「ロスト・ハイウェイ」を観た (63)
なにがなんでも、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」についてである。引き続き”「アンディの屋敷」の内部”のシークエンスについて。その第五回目として、(1:44:47)から(1:45:40)までをばウダウダと書いてみる。
アンディの屋敷 内部 夜 (1:44:47)
(34)アリスのアップ。ピートの左からのショット。アウト・フォーカス気味に見えるピートの頭の右側面から首。ピートから目を離して、アンディのほうに視線を落とすアリス。そのままアンディのほうを見下ろしている。少しアリスに近づくピート。
ピート: What do we do?
目を左に寄せて、ピートのほうを見るアリス。二人にクロース・アップ。その途中で、頭を左に向け、ピートを真正面から見るアリス。
ピート:(かすれ声で)What do we do?
(35)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。アリスの左後頭部が、アウト・フォーカスで画面右端に見切れている。真剣な表情で、アリスを見詰めている。
アリス: We have to get the stuff.
(36)アリスのアップ。ピートの右肩越しのショット。ピートを見詰めているアリス。
アリス: We have to get out of here.
ピートから体を離し、画面右に消えるアリス。それを見送るピート。画面右下のほうを向く。
(37)ミドル・ショット。横たわるアンディを、左上方からおさめるショット。左手を床につき、彼の体にかぶさるようにして右手をアンディの体に伸ばすアリス。彼女の背中を収めるショット。右手をアンディがしているネックレスの留金に伸ばし、そのまま彼の身体の左に膝をついて、両手でその留金を外すアリス。外れたネックレスを左手で持つ。
(38)ピートのアップ。バスト・ショット。アリスのしていることを見守っているピート。彼の左には、まだ映写を続けている映写機が見える。その右には、二階に続く階段の一部が見える。
(39)アリスの背中のアップ。床に膝を突き、右手で投げ出されたアンディの左手を支え、左手で彼の指輪を外そうとしている。画面左には、白い絨毯の上に置かれたアンディのネックレスが光っている。少し後退する視点。なかなか指輪は外れない。
アリス: Aw, fuck!
左手を床の上に突き、今度は右手で指輪を外そうとする。
(40)ピートのアップ。バスト・ショット。アリスのしていることを見守っているピート。彼にクロース・アップ。それと同時に、スクリーンのほうを見上げるピート。
(41)スクリーンに映された映像のアップ。体を揺らしつつ、口を開けて喘いでいる女性の顔のアップ。彼女の背後で動いている男性。
(42)ピートのアップ。スクリーンを見上げつつ、半ば口を開けてゆっくりと後退するピート。アリスのほうに再び目を下ろす。
(43)ミドル・ショット。床に膝を突き、アンディの左腕を持ち上げて両手で指輪を外そうとしているアリス。彼女を左後方からとらえたショット。プリズム・フィルターで歪むショット。やっと指輪が外れ、ちらりと左後方を見た後、ネックレスが置かれたあたりの床にそれを投げ出すアリス。頭を振って、顔に掛かった髪の毛を払いのける。歪んだまま、上方にパンする視点。上方に掛けられたスクリーンが視界に入ってくる。スクリーンに映された映像のなかで、後ろから男性にのしかかられて喘いでいる女性のアップ。
カット(32)においてアリスに「あなたがアンディを殺した」と指摘され、ピート=フレッドは動揺する。「ロスト・ハイウェイ」が提示する映像群がすべて「フレッドの内面で発生している事象」である以上この指摘はまったく正しいわけだが、それは彼が”「都合のいい幻想」の一部であるアリス”に期待していた回答ではないことも確かだ。自らの「幻想=アリス」に裏切られることによって「コントロールの喪失」を認識したものの、カット(34)が明示するように、どう事態を収拾したらよいか彼には判断がつかない。「我々はどうしたらいいのか?」とピート=フレッドは繰り返し問い掛けるが、もちろんこれは「自分はどうしたらいいのか?」という自問自答と同義だ。たとえば「自動車工場における音楽談議」(1:11:45)における「フィルによる代弁」などと同様に、それに対する回答は「代弁者」による「代弁」によって……「アリスによる代弁」(カット(35)(36))という形でもたらされる。「金品を奪って逃げる」という彼女の「回答」そのものは基本的に「アリスの教唆」(1:35:20)の内容と同一であり、いわば「当初目的」の再確認に過ぎない。だが、アリスが具体的行動によって実際にその「当初目的」を「代行」し始めた途端(カット(37))、フレッドの「内面」である「イメージの連鎖」が発生する。
この「イメージの連鎖の発生」を端的に表しているのが、カット(39)(40)(41)の三つのショットからなるシークエンスによって形成され、提示されるものである。具体的映像に沿って述べるなら、「アンディの指から指輪を外そうとするアリス」(カット(39))と「スクリーンに投影されるポルノ映画の映像」(カット(41))が、「アリスからスクリーンへと視線を移すピート」(カット(40))を挟んで提示されるというシークエンスである。このうち、(39)(41)の両カットは、カット(40)の映像との関係性によって、ともに「ピートの主観ショット」であることは明らかだ。結果として(39)(41)の両カットは”「ピート=フレッドの視線」の先にあるもの”として併置され、「並列関係」にあることが提示されていることになる。
問題は、”この「並列関係」によって表されるもの”が、たとえば以前に述べた「ピートの背後のポルノ映画の映像」(カット(18))と「二階から降りてくるアリス」(カット(19))とが形成していた「並列関係」とは質的に異なっている点だ。カット(18)とカット(19)がそれぞれ「忌避すべき現実」と「好ましい幻想」に関連する概念を表し、両者は「対立関係」あるいは「対置関係」にあった(それを表すように、カット(18)のピートは「ポルノ映画の映像」に背を向けている)。それに対し、現在論じているシークエンスにおける「アリス」(カット(39))は同じ「アリス」でありながら「都合のいい幻想」から「忌避すべき現実に関連するもの」へと変質し、結果としてカット(41)の「ポルノ映画の映像」と「等価関係」を結ぶものへと転換/変化してしまっているのだ。
この「転換/変化」が発生した機序をどのように理解すべきだろうか? それを論じる方法論として、まず映画史的な観点からの検討を行ってみたい。具体的にいえば、「ロスト・ハイウェイ」が随所で採用している”フィルム・ノワール作品にみられる「図式」の踏襲”が表すものについてである。この観点からすれば、そもそも”「アリスの教唆」によって「アンディに対する犯罪」を実行するピート”という「図式」自体が、たとえば「深夜の告白」(1944)や「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1946)等にみられる「女性の教唆によって犯罪を犯す男性」の踏襲であることは間違いない。だが、より強調しておきたいのは、カット(39)の「アンディの死体から金品を強奪するアリスの姿」が、多くのフィルム・ノワールが描いてきた”「犯罪に手を染める冷酷な女性」という「ファム・ファタールの典型像」と重なっていることだ。
これらのフィルム・ノワールにおける「ファム・ファタールたち」は、(あくまでその相手となる男性の観点からみた場合だが)基本的に「コントロール不能性」を備えた存在として描かれている。その嚆矢となるのが、前掲の「深夜の告白」に登場するフィリスだ。彼女がフィルム・ノワールにおける「ファム・ファタール像」のあるパターンを決定づけたことは間違いない。だが、この作品が描く不倫相手であるウォルター・ネフにとって彼女が最終的に「コントロール不能」な存在と化してしまうという「図式」自体も、後続のフィルム・ノワール作品(やその他のジャンル作品)によって幾度となく踏襲/模倣の対象となっているのである。
こうした「フィルム・ノワールの図式」を考慮する一方で、同時に俎上にあげたいのが、「ロスト・ハイウェイ」が採用している”「あるものが付随させているイメージ」の援用/転用”という手法だ。その代表的な例が「ビデオ」や「映画フィルム」であり、この二つの「視覚メディア」に付随する(とリンチが感じている)「写実性」や「指標性」といったイメージが援用/転用され、”「ありのままの記憶=現実に関連するもの」の表象”としてこれらを登場させていることについては以前にも述べたとおりである。そして、これらの諸事項を考え合わせたとき浮上してくるのは、”「あるものが付随させているイメージ」の援用/転用”という手法が、「ビデオ」や「映画フィルム」といった「具体的なもの」にとどまらず、”フィルム・ノワールにみられる「図式」”という「抽象的なもの」を題材にしても行われているという可能性だ。
少し論点を整理してみよう。
(A)「ロスト・ハイウェイ」における”フィルム・ノワールにみられる「図式」の踏襲”という方法論は、そうした「図式」からリンチが感じ取った「イメージ」を(意識的であるか否かは別として)援用/転用するために採用されている。
(B)このシークエンスにおいて援用/転用されている「イメージ」とは、フィルム・ノワールのファム・ファタールが付随させている「コントロール不能性」である。
この二つの前提に立ち、(いつものように)「フレッドの感情」をキーにして「このシークエンスが表すもの」を考えたとき、最終的にたどり着くのはやはり「レネエのコントロール不能性」の問題に他ならない。(0:05:45)や(0:27:36)のショット/シークエンスのように、これまでフレッドが彼女に対して「コントロール不能性」を感じていることは何度も示唆されてきた。この「感情/意識」は、フレッドの「内面」において「典型的なファム・ファタール」が備える「コントロール不能性」のイメージと連鎖し、カット(32)でアリスが見せ始めた「コントロール不能性」とむすびつく。そしてその結果として、”「アンディの死体から金品を奪うアリス」という事象”がフレッドによって想起されているのである。
こうした検討を経て、カット(39)の「アンディの死体から金品を強奪するアリス」とカット(41)の「ポルノ映画の映像」の「等価性」がどのように成立しているかが、次第に明確になってくる。「ポルノ映画の映像」によって表されるものは「フレッドがレネエに対して抱く不安/疑惑」であり、その不安や疑惑は彼女に対する「コントロールの不能性」に裏付けられている。その一方で、「アンディの死体から金品を強奪するアリス」もまた、典型的なファム・ファタール像を踏襲しているがために「コントロール不能性」のイメージと連結している。この「コントロール不能性」という「共通項」によって、両ショットは「忌避すべき現実(に関連するもの)」として「等価」なものになり得るのだ。
ピート=フレッドはこの「等価性」に気づいて更なる衝撃を受け、カット(40)が示すとおり思わず視線を「アリス」から「ポルノ映画の映像」へと移す。フレッドの観点からすれば、この「アリスのファム・ファタール化」(あるいは「アリスとレネエの同一化」、もしくは”「都合のいい幻想」の「忌避すべき現実」への変質”)は、形を変えた「現実による侵入」に他ならない。そのことの傍証として、カット(43)に「歪む視点」が登場することは見逃せないだろう。この「歪む視点」が、たとえば(1:22:29)の「ピートの部屋の内部」や(1:36:09)の「デイトン家の前庭」のシークエンスなどに現れた「揺れる視点」と同様/同質のものであり、ともに”フレッドの「幻想」が「現実による侵入」によってダメージを受けたこと”を指し示していることは明らかだ。かつ、このカット(43)に現れる”「アリス」から「ポルノ映画の映像」へとパンする視点”が、両者の「等価性」を確認/強調/保証すべく機能していることも、あわせて指摘しておきたい。
(この項、続く)


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