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2009年9月

2009年9月24日 (木)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (58)

海の向こうではNFLのレギュラー・シーズンが始まっておりまして、それはつまり、月曜の朝に脱力したり雀躍したりしている大山崎が拝める季節が始まっておるとゆーことであるわけです(笑)。ただし贔屓チームは戦前からすでにダメっぽい気配が漂っていて、プレシーズン最終戦では解説のジョー・サイズマンのおっちゃんから「ugly」と言われてしまう始末。ご期待どおり先週今週と「みっともない泥仕合」を繰りひろげておるわけですが、しかし、ま、それでも勝ったり負けたりするから不思議なもんだ(笑)。なんにせよ、今季初勝利おめでとーございます>わしんとん。

……と贔屓チームの勝利を寿ぎつつ続く、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は(1:40:57)から(1:41:39)をば。

アンディの屋敷 外部 夜 (1:40:57)
(1)ロング・ショット。アンディの屋敷の前。芝生が生えた斜面。木々が立ち並んでいる。アンディの家の壁が、芝生に黒々とした影を落としている。画面右の木の陰から姿を表わすピート。そのまま画面左手前の方向へと芝生の上を進む。それに連れて左にパン。アンティの屋敷の白い壁と、それにはまった金属製の格子が視界に入ってくる。格子越しに、アンディの屋敷の庭の芝生が生えた斜面と、他と並ぶ椰子の木々が見える。その向こうに、屋敷の建物が見える。青色に揺れる光は、プールの水に反射した照明の光だろうか。鉄の格子の前でピートは立ち止まり、最終的に腰から上のミドル・ショットになってパンは終了する。画面に背中を向けたまま、パンツの左前ポケットに左手を突っ込み、腕時計を取り出すピート。そのまま、腕時計に目を落とす。
(2)腕時計と、それに添えられたピートの指のクロース・アップ。斜めに写されるアナログ式の腕時計の針は、11時5分を指している。少し左にパン。
(3)ミドル・ショット。屋敷の壁の前に、画面に背を向けて立っているピート。再び左手に持った腕時計をパンツの左前ポケットに突っ込み、ちらりと左右を見てから壁の鉄格子に近寄る。鉄格子に両手を伸ばし、壁の上部に左足を掛けて、鉄格子に登るピート。それを追って上方にパン。鉄格子の上部に両手をかけ、左足からそれを乗り越えるピート。そのまま、壁の向こうに飛び降りる。それにあわせて、下方にパン。身を屈め、芝生が生えた斜面を駆け上がるピート。
(4)ミドル・ショット。画面左には椰子の木の幹。幹に沿ってゴム・パイプらしいものがくくりつけられている。画面右には長い葉の生えた枝。幹と枝の間から姿を表わすピート。幹に右手を伸ばし、立ち止まる。揺れる青い照明の光が、幹とピートを照らしている。様子を伺っているピート。彼に向かってズーム。
(5)ロング・ショット。アンディの屋敷の外観。右側は背の高い窓が三つ並んだ、六角形の建物。内部には照明が点いたままで、二階分の吹き抜けになっているのが見える。その左には二階建ての建物があり、六角形の建物とつながっている様子だ。一階の窓からは明るい光が漏れている。二階建ての建物の左半分は、木立で半ば隠されている。建物の正面には、青い光の照明に照らされたプールがあり、プール・サイドに並べられたデッキ・チェアのシルエットが見て取れる。デッキ・チェアと同様、プールの手前に植えられた植物の陰が見える。
(6)ピートのアップ。画面左には椰子の木の幹。上目遣いに屋敷のほうを伺っているピート。木の幹と彼の顔に揺れながら反射する、プールの青い照明の光。やがてピートは右下方を向き、画面右に姿を消す。

観てのとおり、具体的映像として伝えられるのは、「アリスの教唆」に従って「アンディの屋敷」に忍び込むピートの状況である。当然ながらこのシークエンスが提示する事象もまた「フレッドの意識や感情を表象するもの」であるわけだが、その観点から真っ先に指摘できるのは、”「アンディの屋敷」のフェンスを乗り越える”という「ピートの行為」そのものによって表されるものだろう。いうまでもなく、これは直前のシークエンスでの「バスを降りる行為」が一層エスカレートしたものであり、「新たな遁走」に足を踏み入れたフレッドがより深く「引き返せない地点」を越えたことの表象でもある。

だが、このシークエンスにおいてより注目しなくてはならないのは、”「アンディの屋敷」の描かれ方”あるいはそれが伝えるメゾンセンだ。建物の一部はカット(1)からすでに認められ、カット(3)においてピートがフェンスを越える際にはその上部が垣間見えるが、決定的に全貌を現すのはカット(5)においてである。

この三つのショットを通じてまず目をひくのが、その外壁に揺らめく「青い光」である。これが「赤のモチーフ」と並んでリンチ作品に繰り返し登場する「青のモチーフ」の発現であることは、改めて指摘するまでもないだろう。「ブルー・ベルベット」や「マルホランド・ドライブ」あるいは「インランド・エンパイア」などにおいて「青のモチーフ」はさまざまな形で登場し、非常に抽象的なさまざまなものを表象していた。この作品においても、「赤のモチーフ」や「青のモチーフ」は「フレッドの心理状態」と連動して登場し、それを表象するものとして姿を現す。さて、では、このシークエンスに登場する「青のモチーフ」は、フレッドのどのような心理状態を指し示しているのだろうか。

それを推察する手掛かりの一端となるのが、「青い光=青のモチーフ」の発生源である”「プール」の存在”が示唆するものだ(カット(5))。このプールは「前半部=捏造された記憶」における”「アンディの屋敷」のパーティ”のシークエンスで初めて姿を現し(0:27:19)、その後「後半部=捏造された現実」の冒頭での”「ピートの家」の裏庭”のシークエンスにおいて「子供用プール」へと無力化された(0:55:08)。この変化のプロセスが「フレッドが自らの自我を守ろうとする行為」として捉えられることに関しては、当該シークエンスについて触れた項で述べたとおりである。(0:12:25)にみられるように、フレッドの「レネエに対する疑惑/不安」は基本的に「アンディ」と関連づけられており、よって彼に付随するさまざまなイメージ(「屋敷」および「プール」もそれに含まれる)もまたそうした「感情」に紐づけられている。そうした「感情」はフレッドにとって「ありのままの記憶=脅威」であり、その意味で「真の心の声=ミステリー・マン」が姿を現すのが”「アンディの屋敷」のパーティ”であることは決して偶然ではなく、そこに「青い光を放つプール」が登場するのも必然であるといえる。そして、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」を構築した当初、フレッドがそこから「ありのままの記憶=脅威」を排除することを目的として、「アンディの屋敷のプール」を「子供用プール」という無害なイメージに矮小化する作業を必要としたことも、また当然であるといえるだろう。

しかし、カット(5)が提示するように、その無害化されたはずの「プール」がこのシークエンスでは復活してしまっている……それも「前半部=捏造された記憶」のときとまったく同じ姿で。この事象が指し示すのは、矮小化のプロセスが逆転し、いったんは無害化された「プール」が再びフレッドに「脅威」を与える存在となったことである。いや、これは話が逆だ。彼の内面で”「ありのままの記憶=現実の脅威」に対する「不安」”が蘇りつつあることを反映して、「プール」は「青い光」を伴った本来の姿を取り戻すのだ。この後、(1:49:45)までの「アンディの屋敷」の内部におけるシークエンス全体を通じて、「青い光」は基調音として繰り返し登場し、フレッドの内面において再び発生している「不安な感情」を表象することになる。

ひるがえって、「アンディの屋敷」の外観のショット(カット(5))が伝えるメゾンセンである。揺れる「青い光」に照らされた屋敷は、それ自体が揺らめく「幻影」であるかのようだ。それが表すものは、(0:33:45)に現れる”「内部」で「白い光」がはためく「フレッドの家」”のショットとの対比において、より明瞭になる。当該シークエンスの項で述べたとおりそのショットが提示していたのは、「家の内部=フレッドの内面」において外部からは伺い知れない「感情」や「意識」がうごめいていることの示唆であった。それに対し、このシークエンスにおける「青い光」は、「アンディの屋敷の外部」において発生している点で鋭い対照をみせる。本来「家の内部=内面」で存在しているはずの「光=感情」が、このシークエンスでは(「庭」という「家の領域内」とはいえ)「家」の「外部」に存在しているのだ。こうした対照から了解されるのは、そもそも「アンディの屋敷」そのものが「フレッドの内面」に内包された「幻想」であり、(それに付随する「プール」同様)彼が抱える”「不安」を指し示す「感情=抽象概念」”であることだ。本来「フレッドの内面」にのみ内在しているはずのものが、このシークエンスにおいては外在化/外界化しているのである。

と同時に、「アンディの屋敷」が、リンチ作品の共通テーマである「家」の延長線上にあることも間違いない。カット(3)では二階の窓は闇に沈んでおり、カット(5)で見てとれるように(「アンディの屋敷」は比較的大きな「窓」をもっていはいるが)その「内部」は薄暗く、その内部で何が発生しているかは明瞭ではない。その点において「アンディの屋敷」は、「フレッドの家」や「ピートの家」とならんで、やはり「人間の内面」を表象する「家」そのものなのである。

これらの諸事項が浮き彫りにするのは、「アンディの屋敷」が備えている「二重構造」である。「内部」で発生している「事象=感情や意識」を隠匿しつつ、それ自体が「感情や意識」を表象する、いわば”「家」の内部に存在する「家」”というべき存在なのだ。

そして、そうした「二重構造」が必要とされる理由は、この後「アンディの屋敷」の内部で発生するさまざまな「事象」によって、逆説的に示唆されることになる。詳細は当該シークエンスについて述べる機会に譲るが、一言でいえば、それらの事象から浮かび上がってくるのは「レネエに対してフレッドが抱いている疑惑/不安」の「本質」であり「真相」だ。たとえば(0:05:12)や(0:12:25)など、これまでも彼の「疑惑/不安」は断片的に提示されてきた。その全貌が明示にされるのが、これから始まる「アンディの屋敷」の内部を舞台にした一連のシークエンスにおいてなのである。そして、その「フレッドのレネエに対する疑惑/不安」こそが彼をして彼女を殺害させた根本要因であることを考えるなら、それを指し示す事象群が「アンディの屋敷」の壁によって隠匿されなければならない理由もまた明らかだろう。それは、遠く離れた「砂漠の小屋」に押し込められた(はずの)「真の心の声=ミステリー・マン」と同様、フレッドにとって「隠しておきたい(忘却したい)事項」なのだから。

上記のような事項を踏まえたとき、現在発生している”ピート=フレッドによる「アンディの屋敷」への侵入”という事象自体もまた、実は彼にとって非常に危険かつ皮肉な事態であることが了解されることになる。それは、あるいは「隠匿しておきたい事項」を……自らの「レネエに対する感情」を暴くことになりかねない行為である。そうした選択をせざるを得ないこと自体、フレッドがどれだけ追い詰められいるかの証左でもあるといえるわけだが、現在の第一目標が”「アリス」を確保しつつ「新たな遁走先」を手に入れることであり、そのためには「アンディから金品を奪うこと」が必須である限り、彼はこの「二律背反」的な状況からは絶対に逃れられない。この「レネエ(あるいはその代替イメージであるアリス)を希求すること」が、そのまま「ありのままの記憶=現実」に近づくことになるという「二律背反」的状況こそが、これ以降の一連のシークエンスをとおして、あるいは「ロスト・ハイウェイ」全体をとおして「フレッドの心理状態」の根底に存在するものだといえるだろう。

2009年9月16日 (水)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (57)

先日買った「アヤしいDVDプレイヤー」でありますが、とりあえず問題なく作動しております。いや、作動はしておるのですが……なんで再生時間表示がいきなり「1:00:00」から始まるのかなあ?(笑) とりあえずDVDを再生して観るぶんには問題ないので、うっちゃらかしておりますが。

……などと「科学の驚異、女体の神秘」(なんだ、そりゃ)に首を捻りつつ続く「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は(1:40:36)から(1:40:57)をば。

バス 外部 夜 (1:40:36)
(ディゾルヴ)
(1)ピートのアップ。走行中のバスの窓越しに、右斜め前からとらえたショット。バスの左側窓際の席に座り、窓の外を見ているピート。彼の背後、ひとつ後ろの右の列の席にはワイシャツ姿の白人男性の姿が見える。画面右には、斜めに画面を分断している車窓の白い枠。窓ガラスには、外部の街灯やネオン・サインなどの光が反射しており、走行にあわせて後ろに流れていく。
(ディゾルヴ)
(2)ピートのアップ。走行中のバスの内部。右の列、窓際の席に座り、真っ暗な外を見ているピート。彼のひとつ前の席から、右斜め前から彼をおさめるショット。彼の前には、前の席の背が一部見えている。窓ガラスには、後部に座っている白いワイシャツ姿の男の姿が写っている。速度を緩めるバス。窓枠の下部に右手を当て、通路方向に体をずらすピート。それを追って右へパン。通路に立ち上がり、画面に背を向けて昇降口に向かうピートのバスト・ショット。左の列には、ワイシャツ姿で黄色い表紙の本を読んでいる男の姿が見える。その他の乗客は見えない。そのまま昇降口のステップを降り、右手を伸ばして折りたたみ式のドアを開けるピート。それを追って少し左へパン。バスを降りるピート。彼の背後で閉まるドア。
[ドアが閉まる音]

具体的映像として提示されるとおり、ピートは「アリスの指示(Don't drive. Take the bus)」(1:35:28)にしたがい、自分の自動車あるいはバイクを使わず、バスに乗って「アンディの屋敷」へと向かう。

もちろん、このように「アリスの教唆」どおりに動くこと自体、ピート=フレッドが自らの「主体性」を放棄していることの表れであることはいうまでもない。と同時に、たとえば「ミスター・エディの自動車に乗ること」が「ミスター・エディのコントロール下におかれ、自らに関するコントロールを失うこと」を表象していたように(1:01:30)、ピートが自らの移動手段を使わずバスに乗って移動する行為そのものもまた「他人のコントロールに身を委ねる行為」として捉えられる。

それを強調するかのように、カット(1)において、「バスのガラス窓に反射する街灯やネオン・サイン」が現れる。(1:23:21)の「ピートが夜の街をバイクで疾走するショット」においても「街灯やネオン・サイン」は現れており、現在論じているシークエンスは(1:23:21)のショットの「ヴァリエーション」であると考えることが可能だ。

両ショット間で大きく異なっているのは、ピートの「スタンス」である。(1:23:21)のピートが(その契機が「アリス」に会えない焦燥感であったにせよ)「シーラに会いに行く」途上であり、主体性をもって能動的な行為をとっていたのに対し(つまり、「自身に関するコントロール」を保全していたのに対し)、カット(1)のピートはバスに「運ばれながら」(つまりは「自身に関するコントロール」を放棄し)ガラス窓越しに「外界」を見詰めるという受動的な行為しかとれないでいる。また、バイクに乗ったピートが「外界」に対し直接身を晒していたのに対し、カット(1)では「バスのガラス窓」によって「外界」から遮断され庇護されている。「ロスト・ハイウェイ」で描かれる事象をすべてフレッドの心象が反映されたものと捉えるとき、この二つのショットの対比から浮かび上がってくるピート=フレッドの「心理的変遷」は明らかだろう。

我々=受容者が検討しなくてはならないのは、なぜそのような「心理的変遷」が発生したか……言葉をかえるなら、何故ピート=フレッドはこのシークエンスにおいて「受動的態度」をとらなければならないのか、である。確かに具体的映像を観る限りでは「アンディからの金銭の強奪」は”「新たな遁走」への手段”としてアリスによって「教唆」されていたわけだが、そもそもこれ自体がフレッドの「意識」を「代弁」するものであったことは指摘するまでもない。問題はその「アリスによる代弁」そのものが、フレッドにとって「都合のよいもの」であることだ。ピート=フレッドは「アリスが発案した犯罪行為=現実への反逆」を、あくまで「アリスの教唆に従って行う」のである。

そこに伺えるのは、やはりフレッドがこれまで何度も繰り返してきた”屈折した「自我の保護」”であるといえる。フレッドは巧妙に「レネエ殺害」の要因を「彼女のコントロールの不能性」に帰し、次いでその責自体を「現実=ミスター・エディ」に転嫁した(1:31:49)。同様に、彼はこれから行おうとしている「アンディからの強奪」という名の「現実=ミスター・エディへの反逆」を、いつでも「アリスの責任」に転嫁可能であるように「抜け道」を準備するのである。このシークエンスにおいてピート=フレッドが「受動的態度」をとり、「外界」から庇護されているのは、まさしくそうしたコンテキストにおいてだ。

しかし、いずれにせよ、現在の「幻想/捏造された現実」が崩壊に向かっている以上、ピート=フレッドは「新たな遁走」を余儀なくされているといってよい。直前のシークエンスで提示されてように、「現実=ミスター・エディによる侵入」は「家の領域」にまで及び、シーラと両親も「退場」してしまった。いつの間にか「砂漠の小屋」から逃れた「ミステリー・マン」の再登場は、封印したはずの「真の心の声」の蘇生を告げている。もはや引き返すことが不可能になったピート=フレッドは、彼を庇護する「バス」から降り、「新たな遁走」を目指して「外界」へと身を晒すことになる(カット(2))。

2009年9月10日 (木)

リンチの新インタビュー集のおハナシ

新しいリンチ関連本ネタ。

Lynch_interviews 本家公式サイトではリンチによる「Interview Project」が進行中だけど、こちらは「David Lynch: Interviews」っつーデイヴィッド・リンチのインタビュー集が刊行されるという話題。刊行予定は9月21日、版元はミシシッピー大学出版局で「Conversations With Filmmakers Series」というシリーズの一冊である模様(他にはウェルズとかコッポラの本が出てますね)。すでに米アマゾンで予約が始まっておりまして、ペーパーバック版が通常価格$22.00のところ、現在なんと32%引きの$14.96也。日アマゾンでも予約受付中で、こちらは¥2,610也。

著者のRichard A. Barney氏はアルバニー大およびニュー・ヨーク州立大の助教授で英語専攻であらせられるらしく、そっち方面のお堅い著作も多いご様子なのだが、なぜにいきなりリンチ本? ひょっとしてもしかして、単なるファンだったりする?(笑)

リンチのインタビュー集といえば、クリス・ロドリーの「リンチ・オン・リンチ」という先行書があるのだけども、あれは単独のインタビュアーによるロング・インタビューでありました。今回出版されるのはそれとは違い、いろんなインタビュアーによって行われ、雑誌やらウェブ記事やらに掲載されたものを再録した「よりぬきインタビュー集」という体裁であるようです。

ネタとしては、「グランドマザー」といった初期作品から最新作「インランド・エンパイア」までの映画作品はもちろん、絵画作品や写真作品をも含めたアレやコレや。「質問に対しリンチが韜晦をもって答えるのでなく、率直に答えたレアなインタビューを集めた(editor Richard A. Barney has chosen the rare interviews in which Lynch opens up to questions rather than deflecting them)」とゆーのがウリになっております。ホンマかいな……とお思いの方も多いでしょうが、実はインタビューの仕方によっては案外マトモに答えていることも多いんですよ、このシト。日本語によるインタビューのほとんど全部が「韜晦の彼方」であるのは、「新作公開」のタイミングでしかそういう機会がないことが大きいように思うのと同時に……まあ、そーゆーわけですな(笑)。

とうゆーわけで、とりあえずポチっとな(笑)。現物が届いたらまたレビューなんかやらかしてみるつもりでありますので、乞うご期待っつーことで。

2009年9月 8日 (火)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (56)

わはは。ついに安物リージョンフリーDVDプレイヤーがぶっ壊れました。レイヤーの切り替え位置でバッタリ止まって、そのまま黙りこくりやがるの。うーん、「インランド・エンパイア」のときにゴー&ストップ&リバースで酷使したからなあ。一瞬、修理したもんかどうか悩んだものの、プレイヤーの値段が落ちまくって、新品を買ったほーが完全に安くつく今日この頃。というわけで、代替品としてこれまた中国製の超安物を購入。5000円でお釣りがくるくせに、aviファイルがそのまま再生できたり、SDカード・スロットとUSB端子があったり、5.1chのアナログ出力端子付きだったり、はてはデュエットでカラオケができたりと、便利なんかどうかよくわからん怪しい機能が満載であります(笑)。とりあえず初期不良はないようでありますが、さーて、今度はどのくらいで壊れるかな。

……と「DVDプレイヤー・クラッシャー」の異名をほしいままにしつつ(笑)、あいかわらず続く「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」について。今回は、(1:37:49)から(1:40:36)をば。

デイトン家 外部 夜 続き (1:37:49)
(24)父親とピートのアップ。ツー・ショット。母親のほうを見ている二人。
母親:(画面外から)He's called a couple of times tonight.
少し視線を落とす父親。
ピート: Who is it?
(25)ミドル・ショット。開かれた玄関のドアの前に立っている母親。
母親: He won't give his name.
(26)父親とピートのアップ。ツー・ショット。首を少し傾げ、横目で見るようにピートを見守る父親。彼のほうをちらりと見るピート。そのまま、家に向かって歩き出すピート。
(27)ミドル・ショット。家に向かって歩くピートを背中から写すショット。彼に続いて、家に引き返し始める父親。彼らを追って前進する手持ちのショット。彼らの向こう、画面奥には、デイトン家の建物と、玄関のドアのところに立っている母親がアウト・フォーカスで見えている。二人が家に近づくに連れて、イン・フォーカスになっていく建物と母親。そのまま玄関のドアから内部に入っていくピート。それを追って家に入るとき、父親は母親に左手でまいったというような仕草をして見せる。ピートと父親の後から家に入る母親。この間、視点はずっと前進しつづけており、最後はスクリーン・ドアを閉めながら家に入る母親のアップになって終わる。彼女はピートと父親の後ろ姿を目で追ったままである。

カット(27)に現れる「侵入する視点」のモチーフには注目したい。このモチーフは、往々にして「外界」から「内面」の移行を示唆するが、このショットはその典型例であるといえる。何より、それが侵入する先は、ピート=フレッドの「内面」を表すものとしての「家」なのだ。

デイトン家 リビング・ルーム 内部 夜 (1:38:17)
(28)ミドル・ショット。リビング・ルーム。身を屈めて、画面外、下方にある電話機に左手を伸ばすピートの腰から上、左側面からのショット。左手で受話器を取りざま、画面正面を向いてソファに座るピート。
ピート: Hello?
少しピートにクロース・アップ。
ミスター・エディ:(電話越しに)Hey, Pete, how're you doing?
ピート:(間)Who is this?
ミスター・エディ:(電話越しに)You know who it is.
少し視線を上げるピート。
(29)ミドル・ショット。ピートの主観ショット。心配そうにピートを見守っている両親のツー・ショット。右に立った父親は、少し首を右に傾げている。
(30)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。ピートの左にある低いテーブルの上には、黒い電話機の本体と電気スタンドが置かれているのが見える。
ピート: Mr Eddy...
(31)ミスター・エディのクロース・アップ。左手に持った黒い受話器を耳に当て、笑みを浮かべている。左手の小指にはめられた大きな指輪。
ミスター・エディ: Yeah. How you doing, Pete?
ピート:(電話越しに)OK.
ミスター・エディ: You're doing OK... That's good, Pete.
(32)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ピート: Look, uh...it's late, Mr Eddy. I, uh...
(33)ミスター・エディのクロース・アップ。左手に持った黒い受話器を耳に当て、笑みを浮かべている。
ミスター・エディ:(ピートの言葉を遮るように)I'm really glad to know you're doing OK. (間)You're sure you're OK? Everything all right?
(34)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ピート:(間)Yeah.
ミスター・エディ:(電話越しに)I'm really glad to know you're...
(35)ミスター・エディのクロース・アップ。左手に持った黒い受話器を耳に当て、笑みを浮かべている。
ミスター・エディ: doing good, Pete. Hey...I want you to talk to a friend of mine.
受話器を耳から離し、そのままそれを持った左手を画面左方向に伸ばす。それに連れて左へパン。画面左からミステリー・マンのクロース・アップが視界に入ってくる。画面手前、真正面を見たまま左手で受話器を受け取り、それを自分のl左耳にあてるミステリー・マン。
ミステリー・マン: We've met before, haven't we.
(36)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ピート:(間)I don't think so.(間)Where is it you think we've met?
(37)ミステリー・マンのクロース・アップ。
ミステリー・マン: At your house. Don't you remenber?
(38)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。黙ったまま、両親のほうに視線を上げる。
(39)ミドル・ショット。ピートの主観ショット。心配そうにピートを見守っている両親のツー・ショット。
ピート:(画面外で)No.
(40)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ピート: No, I don't.
(41)ミステリー・マンのクロース・アップ。瞬きをせず、目を見開いている。
ミステリー・マン: In the east, the far east, when a person is sentenced to death, they're sent to a place where they can't escape,
(42)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ミステリー・マン:(電話越しに)never knowing when an executioner may setp up behind them,
(43)ミステリー・マンのクロース・アップ。瞬きをせず、目を見開いている。
ミステリー・マン: and fire a bullet into the back of their head.
(44)ミドル・ショット。おびえた様子で、ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ピート:
(あえぎながら)What's going on?
(45)ミステリー・マンのクロース・アップ。瞬きをせず、目を見開いている。
ミステリー・マン: It's been a pleasure talking to you.
(46)ミドル・ショット。おびえた様子で、ソファに座って受話器を耳に当てているピート。
ミスター・エディ:(電話越しに)Pete.
(47)ミスター・エディのクロース・アップ。左手に持った黒い受話器を耳に当て、笑みを浮かべている。
ミスター・エディ:(頭を振りながら)I just wanted to jump on and tell you that I'm really glad you're doing OK.
そのまま左手を画面外に伸ばし、受話器を電話機にかけるミスター・エディ。
[受話器が置かれる音]
(48)ミドル・ショット。ソファに座って受話器を耳に当て、半ば口を開けて呆然としているピート。やがて、取り落とすように受話器を画面外、自分の膝の上に置く。目をつぶるピート。溜め息をつきつつ、画面左を向いて画面外の電話機に受話器をかける。
[受話器が置かれる音]
はっとしたように、両親のほうを見上げるピート。
(49)ミドル・ショット。玄関に続く通路の白い壁と、それに掛けられた三枚の小さな絵(写真?)。両親の姿は消えてしまっている。
(50)ピートのアップ。ソファに座ったまま、両親がいた方向を呆然と口を開け見詰めている。やがて、ややうつむき加減になり、目をつぶったり眉をしかめ始めるピート。
[金属音のような音楽]
あえぎながら、左の額に左手をやるピート。そのまま左手で自分の顔を覆い、顎まで撫ぜるようにする。口を開け、顔が伸びたような印象。
(ディゾルヴ)

「家」の内部で待ち受けているのは、”「電話」という間接的な手段”による侵入である。その間接性はたとえば冒頭の「インターフォン」や「ビデオ・テープ」と同列であり、逆にリンチ作品における「家」が「外界」から隔てられた一種途絶した場所であることを表象している。そして、「電話」をはじめとするこれらの「間接的な伝達手段」は、主として「フレッドにとってよくない情報」を受信/発信するものであったことは指摘しておきたい。「ディック・ロラントの死亡」(0:03:53)、「ありのままの記憶」(0:09:39etc)、「ビデオ・テープの到着」(0:21:56)、あるいは「相手=レネエが電話に出ないこと」(0:07:39)をも含め、それらが「伝達するもの」は基本的にフレッドにとって「不安の対象」でしかない。

そして、このシークエンスにおける「電話」が伝えるものも、ピート=フレッドにとってとびきり「よくない情報」である。何よりも、「電話の主」は、これまで何度も「後半部=幻想/捏造された現実」に対して「侵入」を繰り返してきた「ミスター・エディ=現実」なのだ。ただし、今回の「侵入」は対象が「家」という「職場」と比較して「外界から隔てられた場所」であるため、「電話」という「間接的手段」によって行われるのである。

これ以降、カット(35)まで続く「調子はどうだ?」というミスター・エディとピートの「電話」を介した会話は、そのまま(1:26:29)における「自動車工場」のシークエンスで発生した両者の会話を、部分的に「リフレイン」するものである。当該シークエンスで発生していた事象が「ミスター・エディ=現実による侵入」であったように、このシークエンスにおいて発生している事象も「現実による侵入」であることが、こうしたリフレインによって保証される。前回触れたように、いずれにせよ大きく問題となるのは、こうした「現実による侵入」が「職場=自動車工場の領域」に留まらず、(「電話」という間接的手段によるにせよ)ピート=フレッドの「内面」を指し示す「家の領域」において発生していることだ。

しかし、この「現実による侵入」はなお一層のエスカレーションをみせ、新たな局面へと移行する。ミスター・エディは彼の「友人」にピートと話をさせようとし、その「友人」とやらが「ミステリー・マン」であることが直ちに明らかにされるのである(カット(35))。このミステリー・マンの登場は「ロスト・ハイウェイ」が伝えるものに関して(その作品構造を含め)、さまざまなものを示唆しているといってよい。

この不気味な男がミスター・エディの「友人」であることは、すでに「前半部」においてアンディによって言及されているが(0:31:52)、それが示唆するものに関してはその項で述べたとおりだ。改めて指摘するなら、これはリンチが頻繁に採用する「抽象概念の登場人物化」という手法に則ったものである。両者は、ともに(一定の幅をもった)「ある抽象概念」を表しており、それがゆえに「同類」であるとともに「友人」たり得るのだ。具体的に述べるなら、「ミスター・エディ=ディック・ロラント」は(フレッドにとっての)「現実/外界」あるいは「社会規範」を指し示しており、「ミステリー・マン」は「フレッド自身の真の心の声」を表象しているわけである。あるいは、両者が表す「抽象概念の近接性」において……つまり、ともに”「フレッドのありのままの記憶」にもっとも近い存在”であるという意味合いにおいても、両者は「同類」あるいは「友人」であるともいえる。

加えて指摘できるのは、具体的映像が表すように、「ミステリー・マン」の「同一性」が保持されていることである。彼の「外見」は、「前半部=捏造された記憶」においても「後半部=捏造された現実」においても、まったく同一である。このことが指し示す意味は、「ピート(のイメージ)」や「アリス(のイメージ)」との対比において、明らかだ。たとえば「ピート」は、フレッドによって「もっとも自分と重ならない存在」として創りあげられた「人格のイメージ」であり、それがゆえにフレッドとはまったく異なる「外見」をもって登場した。「アリス」は「レネエでありながら完全にはレネエでない存在のイメージ」として、これまたフレッドによって構築されているがために、レネエと非常に近い「外見」を備えている。この両者とは逆に、「ミステリー・マン」はあくまで「外見の同一性」を保持しており、それはそのまま「前半部/後半部」をつうじ「彼が表すもの」が「同一」であること……すなわち、彼が一貫して「フレッドの真の心の声」を表象していることの証左である。

カット(35)~カット(40)間の「またお会いしましたね」に始まるミステリー・マンとピートの会話が、「アンディの屋敷」のシークエンスにおけるミステリー・マンとフレッドの会話(0:28:58)を完全に踏襲しており、結果としてこの二つのシークエンスが「リフレイン」あるいは「ヴァリエーション」の関係にあることは指摘するまでもないだろう。だが、同時に、これまで述べたような諸事項を踏まえたとき、両シークエンスの間に横たわる「リフレイン/ヴァリエーションの関係性」がなにを示唆しているのかも、なんとなくみえてくるはずだ。

「アンディの屋敷」のシークエンスにおいて、ミステリー・マンはフレッドに対し「自分が遍在すること」、要するにフレッド自身の「真の心の声」として彼の「捏造された記憶」のどこにでも存在できることを宣言した。そして、その宣言は、実際に「フレッドの屋敷」にいる自分と「携帯電話」で話をさせることによって証明された。同様に、このシークエンスにおいても、ミステリー・マンは「自らの遍在性」を宣言する。そしてこの宣言は、彼が隔絶された「砂漠の小屋」から逃れ出て、ミスター・エディとともにピートに「電話」をかけているという具体的映像によって証明されている。

前述した「ミステリー・マンによって表されるもの」の「同一性」をキーにして考えるなら、これらの事象によって浮き彫りにされるのは、「ピートの人格(のイメージ)」がフレッドによって構築され捏造された「幻想」であり、フレッドの「意識」や「感情」が反映された優秀な「代弁者/代行者」であることだ。もっといえば、具体的映像のうえでは「外見」も異なれば「周囲の環境」も違うフレッドとピートが、実はその「内面的本質」において「同一」であり「等価」であること……早い話が、その「内面」において「ピートはフレッドでしかないこと」である。であるがために、彼らはともにミステリー・マンによる「遍在の宣言」を受け、実際にあり得ない形での「訪問」を受けるのである。

カット(41)からカット(45)において、ミステリー・マンは「極東での死刑執行」について語る。この「逃れられない環境」に閉じ込められ「いつ処刑されるか明確でない」状況が、実はフレッドが「現実」におかれている状況と同一であることは論じるまでもないだろう。現在、死刑囚房に収監されたフレッドもまたいつ訪れるかもしれない「死刑執行」に脅えており、彼の「真の心の声」であるミステリー・マンは的確に(ありのままに)それを指摘するのである。

いずれにせよ、ミステリー・マンが「砂漠の小屋」から逃れ出ていること自体が、フレッドが「幻想/捏造された現実」に対するコントロールを失い、「自分の真の心の声」を封印することに失敗していることを物語っている。ピートを核にした「幻想/捏造された現実」にフレッドが遁走するに際して、自分の「真の心の声」を「ミステリー・マン」として第三者化する必要があったこと、かつ「ミステリー・マン」を「砂漠の小屋」に隔絶する手続きをとらなければならかったことに関しては、当該シークエンス(0:48:17)の項で述べたとおりである。「幻想/捏造された現実」に発生している「変調/失調」は重篤な状態に陥っているが、その「崩壊の兆し」はこうした事象そのものに現れているといえるだろう。ミスター・エディが繰り返しピートに言う「元気そうでなによりだ」という言葉に込められた「皮肉」はいうまでもない。だが、より根本的な問題は、ミスター・エディが「(電話の相手が)誰だかわかっているはずだ」と「代弁する」ように(カット(28))、「自分が大丈夫ではない」ことをピート=フレッドが自覚しており、それがそのまま彼の「幻想/捏造された現実」で発生している事象に反映されていることなのだ。

こうした「幻想」に対する「コントロールの喪失」を端的に物語るのが、カット(49)である。カット(39)では確かに存在していたはずの両親が、このショットでは姿を消してしまっている。この二人もまた、フレッドが「遁走先」として構築した「幻想/捏造された記憶」の一部であり、彼の「代弁者/代行者」として機能する「都合の良い存在」であることは論を俟たない。そもそもフレッド自身の「両親」の存在(あるいは非存在)について触れる具体的映像を「ロスト・ハイウェイ」は欠落させており、この「ピートの両親が存在すること」自体が「フレッドの現実とは重ならない事項」であったこと……要するに、「フレッドにとって都合の良い幻想」であったことも確かだ。そして、そのとおり、「両親たち」は「幻想/捏造された現実」があるべき姿を「テレビ」を通じて学習し(0:57:02)、「シーラによる侵入」に介入してそれを中断させる(1:36:09)。その「両親」の存在が「消滅」してしまうことが(そして、カット(48)との関係性において明らかなように、ピート=フレッドがそれを認識したことが)示唆するものは、もはや明瞭であるはずだ。フレッドの”ピートを核にした「幻想/捏造された現実」”は、度重なる「変調/失調」の結果その機能を失い、急速に「崩壊」に向かいつつある。「シーラの退場」(1:37:15)に続く「両親たちの退場」は、そうした「機能の喪失」の過程を表象しているのである。

付け加えれば、こうした「登場人物の消失」というモチーフそのものが、リンチ作品において頻繁に採用される共通のものであるといえる。たとえば「マルホランド・ドライブ」における(リタからみた)「ベティの消失」が”「ダイアンの幻想」の終結=機能の喪失”とともに発生したのと同様、今回の「両親の消失」も”「フレッドの幻想」の崩壊=機能の喪失”にともなって発生している点は注目するべきだろう……そして、両者の「幻想」が、基本的に両者にとって「都合の良いもの」であるという点にも。

2009年9月 3日 (木)

ロンドンでリンチ話

本日のdugpa.comネタ。

「Mapping the Lost Highway New Perspectives on David Lynch 」と題したデイヴィッド・リンチに関するカンファレンスが、イギリスはロンドンで開催される模様。会場は「Tate Modern  Starr Auditorium」、期間は10月30日~11月1日の三日間、参加料は25ポンド也とか。

Gregory_crewdson10 参加パネリストは、写真家のグレゴリー・クリュードソン(リンチが好きな画家エドワード・ホッパーの影響下にある作品を撮る)、ダリア・マーティン(「Harpstrings and Lava」(2007)など「内面」と「外界」の関係性をテーマにした作品を作り続ける)、ジェインとルイーズのウィルソン姉妹(双子姉妹でインスタレーションや写真作品を作る)、ブルネル大学心理学者のパーヴィーン・アダムス(「The Inter-subjective Unconscious: Contemporary Art and the Time of Nachtraglichkeit」等の芸術/映画に関する著作あり)、批評家のサラ・チャーチウェルとかとか。バダラメンティの旦那も、はるばる海を越えて来るようです。元気だな(笑)。

んでもって、それにあわせたリンチ作品の上映が行われるとともに、このカンファレンスのために撮られたリンチのインタビュー映像も流される様子。

うーむ、あっち方面では、フランスのデパート「Les Galeries Lafayette」11店舗の正面玄関に「Women of Influence」と題したリンチの絵画が展示されるってぇイベントもあって、これは9月3日から10月3日までなんだよな。もうちょっとどちらかがズレてれば、きっとハシゴするヤツが出たに違いないのに(笑)。

いずれにせよ、リンチ作品に関する基礎研究の動きのひとつとして、このカンファレンスが実り多いものとなることを、遠く極東から祈っておりますデス。あ、当日の記録集とかは出版されないんですかね?

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