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2009年3月22日 (日)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (38)

さて、非常にお陽気もおヨロシくなってきて、某集団主催のお花見大会も近づいてきた今日この頃。てなことで、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」についてである。いや、あんまし関係ないのだけれど、いつもいつもまったく季節感がないこと夥しいので、ちょいと時事ネタも入れてみよーかなと(笑)。そーいえば、そろそろNFLのドラフトも近くなって、レギュラー・シーズン全敗のデトロイトは果たしてドラ1でどのポジションを補強するのか、ワシントンは選手じゃなくてオーナーをドラフトで獲得できればいいのにね……って、ほら、なんと時事ネタが二つも(笑)。

なんのこっちゃな前振りが終わったところで(笑)、今回は(1:12:50)から(1:13:39)まで。

しかし、「ラジオの音楽」という形の「現実の侵入」を回避したのも束の間、「自動車工場」は再び新たな「侵入」を受ける。「ミスター・エディ=現実」が、先に宣言したように(1:06:57)「再訪」を果たすのだ。

アーニーの自動車修理工場(続き) 内部 昼 (1:12:50)
(11)ミドル・ショット。画面右半分を閉めるタイヤのアップ。画面左にはアウト・フォーカスで工場の赤い壁と、その後方の三つ並んだ大きな窓。下方にゆっくりとパン。それに連れて、画面左から入ってきた、白リボンのタイヤに黒いボディのキャデラックのオープン・カーにフォーカスがあう。逆にアウト・フォーカスになっていく画面右のタイヤのアップ。そのタイヤのアップにボンネットあたりまでを隠しながら停車するキャディ。助手席には金髪の女性が座っているのが見える。
[工場内に響くキャディのクラクション]
(12)ミドル・ショット。自動車の下に潜り込んで、修理作業を行っているピート。足元、左斜め下から見下ろすショット。クラクションの音を聞いて、自動車の下から滑り出るピート。少し体を起こしてクラクションの方向を見る。
(13)ミドル・ショット。修理工場内に停車している黒のキャディの右側面。助手席には金髪の女性が座ったままで、キャディの向こう側にはミスター・エディが車を降りて立っている。画面右端には、アウト・フォーカス気味のタイヤのアップ。画面手前を見たまま、キャディの前部の方に歩き出すミスター・エディ。
(14)ピートのアップ。作業台から慌てて立ち上がるピート。それを追って上方にパン。画面手前、キャディのほうを見ているピート。右斜め前からのショット。
(15)ミドル・ショット。右側面を見せて停車している黒のキャディと、助手席に座ったまま画面手前、ピートのほうを見ている肩までの金髪の女性。
(16)ピートのアップ。右斜め前からのショット。自分の正面、キャディが停められている方向を見ている。
(17)アリスのアップ。キャディの右側面からのアップ。助手席に座ったまま、画面手前、ピートの方を見ている。その前に画面右から現れるミスター・エディ。彼の顔をアップで画面に収めて少し上方にパンすると同時に、彼の顔にイン・フォーカス。背景は、逆にアウト・フォーカスになる。
ミスターエディ:
I'm leaving the Caddy like I told you.

そして、「アリス」のイメージが登場する。作品の終盤でミステリー・マンが喝破するように(1:58:09)、彼女は「レネエ」のイメージを踏襲して構築されており、本質的にこの両者が「等価」であることについては以前にも述べた。また、こうした表現がリンチ特有の表現主義的な発想に基づいたものであることも「概論」で指摘したとおりである。すなわち、フレッドとピートが「異なる人格」であることが「異なった演技者」によって演じられることで表されるのとは逆に、レネエとアリスが「同一の人格」であることが「同一の演技者」によって演じられることで表される。

この「アリス」のイメージがフレッドの「意識/感情」の反映として現れていることについても、あえて詳述する必要はないだろう。前々回に触れたように、ピート=フレッドは「レネエの代替イメージ」としてのシーラに充足していない。「幻想/捏造された現実」の維持を優先するなら、ピート=フレッドは「恋人(の幻想)」であるシーラで満足する「べき」なのだが、彼の心のどこかに存在する「レネエを希求する感情」がそれを許さないのだ。いわば「アリスのイメージ」は、このような彼の「葛藤」の結果の産物……あるいは「妥協」の産物である。「ありのままのレネエ」のイメージを自らの「幻想/捏造された現実」の内部に喚起することができないフレッドは、「黒髪→金髪」という「修正(モデファイ)」が加えられた「レネエのヴァリエーション=アリス」のイメージを喚起してしまうのだ。

だが「レネエのヴァリエーション」である限りにおいて、「アリスのイメージ」もまた「ありのままの現実」に所属するものであり、「現実」のイメージを付随させるものにならざるを得ない。それを表象して、彼女は「ミスター・エディ=現実」に連れられて「アーニーの自動車工場」に姿を現す(カット(13))。カット(16)の映像に表れるピートの表情が、彼の「希求」の度合いを明確に物語るが、後のシークエンスにおいて明示されるように彼女はミスター・エディの支配下に置かれており、ピート=フレッドからは「分断」され「隔絶」していることがさまざまな映像によって示唆される。

たとえば、カット(11)にあるように、画面を支配するのは右半分を占める「黒々としたタイヤ」のアップであり、アリスはあくまでその遠景として押し込められた形で現れ、ピートからは距離をもって描かれる。ピートは彼女を仔細に見ようとするが(カット(16))、カウンター・ショットとして提示される彼の主観ショット(カット(17))では、その「視線」の前にミスター・エディが立ちはだかり、せっかくアップになったアリスの姿をアウト・フォーカスの背景へと追いやってしまう。同時に、成立しかけていたピートとアリスの「視線の交換」もミスター・エディによって妨害され、完全に分断される。二人は「分断」され、「隔絶」させられるのだ。

あるいは見方をかえるなら、アリスにとってかわって、最終的にミスター・エディがこのショット(カット(17))の「支配的映像」となることに表されるように、ミスター・エディはフレッドの「幻想/捏造された現実」に侵入し、そこで発生する「事象」をまさしく「支配」している。このシークエンスで起きる事象は、明らかに彼=現実の統制下にあり、その結果、本来はフレッドにとって「都合のよいもの」であるはずの「幻想」は機能を著しく制限されてしまうのである。

前述したように、アリス=レネエへのピート=フレッドの「希求」は「ミスター・エディ=現実」によって阻害され、決して充足されることがない。とはいえ、ごく客観的にみるかぎりにおいて、これは至極当然のことである。なぜなら「ありのままの現実」においてレネエがすでに「不在」である限り……有体にいうならフレッドによって彼女が殺害されてしまった以上、フレッドのレネエに対する「希求」を満足させる方法など、現実問題としてどこにも存在し得ないからだ。つまり、「現実的」にフレッドの「希求」が満たされる可能性は、最初からゼロなのである。もしこの「希求」が充足される可能性が存在するとしたら、それは「非現実=幻想」においてのみなのだ……そう、「前半部」における「幻想/捏造された記憶」がそうであったように。

(1:13:17)
(18)ピートのアップ。ミスター・エディの右背後からのショット。至近距離で二人は向き合っている。
ミスター・エディ:
Think you'll get a chance to give her the once-over today?
ピートにフォーカスをあわせ、右に回り込む視点。
ピート: Sure. Uh, you want to pick it up later on, or uh, or in the morning?
ミスター・エディの右肩越し、彼がアウト・フォーカス気味になる地点で停止する視点。
(19)ミスター・エディのアップ。ピートの左肩越しのやや斜め左からのショット。彼の背後にはアウト・フォーカスになった工場の内部。
ミスター・エディ: Well, if you think you can finish it, I'll be back later today.
(20)ピートのアップ。ミスター・エディの右肩越し、やや斜め右からのショット。
ピート:(ミスター・エディを見つめながら)It'll be done.
ミスター・エディ: You're my man, Pete.
右手を上げ、ピートの左頬をつねるミスター・エディ。目をつぶって頬をつねられているピート。ミスター・エディが手を放し、ピートは笑みを浮かべる。
(21)ミスター・エディのアップ。ピートの左肩越し、やや斜め左からのショット。笑みを浮かべているミスター・エディ。そのまま振り返り、キャディのほうに歩み寄る。それを見守っているピート。右に回り込み、歩み去るミスター・エディの背中越しに、助手席にアリスが座ったキャディを捉えるショット。
(22)ピートのアップ。画面左の方向、キャディのほうを見ているピート。
[サンダーで物を削る音]

このシークエンスが提示するように、「顧客=ミスター・エディ」と「被雇用者=ピート=フレッド」の関係は継続されたままである。この「関係」が持続する限りにおいて……すなわち、「現実=ミスター・エディ」が規定する「ルール」に従っている(ように振舞う)限りにおいて、ピートはミスター・エディの「お気に入り(my man)」でいることができ、「直裁的な力」の行使を免れることができる。ピート=フレッドはこのことを認識しており、「幻想/捏造された現実」を維持するべくリアクションするわけだが、いずれにせよ、彼に選択の余地はないといえる。ミスター・エディが修理されたキャデラックを回収するために、早かれ遅かれ(今日中であれ明日の朝であれ)「自動車工場」を「再々訪=侵入」することは確実であり、ピート=フレッドにそれを排除する手段は(今のところ)ないのだから。

しかし、カット(18)で行われる「今日、彼女をちょっと調べられるか?」というミスター・エディの発言は興味深いものがある。もちろん、第一義的に「彼女」という代名詞が指すのは「修理に持ち込まれたキャデラック」のことである。だが、先ほどのシークエンスのカット(16)で描かれ、この後も何度か描かれる「ピートの視線」が意味するもの、そしてその「対象」を考えるなら、あるいはこれは複義的な言及である。さて、ピート=フレッドが「ちょっと調べる」のは「キャデラック」だけなのか?

(この項、続く)

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