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2009年1月 3日 (土)

「Beautiful Dark」を読む (8)

お屠蘇片手に、Greg Olson著のデイヴィッド・リンチ伝記本「Beautiful Dark」をチマチマと読み続ける、新春の日々(早い話が、酔っ払っている(笑))。今回は「イレーザーヘッド」の作品そのものに関するOlson氏の記述なんかを、とりまとめて。

この作品の主人公であるヘンリーがその当時のリンチと等身大のキャラクターであり、作品自体がリンチの個人的な部分の反映であることは、これまでにもいろいろな論者から何度となく指摘され続けてきました。Olson氏も「この作品のいくつかのシーンは、スクリーン上にというよりも自分の頭の中に存在すると感じる」というリンチの発言を引用しながら、「『イレイザーヘッド』ほど、その創作者の実生活上の経験と緊密にリンクしたリンチ作品はない」と述べており、こうした見方を根底におきつつ作品をみていきます。

なかでも「イレイザーヘッド」に直接反映された実体験として氏が挙げているのは、娘ジェニファーの誕生とその結果としてのペギーとの早い結婚、そしてジェニファーが内反足の障碍をもって誕生し、生後まもなく大手術を受けなくてはならなかったこと、そして結果的に妻ペギーとの結婚生活がうまくいかず、離婚することになったことなどです。これらの諸事項はすでに他の論者によっても指摘されており、「イレイザーヘッド」を解釈するうえで基本的な見方であることは間違いないと思います。

と同時に、リンチが「ヘンリーを平凡などこにでもいる人間存在」として描いていることをOlson氏は指摘します。「(ヘンリーは)人生が投げ掛けるさまざまな無理難題となんとか折り合いをつけつつ」「自分や他者を傷つけないように日々を生きている」というのがOlson氏のヘンリーに関する人物評です。ヘンリーが抱える無理難題とは「メアリーXは彼を夕食に招待し、X夫人は彼に性的攻撃をかける。彼は夫と父親の役目を押し付けられる。彼の子供は異形の奇形児で、彼の自由を制限する。メアリーは彼を捨てる」などといったような事柄です。それらの難題を、ヘンリーは「生来の寛容性でもって辛抱強く受け止め」ます。映像からも明らかなように、「彼はメアリーなどよりよっぽど熱心に可哀そうな赤ん坊の面倒をみる。その点で、ヘンリーは世間一般が彼に対して要求する義務を問題なく果たしているといえる」わけです。

と同時に、「彼は精神的な避難所を希求するが、荒れ果てた工業的な環境やX家の食卓や、メアリーや赤ん坊とともにいる自分の部屋にすら、それを見つけられないでいる。ヘンリーは『家』に帰りたいだけなのだが、それはどこにも存在しないのだ」という具合にヘンリーの「希求」を位置づけます。結局、作品の途中でメアリーXは家を出て行ってしまうわけですが、Olson氏は彼女をはじめとして「向かいの部屋の美女」と「ラジエーター・レディ」が構成する「対立構造」に注目し、これらをヘンリーの「選択肢」であると捉えます。同時にこれらの「対立構造」を述べるうえで、グノーシス主義の世界観との類似性を指摘します。グノーシス主義者たちは、「世界」を「下位の劣った神が自らの優位性を主張するために作ったとんでもない間違い」であるとし、「人々が本当の心の拠り所に至る道に気がつくことを待ち望んでいる真の神は、下位の神によって人々の目から隠されている」とします。それに対し、Olson氏は「惑星の男」や「ラジエーター・レディ」を「生殖を強いる下位の神」……「メアリーX」や、彼女が家を出て行ったあと入れ替わりにヘンリーと生殖行為を行う「向かいの部屋の美女」……と対立するものとして捉えます。ヘンリーは、これらの選択肢のあいだで揺れ動きますが、最終的に「ラジエーター・レディ」を選択し、彼女によって救済されることになるわけです。

それに加え、Olson氏は「イレイザーヘッド」が内包する「再生」のイメージについて指摘します。たとえば、ヘンリーの頭が抜け落ち、工場で消しゴムにされたあと、工員がテストで鉛筆で引いた線を消し、その消し屑が宙を舞って再び頭が揃ったヘンリーに「再生」されるというシークエンスがその嚆矢です。すなわち「何よりも、ヘンリー自身が『消しゴム』である。彼は今までの自分を消し去り、新しく生まれ変わるのだ。鉛筆をヘンリーの身体のメタファーとしてみるならば、赤ん坊を作ることで、彼のペニスのペン先は世界に『印』をつけたといえる……何とかして消し去りたいような『黒い印』を」とOlson氏は記述します。

んでもって、氏は、この「再生」のイメージを、作品製作中にリンチが始めた「瞑想」……「Transcendental Meditation」との関連性において指摘します。この見方を裏付けるのが、当初リンチがAFIに提出した22ページのシナリオと、実際に出来上がった映像との差異です。Olson氏によれば当初の「イレイザーヘッド」のシナリオは、いろいろな点において前々回に触れた「Gardenback」との類似性が強いものでした。何よりもシナリオ版の結末は「巨大化した赤ん坊」にヘンリーが(文字通り)食われて終わるというもので、これは「Gardenback」の「家の中で育った怪物に侵食される主人公(同名のヘンリー)」とまったく同じだといえます。それが、最終的な映像では「ラジエーター・レディ」とヘンリーが「白い光」に包まれる「ハッピーエンド」になっており、完全に「転倒」しているわけですね。ペギーの証言によれば、「ラジエーター・レディ」は当初のシナリオには存在しておらず、この登場人物が「イレイザーヘッド」に現れたのは、リンチが瞑想を始めた後だったとのことです。Olson氏は、この「結末の変更」は、明らかにリンチが「TM」に触れた以降に行われ、その根底にある「ヒンズー思想」の影響下にあると指摘しています。

しかし、ヘンリーとリンチが「等身大」であるとするなら、このヘンリーの「選択」……「メアリーX」でも「向かいの部屋の美女」でもなく、「ラジエーター・レディ」を選んだという選択は、その当時のリンチの「選択」でもあったということです。ここで思い出されるのが、前回に触れた「美術館で、仏陀の頭の彫刻から白い光がピカ!」のエピソードなわけで、要するにリンチが家族生活よりも芸術生活を「選択」したことが、「イレイザーヘッド」でヘンリーが行った「選択」の構造と重なっているっつーことですね。

てな具合に、最終的にヘンリーは「ラジエーター・レディ」(と「白い光」)を選択するわけですが、Olson氏はそこに至る「過程」を問題とします。つまり、「ラジエーター・ガール」を選択し彼女との「抱擁」に至る前に、ヘンリーは「赤ん坊殺し」という行為を経るわけですが、それがヘンリー(とリンチ)にとってナニを意味するのか? ということですね。

Olson氏は、この問題を考察するに際して、「頭が抜け落ちたヘンリーの体から、赤ん坊の頭が顔を出す」映像に注目します。要するに、ヘンリーと赤ん坊の「等価性」ですね。これについてOlson氏は「ヘンリーは『叶えられない希求』という自分の傷口を、自分の子供に投影する。そして、それを自分自身とは別の生き物として、つまり『他者』としてみなす。『他者』は消却することが可能であり、それとともに彼の『苦痛』も消滅させることができるのだ」と述べます。「赤ん坊」はヘンリーの内面にあるもののを「他者化」したものであり、そーゆー意味で「同一」のものだということですね。この捉え方の根底には、人間の内面には「善や悪」などを含めたいろいろなものがごちゃまぜに内包されているという、リンチ作品が共通して採用する基本的概念があると(これはグノーシス主義の「世界観」とは相違している点であるという指摘とともに)Olson氏は述べるわけですが、このような機序で「赤ん坊殺し」は「ヘンリー自身の『何か』を殺す作業」として位置づけられることになります。

つまり、「ラジエーター・レディ」との抱擁に至るには、ヘンリー自身も何かを「犠牲」にしなくてはならず、それはたとえば「ヘンリーが自分の頭を失くすこと」あるいは、「ヘンリーの頭が落ちる」シーンに登場する巨大サイズの「鉢植え」が「血を流し」、その血に「ヘンリーの頭が浸かる」映像に表れているというのがOlson氏の見方です。逆にいえば、自分の内面に存在する(「他者化」された)「おヨロシくない部分」を消滅させることが、「再生=精神的成長」につながるということでありますね。Olson氏は、この「ヘンリーが自分の生命を失うこと(=頭を失うこと)は、瞑想者が自我意識を失うことのメタファーである」と述べ、リンチの「TM」への傾倒がこの作品に与えた影響を強く示唆します。

大山崎にとって、この「再生」のイメージとその「TM」との関連性の指摘は、なかなか興味深いものでありました。Olson氏も文中で述べていますが、このあたりは「キリストの受難」と「復活」というキリスト教圏のメンタリティに裏付けられた発想なのかもしれません。

さて、その後さまざまな紆余曲折を経て、「イレイザーヘッド」は「ミッドナイト・ムーヴィー」の代表作としてカルト的人気を獲得するわけですが、そこらへんはJ.Hoberman & Jonathan Rosenbaum著の「Midnight Movirs」などで既に紹介されているので割愛します。

というわけで、「Beautiful Dark」の「イレイザーヘッド」製作時期に関する章はおしまい。次は(ちょいと寄り道をはさみつつ)「エレファント・マン」の製作時期に関する記述が始まります。

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