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2009年1月17日 (土)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (27)

なーんか年始のゴタゴタに紛れて間が空いてしまいましたが、そこはそれ、テキトーなペースでチマチマ進行中の「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」を追っかける作業の続き。

今回は、(0:49:39)から(0:51:14)まで。「ターニング・ポイント-1」を構成する、最後のシークエンスである。さて、では、「真の感情」と「真の声」を隠匿し終えたフレッドが抱える「心理的変動」とは、いったいどのようなものであるのか。

夜のハイウェイ (0:49:39)
(11)(フェイド・イン)
疾走する自動車の内部からの夜のハイウェイ。オープニングに現れた映像と同一である。
[高まる音楽]
やがて視点はスピードを落とし、道路の右端に向かう。ヘッドライトの光が、道路の端に立っている男(ピート・デイトン)の姿を捉える。彼と向き合って停止する視点。
(12)ミドル・ショット。ヘッド・ライトのを浴びて、画面右に立っているピート。ライトは革ジャンを着たフレッドの腰のあたりを捉えており、顔は下からの照明を浴びてぼんやりとしか見えない。ゆっくりとピートに近寄っていく視点。突然、強烈な青白い光が彼の右から浴びせかけられ、同時に画面右にはオーヴァー・ラップでピートの家の前に立つシーラの姿が浮かび上がる。シーラは黒い上着とミニ・スカートをつけ、両手をほほのあたりに当てて立っている。なおもピートに近づいていく視点。
シーラ: Pete!
明滅する青白い光。オーバーラップで写された平屋建てのピート家の玄関付近には、彼の両親が立っている。
シーラ:
Pete, don't go!
なおもピートに近づいていく視点。アップになるピート。明滅する光に照らされ、ホワイト・アウトするピートの顔。オーヴァーラップされた映像では、シーラが画面手前に向かって駆け出す。その背後では、ピートの両親も駆け出している。
シーラ: Pete!
父親: Pete! Pete! Pete!
画面手前に消えるシーラ。その背後から、両腕を振り上げて走ってくる父親。
(13)明滅する青白い光に照らされる、ピートの目のあたりのクロース・アップ。
シーラ: Pete!
(14)暗闇
(15)ピートの目のあたりのクロース・アップ。
(16)(ディゾルヴ)
独房の天井の鉄格子とその向こうの照明のアップ。下から見上げるショット。漂う煙。
(17)(ディゾルヴ)
ピートの目のあたりのクロース・アップ。
(18)(ディゾルヴ)
独房の天井の鉄格子とその向こうの照明のアップ。下から見上げるショット。漂う煙。
(19)(ディゾルヴ)
明滅する青白い光に照らされる、ピートの目のあたりのクロース・アップ。
(20)(ディゾルヴ)
独房の天井の鉄格子とその向こうの照明のアップ。下から見上げるショット。漂う煙。
(21)(ディゾルヴ)
ピートの目のあたりのクロース・アップ。青白い光は衰え、通常の色を取り戻している。
(22)(ディゾルヴ)
血が流れる頭を両手で抱え、床を転がるフレッドの高速度撮影ショット。明滅する青白い光。床にも血は流れている。
[エコーのかかったフレッドの悲鳴]
(23)独房の天井の鉄格子と、その向こうの照明のアップ。下から見上げるショット。明滅する青白い光。漂う煙が濃くなり、何も見えなくなる。煙の合間を縫って鋲が打たれた壁が現れ、視点が下方に向かってパンし続けていることがわかる。煙は下方に向かって漂っている。最終的に、煙は大きく開いた傷口のように向かって吸い込まれていく。視点は煙を追って、生々しく肉と血がのぞいている傷口の中に侵入する。
(フェイド・アウト)
(24)(フェイド・イン)
画面の右端にアウト・フォーカスで映される、暗闇の中でうごめく人の顔のようなもの。(フェイド・アウト)

現在論じているシークエンスは、前回取り上げたシークエンスと連続性があるため、カット番号を連番にしていることをあらかじめお断りしておく。

カット(11)にまず現れるのは、疾走する車内からの「主観ショット」によって提示される「夜のハイウェイ」の映像である。この映像は「オープニング」および「エンディング」において、あるいはこの後のシークエンスにおいても使用されている「フレッドの遁走」というこの作品の基本テーマを象徴する映像である。そして、このシークエンスによって提示されているのは、フレッドが「遁走」を開始するまさにその瞬間だ。

ここで指摘しておきたいのは、このカット(11)が直前のシークエンスのラスト・カット(カット(10))と連続性をもって提示されていることである。この二つのショットの間には「フェイド・アウト」「フェイド・イン」が挟まれているためこの連続性がわかりにくいのだが、それを補完するのがカット(16)(18)(20)の「独房の天井の鉄格子」を見上げるショットだ。これらのショットはカット(10)の映像と同一アングルであり、これは「視点」の位置がすべて共通であることを意味している。カット(10)の映像がカット(9)における「上方を見上げるフレッド」の「視線の対象」であることは明らかであり、これら「独房の天井」の映像群はすべて独房内にいる「フレッドの主観ショット」であることが了解されることになる。

この「独房の天井」と重なって、ディゾルブによるカッティングによって様々な映像が提示されるわけだが、ここで思い出されるのが、前回挙げたシークエンスにおいて発生していた「視線」と「その対象」の関係性……つまり、「フレッドの視線」と「砂漠の小屋」との関係性である。「独房の扉」と重なって現れる「砂漠の小屋」が「フレッドの視線」の対象物であることは、カット(2)カット(3)の関係性において明らかだ。当然ながら、この「視線とその対象」の関係性は現在論じているシークエンスにおいてもキープされているのが妥当だろう。つまり、カット(11)の「夜のハイウェイ」の映像からカット(13)までの映像は「フレッドの視線の対象物」であり、「独房の扉」に重なって現れる「砂漠の小屋」と同じく、フレッドによって「幻視」されているものなのだ。

これらの「視線とその対象の関係の同一性」や「視線の主体」から了解されるのは、「独房の扉」という「物理的出口」に重なって現れた「砂漠の小屋」のイメージがフレッドの「心理的出口」であったのと同じく、「監視/追及」のイメージを付随させている「独房の天井」*と重なって現れる「夜のハイウェイ」および「ピート」の(そして、それに関連する)イメージもまた、フレッドの「監視/追及」からの「脱出口」として捉えられるということである。

上記のような事項を念頭に置きつつ「ピートに関連するイメージ」群を観たとき、なかでも興味深いのは、ディゾルヴによって「独房の天井」のショットと交互に現れる「ピートの目のあたり」のクロース・アップ(カット(13)(15)(17)(19)(21))である。「独房の天井」が「監視/追及」のイメージを付随させていることは前述したとおりだが、「採光窓から見下ろすエド」(0:26:04)や「中庭のフレッドを監視する看守たち」(0:45:18)といった映像に明白なように、それは「監視する視線」の存在を前提にしている。であるならば、「独房の天井」に重なって「目」のイメージが提示されること自体には、何の不思議もないといえるはずだ。「独房の扉」と「砂漠の小屋」のイメージがともに「出口」という共通イメージによって結び付けられ重なって現れるように、「独房の天井」と「ピートの目」のイメージは「視線」という共通項によって結び付けられ現れるのである。同時に、あるいはこれは「視線の主」を「フレッドがコントロールできない外界に存在するもの」から「フレッドがコントロールできる内面に存在するもの」に置き換えることによる、「監視/追及」のイメージの「無力化」としても理解できる。

特に注意をひかれるのは、カット(21)の「ピートの目」のクロース・アップである。シークエンスを通じて「青白い光」に晒され(「フィルム・ノワール」諸作品の映像的特徴を思わせる)コントラストの強いモノトーンの映像として提示されていた「ピート」のイメージが、カット(21)において瞬間「色彩」を取り戻す。それはあたかも「非現実な幻想」っであったモノトーンの「ピート」が、「現実的存在」へと「実体化」を果たしたかのようだ。

カット(16)以降「独房の天井」の映像とともに現れていた「煙」のモチーフが、カット(23)において明瞭に提示される。リンチ作品に頻出する共通モチーフのひとつである「煙」は、すでに「フレッドの幻想」を表すシークエンスにおいて、フレッドの「感情」を表象するものとして現れていること(0:17:29)は以前に述べたとおりだが、このカット(23)に現れる「煙」のモチーフもまた、抽象的な概念の表象であることは明らかである。前述したように「煙」のモチーフは「ピート(の目)」のクロース・アップと重なって提示されているわけだが、こうした表現が示唆するのは、この二つのイメージ……「煙」と「ピート(の目)」のイメージの「同一性」だ。すなわち、ここに現れる「煙」は、(後に明らかになるように)「ピートおよびそれに関連するイメージ群」によって構成される「幻想/捏造された記憶」を表す「概念」なのである。

頭部に傷を負い、床を転げまわるフレッドの姿(カット(22))を提示したあと、「煙」のモチーフはカット(23)においても継続して提示される。カット(23)において、「視点」は「独房の天井」から「鉄鋲が打たれた独房の壁」をなめつつ、下方に向かって漂う「煙」を追いかけて下にパンし続ける。明滅する「青白い光」と濃く漂う「煙」そのものによって映像は明瞭ではないが、最終的にこの「下方にパンする視点」が辿り着くのは「独房の床」だ。前述したように、カット(16)(18)(20)における「独房の天井」の映像は「フレッドの主観ショット」によって提示されていたはずなのだが、このカット(23)においてはそれがいつの間にか「客観ショット」に転換されている……あたかも、「フレッド」という「主観ショット」の「主体」が消滅したかのように。

そして、下方に向かう「煙」が最終的に到達するのは、同じくカット(22)で認められるフレッドが頭部に負った「傷口」である。あらためて指摘するまでもなく、この「構造」は”「砂漠の小屋」にが吸い込まれる「炎」”の映像と同一であり、その表象するところも基本的に同一であるはずだ。すなわち「煙=ピートに関連するイメージ=幻想/捏造された記憶」が「傷口の中」に……それはつまりフレッドの「頭」の内部に……内包される様子(あるいは隠匿される様子)を提示していると捉えるのが妥当ということである。また、この映像には、これまたリンチ作品に頻出する「侵入する視点」のモチーフが認められる。「ロスト・ハイウェイ」においてまず現れた「侵入する視点」が、「フレッドの家=フレッドの内面」における核となる場所である「ベッド・ルーム」へと入り込んだように(0:17:42)(0:21:26)(0:41:11)、このシークエンスに現れる「侵入する視点」もまた「フレッドの内面」の核となる場所である「フレッドの頭」に向かって侵入を果たすのである。

ここで観られるのは明らかに「外界」と「内面」の境界線の溶解である。「ピートに関連するイメージ」は「独房の天井」と重ねられ、「監視/追及」(とその根底にある「視線」)のイメージによって連結される。そのイメージが「傷口」をとおして「内面」へと回収される様子は、見方によっては「外界による内面への侵入」である。だが、ここで表象される「外界」もまた、フレッドの「内面」で発生している事象……つまりは「幻想/捏造された記憶」であること、あるいはフレッドの「認知/認識」に基づく「外界=現実」であることは看過してはならない。一見「外界による内面への侵入」と捉えられる映像は、実は「内面による外界への侵入」であり、あるいは両者はまったく「同一」の事象なのだ。

その結果として発生するのが、カット(24)の映像によって表される事象である。真っ暗な闇を背景に、画面の右端に押し込められたアウト・フォーカスの映像は不明瞭だが、仔細に観れば「頭を抱えた男」の映像であることがみてとれる。この映像によって指し示されるものは、これに続くシークエンスによって発生している事象から明確なのだが、たとえはシナリオでは非常に端的に記述されている。以下にシナリオ版「ロスト・ハイウェイ」から当該箇所を引用しておこう。

屋内。刑務所。フレッドの独房。夜。
のっぺらぼうになったフレッドの顔、歪みだし、顔の各部分が現れ、ピート・デイトンの顔になっていく。
フレッド・マディソン、ピート・デイトンへと変わっていく。(溶暗)
(P.114)

最終的にこのシナリオの「映像化」としてはカット(24)のような映像が採用されたわけだが**、その意図するところは変わっていないと考えて差し支えないはずだ。カット(23)に認められる「視点の転換」を「フレッドの主体の消滅」の示唆と捉える見方は、このカット(24)が表象するものを了解したとき、あるいは一定の蓋然性をもつことになるだろう。

……という具合に、「ターニング・ポイント-1」は、フレッドが自分の「真の感情」を自分の心の奥深いところに隠匿し、心理的な遁走を開始したこと、かつ、その「遁走」の先が「ピート」という「別人格」を核にした「幻想/捏造された記憶」であること……を描いて終了する。これ以降の「後半部」においては、この新しい「幻想/捏造された記憶」がどのようなものであるか、そしてそれがどのように(「前半部」の「幻想/捏造された記憶」と同様に)崩壊に至るかが提示されることになる。

*「ロスト・ハイウェイ」を観た(25)の項を参照されたい。

**このあたりの映像に含められた意図に関しては、インタビュー集「映像作家が自身を語る デイヴィッド・リンチ」においてリンチ自身によって「フレッドがピートに変身した、ということをはっきりさせようと思った」という具合に明瞭に語られている(P.306)。また、当時の当時のリンチはフィルムを至上としており、アヴィッド・システムを含めた映像のデジタル化にには抵抗を感じていたことも言及されている。同様の理由で「フレッドからピートへの変身」の映像化においてもモーフィング処理等のCGIは採用されず、カット(24)のような「アナログな映像」となった(同P.309)。

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