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2009年10月

2009年10月24日 (土)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (62)

「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は”「アンディの屋敷」の内部”の長ーいシークエンスに関する第四回目、(1:43:09)から(1:44:47)までを採り上げてみよう。

では、まず具体的映像から。都合上、カット(18)が前回と重複して記載されていることをお断りしておく。

アンディの屋敷 内部 夜 (1:43:09)
(18)ピートのアップ。首をやや右にかしげ、アンディのほうを見下ろしている。彼の背後では、スクリーンに投影されている女性のアップがアウト・フォーカスで見えている。大きな溜め息をつくピート。気配を感じて、視線を上げるピート。
(19)ミドル・ショット。二階に続く階段。黒いブラジャーに黒いスキャンティ姿のアリスが、右手に紫色のローブを持ち、右側の階段から階下に降りてくる。
(20)
ピートのアップ。アリスのほうを見ているピート。
(21)ミドル・ショット。画面手前に向かって歩くアリスを正面からとらえたショット。画面左手、アンディが倒れているあたりを見下ろしながらピートに近づくアリス。それに連れて後退する視点。彼女の右には背の高い黒い台の上に置かれた映写機が、強烈な光をスクリーンに向かって投げかけている。画面左から、ピートの後ろ姿が視界に入ってくる。
アリス:(アンディのほうからピートに視線を移しながら、明るい調子で)You got him!
なおも近づきつつ、画面右のほうに向かうアリス。アリスに近づくピート。それを追って少し右へパン。ピートとアリスのツー・ショットになる。
ピート:(かすれ声で)Alice...
ピートの右肩に左手をかけ、目を閉じてピートに口づけをするアリス。口づけを終えたあとも、消耗した感じで喘いでいるピート。うなだれ、アリスの右肩に頭を載せるようにする。一度離した左手をピートの肩甲骨あたりから首の後ろにまわし、慰めるようにするアリス。
(22)アンディのアップ。ピートとアリスがいる方向から、カウンターのほうを見るショット。いつの間にか意識を取り戻したアンディが、大きく口を開け、叫び声を上げながら画面手前、二人に向かって襲いかかろうとする。
(23)ミドル・ショット。ピートとアリスのツー・ショット。彼らの背中越しに、カウンターのほうを見るショット。ピートに掴みかかるアンディ。アリスは画面右のほうに逃れて姿を消す。そのままピートを肩で押し倒すアンディ。
(24)ミドル・ショット。黒い絨毯が敷かれた床に倒れるピートのアップ。上半身は左の画面外に飛び出し、足だけが視界に残る。倒れたピートの上を勢いあまって越え、画面左端から同じく姿を消すアンディ。
(25)床から上方を見上げるショット。天井に揺れながら映る、プールの照明の青い光。勢い余って画面右下から左上に飛ぶアンディの体のアップ。黒いシャツ、赤いビキニ・ショーツ。画面右上に消えるアンディ。
[何かがつぶれるような鈍い衝撃音]
(26)ミドル・ショット。スクリーンが掛けられている方向から、階段のある方向を映すショット。画面中央に立ちつくしている黒いブラジャーに黒いショーツ姿のアリス。画面左手前にある、背の低い大きなテーブルのほうを見ている。テーブルの天板はガラスでできており、そのその上には銀色の灰皿らしきものが置かれている。アリスの左には、人間の背丈の黒い台に載せられて映写を続けている映写機。アリスの左、映写機の前あたりで立ち上がろうしているピート。膝をついた位置で、アリスと同じく画面手前のテーブルのほうに目をやり、そこにあるものを認めて、ゆっくりと立ち上がる。
(27)ミドル・ショット。足を画面右手前方向に、うつ伏せになって床に倒れているアンディ。だが、彼の額は、テーブルの天板の右角にめり込んでいる。体の脇に沿って、投げ出された左腕。ガラスの天板と、彼の身体の下あたりの白い絨毯に広がる血。彼の右には黒い長ソファがあり、その端にはアリスの黒いバッグと豹柄の上着が置かれている。かすかに揺れる視点。
(28)
ミドル・ショット。ピートとアリスのツー・ショット。腰の下あたりからのショット。画面右にいるアリスのほうを振り向くピート。アリスもピートのほうを見る。アリスと目を合わせた後、再度アンディのほうを見下ろすピート。左手をあげ、拳の甲を口のあたりに押し付ける。やがて手をおろすピート。どちらからともなく、アンディのほうを見下ろしたまま、画面右手前のほうに向かって歩き始める二人。
(29)ミドル・ショット。ピートの主観ショット。倒れているアンディの上半身とテーブルを視界に収めたまま、アップになりつつ左方向に回り込むショット。天板のガラス板がアンディの額に食い込んでいる様子が視界に入ってくる。
(30)ミドル・ショット。ピートとアリスのツー・ショット。バスト・ショット。画面左端にピート、画面右端にアリス。二人の間には不自然な空間があり、背後の白い壁がぼんやりと映されている。ややピートはアリスに近づくが、二人の間は離れたままだ。二人とも、画面左下のほう、アンディが倒れているあたりを見下ろしている。
(31)アンディのアップ。二人がいるあたりからのショット。画面右上方を向いたテーブルのガラス板の角は、5センチ以上アンディの額に食い込んでいる。テーブルの上に広がりつつある血。アンディの顔は、曇りガラスの天板に隠れていて見えない。ダラリと体に沿って投げ出されたアンディの左腕。手の平は上を向いている。
(32)ミドル・ショット。ピートとアリスのツー・ショット。バスト・ショット。画面左奥の方に少し後退する二人。まだアンディのほうを見下ろしたままだ。
アリス:(感心したように軽い口調で)Wow!
ピートの表情は固いままだ。
ピート: We killed him...
画面左手、ピートのほうを目だけで見るアリス。
アリス:(しばらく沈黙した後)You killed him.
画面右のアリスのほうを振り返るピート。
(33)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。アリスの左後頭部が、アウト・フォーカスで画面右端に見切れている。アリスの言葉に、呆然としたように彼女を見詰めているピート。
ピート:(かすれ声で)Alice...

まず注目したいのは、カット(18)からカット(20)のシークエンスによって表されるものである。このシークエンスが具体的映像として提示しているのは、「ポルノ映画の映像」のイメージと「アリス」のイメージの間に立つピートの姿だ。この二つのイメージが、それぞれ「フレッドのレネエに対する疑惑/不安」と「レネエの優秀な代替イメージ」を指し示していることについてはこれまでも述べてきたとおりであり、結果として両ショットの関係性によって表象されるのは、この「二つのイメージ」の間を揺れ動く「フレッドの意識」である。

「ポルノ映画の映像=レネエに対する疑惑/不安」が「ありのままの記憶=レネエ殺害」につながるものである以上、それはフレッドにとって「忌避の対象」であるはずだ(それがゆえに、「ポルノ映画の映像」は”「アンディの屋敷」の内部=意識内意識”に隠匿されている)。逆に「アリス」が「優秀なレネエの代替イメージ」である限りにおいて(この場合「優秀な」というのは「都合がいい」のと同義である)、それはフレッドにとって「好ましい」ものである。このようにこれらのイメージが表す「概念」(とそれに対するフレッドの「感情」)を踏まえたとき、「ポルノ映画の映像」から目を背け、「アリス」に慰撫され安堵の表情を浮かべるピートの姿は(カット(21))、「ロスト・ハイウェイ」が描く”「フレッドの遁走」の本質”を端的に「図式化」したものということになる……その過程において、”「現実に関連するもの=アンディ」の排除”という行為が付随することをも含めて。

だが、カット(22)以降、事態は大きく変化する。これまで「アリスの教唆」(1:35:20)どおりに(それはつまり、「フレッドの意志」どおりにという意味だ)発生していた事象が、突然そこから逸脱して思わぬ展開を始めるのだ……具体的映像に沿っていうなら、ピートが頭部を殴ったことによって「人事不省」であったはずのアンディが意識を取り戻し、ピートに反撃を試みた挙句、とんでもない状況で命を落とす(カット(19)-(27))といった具合に。「アリスの教唆」の内容をみる限りにおいて、フレッドが想定していたのは「アンディの頭部を殴り(you crack him in the head)」、彼を人事不省にして金品を強奪することにとどまっており、少なくともアンディが命を落とすような事態は「フレッドの思惑」には織り込まれていない。

フレッドにとって、この”「計画あるいは教唆」からの逸脱”が意味するところは重大である。そもそも「アンディからの金品の強奪」は、繰り返しフレッドの「幻想」に対して侵入を行う「現実=ミスター・エディ」から逃れるための……つまりは「新たな遁走」を実現するための「手段」であったはずだ。かつ、その「新たな遁走」が必要とされたのは、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」が度重なる「現実の侵入」に耐えきれず変調をきたし、「崩壊」への途を辿り始めたからだった。しかし、その「新たな遁走」すらも、いまや変調を呈し始めているのだから。

フレッドが「アリス」という「代弁者」を立てて「直接的な関与」から逃れようとしていたこと……要するに「責任からの回避」を試み、安全な「立場」を確保したままでいたいと願望していたことは、前回にも触れたとおりである。加えて、彼は「アンディからの金品の強奪」という形で表される「現実への反抗」を、可能な限り密やかに(そう、ちょうど、自分の自動車を使わないでバスに乗り、人知れず犯行現場を訪れるように)執り行うとしていたはずなのだ。基本的にピート=フレッドは、「重大な事項に関与し、自分が厳しく糾弾されるような状況」を可能な限り回避したいと考えている……なぜなら、それこそが”死刑囚房に収監されている「現実のフレッド」の状況”そのものだからだ。にもかかわらず、このシークエンスで発生した事象は「フレッドの願望」に沿おうとせず、彼の「計画」からも逸脱している。このことが指し示す事実はひとつだ。結局のところ、彼は”「幻想/捏造された現実」に対するコントロール”を失っただけでなく、同様に”「新たな遁走」に対するコントロール”をも失いつつあるのである。

このような意味合いにおいて、”宙を飛ぶアンディの背後に、もしくは彼が画面から姿を消した後の天井に、プールから放たれる「揺らめく青い光」が反射している”というカット(25)の映像は、「フレッドの不安や疑惑」の本質を描くものとして非常に興味深いものがある。「現実に関連するもの=アンディ」が排除され消え去ったあとも、「フレッドの不安や疑惑」は変わらず残るのだ。「不安や疑惑の対象」が現実に存在するか否かは「フレッドの感情」にはまったく関係なく、たとえ「対象」が消失しても彼は「自らの不安や疑惑」にずっと苛まれ続けるのである。そうした観点からすれば、むしろカット(25)の映像は”「新たな遁走」に対するコントロールの喪失”に起因する”「新たな不安」の発生”を示唆するものですらある。

では、状況が完全にフレッドの手を離れているかというと、実はそうでもない。少なくとも彼は「アンディという障害の排除」には成功しているし、なによりも「アンディが命を落とす具体的経緯」にはピート=フレッドが「責任を回避する」余地が微妙に残されている……そもそもの経緯はどうであれ、ピートは突然襲いかかってきたアンディを避けようとしただけなのだから(カット(22)-(24))。非常に「都合良く」解釈するなら、これはピート=フレッドの直接的関与の域を越えた「回避不能な事故」の範疇なのである。それを補完するかのように、本編から編集時にはカットされているが、シナリオではカット(33)の直後に以下のようなアリスの台詞が存在する……すなわち、「これは事故よ。いつだって事故は起きるわ(It was an accident... Accidents happen every day)」。これが「アンディを排除した」直後の”フレッドの「意識」あるいは「願望」”を「代弁」していることは明白だが、それだけでなく、”「毎日のように起きる事故」のなかに「レネエ殺害」をも含めてしまいたい”という「フレッドの意志」が垣間見える点は見逃してはならないだろう。「アンディ殺害」という事象があたかも「回避不能な事故」であるかのような状況で発生する裏側には、「レネエ殺害も回避不能な事故であった」と考えたい「フレッドの願望」が横たわっているのだ。このことからもわかるように、この二つの「殺人事件」はフレッドの「内面」において互いに関連づけられ、「イメージ」として連鎖しているのである。

たとえば「アンディの屋敷のプール」が「隣家の子供用プール」へと置換されたのと同様に(0:55:08)、自分が引き起こした「犯罪」を「回避不能な事故」にすり替えようとすることも、フレッドが(意識的/無意識的に)行っている「現実の矮小化作業」のひとつであるのは確かだ。が、こうした「矮小化」が「詭弁」であることを、誰よりも認識しているのはフレッド自身なのである。それを端的に表しているのが、カット(32)におけるピートとアリスの「会話」だ。「我々が(アンディを)殺した」とピートは呟くが、それに対しアリスは「あなたが殺したんでしょ」と指摘する。もちろん、第一義的には、この「指摘」が「アンディ殺害」に関するものなのはいうまでもない。が、よく考えれば、この指摘は「レネエ殺害」に関しても(それこそ文字どおりの意味で)当てはまってしまうではないか。「アリス」が「レネエの代替イメージ」であり「彼女がレネエとニア・イコール」であることを考えるなら、これはまさしく「死者による糾弾」である。いかにフレッドが”「レネエ殺害」についての「ありのままの記憶」”を矮小化(あるいは忘却)しようとしても、彼自身が「レネエに対する希求」を捨て去れない以上、そうした試みは必然的に無為に終わるしかない。

いずれにせよ、フレッドの「欺瞞」は……「代弁者/代行者」であるアリスを「主犯」に仕立て、自分を安全な位置にとどめながら「新たな遁走」を達成しようという「フレッドの思惑」は、当のアリスによって手厳しく暴かれ、「主犯」が他ならぬ彼自身でしかあり得ないことが指弾されてしまう。この「アリスの指弾」が、たとえば「シーラによる非難」(1:36:09)と基本的に同種/同等のものであることは明白だ。”「都合のいい幻想(の一部)」であったはずの「もの」が、当の「幻想の主」の思惑から外れた行動をとる”という構造において、シーラとアリスの「反逆」はまったく同一なのである。こうした「構造上の合致」を踏まえつつ、「シーラの非難」が”「幻想/捏造された現実」に対するフレッドの「コントロールの喪失」”を指し示していたことを考えるならば、「アリスによる指弾」は”「新たな遁走」に対するフレッドの「コントロールの喪失」”を示唆するものとして了解するのが妥当となる。

また、前述したように、”ピートによる「アンディ殺害」”という事象が(フレッドの「内面」において)”フレッドによる「レネエ殺害」”という事件と関連づけられ連鎖しているのならば、この「アリスに対するコントロールの喪失」もまた「レネエに対するコントロールの喪失」と関連性を持ち、イメージとして連鎖しているという見方も成立するはずだ。言葉をかえるなら、「アリス」という「フレッドにとって優秀な(=都合のいい)レネエの代替イメージ」だったはずの「もの」は、もともとニア・イコールであった「フレッドのコントロールが効かない(=都合の悪い)現実のレネエのイメージ」との重なりを一層深め、(内面的/本質的な意味で)同一化し始めているのだ。逆説的にいえば、このシークエンス以降で本格的に発揮される「アリスのファム・ファタール性」は、フレッドが(現実の)レネエをどのようにみていたか」を端的に物語るものである。レネエはフレッドにとって永遠の「宿命の女」なのだ。

それにしても、具体的映像として描かれる「アンディ殺害」の状況は、それを見詰めるピートとアリスの呆然とした様子を含めて、リンチ独特のユーモアが漂う奇妙なものである。「ガラス天板のテーブル」と一体化したような「アンディの死体」(カット(27))は、「直線的な構成のテーブル」と「曲線から構成される人体」との対比を浮かび上がらせることによって、「死が引き起こす有機物から無機物への転換」を強調する。実はこの「転換」こそが、死刑囚房で処刑を待つフレッドが現在抱える最大の「根源的な恐怖」であるはずであることを考えるなら、「アンディ殺害」が、(それがどのようなものであれ)ユーモラスな状況下で発生することは大きな皮肉であるといえなくもない。

だが、それよりも興味をひかれるのは、アンディの直接的な死因が「頭部への異物の侵入」であることだ。リンチ作品において「内面が外界(現実)によって強制的に侵入されること」、その結果として「内面が変質してしまうことの恐怖」は、さまざまな形で繰り返し提示される共通テーマのひとつである。「ロスト・ハイウェイ」においてもこのテーマは「人間の内面としての家」という共通テーマとあわさり、たとえば「ミスター・エディによる自動車工場への侵入」という形で「フレッドの幻想に対する現実の侵入」が提示されていることはもはや説明を要さないだろう。もうひとつ見落としてはならないのは、シナリオ段階で頓挫した「Gardenback」にみられる「人間の頭部」と「家」のアナロジーや、あるいは「ブルーベルベット」にみられる「耳の穴へと侵入する視点」といった表現をリンチが過去作において採用していることである。これらの表現は、「侵入の対象先」として「人間の頭部」を明確に選択しており、そこが「人間の内面」が内包されている場所であるとリンチが認識していることを表している。

これらの事項を踏まえたとき、”「アンディの死因」が表すもの”が了解されることになる。要は、これもまた形を変えた「外界による内面への強制的な侵入」に他ならないのだ。ただし、これまで「ロスト・ハイウェイ」が描いてきた「外界/現実による侵入」に比べ……たとえば「山道でミスター・エディによって処罰される哀れなドライバー」(1:02:57)などに比べ、今回のそれはより直截的に「死のイメージ」と結びつけられているのは注目に値する。ドライバーに対する処罰は「脅迫」の範疇でおさまったが、今回はそうではないのだ。「フレッドの感情」をキーとして捉えたとき、こうした差異から浮かび上がるのは「フレッドがより追い詰められた立場に陥りつつあること」であり、それにともなって、彼が抱いている「不安/恐怖」の度合いがエスカレーションしていることであるはずだ。

(この項、続く)

2009年10月18日 (日)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (61)

色んな負け方があるとは思っていたものの、また器用な負け方をしやがりましたな>わしんとん でもNFL第5週の「ザ・ベスト・オブ・泥仕合」には、ぜひクリーブランド@バッファローを挙げておきたいと思います。だって1st&10からの「QBスニーク」なんて、滅多に見られるもんじゃありませんぜ、ダンナ。いやあ、長生きはするもんだ(笑)。

アメフト話はさておき、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は「アンディの屋敷」の内部のシークエンスの第三回目、タイム・チャートでいうところの(1:42:46)から(1:43:15)まで。

アンディの屋敷 内部 夜 (1:42:46)
(11)ピートのアップ。立ち止まり、口を開けたままスクリーンに映された映像を見ているピート。
[ドアが閉まる音]
音に驚き、背後を振り返るピート。キッチンのカウンターの上に置かれた置物を認め、慌ててカウンター・キッチンの裏に走る。それを追って左へ、次に右へパン。カウンター・キッチンの向こうには、ガラスがはまった木の扉の戸棚が並んでいるのが見える。
(12)ピートのアップ。カウンターの上に置かれていた黒い置物を左手で取り、身を屈めてカウンターの陰に隠れるピート。それを追って下方にパン。カウンター裏側は棚になっている。置物を両手で握りしめ、気配をうかがうピート。
(13)ミドル・ショット。二階に続く階段。パンツだけの裸に黒いシャツをひっかけただけのアンディが、右側の階段から階下に降りてくる。両手には、空になったグラスを持っている。彼を追って、下方にパン。そのまま彼は画面手前に向かって歩き続け、カウンターに向かう。それを追いかけて、左へパン。カウンターの前に立つ彼の左側面からのアップになって終わる。両手のグラスをカウンターに置くアンディ。
[グラスがカウンターに置かれる音]
(14)ピートのアップ。カウンターの裏側。急な動作で立ち上がるピート。
(15)ミドル・ショット。アンディの左斜め後ろからのショット。立ち上がったピートが、カウンター越しに右手に持った置物でアンディの頭部を殴りつける。
[衝撃音]
画面外、下方に崩れ落ちるアンディ。置物を持ったまま、急いで画面左に走るピート。それを追って左へパン。置物を右手に握ったまま、カウンターから出てアンディを見るピート。
(16)ピートのアップ。彼の左斜め前からのショット。息を切らして画面左方向に移動しながら、画面外の床の上に倒れているアンディの様子をうかがうピート。それを追って左へパン。彼の背後には、スクリーンに映され続けている映像がアウト・フォーカスで見える。
(17)アンディのアップ。ピートの主観ショット。黒い床の絨毯の上に、頭を画面下方に向け、目をつぶって横たわっているアンディのバスト・ショット。左のこめかみからは、血が流れている。
(18)ピートのアップ。首をやや右にかしげ、アンディのほうを見下ろしている。彼の背後では、スクリーンに投影されている女性のアップがアウト・フォーカスで見えている。大きな溜め息をつくピート。気配を感じて、視線を上げるピート。

このシークエンスではピートがアンディに対して凶行を働く様子が具体的映像(カット(11)ー(15))として描かれるが、「バスによる移動」(1:40:36)や「裏口からの侵入」(1:41:39)と同様、これもまた「アリスの教唆」(1:35:20)を完全に踏襲していることは明白である。あるいは「アリスの教唆」自体が”「フレッドの意識」の「代弁」”である以上、それに沿った形で事象が発生するのは当然のことといえるだろう。だが、そうした「代弁者」を設けるという行為自体が、あるいは「代弁者」が代弁する内容が、(それが意識的にせよ無意識的にせよ)「フレッドの意識」や「感情」を反映していることは何度も指摘してきたとおりだ……そして、ときとしてそれが”隠されていたフレッドの「生の感情」の露呈”であることもあるが、それよりも実にしばしば”彼にとって「都合のいい欺瞞」”であることも。この「アリスの教唆」は後者であり、ピート=フレッドがその「教唆」を遵守することによって手に入れるのは、”犯行を計画した「主犯」は彼女であり、彼はそれに従う「実行犯」(もっといえば「操り人形」)に過ぎない”という「限定された立場」だ。「現実=ミスター・エディ」のイメージに関連する「アンディ」に対してネガティヴな行為を密かに行うとき、こうした「立場」がピート=フレッドにとって「都合のいいもの」であることは間違いない。

興味深いのは、カット(16)およびカット(18)にみられる「映像」……具体的にいえば、両カットをつうじて現れる”前景のピートと、後景としてその背後に映し出されている「ポルノ映画」の映像”という構図だ。たとえば(1:00:23)などの「アーニーの自動車工場」のシークエンスにおいて、「ミスター・エディ」の背後には「外の道路を行き交う自動車」が配置され、彼と「外界」との関連性を強調していた。同様に、カット(16)およびカット(18)の構図が示唆するのも、”ピートと「ポルノ映画」の映像の関連性”であるはずである。

まず、フレッドが(意識的/無意識的に)抱える「代弁者を利用した責任回避への意志」を踏まえたとき、この「関連性」が示唆するのは、前述した”ピートが「アリスの教唆」を遵守して犯行を行っていること”の図式化であるといえる。両カットの「構図」が明示するとおり、たった今ピートが行った「アンディに対する犯罪」の背後には、文字どおり「女の影=アリス」が存在しており、彼の行動を規定している(という「欺瞞」をフレッドは作り上げている)というわけだ。

しかし、より興味深いのは、「女の影=ポルノ映画の映像」がフレッドの「レネエに対する感情/疑惑」を指し示していることを前提として、この「構図」を捉えた場合である。フレッドが「レネエの殺害=レネエに対する犯罪」を引き起こした背後には、彼が抱えていた「レネエに対する感情/疑惑」が存在していることについては以前にも触れた。それに基づくなら、カット(16)および(18)が提示する「構図」(あるいは”ピートと「ポルノ映画」の関連性”)は、そのまま「レネエに対するフレッドの犯罪」の図式とも重なることになる。

いずれにしても、「フレッドのレネエに対する疑惑」があるいは「実体」がないフレッドの思い込みであること、そして「アリス」という存在もまた「優秀なレネエの代替イメージ」である限りにおいて「実体」を持ち得ないことを考えるなら、この二つの抽象概念がともに”スクリーンに投影される「ポルノ映画」の女優”という「実体を持たない映像/虚像」へと仮託されることは、まったく不思議ではない。同時に、その発生の「表層的な機序」こそ異なるものの、その裏に「フレッドの(特定の)女性に対する感情」が存在しているという「図式」において、「フレッドのレネエに対する犯罪」と「ピートのアンディに対する犯罪」はともに共通しているともいえる。

そして、この「共通項」を糊代にして二つの「犯罪」の概念(イメージ)は連鎖し、続くシークエンスにおいて「事態の急変」を引き起こすのである。

(この項、続く)

2009年10月12日 (月)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (60)

ちょいとLinux機をいじくってたら、なんかシステムがおかしくなってしまいました。ありゃーと思ってアレコレしてたら、事態は一層悪化してブート・ファイルまで行方不明になる始末。おーい(笑)。もーメンドーだとゆーことで、ヴァージョン・アップしたシステムを再インストール……しても、引き続きブート・ファイルが行方不明(笑)。どーやら、面白がって二種類のLinuxをインストールしてデュアル・ブートにしてあったのが悪さしていたようで、システムを入れていたパーティションからブート可能フラグが外れていたり、いろいろ不具合があった模様。なんとか復旧させ、最低限の追加設定が終わったのが午前二時。静かな金曜の夜を返せ(笑)。

とゆーよーな艱難辛苦(いや自業自得)を経て、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は「アンディの屋敷」の内部のシークエンスの第二回目、(1:42:17)から(1:42:46)をば。

アンディの屋敷 内部 夜 (1:42:17)
(3)[ramsteinスタート]
天井の高い、薄暗いリビング・ルーム。吹き抜けになった六角形の建物の内部。白い壁の瀟洒な室内。あちらこちらに並べられた椅子と、ところどころに柔らかく光を投げかける間接照明。左側の壁の高いところには、プールの照明の青い光が窓枠のシルエットとともに映し出されている。中空には大きな映写スクリーンが下げられ、そこにはモノクロのポルノ映画が投射されている。顔をこちらに向けた金髪の女性が、男に後ろからのしかかられて体をうごめかしている。映像は、スクリーンからはみ出す形で投影されている。
(4)スクリーンに映された映像のアップ。あえぎながら体を揺らす女性のアップ。
(5)ピートのアップ。呆然と口を開け、スクリーンに映される映像を見上げている。部屋の中を見回しながら、画面外の段差を一歩、二歩と降りるピート。それにつれて後退する視点。画面右手を見るピート。
(6)ピートの主観ショット。黒いソファの上に置かれた豹柄の上着と、黒の本体に金の鎖がついた女性もののバッグのアップ。そのまま左下方にパン。白い絨毯の上に脱ぎ捨てられた黒いストッキングの左右。
(7)ピートのアップ。なかば口を開け、なおも部屋の中を画面手前に向かって歩き続ける。それに連れて後退する視点。画面左には、木のテーブルの上に置かれた、三角形の傘の電気スタンドが見える。その奥にはガラスがはまった木の枠の扉がある戸棚が見える。ピートの背後には、二階に続く二つの階段が、その右手には向かい側の白い替えと、そこにかかった間接照明の光が見える。
(8)スクリーンに映された映像のアップ。後ろから男にのしかかられ、口を大きくあえぎながら体を揺らす女性のアップ。
(9)ピートのアップ。立ち止まり、口を開けたままスクリーンに映された映像を見ているピート。
(10)スクリーンに映された映像のアップ。後ろから男にのしかかられ、口を大きくあえぎながら体を揺らす女性のアップ。

ついに”「アンディの屋敷」によって隠匿されていたもの”が、その姿を現す。カット(3)(4)(8)(10)にあるように、まずそれは”スクリーンに投射される「ポルノ映画」の映像”として表される。

まず指摘できるのは、この「ポルノ映画」が(映画内)映画である以上、「フィルム」という「映像記録媒体」の形状をとっていることだ。つまり、ともに「映像記録媒体」であるという点において、これは「前半部」に登場した「差出人不明のビデオ・テープ」の「リフレイン」であり「ヴァリエーション」なのである。

一般的に「フィルム」(ないしは「ビデオ・テープ」)に記録された「映像」は、たとえば「文章」や「絵画」に比べて高い「写実性/指標性を備えていること=ありのままの記録であること」とされる。これはさまざまな映画理論によって繰り返し指摘され、「映画」というメディアム=媒体の基本的特性を論じるうえでの、ある出発点にもなっている。「写真」と同じく、そうした媒体によって残された「映像」は過去のどこかの時点で確実に「そのような形」で実際に存在しており、そこに”創作者の主観による「歪み」”が混入する余地がないゆえに他の媒体と峻別されるという考え方である。ただし、「表現主義的発想」を基本とするリンチ作品においては、この問題もまた「外面的写実性」ではなく「心理的写実性」をキーにして捉えなければならない。つまり、ここで優先して議論されるべきなのは、フレッド(あるいはリンチ自身)が感じている”フィルム(あるいはビデオ・テープ)という「メディアム=媒体」が付随させる「真実性/写実性/指標性」”の「イメージ」そのものだということだ。「前半部」の「幻想/捏造された記憶」において、「レネエ殺害」につながる「ありのままの記憶」が「差出人不明のビデオ・テープ」として登場するのは、まさしくこの「媒体」が備えているそうした「イメージ」に裏打ちされている。なによりも「ビデオ・カメラ」に対するフレッド自身の言及(0:24:28)が、彼が「ビデオ・テープ」という「媒体」に対してどのようなイメージを抱いているか、雄弁に物語っているといえるだろう。それと同様に、このシークエンスに登場する「ポルノ映画」も、「フィルム」という「ビデオ・テープ」と同等/同種の「媒体」の形状をとっているがために、フレッドの「ありのままの記憶」につながるものとして、ひいては”彼による「レネエ殺害」という現実”と関連していることが保証されることになる。

その一方で、記録媒体=フィルムが映し出しているのが”「ポルノ」=「交接する女性」の具体的映像”であることを、我々=受容者はどのように捉えればよいのだろうか? この疑問に一定の回答を与えるのが、(0:33:04)の「フレッドとレネエとの対話」や(1:29:00)の「ピートとアリスとの対話」が断片的に示唆してきたものだ。彼女(たち)はアンディから「仕事」を紹介されたと語り、その「仕事」が「ポルノ映画の撮影」であることが(1:29:00)からの会話でピートによって言及されたのち、(1:31:18)からの「アリスの回想」によって具象化される(もちろん、この「言及」や「回想」も”フレッドの「感情/意識」が代弁されたもの”に過ぎず、作品全体を見回してもレネエが「不貞を働いたこと」あるいは「ポルノの被写体となったこと」を明示する映像は存在しない)。これらのショット/シークエンスから了解されるのは、フレッドが自分の感じている「レネエに対するコントロールの不能性」を「彼女の不貞」という「疑惑」に重ねあわせていることである。そして、最終的にその「疑惑」はフレッドの内面において「現実=ミスター・エディ」と関連付けられ、「ポルノ映画」のイメージへと連鎖していくわけだ。

このシークエンスに登場する”「ポルノ映画」の具体的映像”も、まさしくそうした「イメージの連鎖」のなかに位置づけられるべきものである。すなわち、それを記録する「フィルム=媒体」が備える「真実性/写実性/指標性」のイメージとは裏腹に、この”「ポルノ映画」の具体的絵像”そのものは、「フレッドの感情/意識」に歪められた「幻想/捏造された現実」のひとつに過ぎないのだ。こうした検討から浮かび上がってくるのは、この「ポルノ映画」こそがフレッドの「感情」を……彼がレネエに対して抱いていた”「不安」や「疑惑」そのもの”を具現化し、表象しているということである。それを裏付けるように、暗い邸内に掛けられたスクリーンに投射される”「ポルノ映画」の映像”は「青白く」輝き、「プールから放たれる青い光」と並んで「青のモチーフ」のひとつとして……すなわち、フレッドの「不安」や「疑惑」に関連付けられるものとして登場している。

この「不安」や「疑惑」は、カット(6)の「脱ぎ捨てられたアリスの衣服」によって、「過去」だけでなく「いま現在も存在するもの」として提示される。アリス自身が「教唆」したように、あるいはこの後の展開が明らかにするように、彼女は「この現在」アンディと階上にいる。そのこと自体が”フレッドの「レネエに対する疑惑」”の「リフレイン」であることは論をまたない。かつ、「ポルノ映画の映像」と「脱ぎ捨てられたアリスの衣服」はともに「ピート=フレッドの主観ショット」として提示され、このシークエンスから始まるラムシュタインの音楽とともに、文字どおり「フレッドの主観を介在させたもの=彼の内面に関連するもの」であることが強調されている点も見逃せないだろう。

(この項、続く)

2009年10月 5日 (月)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (59)

デトロイト方面で発生した出来事に、大山崎は先週いっぱい死亡状態でありました。うーん、それなりにオフェンス力がついて来てるみたいだったんで、危惧はしていたんだよなあ。なんにせよ、19試合ぶりの勝利、おめでとうございます>らいおんず 

とか言っている間にNFLは第四週が進行中で、贔屓チームもなんとか星を五分に戻し、大山崎もめでたく復活(笑)。いや、スケジュールがソフトな今のうちだけってーハナシもありますが、それはそれとして「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は(1:41:39)から(1:42:17)をば。

この後、「アンディの屋敷」の内部を舞台にして、非常に長いシークエンスが展開される。そこで発生しているさまざまな事象は、リンチが採用する「表現主義的手法」の典型例といえるだろう。これまで「ロスト・ハイウェイ」が提示してきた映像群と同様、このシークエンスが提示する具体的映像を、いわゆる「写実的な描写」としてナラティヴな観点から捉えることは不可能である。要請されるのは、それらの映像が伝える「外見的な歪み」がフレッドの「内面」に存在する「感情/意識」を反映しており、「外的写実性」よりもフレッドの「内的写実性」を優先した結果であるとみるアプローチだ。そうしたアプローチに従うなら、「アンディの屋敷」の内部で発生する事象(とその「歪み」)から浮かび上がってくるのは「フレッドのレネエに対する感情」の本質であり、彼が彼女を殺害するに至った心理的動機を理解するための「手掛かり」である。

では、何度かにわけて「アンディの屋敷」の内部のシークエンスをみていこう。

アンディの屋敷 内部 夜 (1:41:39)
(1)ミドル・ショット。照明が点灯された一部をのぞいて、薄暗い闇に沈んでいる部屋の内部のショット。カウンター・キッチンの蛇口越しに、画面左に見える通用口をのぞむショット。背よりも高いガラスがはまった通用口のドア越しに、屋敷の外の様子が見えている。木の幹、ビーチ・パラソルとその下のデッキ・チェア。パラソルとチェアには、青い照明の光が揺れて反射している。通用口のガラス越しに姿を表わすピート。通用口に歩みより、まず右手を伸ばした後、左手でドアを開ける。

[ドアが開く音]
そのまま左手でドアを開け、屋敷の内部に足を踏み入れるピート。ドア・ノブのあたりを見下ろしながら、なるべく音がしないように右手でゆっくりとそれを閉める。入り口あたりの闇の中を、画面右手に向かって歩き始めるピート。それを追って右へパン。キッチンのカウンターと天井からの戸棚の間から、明るい照明に照らされた両開きの木の扉と、その両側の白い壁が見える。自分の右手、画面手前のキッチンの内部を見ながら、画面右方向に向かって歩き続けるピート。途中で正面を向き、なおも歩き続ける。彼の向こうには冷蔵庫が視界に入ってくる。冷蔵庫の横にある通路の闇に姿を消すピート。
(2)ミドル・ショット。通路の暗闇から姿を表わすピート。画面手前右方向に向かって歩きながら、自分の左手にある階段の上を見上げる。ついで、画面左のほうを見るピート。豪奢な室内を彼が歩くのに連動して、右にパンしつつ後退する視点。ピートのアップになる。彼の背後には曲線を描いて左右に分かれ二階に続く、青い絨毯が敷かれた二つの階段が見える。画面外の段差を一歩降りるピート。そこにあるものを認めて呆然とした表情を浮かべる。

具体的映像として提示されるのは、「アンディの屋敷」の内部へと侵入するピートと、その直後に彼がそこで目にするものである。これまで「バスからの下車」(1:40:46)、「フェンスの乗り越え」(1:41:18)という具合にピートはその行動をエスカレーションさせてきたが、いよいよ彼は最終的な「引き返し不能地点」への関門をくぐり抜けるのである。カット(1)にあるように、侵入口となった「裏口」は、「アリスの教唆」(1:35:20)にあるように開け放たれている(The back door'll be open)。言外の機序にしたがうなら、もちろん裏口の「鍵」を開放しておいたのは「アリス」だ。こうした「図式」によって補強されるのは、やはり”ピート=フレッドをして「最終関門」をくぐらせたのは、「彼自身のレネエ(およびその代替イメージであるアリス)に対する希求そのもの」である”ことである。

その「最終関門」をくぐり抜けるに際して……具体的にいえばカット(1)の最後からカット(2)の始めにかけて、ピートが「闇」を通過する描写があるのは非常に興味深い。この”「闇」をくぐり抜ける”という表現は、これまでも作中に何度かすでに現れている。たとえば(0:37:54)の”もう一人の自分と相対するフレッド”のショットにおいて、あるいは(1:08:03)の”自分の鏡像と対峙するピート”というショットにおいて、彼(ら)はともに”「闇」をくぐり抜けて”いる。リンチ作品において頻繁に採用される”同一モチーフ/テーマの「リフレイン」あるいは「ヴァリエーション」”を念頭に置くなら、現在論じているシークエンスに現れる”「闇」をくぐり抜ける”モチーフと、上に挙げた二つのショットに認められるそれは、まさに「リフレイン」あるいは「ヴァリエーション」の関係にあるといえるだろう。そして、その関係性の根底にあるものこそ、もうひとつの共通モチーフ/テーマである「闇」だ。

たとえば(1:14:56)に現れる「夕暮れの風景」のショットについて述べた際に触れたように、リンチ作品に登場する「闇」は、「内面」と「外界」を区切る「表層」を不可視化し、その存在を消し去るべく機能する。存在しなくなった「表層」は「内面に存在するもの」をもはや留め置くことができず、本来は隠匿されるべきだったもの……たとえば「レネエに対する希求」を「外界」に向かって解き放ってしまう。上に挙げた(0:37:54)および(1:08:03)のショットが提示する映像に則して述べるならば、「闇」をくぐり抜けたフレッド/ピートが向かい合うのは「ありのままの自己」を喚起させるもの……つまり「もう一人の自分」であり、いわば彼(ら)は自分の「内面」に隠されている「自らの本質」と対峙しているのだ。「レネエ殺害」という「ありのままの記憶」を忘却しておきたいフレッドにとって、当然ながら「ありのままの自分」もまた「心のどこかに隠匿されるべきもの」である。だが、「リンチの闇=リンチ・ブラック」によって消え去った「境界」は、もはやそれを「内面」に押しとどめる力を持たない。

ドキュメンタリー「ナイト・ピープル」のなかで、前妻のペギーが「当時住んでいた部屋をリンチが黒く塗った」ことについて言及したのを受けて、「そうすれば壁があっても見えなくなるからね」とリンチは語っている。リンチにとって「境界の消失」は、他のどの色でもなく、「黒=闇」によって引き起こされることを端的に裏書きする証言であるといえる。

これらの事項もまた、カット(2)で”ピート=フレッドが「目撃したもの」の「性格」”がどんなものであるかを補強的に示唆するものだ。そして、以降、彼が「アンディの屋敷」の内部において体験する事象群もそれと同様の「性格」を帯びている。一言でいえば、それはフレッドにとって「忘却したいもの」であり、つまりは「ありのままの記憶」につながるものだ。では、ピートはいった何を「見た」のか? 「アンディの屋敷」という「家」に隠匿され、いまや「闇」によって開放されたのは、いったいどのようなものなのか? 

(この項、続く)

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