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2009年6月 3日 (水)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (47)

ボチボチと進行する「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」の続き。今回は(1:24:18)から(1:26:29)まで。

このシークエンス表象しているものを大雑把にいうならば、「変調」の度合いを進行させつつある「ピートを核にした幻想/捏造された現実」である。

このシークエンス全体をとおしてまず注目したいのは、それがデイトン家の「家」の内部における「両親と息子の間の深刻な会話」という形で提示されていることだ。そこでは「不幸に見舞われた家族」の様相が、「悲嘆にくれる父と母」「混乱し懇願する息子」といったある種「常套的(クリシェ)」をつうじて描かれる。それらの映像的要素から明らかなように、このシークエンスで発生している事象はリンチ作品に頻繁に現れる二つの「共通モチーフ」……すなわち、”「家」のモチーフ”と”「機能しない家族」のモチーフ”を踏襲する形で提示されているのである。

そしてこの「家族劇(の幻想)」において、「両親(特に父親)」は「あの夜のこと=ありのままの記憶」や「警察からの電話=現実/外界からの接触」について語り、ピートは「記憶の欠落」について語る。みてのとおり、これは「家」=「フレッドの内面」で発生している「意識」を反映したものだ。狂い始めた「幻想/捏造された現実」のなかで、フレッドは「現実」に関連する「記憶」を漠然と蘇らせ始める一方、それを否定し「忘却」していたいと望むのである。言葉をかえるなら、前者の「フレッドの意識」を「両親」が「代弁」し、後者をピートが「代弁」するという構造である。要するに、「フレッドの内面」で発生している「二律背反的な葛藤=思い出したくないのに、思い出してしまうという状態」を、複数の「人物イメージ」の言動をとおして描いているわけだ。

……というような概要を押さえたうえで、具体的な映像をみてみよう。

デイトン家 リビング・ルーム 内部 夜 (1:24:18)
(フェイド・イン)
(1)ミドル・ショット。デイトン家の暗いリビング・ルーム。画面左には、灰色の革の椅子に座り、膝の上で手を組んでいる父親。画面中央には、それと直角に画面手前に向けて置かれた長ソファの右端に座っている母親。画面外の玄関からピートが部屋に入ってくるのを見つめている。画面右からフレーム・インするピートの足から胸あたりまで。
ピート:(両親に向かって)Hey...
ピートが近づくにあわせて、彼を見上げる両親。
父親: Sit down a minute.
ピート: What's up?
父親:(合わせていた両手を小さく広げて)Sit down.
長ソファの自分の左隣を伸ばした左手の手のひらで示す母親。二人は再びもとの姿勢に戻る。母親の右側に座るピート。長ソファの前には、背の低いテーブルが置かれている。
父親: You don't look so good.
左手に持っていた煙草を右手に持ちかえ、左手を自分の左の額にやるピート。
ピート: No, I just, uh, just have a headache.
そのまま額をなぜ回し、また左手を膝に戻し煙草を持ち替えつつ、父親のほうを見るピート。母親のほうも父親を見て、テーブルの上の灰皿に右手を伸ばして吸っていた煙草を消し始める。
ピート: What's going on?
ピートの左手の煙草からたゆたう煙。
父親:(低い声で)The police called us.
煙草の火を消し終わる母親。
(2)革ジャンを着たピートのアップ。彼の正面からのショット。画面左手の父親のほうを見ている。彼の背後には、上が暗く下が明るくグラデーョンになった白い壁。
ピート: What'd they want?
(3)父親のアップ。袖を切り落としたチェックのシャツを着ている。彼のやや右斜めからのショット。画面右の、ピートがいる方向を見ている。
父親:
They want to know if we had had a chance...to find out what happend to you the other night, and they want to know if you remembered anything..
(4)ピートのアップ。しばらく沈黙するピート。舌で唇を湿す。
ピート: But I don't remember anything.(間)What'd you tell them?
(5)父親のアップ。しばらく沈黙していたが、やがて肩を上下させてあえぐ。
父親: We're not going to say anything about that night to the police.
(6)母親のアップ。薄茶色のセーターを着ている。右画面外にいるピートを見つめている。
母親:(静かな声で)We saw you that night, Pete.
(7)父親のアップ。
父親: You came home with your freind Sheila.
(8)ピートのアップ。目を伏せ、考え込むような表情。
ピート: Sheila?
(9)父親のアップ。
父親:(うなずきながら)Yeah. There was a man with you.
(10)ピートのアップ。追いつめられた表情で、画面左方向、父親のいるほうを見ている。
ピート: What is this? I mean, why didn't you tell me anything?
画面左、母親のほうに視線を向けるピート。
(11)母親のアップ。黙ってピートを見つめている。
(12)ピートのアップ。
ピート: Who was the man?
(13)父親のアップ。
父親:
I've never seen him before in my life.
(14)ピートのアップ。しばらく沈黙したあと、口を開く。
ピート: What happened to me?
(15)母親のアップ。ピートを見つめていたが、耐え兼ねたように唇を噛んで顔をそむけ、うなだれて視線を逸らす。髪の毛に隠されて彼女の表情はわからない。
(16)ピートのアップ。父親に懇願するピート。
ピート: Please! Please, Dad,
(17)父親のアップ。ピートを見つめている父親。
ピート:(画面外から)tell me!
黙っている父親。やがて、泣きそうな表情で首を振り始める。
(18)母親のアップ。うなだれて、顔を背けたままの母親。
(19)ピートのアップ。ため息をつき、目を伏せ気味に自分の正面のほうを向き、首を振るピート。もう一度小さなため息をつき、目を伏せたまま自分の画面右手のほうを向く。

カット(1)において、舞台が「ディトン家」の内部であることが明示される。家の内部は暗く、陰鬱なメゾンセンによってこのシークエンスが「提示するもの」の基調はすでに提示されている。

まず、「話題」になるのが「ピートの状態」である。それに応えてピートは「頭痛」に関して言及する。「後半部」に入って以来、「アーニーの自動車工場」でのシークエンスをはじめとしてピートが「不調」を訴える映像が何箇所か存在するが、その「不調」が具体的にいえば「頭痛」であることが、ピートの発言として初めて明示される。この「頭痛」が、フレッドが死刑囚房において訴えていたもの(0:45:28)と同質のものであろうことは想像に難くない。だが、フレッドの「頭痛」が、「罪悪感」や「喪失感」をはじめとする様々な感情にさいなまれた結果、「現実」として彼が抱いているものとしてストレートに理解できるのに対し、ピートの「頭痛」の表れ方に関しては少しく考察を要するかもしれない。先に触れた「アーニーの自動車工場」での例をみればわかるように、ピートが「頭痛」を訴えるのは、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」が(程度の差はあれ)なんらかの形で「現実の侵入」を受けた際である。このとき、いわば「幻想」は「現実」に接近し、その境界線は「侵入の度合い」に比例して曖昧になる。結果としてフレッドとピートの境界も曖昧になり、現実のフレッドが感じている「頭痛」はピートによっても「共有」されることになる。この「頭痛」もまた、フレッドとピートの内面的な「同一性」あるいは「等価性」を示唆する材料なのだ。

同じくカット(1)において、父親は「警察からの電話」について言及する。「刑事たち」に代表される「警察」が「監視/追求のイメージ」としてフレッドの「幻想」に現れていること、あるいは「電話」がしばしば「外界/現実との間接的接触」として登場していることを考えるなら、この「警察からの電話」そのものが「外界/現実からの侵入」を指し示すイメージとして機能していることになる。

続いて、話題は「あの夜(the other night/that night)」のことに移る。たとえばカット(3)で父親が言及するのは”「あの夜」にピートに何が起きたか”であり、カット(5)では”「あの夜」のことを警察に話すつもりはない”と語る。また、カット(6)では今度は母親が”「あの夜」にピートを見た”と告げる。おそらくこれは(0:58:10)でシーラがピートに向かって言及した「あの夜」と同一の夜のことだと理解されるのだが、さて、では、「あの夜」とははたして具体的にいつの「夜」のことであるのか?

作品の冒頭からここに至るまでの間に「映像」として提示されたものからストレートに理解するなら、フレッドにとって大きく転機となった「夜」は二つある。まず思いつくのが、「フレッドがレネエを殺害した夜」であり、次に思いつくのが「死刑囚房において、フレッドがピートを核にした幻想を構築し、それに遁走した夜」だ。しかし、このシークエンスにおける両親の言及をみても、あるいは(0:58:10)におけるシーラの発言をみても、「あの夜」をこのどちらかの「夜」と特定する決定的な材料は乏しい。敢えて挙げるとしたら、カット(7)における父親の「(あの夜)ピートが友人のシーラと一緒に家に帰ってきた」という言及だろうか。「シーラ」のイメージそして「ディトン家」のイメージが形成されたのが、フレッドが「ピートおよび彼に関連した幻想/現実」を捏造した時点であると考えるなら、この父親の発言は「あの夜」が「死刑囚房でフレッドが遁走した夜」であることの示唆となるものだ。

あるいはこうした疑問に一定の回答を与えるのが、このシークエンスに続いて提示される三つのインサート・ショット(カット(20)(21)(22))である。順序は逆になってしまうが、「ディトン家の会話」について述べる前に、まずこのインサート・ショット群をみてみることにしよう。

(1:26:25)
(20)ミドル・ショット。夜。デイトン家の建物を、前庭の芝生あたりからとらえたショット。青白い光がまたたく。その光が向けられているのは画面左端、前庭の芝生に立っているシーラである。黒い革ジャンに黒いミニ、ショート・ブーツ姿のシーラ。両手を両頬に当て、ちょうどムンクの「叫び」のようなポーズ。彼女の背後にはデイトン家の家が見える。彼女のちょうど背後はガレージの側壁であり、ちょうど彼女の左右には側壁につけられた街灯が点っている。ガレージの横を通って母屋の玄関に至る小道。玄関の扉は開けられ、ピートの両親がそこに立ち尽くして、画面手前の視点のあたりを見ている。
[光とともに効果音]
光が弱くなり、シーラは頬に押し当てられた手をゆるめるが、再び青白い光がまたたき、彼女はその前と同じように両頬に両手を強く押し当て、体をよじるようにして叫ぶ。
シーラ: Pete!
[光とともに効果音]
玄関のところから小道を画面手前に向かって走り出す、父親と母親。父親が先頭である。
シーラ: Come back!
(21)はぜるように口を開ける肉。めくれあがった肉は細かく揺れている。その開口部に向かって侵入していく視点。
(ブラック・アウト)
(22)フレッドの家のベッド・ルーム。アウト・フォーカス気味。ベッドの足元のほう左端を斜め右から見下ろすショット。左斜め下に向かってパン。やがて、バラバラにされ、床に横たえられたレネエの死体の上半身のアップが視界に入ってくる。血にまみれた胸あたりから、レネエの顔がおさまるまで左下にパン。
(23)ピートのアップ。目を伏せ、震えるため息をつき、唾を飲み込むピート。
(フェイド・アウト)

カット(19)からカット(23)まで」の連続する5ショットからなるシークエンスに関して映像文法のうえから指摘できるのは、カット(19)およびカット(23)の二つの「ピートのアップ」に挟まれた三つのショット(カット(20)(21)(22))が、そのとき「ピートが想起したもの」であるということだ*。あわせて指摘できるのは、その「想起されたもの」の具体的内容が、それぞれ「フレッドのピートへの遁走」(カット(20))、「”ピートを核にした幻想”がフレッドの頭に侵入する様子」(カット(21))、「フレッドによるレネエ殺害」(カット(22))であることである。手っ取り早くいうなら、(0:49:39)における「独房内のシークエンス」が提示していた事象を……「レネエを殺害したフレッドが、ピートという別人格を核にした幻想に逃げ込んだ」ことを、この三つのショットからなるシークエンスはフラッシュバックで提示しているのだ。ただし、その提示方法は「帰納的」であり、”フレッドの「ピートへの遁走」の原因が、彼がレネエを殺害したことにある”という具合に構成されている点には注意したい。つまり、「両親」による「あの夜のこと」に関する言及をトリガーにして「ピートへの遁走」の記憶が喚起され、またそれを契機として雪崩的に「レネエ殺害」の記憶が想起されるという「イメージの連鎖」が発生していることが認められるのである。これをみる限り、「あの夜」が「フレッドがピートに遁走した夜」であると捉える見方は、それなりの正当性を備えているように思える。

だが、ここで思い起こさなければならないのは、リンチ作品が本質的に抽象的なものであり、かつ(「ロスト・ハイウェイ」がそうであるように)往々にして非ナラティヴな形態をとっていることだ。であれば、「あの夜」に関して論じるうえでまず検討されなければならないのは、そこに「時系列的な概念」に基づいたアプローチを持ち込むことの有効性そのものである。

そもそも、「ロスト・ハイウェイ」という作品は、どのような「(作品内現実における)時間的スパン」を描いたものなのだろう? 通常のナラティヴな作品に限っていえば、「(作品内)現実」における「時間経過」に関して明瞭であるのが大多数である。登場人物の「台詞」によって「時間経過」が明示されることも稀ではないし、親切にも「字幕」によって「何日後」あるいは「何時間後」といった具合に、直前のシークエンスから次のシークエンスへの移行時に省略された「時間経過」が提示されるのもよく使われる手だ。ナラティヴな作品が「受容者による登場人物への感情移入」を前提として「物語を語る」ものである以上、基本的に「受容者の感情移入」を阻害するような「混乱」はあらかじめ排除されるものだからである。しかし、みてのとおり「ロスト・ハイウェイ」はそうした「経過時間を記述する手法」を一切放棄しており、なんら我々=受容者に「経時に関する手がかり」を与えてくれない。というより、この作品が「フレッドの内面」で発生している「意識の流れ」を描いている限りにおいて、そこに存在しているのは「フレッドの主観時間」のみであり、「(作品内現実における)客観的時間」を前提としたアプローチ自体が効力をもたないのだ。確かに、いくつかの「夜」と「昼」は映像として登場しはする。が、たとえば「夕刻から夜へと変遷する映像」(1:14:56)がそうであったように、それすらも「フレッドの意識の変遷」の反映であるならば、そうした映像を「(作品内における)客観的時間経過の表れ」として了解するのはまったく妥当ではない。結論として、「ロスト・ハイウェイ」が描く事象群が発生したのが「(作品内の)客観的時間」において一日のことであるのか、一週間のことであるのか、確定的に述べることは不可能である**。作品の「時間枠」そのものが不確定である以上、「あの夜」の「発生時点」を特定しようとする作業自体が同じように不確定な「解」しか得られないこと……つまりは「不能」であることは自明である。

このような観点から前掲した「三つのインサート・ショット」を論じるとするなら、より重要なポイントはこれらのショットが備える「概念的な共通項」のほうだ。みてのとおり、これらのショットが伝えるイメージが共通しているのは、それが「フレッドによるレネエ殺害」であるにせよ「フレッドの遁走」にであるにせよ、すべて「(作品内現実において)実際に発生した事項」……「ありのままの事実」であることである。そして、それは(「前半部」の「ビデオ・テープ」がそうであったように)フレッドにとって「思い出したくない事項」あるいは「忘却の対象」であることと同義だ。これらの事項を踏まえるなら、「あの夜」とは、「ピートへの遁走」や「レネエ殺害」をも包括した「フレッドが思い出したくない事項全般」を指し示す「抽象概念」であることがみえてくる。逆にいえば、カット(20)(21)(22)の映像が提示している事象はそれぞれ”「フレッドが思い出したくない事項」の「個別例」”であり、それらが集合的かつ総体的に”「フレッドが思い出したくない事項」の「抽象概念」”を構成しているのだ。「インランド・エンパイア」におけるニッキーやスーやロスト・ガールの”「機能しない家族」の「個別例」”が、総体として”「機能しない家族」の「抽象概念」”を構成していたのと同一の構造であり、リンチが好んで採用する表現手法である。

また、このようなコンテキストの上に「あの夜」を捉えるなら、それと「闇」との関連性もみえてくるはずだ……そう、「夕刻から夜へと変遷する映像」(1:14:56)によって到来が宣言された、あの「闇」である。「夜の闇」が均一にすべてを包み込み「境界線の輪郭」を消し去ったとき、その消失した境界を越えて本来隠されるべきであったはずの「フレッドの想念」が彼の心の中に忍び出る。(1:15:19)において露わになった「隠匿されるべき想念」は、「アリス=レネエの代替イメージへの希求」だった。同じように今回明らかにされたのは、「レネエ殺害」や「ピートへの遁走」という「隠匿されるべき想念」である。ともに「隠匿されるべき想念」であるという点でこれらは「等価」であり、「闇」それ以上の区別をつけない。ピート=フレッドが「希求」を満たす契機を作る一方で、「闇」は幻想の崩壊につながる「忘却の対象」をも同時に甦らせてしまうのだ。

これが「フレッドが抱えている本質的な陥穽」と同軸のものであることは、いうまでもないだろう。「レネエのイメージ」が「現実のイメージ」と関連づけられている以上、それを強く希求することはすなわちフレッドの「幻想=捏造された記憶/現実」を危うくする。「アリス」という優秀な「レネエの代替イメージ」への欲望は、「あの夜=忘却すべき事項」の蘇生と直結しているのである。

このような事項の延長線上に、現在論じているシークエンスが提示するもの……”「両親」と「ピート」の会話”という事象が指し示すものがみえてくる。「前半部」では”いつの間にか届けられる「ビデオ・テープ」”という形で現れた「ありのままの記憶=忘却の対象」が、このシークエンスでは”「両親」をはじめとする「ピートの周辺イメージ」による「言及」”という形で現れているのだ。これもまた形を変えた”幻想に対する「現実の侵入」”であり、結果としてこの「家族の対話」が伝えるのは、(すでに述べたように)フレッドの「内面」で発生している二律背反的な「葛藤」……蘇ろうとする「ありのままの記憶」と、それを懸命に押しとどめようとする「意識」とがせめぎあう有様なのである。カット(4)でピートは「自分は何も覚えていない」と主張するが、それはフレッドの「思い出したくない」という感情の「代弁」に他ならない。その一方、「両親」は「あの夜」について曖昧な言及を繰り返し、最終的には「悲嘆にくれる家族のイメージ」をなぞりつつ沈黙する(カット(15)(17)(18))。「前半部」に登場した「ビデオ・テープ」の映像が低画質のおぼろげなものであったように、「両親」たちの言及も「核心部分」にまでは至らない。だが、フレッドにとって、それは「ピートへの遁走」および「レネエ殺害」に関する「ありのままの記憶」を蘇生させるトリガーとして十分であったわけだ。

こうした「葛藤」が発生すること自体、どれだけフレッドが「ありのままの記憶」の存在を否定しようとしても、それが彼の心の奥深いところに(たとえば遠く離れた「砂漠」のようなところに)「隠匿」され、確固として存在していることを物語っている(カット(6)で「母親」が代弁するように、「あの夜」フレッドは「目撃」されていたのだ……他ならぬ自分自身に)。であるならば、カット(9)で父親が言及する「それまで見たこともなかったような男」が誰を(あるいは何を)指しているのかは、非常に明快だろう。具体的な映像こそ提示されないが、それは明らかに「第三者化」されたフレッドの「真の心の声」……すなわち「ミステリー・マン」を示唆している。フレッドが「ピートを核にした幻想/捏造された現実」に「遁走」するに際して、フレッドは「ミステリー・マン=真の心の声」を自己から切り離し、隔絶された「砂漠の小屋」に追いやらなくてはならなかった(0:48:17)。しかし、このミステリー・マンの「隔離/隠匿」はまったく無意味であったことが、父親の「ピートが帰宅したとき、男=ミステリー・マンが一緒にいた」という父親の言及によって明らかにされる。ミステリー・マンは「砂漠の小屋」から易々と抜け出て、あろうことか「ピートの家=内面」を知らないうちに訪れていたのだ。しかし、それは当然の機序である。「前半部」における"「アンディの屋敷」と「フレッドの自宅」に同時に存在するミステリー・マン”(0:30:03)という事象によって明らかなように、彼がやはり「フレッドの意識の一部」であるかぎりにおいて、ミステリー・マンは「フレッドの内面」のどこにでも(それは「フレッドの幻想」のどこにでも、というのと同じ意味だ)なんら制限を受けることなく「遍在」できるのだから。そう、隠匿された「ありのままの記憶」が、折あるごとにいつのまにか蘇えるように……。

*ここでもリンチ作品が古典的映像文法に批判的でなく、むしろそれを頻繁に踏襲することが表れているわけだが、これもまた(1:13:39)などと同じく「過剰な映像」であることは論をまたない。なぜなら、そもそも「ピート」自身がフレッドが構築した「イメージ=幻想」であり、ピートに関連する事象自体がフレッドの「内面」で発生しているものだからだ。つまり、「ピートが何かを想起する」というイメージを「フレッドが想起している」という二重構造なのである。

**個人的には、”「ロスト・ハイウェイ」における「作品内実経過時間」はその「上映時間」と同一である”としておきたい。

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