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2008年9月12日 (金)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (114)

引き続き「インランド・エンパイア」における「イメージの連鎖」についての追補作業であったりする。今回は、(1:05:47)から(1:08:24)までをば。

んでわ、今回もまずはこのシークエンスの具体的映像から。

「スミシーの家」の内部 リビング・ルーム(昼)
(1)ミドル・ショット。玄関のドアが開き、スー=ニッキーがゆっくりと部屋の中に入ってくる。後ろ手でドアを閉めるスー=ニッキー。しばらくドアのノブに手を掛けたまま、部屋の中を見回していたが、やがてバッグを両手で抱えてゆっくりと部屋を歩き始める。それに連れて右から左へと移動するショット。スー=ニッキーは自分の右手にある他の部屋に通じる廊下に視線を向ける。
(2)ミドル・ショット。他の部屋に続く暗い廊下。廊下の左手前には他の部屋(ダイニング・キッチン)へと続く開口部が見える。廊下の両側と突き当たりにドアがある。突き当たりのドアは、後に”「Axxon N.」の扉”とわかるものだ。画面右手からスー=ニッキーが表われ、廊下に向かって歩き始める。
(3)スー=ニッキーの主観ショット。薄暗い白い廊下と、他の部屋に続く白いドア。視線はゆっくりと廊下を進み、突き当たりのドアへと進む。T字に交わる短い廊下。視線は左に曲がる。短い廊下の先にある部屋(ベッド・ルーム)の一部が視界に入ってくる。部屋のドアは一杯に開かれている。部屋の左側の壁に絵が掛けられている。正面の壁の前にチェストと、その上に置かれた四角いシェイドのライト・スタンドが見える。ライト・スタンドはボディも直方体で出来ていて、その灯りは点っている。 
(4)スー=ニッキーのアップ。スー=ニッキーはドアのところで立ち止まり、ベッド・ルームの内部を見回す。背後に見える廊下と他の部屋のドア。
(5)ミドル・ショット。スー=ニッキーの主観ショット。ベッド・ルームの内部。
(6)スー=ニッキーの右からのアップ。短い廊下を進むスー=ニッキー。
(7)スー=ニッキーの主観ショット。ベッド・ルームの内部。視線は部屋の中に入り、壁の角を右側に曲がる。今まで見えなかったベッド・ルームの内部が見えてくる。
(8)スー=ニッキーのアップ。右側に視線をやりながら、ゆっくりと部屋に入るスー=ニッキー。
(9)ミドル・ショット。スー=ニッキーの主観ショット。緑の布が掛かったベッド。一度右に振って木のクローゼットを映したあと、左にパンするショット。女性の肖像画がベッドの頭の方の壁に掛かっている。ベッドの両側には低いサイド・テーブルがあり、それぞれのテーブルの上には同じ背の低いライト・スタンドが載せられている。左には先ほど見えたチェストと四角いライト・スタンドがある。ベッドの右側には、別の部屋に続く入り口が、真っ暗な口を開けている。ベッドに留まる視点。
(10)スー=ニッキーの右からのクロース・アップ。スー=ニッキーが角のところからベッドを見詰めている。
(11)スー=ニッキーの主観ショット。ベッドとその両脇のテーブル、それに載ったライト・スタンド、壁に掛かった肖像。かすかにベッドに近付く視点。
(12)スー=ニッキーの右からのクロース・アップ。スー=ニッキーは左手を見る。
(13)
スー=ニッキーの主観ショット。右から左へパン。背の低いクローゼットと、その上に置かれた四角いシェイドのライト・スタンド。
(14)スー=ニッキーのクロース・アップ。若干後退する視点。 
(15)ミドル・ショット。四角いライト・スタンド。
(16)スー=ニッキーのクロース・アップ。
(17)誰かが、クローゼットの前で緑色のコートをたぐっている。その人物の足しか見えない。
(フェイド・アウト)
(18)ピオトルケの右背後からのバスト・ショット。
(19)スー=ニッキーのクロース・アップ。スー=ニッキーは自分の右手を見詰めている。
(20)ミドル・ショット。スー=ニッキーの主観ショット。ベッドの左側に潜り込むピオトルケ。上がけを腹の上に引きよせた後、彼はベッドの向かって左側のライト・スタンドのスイッチに右手を伸ばす。
(21)ベッドに横たわったピオトルケのアップ。画面外でスイッチを引き、彼はライトを消す。
[スイッチが切れる音]
暗闇。

このシークエンスで提示されているものを端的に言い表すなら、それは「スー=ニッキーによる『スミシーの家』のベッド・ルームへの侵入」である。彼女の「侵入」は、カット(3)(5)(7)(9)(11)にみられる”廊下からベッド・ルーム内部へと「侵入する視点」”というモチーフを伴って提示されており、その映像的特徴の「同一性」からみても、(0:56:20)からの”「ピオトルケ」による「侵入する視点」”を伴ったシークエンスと「対置関係」にあるとみてよい。そして、この「対置性」が第一義的に示唆しているのが、(0:56:20)からのシークエンスで発生している「事象」と、このシークエンスにおいて発生している「事象」の「等価性」であることは指摘するまでもないだろう。すなわち、どちらのシークエンスにおいても「侵入する視点」が見る/観る「対象」となっているのは、「トラブル=機能しない家族」に関する「事象」であるということだ。

このシークエンスにおける事象が「トラブル=機能しない家族」の問題に関連していることは、スー=ニッキーを「スミシーの家」の内部に追い込んだはずの「ピオトルケ」が、「スミシーの家」の内部に、それも「ベッド・ルーム」に存在するというカット(17)(18)の表現によって、端的に表されているといえるだろう。加えて、(1:03:11)に現れる”「家」の内部にいる「ピオトルケ」”と”「スミシーの家」の内部にいる「ピオトルケ」”の対比を通じて、演技者=ニッキーにとって「夫」が「トラブル=機能しない家族」の要因であったように、登場人物=スーにとっても「夫」が「トラブル=機能しない家族」の要因であることが明示されるのだ。この瞬間、「ピオトルケ(によって表されるもの)」は、具象的な意味での「ニッキーの夫」の範疇から外れ、「スーの夫」としても機能し始める。そして、この「ピオトルケ(によって表されるもの)」が「『夫』の抽象概念」であることは、彼が「不特定多数の受容者=ロスト・ガールの夫」として「スミシーの家」に息子を連れて現れるとき(2:49:07)、完全に明示されることになる。

このように考えるとき、(0:56:20)からのシークエンスが備える「複合性/多義性」と、それが内包するものがまたひとつ明瞭になるだろう。「スーの夫としてのピオトルケ」にとって、つまり「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」の登場人物であるピオトルケにとって、「スーとビリーの不倫」は「トラブル=機能しない家族」に他ならないということだ。これは、後に「ピオトルケにとってあり得ないスーの妊娠」(1:29:26)や「ピオトルケによるスーへの暴力と告白」(2:16:32)によって、誤解のしようもなうほど明確に裏付けられる。そして、このコンテキスト上に捉えるなら、(0:56:20)からのシークエンス(の持つ意味のひとつ)と、現在論じているシークエンスの「対置性」がどのようなものかが、よりはっきりと浮かび上がってくるはずだ。すなわち、(0:56:20)からのシークエンスが「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」内の事象として「男性=スーの夫としてのピオトルケ」の視点から「トラブル=スーとビリーの不倫」を描いているのに対し、現在論じているシークエンスは「インランド・エンパイア」内の事象として「女性=ニッキー(あるいはスー=ニッキー)」の視点から「トラブル=ピオトルケによる監視・干渉」を描いているのである。

しかし、以前にも述べたように、(0:56:20)からのシークエンスの最大のポイントはそれが内包する「複合性/多義性」であり、そこを結節点としてさまざまなコンテキストが交錯/混合し、「複合的なイメージ」を構成している点にある。それは現在論じているシークエンスにおいても同様で、要諦となるのは、上に挙げたような「対置性」が交錯/混合し、「等価性」へと置換されていることなのだ。すなわち「ニッキーのトラブル」と「スーのトラブル」が個別例として「等価」であり、それはこの二人の女性がともに「ピオトルケ」を「夫」としてもつという「表現」によって示されているのである。

「スミシーの家」の内部 リビング・ルーム (昼)
[心臓の鼓動のようなビート]
(20)ミドル・ショット。廊下に続くあたりからのショット。黄色のカーテンが閉められている窓の方からほのかな光が入っている。その光で長椅子と、白いコップと灰皿が置かれたテーブルがほのかに見えている。左から右へパン。

続いて、インサート・ショットとしてカット(20)が提示される。このショットから始まる「低音のビート音」は、これ以降のシークエンスにおいても継続し、これらのショットが一塊のものとして理解されるべきものであることを明示している。

「スミシーの家」がニッキーの(あるいはスーの)「内面」を表しているならば(言葉を変えれば、これも表現主義的手法によるものと捉えるならば)、この「無人のリビング・ルーム」は、ピオトルケをベッド・ルームで目撃したニッキーが(あるいはスーが)感じた「空虚さ」を表象していることになる。同時に、本来「家族の構成要員」であるべき「家人」が集合するはずのリビング・ルームが「無人」であることは、そこで発生している「機能不全」をも表象していると読むことも可能だろう。

だが、このショットが担っている機能を映像的特徴から述べるなら、まず気がつくのが(0:03:12)の「無人の部屋」のショットとの「類似性/共通性」である。この(0:03:12)の「無人の部屋」が「顔のない男女が性交を行った部屋」であることを考えるなら、この”無人の「スミシーの家」のリビング・ルーム”のショットが指し示すものは明瞭だろう。この「類似性/共通性」は、そこで”発生している/これから発生する”事象の「類似性/共通性」あるいは「等価性」を指し示すものであり、「顔のない男女」の間の「関係性」がスー=ニッキーとピオトルケの間で「リフレイン」される/されていることの宣言である。

と同時に、「インランド・エンパイア」を観た(X回目)(91)の項でみたように、(0:03:12)の「無人の部屋」のショットが、直前に提示される「第二の顔のない女性(ロスト・ガール)の部屋」のモノクロ・ショット(0:03:02)との「対比」として現れ、「撮影カメラのレンズ」のショットをインサートしつつ、カラー化した「ロスト・ガールの部屋」のシークエンスへと移行することを考えるならば……そして、これが「顔のない女性」と「ロスト・ガール」の「等価性」を指し示しているならば、「ニッキーあるいはスーあるいはスー=ニッキー」と「ロスト・ガール」も「等価」であることになる。「インランド・エンパイア」における「受容者=登場人物=演技者」のネスティングは、このような形でも提示されているのだ。

といった具合に「顔のない女性」「演技者=ニッキー」「登場人物=スー」「受容者=ロスト・ガール」の四者に関連する事象が「等価」であることが明らかにされたとき、「顔のない男女」が繰り広げていたのが「機能しない家族」の「典型例」であり「原型」であることが総体的に……「冒頭での提示」「顔をもたないという匿名性=一般性」「スー=ニッキーとピオトルケの間に今後発生する事象群」などともに、了解されることになるのである。

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