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2010年3月15日 (月)

「David Lynch: Interviews」を読む (3)

そんなこんなで、Richard A. Barney編の「David Lynch: Interviews」を読んでのアレコレの第三回目。

今回は、「エレファントマン」(1980)関連の記事をば二発。

一本目は、作品が公開された年、すなわち1980年の「Box Office」10月号に掲載されたJimmy Summersによる記事です。この記事もリンチへのインタビューをもとに記者がまとめるという、「聞き書き」の形式をとっています。

記事中、本当は「イレイザーヘッド」の次回作として、これも完全オリジナルである「ロニー・ロケット」が作りたかったとリンチは述べています。しかし、「イレイザーヘッド」がミッドナイト・ムービーとして成功したとはいえ、スタジオから声がかかるほど収益をあげられたわけではなかったことも、同時に認めています。そして、映画の仕事を続けるためには、他の誰かの題材をもってするしかないと決意したと述べます。このあたりの経緯はGreg Olson氏が「Beautiful Dark」でも触れていましたが、おそらく元ネタはこの記事だと思われます。

このあと、リンチがメル・ブルックスに認められて「エレファントマン」を作ることになった経緯が述べられていますが、ここではサクっと省略っと(笑)。

クリストファー・デヴォアとエリック・バーグレンが書いた「エレファントマン」のシナリオは、まずメル・ブルックによって、次にリンチが参加して、都合二回の修正が施されています。当初のシナリオ自体がよくできていたことを断ったうえで、リンチは「シナリオは手直しされたが、我々のジョン・メリックに対する愛情はなにも変わらなかった。我々は彼に対して忠実であり続けたし、彼のキャラクターをもてあそぶことはしなかった」と述べています。この発言の「彼」という言葉を「アイデア」に置き換えれば、リンチがことあるごとに繰り返す「アイデアに忠実であれ」という発言と完全に重なるのは非常に興味深いところであります。

「エレファントマン」の製作が終わったあと、デヴォアやバーグレンたちと、もう一度組んで仕事をするかどうか話し合ったことをリンチは明らかにしています。そして、最終的に、自分で何かシナリオを書くほうを優先させることにした、と。「自分が本当にやりたいことをするには、自分自身でやるしかないと思った。自分がこの作品はいいと信じていても、そうでない人間が少数でも携わっていたとしたら、結局のところそれは妥協することになる。可能な限りコントロールする権利を手に入れることは、自分にとって本当に重要なことなのだ」というのがこのときの弁。ですが、ご存じのとおり次に作ったのがデ=ラウレンティスと組んだ「砂の惑星」で、なおかつここで恐れていたとおりの結果になっちゃったわけで、リンチ、言ってることとやってることが矛盾しています(笑)。わかってんなら、やんなきゃいーじゃんよーてなもんですが、まあ、「諸般の事情」というのはどこにでもあるということで(笑)。

二本目の「エレファントマン」関連の記事は、「Movie Maker」の1985年10月号に掲載されたStuart Dillinによるもの。掲載年をみればわかるように、この記事が掲載された時点で「砂の惑星」(1984)は公開済みで、すでにリンチは次の作品である「ブルー・ベルベット」の製作に入っています。そんなタイミングに掲載された記事だけあって、公開あわせの紹介記事とは少しく違った傾向のものになっています。

どこが異なっているかというと、記事が主眼としているのは「モノクロ映画の撮影」についてであって、その例示作品として「エレファントマン」がとりあげられているんですね。監督であるリンチがモノクロ映画としての「エレファントマン」についてその芸術的側面を語り、撮影監督だったフレディ・フランシスが技術的側面を述べる構成になっています。といった機序の記事なので、前半はフランシスの発言をもとにし、後半はリンチの発言をもとにしているというように、文字量的にも二人はほぼ均等に扱われています。

フランシスはモノクロ撮影ならではの技術的困難について説明しています。カラーだとそれぞれの色はそれぞれの色として撮影されるけれども、モノクロでは「色」を光と影に落とし込まなくてはならない……つまり、もとが異なった色であってもモノクロでは同じ明度になってしまうことがあり、それを見越した「色彩設計」が必要になるということです。なるほど、言葉をかえればさまざまな撮影対象の「色」がモノクロで表現されたとき、どのような明るさの「灰色」になるかを考えねばならないというわけですね。また、フィルムそのものの選択(「エレファントマン」ではKodak Plus Xを使用)や、カラー全盛時代になってモノクロ・フィルムの需要が減り、そもそも生産量が少なくて品薄なのに、撮影途中で駄目になっているフィルムが見つかって必要量を確保するのに苦労したといったエピソードも明らかにされています。

一方のリンチですが、「エレファントマン」をなぜモノクロで作ったのかという質問に対してこのように答えています。「自分にとっては、すべてがフィーリングと直感だ。カラーであるべきと感じた作品はカラーで撮るし、モノクロで撮るべきと感じた作品はモノクロにする」……って、おーい、あんまり参考にならんぞ(笑)。当然ながら記者も同様に感じたようで、ではカラーでは不可能だけどモノクロだと出来ることってナニ? という突っ込んだ質問をぶつけています。それに対しても「それもよく聞かれるんだが、言葉で説明することは難しい」と答えるリンチ。うーん、この時点で、記者は「ぐわ、とりあげる作品を失敗した」と思ったかも(笑)。

とはいえ、そのかたわらリンチは「モノクロ映像がもつ力」について、自分なりの観点から語ってもいます。「モノクロ映像は、観客を異なった世界に誘う力を備えている。『エレファントマン』では過去(の世界)だし、『イレイザー・ヘッド』ではパラレル・ワールドだ。ときとして、カラー映像はリアル過ぎて異なった世界に没入するのを妨げることがある。モノクロ映像は、物事をより純粋にするのだ」「(モノクロ映像は)より物事をパワフルにする--観客を現実から切り離すという点で。これがうまく寄与する作品もあれば、そうでない作品もある。そこが直感の働かせどころだ」……というように。なんだ、割とうまく説明できてるんじゃん(笑)。よかった、よかった、安心した(笑)。

この時点で「ブルー・ベルベット」の製作作業に入っていたことは前述したとおりですが、この作品をカラーで撮ることを決めるに先だって、リンチはモノクロでのテスト撮影を行ったそうです。それを上映してみたあと、最終的に「ごちゃごちゃし過ぎて、かえって平板になっている」という判断をリンチは「直感にしたがって」下し、カラーでの撮影を決めたとか。「フィーリング」や「直感」というと、我々はどうしても漠然としたイメージを連想してしまいますが、リンチの場合、そうした周到な実テストを踏まえたうえでの「フィーリング」や「直感」であることには留意しておくべきだと思います。あるいは「インランド・エンパイア」も、そのような「実テスト」の延長線上に成立した作品であるといえるかもしれません。

続いて、フレディ・フランシスと同様、リンチもモノクロ撮影特有の難しさを語ります。そこで言及されているのは、基本的にはやはり「撮影対象の描き分け」についてです。ただ、フランシスがこの問題を「撮影対象の色彩設計」の視点から語っていたのに対し、リンチは「撮影対象のテクスチャー」……滑らかなのか、柔らかいのか、稠密であるのか、あっさりしているのか……という観点から考える必要性を主張します。かつ、それにとどまらず、「テクスチャー」を基本として考えるほうが自分には好ましく、「撮影対象が備える色」をそのまま撮影することが可能なカラーはあまり面白くないとまでリンチは言及しています……当時製作中だった「ブルー・ベルベット」に関しても、「撮影対象をカメラの前に置いて、ただ撮っただけ」であると。同作品の冒頭に現れる鮮烈な色彩群を思い浮かべるとき、これらの発言はちょっと意外ですらあります。

この「テクスチャーの問題」は、記者による「『イレイザー・ヘッド』はフィラデルフィアから生まれた。では、『エレファントマン』はどこから生まれたのか?」という質問への回答においても言及されています。「まず出発点になったのは『テクスチャーへの嗜好』だった。そしてこの嗜好は、『表層の下にあるもの(beneath the surfac)』という、興味をそそられるアイデアにつながっていった。エレファントマンの外見(surface)の下には、素晴らしい魂が存在している。その魂の素晴らしさは明白だが、外見のせいでなかなかそれは理解されない。これは良いアイデアだと自分には思えた」とリンチは述べています。もちろんこのアイデアは”『内面』にあるものを覆い隠す『外面』  という具合に読み替えることが可能であり、”人間の内面を表すものとしての「家」”というリンチの共通テーマと通底しているのは間違いないかと。

さて、記事の最後で、リンチはこのように発言しています。すなわち、「自作映画のほとんどのシナリオを自分で書いているが、それは青写真であり、フィーリングであり、アイデアに過ぎない。映画にしたときの最終形は頭の中にある。問題なのはフィーリングであり、そのフィーリングには忠実であり続けなくてはならない。途中で気持ちを変えれば変えるほど、アイデアは弱くなり、映画も弱くなる。製作を進めているうちにあるシークエンスやテンポが要求される場合もあるだろうが、結局のところ必要となるのは、じっくり腰を落ち着けてそもそものフィーリングがどのようなものであったかを思い起こすことだ」……と。

といった具合に、使われている言葉の違いはありますが、先に紹介した1980年における発言と同様、これまたリンチが現在も繰り返し述べている「アイデアに忠実であれ」という発言のヴァリエーションあるいは原型であるといえます。このことからもわかりように、少なくともこの30年にわたってリンチの「製作に対する基本的な姿勢」はまったく変わっていません。あるいは、今回紹介した二つの発言の間にある言葉の差異は、リンチの「思い」が「確信」に変わる過程を表しているようにも思えます。

(続く)

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