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2009年6月25日 (木)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (50)

「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回から数回に分けて(1:28:13)から(1:36:09)までについて、何やらやらかしてみる。

この後、「ロスト・ハイウェイ」は三つのパートに分割される大きなひとつのシークエンスを提示する。タイム・カウントを使って述べるなら

・パート1 (1:28:14)-(1:31:18)
・パート2 (1:31:18)-(1:34:14)
・パート3 (1:34:14)-(1:36:09)

といった具合だ。

構造的なところから述べるなら、「パート2」は、「パート1」と「パート3」という”「空間的/時制的」に一致した二つのシークエンス”の間に挿入される形になっており、両パートとは一致しない「空間/時間」における事象を描いている。いうまでもなく、これは「作品内非現実」を混乱なく受容者に伝えるための典型的な映像文法であり、端的にいえば「パート2」が「(作品内現実における)現在のものではないこと」=「回想であること」を明示している。結果としてこの3パートからなるシークエンス全体の映像によって描かれているのは、”「スターライト・ホテル」の一室におけるピートとアリスの会話”であり、そこで行われている”アリスによる「言及」”の「部分的映像化」だということになる。こうした手法の採用自体が、リンチが「ハリウッドの古典的映像文法に批判的でないこと」を裏付ける証左のひとつといえるだろう。

前回述べた”「アリス」のイメージが付随させる「不確実性」や「曖昧性」”は、このシークエンスにおける「アリスの言及」にも当てはまる。彼女の「言及」の「正確性/真実性」に対し、我々=受容者は一定の「担保」を掛けざるを得ないのだ。もちろん、それらの「具体的映像」がに反映されている「フレッドの意識」もまた、この「担保」の対象となることはいうまでもない。そうした「担保」と引き替えに我々=受容者が手に入れるのは、ときとして屈折し、非常に歪んだ形で表現される「フレッドがその内面で抱いている感情」に対する理解である。

さて、そうした「フレッドの感情」をキーにした観点に基づき、このシークエンスが提示している「事象」をごく大雑把に述べるなら、”ダメージを受けた「幻想/捏造された現実」”をフレッドが修復し、補強しようとしている様子である。ただし、これまでも何度かフレッドが繰り返してきた同様の「修復作業」と比較して、このシークエンスにおけるそれはより複雑な様相を帯びている点には注意したい。たとえば、これまでフレッドが重ねてきた「自分に都合の悪いイメージ」あるいは「自分にとって危険なイメージ」を「矮小化/安全化」する作業である。(0:55:08)の「裏庭のシークエンス」では、「アンディの屋敷のプール」が「子供用プール」に矮小化され、「ビデオ・テープを回収する際に鳴いていた犬」は「子犬」に安全化されていた。だが、このシークエンスにおいて認められる同様の「作業」は、そのような単純な「記号の置き換え」の域を越えている。その原因のひとつとして考えられるのが、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」自体、構築された直後と比較してより複雑化し屈折していることであるのは間違いないだろう。が、より根本的な要因となるのは、フレッドが抱いている”「レネエ」に対する愛憎が入り混じった「感情」”そのものだ。

……という具合な前置きを述べたところで、では、さっそく「パート1」に相当するシークエンスの具体的映像から観てみよう。

パート1
スターライト・ホテル 客室 内部 夜 (1:28:14)
(1)画面左を向いたアリスの太股に添えられた、ピートの右手のアップ。そのままアリスの体の右側面伝いに上にパン。アリスの右腕の肘を越えて、両の手で覆われたアリスの顔までパン。
アリス: He'll kill us.
(2)アリスのアップ。ピートの右肩越しに、斜め右からのショット。黒いマニキュアをした指を広げ、うつむき加減の顔を手で覆っているアリス。
アリス:(ため息)
ピート: Are you, uh...positive that he knows?
(3)ピートとアリスのアップ。ツー・ショット。画面右を向いているピートの右側面からのショット。耳のあたりを押さえてうつむき加減にしているアリス。彼女をのぞき込むようにしている革ジャンを着たピート。アリスは黒いスリップ姿だ。二人の向こうには、白いホテルの壁と、黒い窓らしきものが見えている。
アリス:(泣きそうな声で)I'm not positive that he knows.
ピート:(間)So?
一層うつむくアリス。
ピート: What are we supposed to do?
耳あたりを押さえていた両手を離し、画面外のピートの両腕あたりにかけるアリス。顔を上げて、ピートを見る。
アリス: I don't know.
ピートの目を見つめつつ、弱々しく首を振るアリス。長いため息をつきつつアリスから体を離し、左手を自分の頬のあたりまで上げるピート。それに連れて左へパン。
(4)ピートのアップ。アリスの左肩越しのショット。左手を自分の頬のあたりに上げたまま、曲げた指を動かしつつ、アリスを見つめるピート。
(5)アリスのアップ。彼女の斜め 右からのショット。泣きそうな顔をして、ややうつむき加減にしている。顔を上げて、画面右方向、ピートのほうを見るアリス。吐息をついて、ピートのほうに少し体を寄せる。

さて、ここで基本的な疑問が発生する……はたしてミスター・エディは「ピートとアリスの関係」を認識しているのだろうか? 少なくとも、これまで提示された「ミスター・エディが何かを察知している」という「電話を介したアリスによる言及」(1:21:50))や「ミスター・エディによる自動車工場への訪問と恫喝」(1:26:29)の「具体的映像」、あるいはカット(1)からカット(3)の前半における「ピートとアリスの会話の具体的映像」をみる限り、それは明瞭ではない。確定事項として理解されるのは、ミスター・エディが「アリスが誰かと関係をもっている」と疑っていることのみである。その「誰か」がピートではないかという疑義を抱いているらしき様子はあるものの、確信に至った様子は今のところ「具体的映像」としては明示されていない。

「アリスの相手がピートであることをミスター・エディは知っているか」という問題に関して、アリスは否定的な発言をする(カット(3))。が、これも何らかの裏付けがある話ではないのは明らかだ。結局のところ、「ピートとアリスの関係をミスター・エディが知っているか」という疑問に関する限り、「真相」は闇のなかというしかない。いずれにせよ、(アリスがカット(1)で言及するように)一度ミスター・エディが「二人の関係」を知れば、その「直裁的な力」による「処罰」を受けることになることだけは確実である。そして、カット(3)の後半からカット(5)にかけての描写にあるように、(ミスター・エディがどこまで知っているかを確認することを含めて)ピートとアリスが現状に対してなんら対処方法を見出せず、絶望的な状況にあるのは明白だ。

ひるがえって、このシークエンスを「フレッドの意識」をキーにしてみたとき、この「二人の会話」が”ピートとアリスという「代弁者」による「自問自答」”であることは容易に理解される。このあたりの基本的な構造は、たとえば「ピートとシーラの会話」(1:10:08)あるいは「ピートとフィルの会話」(1:11:45)と同じだ。異なるのは、前述の二例がフレッドの「内面」で発生している「二律背反的な思考」を表象しているのに対し、このシークエンスにおける「自問自答」が、むしろ「ミスター・エディがピートとアリスの関係を知っているかどうかを曖昧にする」ために行われていることである。

それが他ならぬフレッドの「内面」において発生している事象である以上、”「アリス=レネエの代替イメージ」の獲得”は彼にとっては「既定事実」である。その一方で、「ミスター・エディ」が「現実のイメージ」を指し示すものとしてフレッドの「内面」に存在し、広い意味で彼の「代弁者」として機能している限りにおいて、「ミスター・エディがピートとアリスの関係を知っていること」も、本来は「既定事実」のはずなのだ。「具体的映像」にあるようにこの件に関してアリスとピートが「結論」に達しないのは、実は”フレッドが自分にとってネガティヴな「結論」を出したくない”からに過ぎない。一言でいうなら、これもまた「フレッドの欺瞞」なのだ。そして、その根底にあるのは、”自分の「幻想」のなかに存在する「アリスのイメージ」を「隠蔽」しておきたい”というフレッドの「感情」あるいは「欲望」である。表現を変えるなら、もし可能であれば、彼は自らの「幻想」のなかに「レネエの代替イメージ=アリス」を確保しておきたいのだ……それも、「レネエ=アリスのイメージ」が付随させている「現実=ミスター・エディ」のイメージによる侵入や介入を排除した形で。

繰り返し指摘するように、「現実による侵入」は、”フレッドが構築した「幻想/捏造された現実」の崩壊”に直結する。それは、「前半部」における「幻想/捏造された記憶」が、「ビデオ・テープ=ありのままの記憶」による度重なる侵入の末に崩壊したことにも明らかだ。同様に「後半部」における「幻想/捏造された現実」も、このまま「現実=ミスター・エディ」による侵入が繰り返されれば崩壊の危機に瀕するであろうことは、明白である。フレッドにとって、この「幻想の崩壊」がすなわち「遁走先の喪失」と同義であることはいうまでもないだろう。かつ、「遁走先」を喪失することは、”「客観的(作品内)現実」に自分が強制的に回帰させられること”同義である……ちょうど、「三本目のビデオ・テープの到着」を機に決定的に崩壊した「幻想/捏造された記憶」(0:39:47)が、そのまま「警察の取調室」(0:41:49)や「死刑囚房」(0:42:11)という「客観的現実(もしくは”よりありのままに近い記憶”)」のイメージへと連鎖していったように。

フレッドからみれば、”「幻想/捏造された現実」の崩壊”は「二重の処罰」だといえる。自分の現状からの「遁走手段」を奪われること自体が「精神的処罰」であるのはもちろん、回帰した先の「客観的(作品内)現実」においても彼を待ち構えているのは、「収監/死刑執行」という「肉体的処罰」なのだから……そう、カット(1)でアリスが「ミスター・エディは私たちを殺すわ」と言及するとおりに、「現実はフレッドを殺す」のである。フレッドが「アリスのイメージ」を隠匿しておきたいと「願望」するのは当然のことだ。

だが、もちろん、これは達成不能な「願望」である。「レネエのイメージ」が「現実のイメージ」と分割不可能であるのと同様に、その「レネエのイメージ」をもとに構築された「アリスのイメージ」も「現実のイメージ」とはそもそも分断不能だ。である以上、「アリスのイメージ」を喚起することは必然的に「ミスター・エディの訪問=現実による侵入」を招くことになる。有り体にいえば、「アリスのイメージ」を構築してしまった段階で、フレッドの「幻想/捏造された現実」はすでに崩壊すべく運命づけられているといってよいだろう。そして、実際に「幻想/捏造された現実」がどのような結末を迎えるかは、「ロスト・ハイウェイ」のこの後の展開が物語るとおりである。

このようにしてみるかぎりにおいて、カット(3)の後半からカット(5)にかけての描写……「為す術がないピートとアリス」という「具体的映像」は、そのまま「フレッドの現況」を表象していることが理解されるだろう。”「幻想」とアリスの両方を獲得したい”という「フレッドの願望」が根本的に達成不能な命題である以上、彼に抜本的な「解決手段」などあるはずがないのだから。

(この項、続く)

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