「ロスト・ハイウェイ」を観た (31)
月曜日は仕事休んで朝から酒くらいながらスーパー・ボウル観戦のつもりだったのに、打合せが入ってしまいましたあああぁ、なんてこったいいぃぃ。エエエエエエエ……と思わず「もやしもん」のA・オリゼーみたいに口を四角にしてしまった大山崎でありますが、それはそれとして、細菌が酒を「醸す」が如くゆっくりと進行中の「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」をばアレコレする作業であります。今回は、(0:57:38)から(0:58:53)まで。
この「ボウリング場」を舞台にしたシークエンスが提示するものもまた、フレッドが「ピートを核にした幻想/捏造された現実」を構築し続ける様子である。このシークエンスにおいて、ピートは友人に連れられて、初めて「家」を離れて「外界(に相当する場所)」へと足を踏み入れる。そこでピート=フレッドが何をしようとしているかは、具体的映像からして明快である。すなわち、「シーラ」という「人格」によって表される「恋人」に関する「幻想/捏造された現実」の構築だ。
この「イメージの連鎖」において、直前のシークエンスで提示された「映像内映像」(0:57:02)……「イチゴを摘む少年と少女」の「少女」が表象するところもまた明確になるといえるだろう。これもまたピート=フレッドの「欲求」の反映であり、彼は「少年」と対になる「少女」のような存在を……自分と対になる「女性」を「希求」しているのだ。
ボウリング場の酒場 内部 (0:58:00)
(ディゾルヴ)
(1)ピートとシーラのツー・ショット。踊っている二人をピートの右から捉えたショット。シーラはピートの右肩に左手を掛け、その目を見つめている。同じくシーラを見つめているピート。右手をピートの首の後ろに掛け、伸び上がってピートの右耳に顔を寄せるシーラ。
シーラ: What's happening to you?
左にパンを始める視点。顔を離すシーラ。互いに見詰めあう二人。
シーラ: What happening to your face?
ピート:(一瞬、顔を上げて)I don't know.
シーラ: What do you mean? You've been acting strange lately. Like the other night...
踊りながら右方に移動する二人。それを追って、右にパン。
ピート: What night?
シーラ: The last night I saw you.
ピート:(首を振って)I don't remember.
(2)踊っているピートとシーラのアップ。ピートの右斜め後ろからの、ピートの肩越しのショット。シーラの左手はピートの右肩に置かれ、右手は彼の左の首筋あたりに回されている。黙ってピートの顔を見詰めるシーラ。
(3)踊っているピートとシーラのアップ。シーラの左斜め後方からの、シーラの左肩越しのショット。じっとシーラの顔を見下ろしているピート。微かに微笑を浮かべる。
(4)踊っているピートとシーラのアップ。ピートの右斜め後ろからの、ピートの肩越しのショット。しばらく黙って踊る二人。
シーラ: You still care about me?
(5)踊っているピートとシーラのアップ。シーラの左斜め後方からの、シーラの左肩越しのショット。シーラにキスをするピート。
(6)踊っているピートとシーラのアップ。ピートの右斜め後ろからの、ピートの肩越しのショット。目をつぶり、キスに応えるシーラ。左手がピートの背中に回され、右手はピートの髪を掴んでいる。両腕をピートの首に回し、強く彼を抱きしめるシーラ。
(ディゾルヴ)
当然ながら、この「外界」も「ピートという人格」を核にして構築されており、「フレッド自身を核にした幻想/捏造された記憶」に現れた「外界」とは鋭い対照を見せる。その一例がこのシークエンスの舞台となる「ボウリング場」であり、その一角に存在する酒場である。雑多な人々が集まっている様子が描かれるが、それは「アンディの屋敷」で開かれていた「パーティ」(0:27:19)とはさまざまな点で異なっている。そもそも「プール付きの屋敷で開かれるプライヴェート・パーティ」と、「ボウリング場」に併設された安価な「公衆酒場」では比較にならないわけだが、それを反映してそこに集まる人々の間にも歴然とした格差が見てとれる。たとえば「パーティ」にはナイトドレスの女性たちやジャケットを着た男性たちといった「招待客」が現れるのに対し、「ボウリング場」には三々五々集まった普段着姿の中産階級の人々が対置される。あるいは、果物が載ったトレーを捧げ持つ蝶ネクタイに黒ジャケットのウェイターに対しては、料理を運ぶ太ったウェイトレスが対置されるといった具合である。フレッドは「ピートを核にした幻想/捏造された現実」から、徹底的に「フレッドに関連する記憶」(それはすなわち、「レネエ殺害」につながる記憶につながるものだ)を排除しようとしており、あるいはこの「ボウリング場」のイメージそのものが「アンディの屋敷のパーティ」の「無害化/安全化」だ。
それは、ピート=フレッドが構築しようとしている「恋人(の幻想)」に関しても同様で、彼が「恋人の基本イメージ」として求めているのは「自分に従順な存在」であり、決して「現実のレネエ」のように「コントロール不能な存在」ではない。それを反映して、このシークエンスをつうじてずっと、シーラは「フレッドの欲求」に則った行動をとる。彼女はピートにぴったりと寄り添い、彼に「まだ自分が好きか?」と問い掛ける(カット(4))。もちろん、この質問は「彼女がピート=フレッドを愛していること」を前提としており、ピートに対するシーラの態度はフレッドに対するレネエの態度……「ライブに行かないと宣言するレネエ」(0:05:13)や「アンディと戯れるレネエ」(0:27:36)……とは、対極にあるといえる。かつ、この「愛の確認」において、能動的に「自分が好きか?」と問い掛けるのはピート=フレッドではなくシーラのほうであり、ピート=フレッドはなんらリスクを負うことなく受動的に(つまり、都合よく)「二人の関係(の幻想)」を構築するのである。あるいはこれは、「イチゴを摘む少年と少女」の「映像内映像」において、「少女」のほうが画面手前に配置され「支配的映像」となっていることとも合致するものだ。
カット(3)において、ピートは「微笑」を浮かべる。「後半部」で登場して以来、ピートがなんらかの「表情」をあらわにするのは、これが始めてであることに注目したい。ピート=フレッドは「シーラ(という幻想)」に満足している。「ピートを核にした幻想/捏造された記憶」「幻想/捏造された記憶」における「因果律」や「外界と内面の関係性」をピート=フレッドは発見しつつあり、その構築作業は、非常にスムーズに進行しているかのようにみえる。
ところがその一方で、すでに「ピートを核にした幻想/捏造された現実」が「小さな綻び」をのぞかせていることは見逃せない。カット(1)において、シーラがピートに対して行う「あの夜(other night)のこと」に関する問い掛けがそれである。彼女の言及に従うなら、ピートは「最近、おかしな振る舞い」をしており、それは「彼女が彼に最後に会った夜」もそうであったことになる。それに対しピートが「どの夜のことだ?」という返答をすることに明白なように、彼には「あの夜」の記憶自体がない。シーラからのそれ以上の「追及」はなく、とりあえずピート=フレッドに対する「脅威」とはならないまま、二人の会話は終わる。
ピートがフレッドの「代弁者/代行者」であること、つまりピートの言動がフレッドの「感情」や「意識」の反映であることを踏まえたとき、この「記憶の欠落」が意味するところは明瞭だろう。結局のところ、フレッドは「あの夜」のことを思い出したくないのだ。そして、フレッドとって「もっとも思い出したくない事項」とは、「自分がレネエを殺害した」という「ありのままの記憶」に他ならない。そのことは、「前半部」によって描かれた「フレッドの忘却」……自分がレネエを殺害したという「記憶」をフレッドが都合よく消滅させ、彼女が存在している「幻想/捏造された記憶」を構築していたことによって明らかだ。「フレッドの忘却」と「ピートの忘却」は完全に「等質」のものであり、その「忘却の対象」となるものもまったく「同一」なのである。要するにシーラが言及する「あの夜」とは、「フレッドがレネエを殺害した夜」のことなのだ。
それにしても、「あの夜のこと」というシーラの言及によって表される”「ありのままの記憶」の蘇生”のイメージが、どうしてフレッドによって想起されてしまったのだろうか? その理由は曖昧にされたまま、「ロスト・ハイウェイ」は引き続きフレッドが「幻想/捏造された記憶」を構築する様子を描いていく。


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