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2009年8月 1日 (土)

「A Page of Madness」を読む (2)

つなことで、予想外に続いてしまいましたが、衣笠貞之助監督作品「狂った一頁」に関するイェール大助教授アーロン・ジェロー氏の評論本「A Page of Madness  Cinema and Modernity in 1920s Japan」をば読んでアレコレ感じたことのメモの第二回目。今回は、フランス印象主義映画と「狂った一頁」との関連について。

「狂った一頁」はドイツ表現主義映画の影響下にあるというのが一般的な見方ですが、アーロン氏は、「精神病院」という舞台が「カリガリ博士」と共通していることやムルナウ監督の「最後の人」(1924年製作/日本公開1926年1月)が大きな間テクストとなることを認めながらも、それよりもむしろ、いわゆるフランス印象主義映画*からの影響が大きいと述べます。その論拠は、ざっくりいうと以下の二点です。

(1)フランス印象主義映画の特徴的映像手法である「フラッシュ」が用いられていること
(2)「人間の精神状態」を表現するに際し、(セットを主体とした)メゼンセンではなく、撮影技法による手法を主として採用していること

(1)について説明するには、まず、その当時の日本映画に対して、フランス印象主義映画の諸作品が与えた影響に触れておかなければなりません。日本においてフランス印象主義映画が公開されたのは1925年1月封切のアレクサンドル・ヴォルコフ監督「キイン」(1924製作)が初めてになります。その後マルセル・レルビエ監督「嘆きのピエロ」(1924製作/1925年3月封切)が、次いでアベル・ガンス監督の「鉄路の白薔薇」(1923製作/1926年1月封切)が公開されることになるわけですが、これらの諸作品が備える大きな映像的特徴は、「フラッシュ」と呼ばれる、短いショットの連続によるシークエンス構成の採用にあります(当時は「フラッシュ・バック」と呼ばれていたこともあったようですが、ここではハリウッド映画における「回想場面」を指す「フラッシュ・バック」と区別をつけるために「フラッシュ」で統一します)。この極端に短いショットの連続は、通常リズミカルな一定のテンポで提示され、ときとして緊迫感を盛り上げる目的などでそのテンポが早められる(ショットがより短くなる)といった手法も用いられました。

このフランス印象主義映画が日本で大きな影響を与えた要因のひとつは、こうした手法の土台となったレオン・ムーシナック等の映画理論が、ほぼ同時に伝えられたことにあります。理論と実践というか、学研のグリップとアタックというか(笑)、やっぱ理屈だけじゃなくて現物があったほーがわかりやすいわな。そして、この「フラッシュ」の手法は、そのままその後ロシアからもたらされたモンタージュ理論につながっていった……というのが一般的な見方であるようです。

アーロン氏の指摘を待つまでもなく、実は「狂った一頁」が公開された直後も、フランス印象主義映画からの影響は評者によって既に指摘されておりました**。山本喜久男氏著の「日本映画における外国映画の影響 --比較映画史研究」(1983年刊)に、この作品に関する当時のそうした批評が引用されています。

衣笠は彼のかなり豊富な内容的な手腕をかなぐり捨てて、「キイン」「ラ・ルー(鉄路の白薔薇)」等を土台にテクニックを作り上げた。
(「映画往来」大正15年11月号 宮森南二郎)

で、「狂った一頁」の冒頭のシークエンス……「踊り子の幻想と現実」のシークエンスには、あきらかにこの「フラッシュ」の手法が用いられており、当時の状況からして、アーロン氏も述べるとおり、これはフランス印象主義映画からの影響とみて間違いないかと思います。

んが、ちょっと疑問というかよくわからないのは(2)についてで、アーロン氏は、この作品とジェルメーヌ・デュラック監督の「ほほえむブーデ夫人」(1923)との共通性を強調しています。確かに踊り子あるいは小使いの「幻想」あるいは「幻視」を表す(その前後を含めた)映像は、ブーデ夫人が本を読んだり夫のことを考えたりしたとき、彼女の眼前に表れる「幻想/幻視」を表す映像と類似しています。その点では「共通している」といっても差し支えないと思うのですが、「影響」という観点から考えたとき、確認しなければならないのは「衣笠監督が『狂った一頁』を製作する前に、『ほほえむブーデ夫人』を観ていたかどうか」だと思います。大山崎の探し方が不充分なのかもしれませんが、現在のところ、「ほほえむブーデ夫人」の日本での公開年月日に関する資料、あるいはこの作品に触れた当時の映画評は見つかっていません。また、衣笠監督自身のこの作品に関する言及もないようです。なので、大山崎としては、ここらへんの判断は保留しておきたいと思います。

加えて、このような「登場人物の内面の映像化」もフランス印象主義映画全般の特徴として指摘されるものであり、アーロン氏が両作品の共通点として挙げている「主観的非現実の提示方法」……要するに「登場人物の幻視/幻想を映像的に提示する手法」についていえば、「鉄路の白薔薇」も同種同様のシークエンスを内包しています。もし「狂った一頁」が「登場人物の幻視」の手法においてフランス印象主義映画からの影響を受けているとしたら、それはむしろ(当時の日本でも大きく取り上げられた)「鉄路の白薔薇」との比較において考察したほうが妥当なようにも思われるのですが、いかがなもんでしょう?***

と同時に、ドイツ表現主義映画からの影響のなかに(衣笠監督自身の言及も残っている)「最後の人」も含めるのであれば、「(セットを主体とした)メゾンセンによる人間内面の表現が存在していないこと」は問題にならないようにも思います。「カリガリ博士」「ゲニーネ」(1920年製作/1922年日本公開)「朝から夜中まで」(1920年製作/1922年日本公開)などの特徴的なセットを用いた表現主義映画とは異なり、「最後の人」は(そしてそれ以降のE・A・デュポン監督「ヴァリエテ」(1925)等の作品は)リアリズムを基調としつつ表現主義を採用した作品であり、表現主義的手法を一般化した作品であると考えられることは、これまでにも何度か触れたとおりです。

しかし、このあたりは、こうした国をまたいだ文化的影響の実態を見極めることの難しさを物語るものであるように大山崎には思えます。たとえば、同じ衣笠監督の「十字路」(1928)に関する当時の海外の批評がその嚆矢です。映画完成後、衣笠監督はそのフィルムを携えて渡欧するのですが、それを観たフランスとドイツの批評家はこの作品をソビエト映画のモンタージュ理論の影響下にあるものとみなしました。しかし、実際は、当時日本においてはこれらのソビエト映画は公開されておらず、衣笠監督自身も「ソ連の新しい映画動向についてはいろいろ耳にはしていたが、映画そのものを観る機会など、もちろんあるべくもなかった」と自伝で述べています。「十字路」もまた、ドイツ表現主義映画やフランス印象主義映画の影響下にある作品なのですが、当のフランスやドイツの批評家はそこにソビエト映画の影響を読み取ったわけで、いやこりゃ、ナニがナンだかな話ではありますね。

先に触れた”「幻視/幻想」の映像化”に関しても、古典的ハリウッドの編集において(あるいはドイツなどにおいても)、その基礎的部分はずーっと以前からできあがっていたといえます。モンタージュ理論を採用した映画そのものも、ソビエトから直接入ってくるのではなく、その影響を受けたハリウッド映画を通じて日本では受容されたなんてなハナシもありで、まあなんつーか、はっきりいって「米ソ独仏日」入り乱れてグチャグチャです(笑)。こと映画における海外からの影響に関する限り、あんまり単純化して直線的に捉えるのは危険っつーことでありますなあ。

てことで、「よくわからないとゆーことがわかった」とゆーところで、今回はおしまい(笑)。

*「いわゆる」と断ったのは、批評家によっては「ひとつの明確な運動としては、そのようなものはなかった」と考える人もいるためです。エルビエ自身が認めているように、印象主義映画の監督たちが共通して追い求めていたのは「美学的な同一性」ではなく、あくまで「映画というメディアの他の芸術からの独立」あるいは「映画独自の表現の追求」という「理念」であった様子で、その括りは他の映画運動等と比べてもかなり緩やかだったみたいです。そのこと自体の是非はともかく、結果として、フランス印象主義映画はその名付け親であるサドゥール自身が記述したように「海外では知られず、実際に何の影響も及ぼさなかった」わけですが、こと日本だけはその例外であったといえます。しかし、ま、なんか個人主義っつーか、曖昧模糊としたっつーか、後の「フィルム・ノワール」と同じようなハナシではあります。

**当然ながら、ドイツ表現主義映画からの影響も、岩崎昶などによって公開当時から指摘されています。

***「狂った一頁」に二重露光で何度か登場する「自動車の車輪」のイメージは、「鉄路の白薔薇」に同じく二重露光で現れる「蒸気機関車の車輪」のイメージに重なります。「狂った一頁」といい「十字路」といい、なんか「丸くて回転するもの」が繰り返し出てくるんですが、これってやっぱ衣笠監督の共通モチーフなんスかね?

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