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2008年9月15日 (月)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (115)

「インランド・エンパイア」における「イメージの連鎖」の追補の続きである。今回は(1:08:24)から(1:09:09)までをば。

では、さっそく、サクサクと具体的な映像から。

「スミシーの家」の内部 廊下 (昼)
[心臓の鼓動に似たビート音]
(1)ミドル・ショット。誰もいない暗い廊下。左から右へ移動するショット。
(2)ミドル・ショット。スー=ニッキーが暗い廊下に立っている。逆光でシルエットになっており、その詳細は見えない。彼女が立っているのは廊下の右側、リビング・ルームの隣の小部屋の前である。彼女はドアを開き、小部屋に入る。赤い光が小部屋から漏れ出る。

「スミシーの家」の内部 小部屋 (昼)
[心臓の鼓動に似たビート音]
(3)ミドル・ショット。背の高い赤い傘のライト・スタンドが、サイド・ボードの上に置かれている。赤い光を放っている。
(4)スー=ニッキーのアップ。左下方からのショット。彼女は首をやや左に傾け、壁にもたれている。あたり一面、ライト・スタンドの光で赤い。
(5)スー=ニッキーの主観ショット(左に傾いている)。背の高い赤い傘のライト・スタンド。急激に明るくなるスタンドの灯り。
(6)スー=ニッキーのアップ。息をのみ、瞬きをするスー=ニッキー。赤い光が彼女の顔を照らしている。
(7)スー=ニッキーの主観ショット(左に傾いている)。 背の高い赤い傘のライト・スタンド。スタンドの灯りが暗くなっていく。
(オーヴァーラップ)
デヴォン=ビリーのバスト・ショット(0:36:24)。
(オーヴァーラップ終了)
サイド・ボードの上の背の高い赤い傘のライト・スタンド。また明るくなる灯り。
(8)スー=ニッキーのアップ。赤い光に照らされたスー=ニッキ。
(9)ミドル・ショット。赤い傘のライト・スタンド。白いフラッシュ光が明滅を始める。
[クラック・ノイズ]
(10)赤い傘のライト・スタンドを見詰めるスー=ニッキー。白いフラッシュ光が彼女を照らす。
(フェイド・アウト)

この段階で具体的映像としての明示はないが、後に提示される(1:16:54)あるいは(1:25:53)などのショットから、カット(2)でスー=ニッキーが入ったのが、リビング・ルームの隣の小部屋であり、カット(3)以降はその内部であると了解される。

「スミシーの家」の内部構造については、映像で説明されない不明な部分が多々ある。その「実体化」以降、映像として登場する「部屋」を登場順に挙げると、以下のようになる。

リビング・ルーム
ベッド・ルーム
小部屋
キッチン
ダイニング

これに加えて「前庭」「裏庭」も「スミシーの家」は備えているのだが、それについてはひとまずおいておこう。

さて、これらの部屋で起こっている事象をみたとき、それぞれゆるやかな役割分担が与えられているように捉えられなくもない。そしてそのなかでも、「小部屋」は少しく特殊な位置づけがされているようだ。

たとえば、「ベッド・ルーム」が「夫=ピオトルケ」とダイレクトに関連付けられ、”「トラブル=機能しない家族」の要因が存在する場所”として描かれていることは何度か述べたとおりだが、その他の部屋においても「機能しない家族」に関連した事象の発生は描かれている。キッチンにおいてはスー=ニッキーが妊娠を悟るショットが提示され(1:15:28)、ダイニングではスー=ニッキーから妊娠を告げられたピオトルケが彼女の不倫を悟る(1:29:26)。加えてリビング・ルームでは、ピオトルケによるスー=ニッキーへの暴力が振るわれるとともに、彼が子供を作ることができないという事実が告げられている(2:16:43)。それに対し、この「小部屋」においては、スーとピオトルケの間に発生している「トラブル=機能しない家族」を指し示す具体的な映像がまったく登場しないのだ。

そのかわり、この「小部屋」の内部で発生しているのは、「スー=ニッキーによる『ロコモーション・ガール=情緒の記憶』の幻視」(1:09:09)(1:26:19)であったり、「『訪問者2』の来訪の感知」(1:56:54)であったりするわけだが、なによりこの「小部屋」の「性格」とそれが果たしている「機能」を明瞭に提示しているのは、そこが「スー=ニッキーがシルクの布に煙草の火で穴を開け、腕時計を用意したうえでその穴を覗くという行為を行う場所」(1:16:54)(1:25:53)(1:48:53)であるという映像である。

これらの映像からまず読み取れるのは、この「小部屋」がニッキー(あるいはスー)の「内省」の場所として性格づけられ、機能しているということである。加えて、ニッキー(あるいはスー)が「訪問者2」の来訪を知るのがこの「小部屋」であることに表されるように、”「スミシーの家」の「内部」=「内面」”から「外界」に関する「認知/認識」を行う場所でもあるということだ。この「外界に対する認知/認識」をキーにして考えるなら、「シルクの布に煙草の火で開けた穴を覗く行為」が行われるのがこの「小部屋」であることは、非常に正当な意味を持つことになる。なぜなら、以前にも述べたとおり、「この行為」は「撮影カメラを覗く行為」=「映画を作る行為」を指し示すとともに、「映画を観る行為」をも示唆しているからだ。そして、「映画を観る行為」はリンチにとって「世界を体験する行為」であり、つまりは「世界を認知する行為」に他ならないからである。

さて、そうした「内省」「認知」を行う場所である「小部屋」の内部で、現在、どのような事象が発生しているのか? それを提示しているのがカット(3)以降のシークエンスのショット群であり、それを理解するための「手掛かり」のひとつになるのが、オーヴァー・ラップで提示されるカット(7)の「ビリー=デヴォン」の映像である。このショットは(0:36:24)で提示された映像と同一のものであり、そこでは「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」の撮影現場の映像として、「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」内の1シーンという扱いで現れていたものだ。

他の撮影現場のショット/シークエンスで提示された映像と同じく、現在論じているシークエンスにおける「デヴォン/ビリーのショット」の提示もまた、複合的/複義的な理解が可能である。ひとつは、登場人物=スーに関連する「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」の「物語内」で発生している事象として、つまりビリーに思いを寄せているスーの「回想」としてこのショットが表れているという理解だ。そして、この場合、スーの「回想」が喚起された契機となっているのは、(1:05:47)から提示される「ベッド・ルーム内のピオトルケ」という”スーにとっての「トラブル=機能しない家族」の要因”を彼女が目撃したことから始まり、「無人のリビング・ルーム」によって表される”彼女が感じた「空虚さ」”を経て、この”ビリーとの逢瀬の「回想」”へと至るという「物語=ナラティヴ」が「インランド・エンパイア」の受容者である我々の「内面」で構成されることになるわけである。カット(2)以降のシークエンスにおいて、「赤のモチーフ=物語展開の要請」が顕著に現れる第一義的な理由は、こうした点にあるはずだ。

もうひとつの理解がもたらされるのは、これを演技者=ニッキーに関する事象として捉えた場合だ。ここで基本として押さえておかなければならないのは、演技者=ニッキーは登場人物=スーに対して「メタな立場」にいるということである。つまり、スーの身上にどのようなことが起きたか/起きるかに関して、彼女は「シナリオ」を通読することによって既に知っているのだ。このことは、たとえば(0:25:49)からのリハーサルに際し、キングズレイが選択したシークエンスに対して「好きなシーンだわ(I love that scene)」とニッキーが発言することで明示されているといえるだろう。つまり、ニッキーは、スーがビリーに思いを寄せ彼を「回想」することを「知っている」という「俯瞰的立場=メタな立場」にいることになる。だが、もう一歩踏み込んで「ニッキーが既にシナリオを通読していた理由」を考えれば、ニッキーがスーに対して「メタな立場」に置かれる「根本的な理由」が明瞭になるはずだ。それは、ニッキーがスーを「演じる立場」であるということである。少なくともニッキーのスーに対する「感情移入=同一化」が完全でない時点では、この「メタ」な関係性は変わらない。

ニッキーがスーを「演じる立場」であるということは、逆にいえば、ニッキーはスーという「人物」の人物像を、不自然でなくかつ一貫性をもって「創出」する義務=「演技」する義務をおわされている。簡単にいえば、ニッキーはスーという「人物」になりきることを、職業上の必然として「要請」されているわけだ。その「要請」に応えるために、演技者=ニッキーは(「メソッド演技」の基本理論に基づけば)登場人物=スーが抱いている「感情」を理解する必要に迫られているのである。そのような観点から、カット(3)以降の”ニッキーの「内面」”において発生しているものを端的に捉えるなら、それは”スーが「ビリーとの逢瀬」を回想するにあたって、スーがどのような「感情」を抱いているか”についての「内省」であり「認知/認識」だということになる。そして、演技者=ニッキーの「内省」がどのように行なわれ「認知/認識」が成立していくかについては、この直後のシークエンスにおいて、リンチ独特の表現主義的な手法を用いた「映像」によってより詳細に提示されるだろう。

そうした「詳細」に向けての「場面の接合」を表す表現として、カット(9)(10)において「フラッシュ・ライトによる明滅」と「クラック・ノイズ」という「電気に関するモチーフ」が現れる。同様の「場面の接合」を指し示す表現は、(2:06:01)においても「Rabbitsの部屋」から”「スミシーの家」の裏庭に座るスー=ニッキーのショット”への転換においても現れており、どちらも「赤のモチーフ」を基調としている点など、その「表現」としての「同一性」は明らかだ。つまり、「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」の「物語展開の要請」が高まり、それを連動して「心理展開の要請」が喚起されるポイントでこうした「表現」が用いられていることが、この二つの「場面の接合」をつうじて確認されることになる。こうした表現もまた、リンチが採用する「常套表現」のひとつであるわけだが、それについての詳細は「インランド・エンパイア」を観た(X回目)(60)の項を参照されたい。

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