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2008年10月30日 (木)

「Beautiful Dark」を読む (3)

うははー。Linux2号機が絶不調でございます。使用中にいきなりブチっと電源が落ちやがるの。打ち込み途中の文章がパアじゃねえかよう、ナニ書いてたんだか忘れちゃったよう(笑)。トロいくせに爆熱を出す機体なんで、そのうち電源がイカれるかもなあと思ってたんだけど、そりゃアンマリよ随分ね(笑)。まあ、古い機体だし、シリコン・グリスが硬化してCPUからヒート・シンクへの熱伝導がうまくいかずに熱暴走……ってな可能性もあるんで、一回バラしてグリス塗り直してみよーかな。

実はLinux3号機も先月あたりからなんか挙動がおかしくて、充電池がセットされていると電源が入らないってのは、いったいどーゆー仕儀でありましょーか(笑)。とりあえず、AC電源だけなら動くんで、電池引っこ抜いて運用中。まあ、9000円で買った機械だしあんまり贅沢はいわんが、アンタは確かノートPCのハズじゃなかったのか、その「自己同一性」はないのか(笑)。

ってな具合に、あっちゃこっちゃ脱線しながら、ボチボチと読書進行中(笑)。引き続き、デイヴィッド・リンチの伝記本「Beautiful Dark」のお話。

ちょっと話は戻って、「映像製作」に至るまで画家を志望していたころの「絵画作品」についても、いろいろと興味深い指摘がいくつかありました。

まあ、フツーそーだろーと思うのだけれど、まあ、最初はリンチも写実画から描き始めていて、最終的に抽象画に至るまでにはいろいろな画家の影響を受けたことが、ティーン・エイジのころに描かれた作品からはうかがえるそうな。たとえば、明らかにゴッホの色彩の影響を受けたであろう「自画像」が残っていて、まあ、その、髪に隠れてだかなんだか、左耳がよく見えないように描かれていると(笑)。うむむ、ゴッホの「耳」と「ブルー・ベルベット」の「耳」をつなぐリングってえわけでございますな。

しかし、ハイ・スクールのころになると、すでにキュビズムの手法をとりいれたりしてたりで、写実的な具象画からは逸脱していた様子であります。フランシス・ベーコン作品との出会いは、まあ、有名だからおいとくとして、Olson氏は1950年代の「抽象表現主義」の画家たち、とりわけフランツ・クラインからの影響を指摘していますが、えーと、クラインの絵っちゅうと、たとえばこんな感じ。

Kline03

いやもう、こりゃまたみごとに真っ暗けっつーか、モノトーンっつーか、白黒ってゆーか、リンチの一連のドローイングみてると、ああた、確かに影響受けまくりに受けてマスったら受けてマス(笑)。

で、「嘔吐を催す六人の男」なんですが、Olson氏はこのリンチの処女映像作品に、その後の様々な映画作品にみられる特徴やモチーフの萌芽をみます。「初期短篇集」のDVDを持ってるヒトは、参照しながら読んでくだせえ(笑)。

まずOlson氏が指摘するのは、分割した画面に映し出される「カウント・ダウン」の「数字」と、「LOOK」という「文字」であります。リンチの「絵画作品」には、こうした「文字」や「数字」が貼り込まれたものが多数あるわけですが、映像処女作品である「嘔吐を催す六人の男」にもそれが現れちょるわけです。「インランド・エンパイア」においても、スー=ニッキーの右手の甲に書かれた「LB/」ってなのがありました。いわゆるひとつの「文字のテクスチャー」ってヤツでございます。

続いて、画面右側に「二人の男」の「映像」が映し出されるわけですが、「一人」ではなく「二人」であるところにOlson氏はその後のリンチ作品に現れる「抽象概念」の基本的提示方法をみてとります。氏は「One and Same」という言い方をしていますが、画面左にあるリンチ自身の顔から型を採った彫像を含めた「六人の男」はすべて「等価」で、全員の「総体」でもって”「人間」の「概念」”という抽象的かつ普遍的なものを表わしているのだということです。要するに「インランド・エンパイア」に現れた、ニッキーやらスーやらロスト・ガールやらの「トラブル=機能しない家族」の「諸例」がすべて「等価」であって、それらの「集合体」が”「機能しない家族」の「抽象概念」”という普遍的なものを表わしている……ってのと、同じことなんでありますな。まあ、こういう「抽象概念」や「普遍/一般」の表し方って、リンチの専売特許ってわけじゃなくて、芸術全般でよく使われる「手口」であるとは思いますけども。

でもって、「嘔吐」というものそのものが”外部からはうかがいしれない「内面」”があからさまにされる行為なわけで、Olson氏の文章を引くなら「リンチの劇場用映画作品は人間精神の深部における働きを暴いているが、この彼の最初の映画では、六人の男たちの肉体的器官の内部を明らさまにすることによって、表層の下に潜むものを白昼のもとに晒したいという衝動を表明している」っつーことです。つまり、この「嘔吐」によって表されるものは”「外面」と「内面」の対比”ひいては”「内面」の「外界化」”であって、いうなれば「ゲロはきわめて表現主義的」なものであるってーことっスね(笑)。しかし、ま、サルトルといい、ジョン・ウォーターズといい(をい)、「ゲロ」が人間の思索や創造に与える影響というのは多大でありますなあ。バブルの頃は終電間際の駅のホームがゲロまみれだったりしましたが、アレは非常に実存主義的かつ表現主義的な時代であったわけですなあ(ホントかよ?)。それはそれとして、リンチが絵画や映像を含めた自分の作品の方向性を、この時点から”「人間の内面」の「視覚化」”に向けて確立していることは明白であって、こうした方向性のもとに「ブルー・ベルベット」の「芝生の下に潜む蟻」とか、「ロスト・ハイウェイ」や「インランド・エンパイア」の「人間の内面の象徴としての家」というようなモノが出てくるわけですね。

もひとつ、この「嘔吐を催す六人の男」はループさせたフィルムによって上映され、リンチがその気になれば延々と何度も映し出されること(DVDでは六回リピートですけど)もOlson氏は指摘しております。氏の表現を借りれば「繰り返し嘔吐に苦しむ人間存在というアイデアが、リンチの頭にあったことは明白だ」ということで、まあ要するに、こうした「嘔吐」(によって表される)行為を「人間」がその生ある限り延々と続けるっつーことをこの「リフレイン」は指し示しているわけです。ぶっちゃけのハナシ、「ロスト・ハイウェイ」の「円環構造」と基本的に同一の発想だといえるでしょう。

サウンド・トラックとして流れる「サイレンの音」は、明らかにその後のリンチ作品の音響の特徴である「インダストリアル・ノイズ」の先駆けであるし、「炎」もやっぱ現れるし、その他モロモロ、リンチ作品を通して現れる共通したモチーフが「嘔吐を催す六人の男」には「テンコ盛り」だとOlson氏は指摘しております。たーしーかーにおっさるとおりで、いやあ、リンチって全然そのころから「ブレがない」んですねー……とゆーお話でした。

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