を思い浮かべるとき、これらの発言はちょっと意外ですらあります。

この「テクスチャーの問題」は、記者による「『イレイザー・ヘッド』はフィラデルフィアから生まれた。では、『エレファントマン』はどこから生まれたのか?」という質問への回答においても言及されています。「まず出発点になったのは『テクスチャーへの嗜好』だった。そしてこの嗜好は、『表層の下にあるもの(beneath the surfac)』という、興味をそそられるアイデアにつながっていった。エレファントマンの外見(surface)の下には、素晴らしい魂が存在している。その魂の素晴らしさは明白だが、外見のせいでなかなかそれは理解されない。これは良いアイデアだと自分には思えた」とリンチは述べています。もちろんこのアイデアは”『内面』にあるものを覆い隠す『外面』  という具合に読み替えることが可能であり、”人間の内面を表すものとしての「家」”というリンチの共通テーマと通底しているのは間違いないかと。

さて、記事の最後で、リンチはこのように発言しています。すなわち、「自作映画のほとんどのシナリオを自分で書いているが、それは青写真であり、フィーリングであり、アイデアに過ぎない。映画にしたときの最終形は頭の中にある。問題なのはフィーリングであり、そのフィーリングには忠実であり続けなくてはならない。途中で気持ちを変えれば変えるほど、アイデアは弱くなり、映画も弱くなる。製作を進めているうちにあるシークエンスやテンポが要求される場合もあるだろうが、結局のところ必要となるのは、じっくり腰を落ち着けてそもそものフィーリングがどのようなものであったかを思い起こすことだ」……と。

といった具合に、使われている言葉の違いはありますが、先に紹介した1980年における発言と同様、これまたリンチが現在も繰り返し述べている「アイデアに忠実であれ」という発言のヴァリエーションあるいは原型であるといえます。このことからもわかりように、少なくともこの30年にわたってリンチの「製作に対する基本的な姿勢」はまったく変わっていません。あるいは、今回紹介した二つの発言の間にある言葉の差異は、リンチの「思い」が「確信」に変わる過程を表しているようにも思えます。

(続く)

2010年3月 5日 (金)

Wikipediaをめぐる出版ビジネスと電子書籍のあれこれ

さて、日ごろの話題とはころっと変わりますが、先日のAlphascript Publishing社の話題をきっかけに、Wikipediaに関連した書籍ビジネスの例を調べてみました。

ざっと見回した範囲ですが、まずWikipediaをもとにした書籍ビジネスに手をつけたのは、意外やドイツの大手出版社Bertelsmannでした。2008年に「Das WIKIPEDIA Lexikon in einem Band(The One-Volume Wikipedia Encyclopedia)」という992ページの小百科事典を19.95ユーロの価格で刊行しています。これは、ドイツ版Wikipediaから参照率が高い25,000項目を抜粋したもの(当時の独Wikiの全項目数は750,000項目)。

ドイツ版Wikipediaは記述の正確性が高いことで定評があるらしいですが(国民性ですかね?)、それでもやはりBertelsmann社のほうで校正・校閲を行ったようです。ま、ここらへんは出版社としての矜持でしょうか。好評であれば、年度版として以降毎年刊行することを狙っていたようですが、どうやら続刊が出た様子はありません。

刊行に際して、一冊売れるたびに1ユーロを独Wikipediaに寄付するという仕組みをBertelsmann社は採用しましたが、でもやっぱりこのときもWikipedia執筆者の間で「こういう商売はどうなんだ?」という議論が起きています。最終的には、「GFDL(GNU Free Documentation License)のライセンス下では、商業利用は問題なし」というのが結論になった気配。

次に目に付いたのが、Pediapress。こちらは、Wikipediaからユーザーが自分で選んだ記事項目を、まとめてオンデマンドで書籍化してくれるサービス。最低価格がUS$ 8.90 (100ページ)からということで、Alphascript Publishing社に比べてかなり良心的な価格設定になっています。なんだ、これでいいじゃん(笑)。

サイトにあるサンプルPDFをみてみましたが、「記事は専門家や学識経験者が書いたものとは限らず、誤りがある場合がある。内容の正確さを求めるなら、専門家や学識経験者が書いた書籍を読むことを勧める」由の断り書きがありました。このあたりも、この会社の良心性を物語るものであるといえます。各国語版のWikipediaに対応しているようですが、日本語に対応しているかどうかは不明。

もうひとつが、DailyLit。こちらはちょっと異質で、版権が消滅した書籍や版権がフリーの書籍を、メールあるいはRSSで配信してくれるサービス。一冊を丸ごと配信するのではなく、こちらが読み進むペースにあわせて何ページかずつ配信してくれるところがミソ。「スポーツ偉人伝」など、英語版Wikipediaに記載された記事をまとめたものが3点ほどあります。

現在のところ、登録・配信は無料。試しに「週三回配信」という条件で登録してみて何日かたちましたが、なぜか今のところ配信されてくる気配なし。あれえ?

……という具合にそれぞれに特色があって、ひとくちに「電子出版(およびその周辺)ビジネス」と一口にいっても、多様な方法論があるなと感じました。

そのなかでも、Bertelsmann社の方法論は現行の「書籍」の概念にもっとも近いものであるといえます。とりようによっては、事典を作るに際して、Wikipediaを項目選択のツールに使い、その記述を「第一稿」として流用したという見方ができるかも。

逆にPediapress社のモデルは、ユーザー側が自分の必要な項目を選択できるところが、ウェブとオンデマンドの特性を生かしているように思います。考えてみれば、これもWeb to Printの一形式なんですね。

DailyLit社のサービスも、「ペーパー・レス」であることはもちろんですが、「読書ペース」あるいは「途中で読むのをやめる権利」というユーザー側の自由度を認めている点が、Webベースならではという印象を受けました。

こういう具合に他例をみていくと、やはりAlphascript Publishing社の方法論には何かひっかかりを覚えざるを得ません。と同時に、同社のビジネス・モデルが引き起こしている波紋は、これから日本においても電子出版が本格化したとき、どのような問題が発生し得るかについて示唆を与えてくれるような気がします。そこでは、内容が充分吟味された書籍も、そうではない書籍も、一律に「情報=データ」として並べられることになります。たとえば米Amazonは、自分が書いた文章をKindle版データに変換して売るシステムを設けています。厳しい言い方をすれば、実績のない著者でも、自分の書いた本を大手出版社の本と同列に並べて売ることが可能なわけです。確かにそうした「紙ベースの出版からの解放」のなかでは、既存の出版社では出版不可能な、非常にユニークな本が登場する可能性もあります。しかし、同時に、「検索システム」や「リコメンド・システム」「アフェリエイト・システム」の特性を利用し、それらのシステムにうまく乗っかる手法をとった「書籍」の露出度が上がるという状況も、充分にあり得ることでしょう……そう、Alphascript Publinshing社の本のように。

もしその書籍に充分な「内容」が伴っていない場合、一定のスパンでみれば、ユーザー側の「評価」によってそうした「露出」が無効化されていくだろうことは間違いないと思います。が、ネットがもつフラットな特性は、ユーザー側の取捨選択に対して、逆方向の負荷を与える可能性があることは念頭においておくべきかもしれません……そして、そこでは「出版社」という「フィルター=吟味」が無力化される可能性があることも、また。

2010年3月 2日 (火)

「David Lynch: Interviews」を読む (2)

つなわけで、Richard A. Barney編の「David Lynch: Interviews」を読んでのアレコレの第二回目。

まずは、「イレイザーヘッド」が公開されてミッドナイト・シネマとして話題になった頃のインタビューが2本。

1本目は「Soho Weekly News」の1977年10月10日付に掲載されたものですが、主体となっているのは記者が書いた「イレイザーヘッド」評およびリンチの略歴紹介であり、リンチの発言はその大部分が記者の書いた文章のなかで引用されるという形式になっています。いわゆる一問一答形式になっているのは全体の6分の1くらいで、あろうことかその部分で論じられているのが例の「赤ん坊」の話題だもんで、ぶっちゃけリンチは言葉を濁しているだけという始末です(笑)。ダメじゃん、インタビューになってないじゃん(笑)。

まあ、基本的にこれは純粋な意味でのインタビューというよりは、記者がインタビュー取材をしたうえでまとめた記事である……と理解したほうがよいと思います。取材で得たインタビュー対象者の発言を記事内に引用するというのは、もちろん特別な手法ではありません……オレが言いたかったことと違う! ってな騒ぎが起きる可能性のあるパターンでもありますけど(笑)。むしろ気になるのは、わざわざ一問一答形式の部分を残した意図であります。非常に穿った見方をするなら、「コイツったら、ずっとこんな感じで困っちゃいましたよー」ということを言いたいがために、特に困っちゃった箇所をば一問一答形式のままにしたのかもしれません(笑)。

とはいえ、その抜粋され引用されたリンチ発言のなかにも、なかなかに興味深いものもありました。記者は「イレイザーヘッド」のモノクロ画面について「初期のポーランド映画や、日本映画あるいはロシア映画のいくつかを連想させる」と述べます。しかし、リンチは「『イレイザーヘッド』はドイツ映画の匂いがするという人がいる」ことは認めつつも、海外映画からの影響を完全に否定しています。記者が挙げたような海外映画作品は観たことがないし、「本当に『イレイザーヘッド』に影響を与えたのはフィラデルフィアなんだ」、と。

個人的には、記者のいっている「海外映画作品」が、いったいどのあたりを指しているのかが気になります。具体的な作品名を挙げていてくれれば、ああ、その頃はそーゆーふーにみられてたのねというのがわかって参考になったんですが。さて、通常、「初期ポーランド映画」というとどこらへんを指すんでしょーか。初期というからには、いわゆる「ポーランド派」……イェジー・カワレロウィッチとかアンジェ・ワイダとかの作品を言ってるわけではなさそうに思うんですが、すんません、それ以前のポーランド映画って観てないんでよくわかりません。日本映画はモノクロ映像の美しさという点で、小津とか溝口とかあたりかながありそうな線。ただし、衣笠貞之助の「狂った一頁」が1975年1月に米国で上映されていたりするので、もしかしたらもしかしたりなんかして(笑)。同様に、ロシア映画はどのあたりを言ってるのかも不明瞭なんですが、ぱっと思いつくのはジガ・ヴェルトフとか……いや、有名どころ過ぎるかなあ? あわせて、当然ながら「イレイザーヘッド」に「カリガリ博士」などのドイツ表現主義映画の影響を認める向きが当時からいたらしきことも、リンチの発言からはうかがえます。

2本目は、「East Village Eye」の1980年2月号に掲載されたもの。こちらは、オーソドックスな一問一答形式のインタビューになっており、ここでは創作作業における「アイデア」に関して発言しています。

「アイデアは断片(fragments)の形でやってくる。次にするのは、それらの断片をつなぐ織り糸(thread)を手に入れることだ。そこまで来ればもう少しだ。一度この織り糸を手に入れれば、他の断片も収まるべきところに収まり、頭の中で何かが出来上がる」

とまあ、このリンチ発言だけピックアップしてしまうと、通常の映画製作の方法論とどこがどう違うのか、あまり明確でないように感じます……程度の差こそあれ、プロットやシナリオを作製する段階で同じようなことを誰でもやってるわけで。しかし、後にのインタビューで出てくる「アイデアとテーマの関係性」に関するリンチの発言をあわせて読むと、両者の「差異」というか「温度差」というかが明確になってきます。

「通常の方法論」による作品であれば、大部分において、その「織り糸」となるのは「テーマ」です。そのような作品において、リンチが述べているような作業はプロット作成やシナリオ製作の際に行われるのが普通です。その過程においてさまざまな修正が加えられるわけですが、その修正基準は「テーマの明確化」です。「テーマの明確化」に寄与しないアイデアやプロットは修正あるいは削除され、より寄与するアイデアやプロットへと置き換えられると同時に、可能な限り「単純化」されます。それがハリウッドの手法であり、いまやグローバル・スタンダードとなっている手法です。極論すると、そこでは「織り糸=テーマ」のために「アイデア=断片」の修正や取捨選択が行われるわけです。

しかし、後に「マルホランド・ドライブ」に関するインタビューで、リンチは……

「一連のアイデアのなかからテーマが見つかるなら、それは素晴らしいことだ。しかし、何かテーマを手に入れたから『このテーマで映画を作ろう』と考えるのは、自分にとっては本末転倒だ」

……と述べています。これらの発言をみるかぎり、リンチはあくまで「アイデア=断片」のほうを優先的に考えており、「織り糸」はよくてそれと同等あるいは従に過ぎません。かつ、リンチ作品における「織り糸」は、いわゆる(「ナラティヴな作品」における)「テーマ」と呼ばれるものだとは限らないし、その明確化はリンチの意図するところではないといえます。リンチのいうアイデアとは、有機的に結合し、その総体として緩やかに作品を形成するものといえるでしょう。

これらのリンチの発言を了解するうえで、結果として「イレイザーヘッド」は完成までに5年の年月を費やしており、その撮影作業と平行して”「アイデア=断片」をつかまえ「織り糸」でつなぐ作業”が同時進行的に行われていたことは念頭においておくべきだと思います。そして、ほぼ同じことを直近の「インランド・エンパイア」でもやっちゃってるわけで、リンチの創作技法そのものは最初期から現在に至るまで、まったく変わってないことがわかります。

(続く)

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