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2008年12月12日 (金)

「ロスト・ハイウェイ」を観た (21)

すわて、忘年会シーズンが始まり、なかなかヘヴィな日程が今週来週と組まれている大山崎でございます。まずは「アンコウ鍋」から幕が開いたりしたわけですが、いやあ非常に美味しゅうございました。てなことで、コラーゲンでツヤツヤ状態の「ロスト・ハイウェイ」における「イメージの連鎖」話であります(笑)。今回は(0:33:04)から(0:33:45)までをば。

フレッドとレネエ「アンディの屋敷」を離れ、二人の車中での会話へとシークエンスは移行する。まずは具体的映像なんか。

フレッドの自動車 夜 (0:33:04)
(1)
[タイヤのスキール音]
ミドル・ショット。フレッドとレネエのツー・ショット。走っているフレッドの自動車の内部を、ウィンド・シールド越しに望むショット。
フレッド:(ハンドルを操作しながらレネエに向かって)So how'd you meet that asshole Andy anyway?
画面右、フレッドの方を見るレネエ。レネエから目を逸らして右手の窓外を見るフレッド。目を伏せるレネエ。
(2)レネエの斜め右からのアップ。右手のフレッドを横目で見ている。一度正面を見て、再度フレッドの方を見る。
レネエ: It was a long time ago.
レネエは正面を見てから、またフレッドを見る。
レネエ: We met at a place called Moke's. We became friends.(正面を向きつつ)He told me about a job.
(3)フレッドの斜め左からのアップ。ハンドルを操作しているフレッド。
フレッド: What job?
(4)レネエの斜め右からのアップ。しばらく沈黙するレネエ。やがてフレッドの方を見る。
レネエ:(首を振りつつ)I don't remember.
フレッドから目を逸らし、正面やや右手を見るレネエ。
レネエ: Anyway...Andy's OK.
(5)ツー・ショット。走行している自動車のウィンドウ越しのレネエとフレッドのショット。レネエを見ていたフレッドは、正面に視線を戻す。
フレッド: Well, he's got some pretty fucked-up friends.
フレッドの方を見るレネエ。

フレッドにとって、基本的にアンディは「好ましからぬ人物」である。表現主義的な視点から捉えるなら、映像として提示されているアンディの「胡乱な風体」自体が、フレッドの「主観」や「感情」の反映であると受け取ってよい。いずれにせよ、そうしたフレッドのアンディに対する「感情」は、カット(1)における「あのクソ野郎とはどこで知り合ったんだ?」という発言に明確に表れているといえる。ただし、実際の「具体的映像」から確実な「事実」として我々=受容者がみてとれるのは、フレッドのアンディに対する「感情」と、それが「レネエ」との関係性において発生しているということだけだ。なにゆえにフレッドが彼に対してそのような「感情」を抱くに至ったかを明示する映像は「ロスト・ハイウェイ」のどこにも存在せず、その機序は「曖昧」なまま残されている。

こうした「曖昧さ」は、フレッドの詰問を受けたレネエがカット(2)で語る「彼女がアンディと知り合った経緯」にも現れている。彼女が行う説明は、正直いって非常に茫洋としたものであり、ほとんど実体がないといってよい。「Moke's」という店がどこにあるのか、そこで何が発生したのか、「ずっと以前」というのはいつのことだったのか……彼女の発言からはそうした具体性がまったく欠落している。この「具体性の欠落」はカット(2)でレネエが言及する「仕事」についても同様で、カット(3)でフレッドが「何の仕事だ」と詰問しても、レネエは「覚えていない」と簡単にはぐらかしてしまい(カット(4))、結局その詳細はわからないままに終わる。「ありのままの記憶=(作品内)現実」において、アンディとレネエに「仕事」を実際に紹介したのかどうか、いや、そもそも彼と彼女がが本当に「友人」であったのかについてさえ、確たる判断を下す材料を「ロスト・ハイウェイ」は提供してくれないのだ。

はたしてこの「曖昧さ」をどう捉えるべきなのか。忘れてならないのは、フレッドの「幻想/捏造された記憶」のなかにおいては「レネエ」もその「幻想」の一部であり(あるいは「幻想」そのものであり)、彼女はフレッドの「代弁者/代行者」として機能しているということだ(いまや、その「機能」は不全状態になりつつあるとしてもだ)。であるならば、フレッドが認知していない事項を「代弁者」であるレネエが認知しているはずがない。言葉を換えるなら、彼女の発言に付随する「曖昧さ」は、すなわちフレッドの認知の「曖昧さ」の「代弁」である。結局のところ、これらの事項にまつわる「曖昧さ」が可能性として指し示しているのは、「フレッドのアンディに対する感情」「レネエがアンディと友人になった経緯」「レネエがアンディから紹介された仕事」という「イメージ群」自体が、フレッドのレネエに対する「猜疑心」や「疑心暗鬼」から生まれた「実体のないもの=幻想」でしかないということである。

より正確にいうなら、このシークエンスで「レネエ」が言及する「仕事」(とフレッドが思っているもの)は、「後半部」で「アリス」によって具体的映像を伴いつつ「リフレイン」される(1:31:44)。だが、「ミステリー・マン」が喝破するように、”「アリス」によって表されるもの”が「幻想のレネエ」と同義である以上、この「リフレイン」自体がなんら「(作品内)現実性」を伴っていないのは明白だ。案の定、そこで提示されているのは、それこそ40~50年代のフィルム・ノワール諸作品が仄めかしていたような、「典型的悪党ども」によって営まれる「定型化」された「後ろ暗い仕事(racket)」以外の何ものでもない。こうしたあからさまにデフォルメされた「常套句(クリシェ)」を、「ロスト・ハイウェイ」の「(作品内)現実」と捉えることのほうが無理がある。この「アリスのお仕事」のシークエンスによって表される事象もまた、やはりフレッドの勝手な「幻想」であり「捏造された記憶」なのだ。

「第二のビデオ・テープ」が届いて以降、フレッドの「ありのままの記憶」が段階的に蘇生しつつあることは既に述べた。このシークエンスにおいて登場する「幻想のレネエ」も、それに連動して「ありのままの記憶」である「現実のレネエ」を反映させており、引き続き「コントロールの不能性」をエスカレーションさせている。カット(4)において、彼女は「どっちにせよ、アンディは大丈夫」とフレッドに対して言い放つが、何がどう大丈夫であるのやら、当然ながらそこには一片の根拠もない。

このアンディを擁護する「レネエの発言」に対し、フレッドは「(アンディは)いい友人を持っている」と皮肉混じりに言及する(カット(5))。この言及によって、アンディもまた「ミステリー・マン」や「ディック・ロラント=ミスター・エディ」の「友人」であること……すなわち、フレッドの「幻想/捏造された記憶」において、アンディもなんらかの「抽象概念」を指し示す「象徴性」を負わされており、かつ「(作品内)非現実の存在」であることが示される。同様に、カット(2)におけるレネエの「(アンディと自分は)友達になった」という発言から了解されるのは、彼女もまたフレッドの「幻想/捏造された記憶」のなかをたゆたう「(作品内)非現実の存在」であるという示唆だ。そして、彼らとまったく逆に作中で「フレッド」が「友人」をまったく持たないという「事実」、かつ「後半部」の「幻想」の核である「ピート」が「友人」を持つという「事実」(0:56:33)が示唆するものも、また明らかであるといえるだろう。

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