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2009年3月10日 (火)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (35)

えー、さても南京玉すだれな感じで続く、「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」についてのハナシである。今回は(1:07:58)から(1:08:29)までをば。

フェイド・アウト、フェイド・インに続いてまず提示されるのは、夜の闇に浮かぶ「ピートの家の外観」のエスタブリッシュメント・ショットである。そして、この「闇」は、続く「家の内部」のショットにも引き継がれる。

ピートの家 内部 夜 (1:08:03)
ミドル・ショット。画面右の闇の中から、ゆっくりと姿を現すピートのバスト・ショット。画面右三分の一のところで、乏しい灯りを浴びながら立ち止まる。じっと前方を見すえているピート。やがて、意を決したように前方に歩き始める。画面左端からピートの横顔が現れ、最初認められた画面右端のピートが鏡に映った鏡像であることがわかる。暗い色のチェックのシャツを着て、鏡の中の自分をじっと見つめるピート。やがて右手を上げ、右の額の傷に指先で触れる。

このショットは、明らかに「前半部」に現れた「フレッドが鏡に映った自分自身を見るショット」(0:37:54)の「ヴァリエーション」である。リフレインではなくヴァリエーションであるのは、両ショットがちょうど「鏡」を見たように左右が反転し、裏返しになっているからだ。現在論じているショットではピートの「鏡像」が画面右に、そして「実体」が左に位置しているが、(0:37:54)からのショットではフレッドの「鏡像」が画面左に、「実体」が右に位置している。この「配置」の「鏡像関係」は、第一義的にはフレッドとピートの「鏡像関係」……つまり、ピートがフレッドの「実体のない鏡像」でありフレッドがピートの「実体」であることを示唆しているといえるだろう。いずれにせよ確実に指摘できるのは、この「ヴァリエーション」が描く「ピートとフレッドの対置関係」が、この二人の「等価性/同一性」を表象しているということだ。

以前に述べたように、(0:37:54)からのショットに現れるフレッドの「実体」と「鏡像」は、それぞれ「幻想のフレッド」と「現実のフレッド」……正確にいえば、”「捏造された記憶」に生きるフレッド”と”「ありのままの記憶」を蘇生させつつあるフレッド”の発生を表していた。そして、現在論じているショットで発生している”ピートの「実体」と「鏡像」”もまた、そうした表現を踏襲していると理解できる。つまり、ここに登場しているのは、”「捏造された現実」に生きるピート=フレッド”と”「ありのままの現実」を思い出しそうになっているピート=フレッド”である。いうまでもなく、こうしたイメージを引き起こしたのは、フレッドの「幻想/捏造された現実」に傍若無人に「侵入」し、「ルールを破った者」を「直裁的な力」で「処罰」してみせるばかりか、「ポルノ=レネエに対するフレッドの疑惑」が収録された「ビデオ・テープ=ありのままの記録」をピート=フレッドに突きつけた存在……ミスター・エディに他ならない。

「現実=ミスター・エディ」による「侵入」と、彼から受けた「脅威」によって、ピート=フレッドは大きく動揺している。”「鏡像」と「実体」のフレッド”の発生は、そのまま「前半部」における「幻想/捏造された記憶」の崩壊へとつながってしまった。同様に、”「鏡像」と「実体」のピート”の発生は、「ピートを核にした幻想/捏造された現実」もまた崩壊の危険に曝されていることを示唆している。いうまでもなく、それはピート=フレッドにとって非常に好ましくない事態だ。

そもそもこの「脅威」の本質を具体的に述べるなら、「外界」から「強制的なコントロール」が下され、フレッドの意のままに「幻想/捏造された現実」が機能しなくなることにある。「山道」のシークエンスについて述べる際に触れたように、「ミスター・エディの車に乗ること」自体が「他者のコントロールを受けること=自分がコントロールする権限を失うこと」を表象するわけだが、問題はそうした事態に直面するにあたって、「処罰されるドライバー」と同様、ピート=フレッドがほとんど無力であったことだ。かろうじて「ポルノ」の「ビデオ・テープ」のオファーを断ることには成功したものの、「幻想/捏造された現実」(それは自分自身のために構築したはずだった)に対するコントロールを一時的にせよ奪われたことで、フレッドの「自我」は傷ついている。「ピートを核にした幻想/捏造された現実」への「遁走」が、「レネエを殺したこと」による「自責の念」や「罪の意識」から「自我を保護すること」をも目的にしていると考えるなら、フレッドの「自我」は二重に傷ついているといってよいだろう。

「裏庭」のシークエンス(0:55:08)において、「前半部」に登場したいろいろな「脅威」が「安全化/無力化」されたように、ミスター・エディによる「脅威」もまた「安全化/無力化」されなくてはならない。「後半部」の冒頭でピートが獲得した「全能感」を取り戻すためにも、「ミスター・エディ=現実」の「脅威」によって傷つけられた「自我」は修復されねばならないのだ。こうした「イメージの連鎖」に基づき、ディゾルヴによるカッティングを伴って、シークエンスは”ピート=フレッドが「傷ついた自我の修復」を試みる”イメージへと連結される。そこで喚起されるのは、「恋人(の幻想)」のイメージである「シーラ」だ。

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