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2008年12月31日 (水)

「Beautiful Dark」を読む (7)

Beautifuldark えーと、忘れたころにやってくることになっている、Greg Olson著のデイヴィッド・リンチ伝記本「Beautiful Dark」についての話題。今回は、「イレーザーヘッド」を製作する前後のことなんか。

前回も述べたように、結局、 「Gardenback」に関してAFIの教官から不本意な指導を受けた挙句、作品が形にならなかったことで、リンチは一挙にヤル気を失くします。まあ、この頃から自分の作りたいものしか作る気ナッシングだったわけでありますね。あわせて、リンチはAFIの二年生のクラスに編入されるはずだったのですが、何故か手違いで一年次のクラスに入れられてしまっておりました。それもあって、リンチ、ぶんむくれてAFIをやめることまで考えます。

そうした荒れ模様のリンチに気づき、「何か問題があるのか?」と問い掛けた教授がおりました。名前はFrank Daniel教授。教授は「もし君が動揺しているのだとしたら、我々は何か間違ったことをしているのだと思う。自分が本当は何をやりたいのか、話してみてくれないか?」とリンチに声をかけます。そんなこんなでクラスの件が手違いであることがわかり、リンチは教授の誠意に感銘を受けつつ、「自分がやりたいこと」として「イレイザーヘッド」の核となるアイデア……「体から離れた頭が少年に拾われ、工場の機械にかけられて、鉛筆の頭につけられる消しゴムにされてしまう」というアイデアを話します。

というわけで、「イレイザーヘッド」はその「助走」を始めるわけですが、これに関してもやはりいろいろと紆余曲折があったようです。当然ながら、「Gardenback」と同じくリンチは「イレイザーヘッド」をAFIでの課題製作とするつもりだったのですが、一部の教授から「これはAFIが作るべき作品ではない」という反対を受けたみたいです。これに対して反論してくれたのもFrank Daniel教授で、教授は「(「イレイザーヘッド」の製作が)認められないなら、私はAFIを辞める」とまで言い、本当に辞表を提出します。教授自身はパフォーマンスのつもりで、まさか誰も本気に受け取らないだろうと思っていたようですが、これがなんとなんと受理されてしまいます。あれま(笑)。いわば教授は体を張ってリンチを守ろうとしてくれたわけで、リンチはDaniel教授のことを「史上最高の映画教育者だった」と賛辞を贈っていますが、いやまあ、これくらいは当然で、一生足を向けては寝られないんじゃないスかね、リンチ(笑)。

そのような騒ぎのすえに、最終的に「イレイザーヘッド」の22ページのシナリオは承認され、21分間の作品として製作することが認められます。1971年から製作がスタートしたこの作品は、結局89分間の作品として1977年に完成することになるわけですが、作品そのものに関するOlson氏の記述については次回以降に譲ることにして、今回は「イレイザーヘッド」製作期間におけるリンチ自身のことに絞って「Beautiful Dark」の記述をまとめてみます。

Olson氏は、「イレイザーヘッド」の製作をつうじて、リンチは二つの面で成長を遂げたと指摘します。まず、一つ目はは「芸術家」としての成長で、子供の頃の絵から少年時代の絵画に始まり、「アルファベット」などのアニメによる短編を経て、アニメと実写の混合作品である「グランドマザー」、そしてついには完全な実写長編作品を作るに至るという成長です。と同時に、Olson氏はリンチの人間としての成長をも見てとります。すなわち、自室に閉じこもりフィルムに延々と絵を描きこみアニメを創る、社会から切り離された寡黙な芸術家であったリンチが、多くの協力者たちや出資者たちとコミユニケーションをとって作品のヴィジョンを共有できるようになったという点でです。「イレイザーヘッド」を製作していた約5年間は、リンチにとって経済的な点を含めて苦しい期間であったわけですが、その一方で自身が言うように「長く素晴らしい旅(wonderful long juorney)」でもあったわけです。

しかし、この時期、リンチにとって「転換」となったのはそれだけではありません。私生活においても、大きな転換点を迎えることになります。

リンチが一日二回の「瞑想」を欠かさないことは有名な話ですが、その「瞑想」……正確にいうなら「Transcendental Meditation」との出会いも「イレイザーヘッド」製作期間中、27歳のときのことでした。事の始まりはリンチの妹のマーサがスキーに行ったときのこと。そのときについたインストラクターの男性が「いつも落ち着いていて、幸せそう」なことに気づいた彼女が「なぜ、そんなふうにいられるのか?」と尋ねたところ、彼の解答が「Transcendental Meditationを行っているから」というものでした。これがきっかけとなってマーサ自身も「Transcendental Meditation」を始め、彼女はリンチにもこの瞑想方法を紹介して……という次第だった様子。ただし、最初はリンチも懐疑的な部分を残していた様子が伺えます。「丸太おばさん」キャサリン・コールソンの証言によれば、同じように「Transcendental Meditation」に興味を持った彼女に対し、リンチは「キャス、もし制服を着せられて行進させられそうになったりしたら、走って逃げよう」と発言していたようで、やはり「洗脳」やら「統制」やらを受けるのを恐れていた様子です。いずれにせよ、その後「TMは自分にぴったりだと思った(knew TM was for me)」と発言していることからもわかるように、リンチにとって「瞑想」は切っても切れないものになっていくわけですが。

しかし、では、なぜリンチが妹の勧めに従って「Transcendental Meditation」のレクチャーを受けようと思い立ったのか。それについては、Olson氏はこのような事実を紹介しています。

その頃、リンチは当時の妻ペギーとうまくいかなくなっており、自宅には帰らず「イレイザーヘッド」のセットで……あのヘンリーが使っていたベッドで寝泊りするというようなことをしていたらしいです。リンチいわく「精神的にも最低の時期だった」とのことですが、なぜペギーとうまくいかなくなったのかについて、具体的な理由等は本書では明らかにされていません。ペギー側の談話として、「彼(リンチ)も結婚生活を続けたいと思っていなかったし、自分もそうだった」と、リンチだけでなく「早過ぎた結婚」が彼女にとっても負担であったことを匂わせています。あるいは「イレイザーヘッド」のテーマは、リンチだけでなくその当時の彼女にとっても「リアルなもの」であったのかもしれません。

加えて、「Gardenback」を製作していた時期の話として、ペギーは以下のような発言を残しています。すなわち、それまで……つまり、「グランドマザー」までは、リンチは自分(ペギー)と討論を重ねながら作品を製作していた。ところがロサンジェルスに移りAFIに入学してからは、他にもリンチと作品に関して意見を戦わせる相手が(若い女性も含めて)たくさんできてしまった、と。

これは大山崎の意見ですが、フィラデルフィアの美術学校で同級生だったペギーの幻術的感覚をリンチは評価していたということなのでしょう。共同製作とまではいかなくても、製作に迷ったときなど、リンチがペギーの意見を参考にしていたであろうことは容易に想像がつきます。そのあたりの実際は、前回触れた「『Gardenback』がなぜうまくいかなかったか」に関するペギーの分析にも表れているといえるでしょう。リンチがAFIに入学しそうした環境が変わったとき、ペギーはリンチの創作面で自分の価値が相対的に低下したように感じてしまったと告白しています。あるいはこうしたこともリンチとペギーの間の「パートナーシップ」がうまくいかなくなった要因としてあったのかもしれません……結局、二人は1974年に離婚してしまうことになるわけですが。

また、ペギーとうまくいかなくなった頃の話として、このような話が記載されています。

まだ「イレイザーヘッド」の製作が始まる前のこと、ロサンジェルス・カウンティ美術館で西インドの古代彫刻展が開かれ、リンチはペギーとまだ幼かったジェニファーを連れてこの展覧会を訪れたそうです。閉館時間も近くなった頃、リンチは家族から離れて一人で通廊をふらついていました。で、以下はリンチの証言--「他に人はおらず、彫刻が並んでいるだけで、非常に静かだった。ある角を曲がり、通路に目をやると、いちばん奥にひとつの台座があるのが見えた。台座に沿って上を見上げたら、そこには仏陀の頭部の彫刻が展示されていた。それを見たとたん、白い光が仏陀の頭部から自分の目に向かって放たれ……ブン!……私は至福感に包まれていた」。

えーと、「オーラの泉」っスか?(笑) とかいうのはともかく、実はリンチはペギーにもこの体験を話していなかったようで、このリンチの「体験」を彼女が知ったのは2000年のこと、それもOlson氏に教えられて初めてそのようなことがあったと知ったらしいです。そして、Olson氏はこの「美術館での体験」を、「リンチの芸術生活が家族生活から切り離されたことのメタファーである」と述べます。要するに、リンチが家庭を捨てて芸術生活に専念することを決意したことを、ゴータマ・シッタルダが仏門に入るとき「家族や王宮生活を捨てたこと」に例えている……というのがOlson氏の見方であるわけですね。

しかし、いや、そっかー、仏様のお導きじゃ離婚してもしょーがないわなー……などと思ってしまう大山崎は、近頃めっきり不信心者なのでした(笑)。

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