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2008年9月 9日 (火)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (113)

前回から継続している「インランド・エンパイア」における「イメージの連鎖」の追補作業である。今回は(1:03:43)から(1:05:47)までをチビチビとやってみる。

まずは、このシークエンスの具体的映像から。

「スミシーの家」の内部 リビング・ルーム (昼)
(1)ミドル・ショット。スー=ニッキーが左手に黒いバッグを持ち、後ろを振り返りながら、部屋に入ってくる。玄関のドアを叩きつけるようにして閉めるスー。あえぎながら、彼女はしばらくドアを見つめ、次いで「スミシーの家」のリビング・ルームを見回す。明るい陽光が、ドアの横の黄色いカーテンがかかった窓から射し込んでいる。左から、ソファ、背の高いライト・スタンド、長椅子、サイド・テーブル、その上のライト・スタンド(点灯中)が見える。長椅子の前には低いテーブルがあり、その上には白いカップと灰皿がある。長椅子の上の壁には絵が掛けられている。左には、他の部屋に続く入り口がある。
(2)スー=ニッキーのアップ。あえぎながら自分の左手から背後を見回す。
(3)スー=ニッキーの左からのアップ。口を開け、荒い息をしている。
(4)ミドル・ショット。スー=ニッキーの主観ショット。画面左下から右上へパン。壁の前に置かれた一人掛けの椅子から、壁に掛かった時計まで。
(5)スー=ニッキーのアップ。口を開け、驚きの表情を浮かべている。後退する視点。
(6)スー=ニッキーのアップ。スー=ニッキーの背後からの右肩越しのショット。壁にかかった時計の方を見ている。急激に右を振り向くスー=ニッキー。それに連れて右へパン。視点はそのまま彼女から離れ、窓にかかっている黄色いカーテンを映す。
(7)スー=ニッキーのアップ。玄関のドアに近づくスー=ニッキー。それを追って右へパン。ドアを開けようとノブにとりつくスー=ニッキー。
(8)ミドル・ショット。スー=ニッキーの背後からのショット。両手でドアノブを握り、それを回してドアを開けようとするスー=ニッキー。
スー=ニッキー:
Uhh.
ドアの右手、黄色いカーテンが掛かった窓に、誰かのシルエットが見える。それを認め、窓の方に走るスー=ニッキー。
(9)ミドル・ショット。窓に掛けより、外を見るスー=ニッキー。
スー=ニッキー: Billy!
(10)ガラス越しのデヴォンのアップ。スー=ニッキーの主観ショット。彼が「スミシーの家」の汚れたガラス窓越しに、中をうかがおうとしているのが見える。背後からの光を受けつつ、右に移動するデヴォン。それを追いかけるショット。少し左に移動するデヴォン。
(11)ガラス越しのスー=ニッキーのクロース・アップ。「スミシーの家」の外からのショット。光に照らされつつ、スー=ニッキーも汚れたガラス窓越しに外をうかがう。上から下へパン。
スー=ニッキー: Billy!
(12)ガラス越しのデヴォンのアップ。スー=ニッキーの主観ショット。デヴォンは汚れたガラスに手をつき、窓越しに中をうかがっている。それを追って左右に動く視点。
(13)ガラス越しのスー=ニッキーのクロース・アップ。「スミシーの家」の外からのショット。汚れたガラス窓越しに外にいるデヴォンに呼びかけるスー=ニッキー。それを追って揺れ動く視点。
スー=ニッキー: Billy!
(14)ガラス越しのデヴォンのアップ。スー=ニッキーの主観ショット。デヴォンが汚れたガラス窓越しに顔を擦り付けて、中をうかがおうとしている。
(15)ミドル・ショット。スー=ニッキーの右から背後に回り込むショット。身をよじって、呼びかけるスー=ニッキー。
スー=ニッキー: Billy!
スー=ニッキーの右横顔へクローズ・アップ。驚きで、息を飲むスー=ニッキー。
(16)ロング・ショット。スー=ニッキーの主観ショット。ガラス窓越しに、家の外部が見える。日の光が射す前庭。鉄製の門へと続く土の道と、その両側の芝生。左手の芝生には、木が生えているのが見える。門の両側の外壁。ゲート越しに家の前の道と、木々の植わった向かいの家が見える。 
(オーヴァー・ラップ)
(17)スー=ニッキーの主観ショット。汚れた窓ガラス。ガラス越しに、ステージの暗闇が見える。
(18)スー=ニッキーのクロース・アップ。右からのショット。ガラス窓越しに外を見つめ、息をのむスー=ニッキー。
(19)ロング・ショット。スー=ニッキーの主観ショット。日の光が射す前庭。そよ風が木の枝を揺らしている。鳥のさえずりが聞こえる。
(20)スー=ニッキーのクロース・アップ。スー=ニッキーは口を開けたまま、外を見詰めている。少し後退する画面。
[ドアが開く音]
音がした方向(画面手前)を見るスー=ニッキー。少し後退する画面。
(21)ドアノブのアップ。いつの間にかドアが開いている。
[ドアが開く音、ラッチの金属音]
かすかに揺れるドア。
(22)ミドル・ショット。スー=ニッキーは玄関のドアに近づき、少しそれを開ける。しばし外の様子を伺った後、家の外に出て行くスー=ニッキー。ドアが閉まり、無人のリビング・ルームが残される。
(23)ロング・ショット。家の内部からの窓越しのショット。スー=ニッキーが家や回りを見回しながら、後ろ向きに前庭の土の道を歩いているのが見える。やがて、立ち止まるスー=ニッキー。
(24)家の内部からの窓越しのショット。スー=ニッキーのバスト・ショット。彼女は絶望的な表情を浮かべながら、家の方を見回している。鉄のゲート越しに、向かいの家の植え込みと木、鉄柵、窓がある白い壁が見える。やがて、諦めたように彼女は家に引き返し始め、画面の右手に姿を消す。

このシークエンスにおいて、「スミシーの家」は明確に「実体化」を遂げる。リンチ作品における「家」が”人間の「内面」”を指し示すことを念頭におけば、これはとりもなおさず、これ以降の映像がスー(およびニッキー)の「内面」で発生している事象であることを宣言するものだ。

カット(8)からカット(15)にかけての映像がそれを裏付ける。映像を観るかぎり、「スミシーの家」の内部にいるスー=ニッキーからは外にいるデヴォンが見えるが、外部から中をうかがうデヴォンにはスー=ニッキーの姿が見えず、彼女の呼びかけも聞こえていない。こうした「表現」から読み取れるのは、スー=ニッキーとデヴォンが「断絶された場所」にいるということであり、これもリンチ作品がしばしば採用する「常套表現」のひとつである。

たとえば「ロスト・ハイウェイ」おける「レネエによるフレッドの捜索」(0:38:07)という「表現」が指し示すのは、この二人が”「断絶された場所」にいること=レネエがすでにフレッドを殺害していること”を表わすとともに、”フレッドが自身のレネエ殺害を思い出しつつあること”を示唆するものだった。もしくは、「マルホランド・ドライブ」における「ブルー・ボックス」開封直前に発生した「リタによるベティの捜索」(1:53:07)は、この二人が”「断絶された場所」に向かっていること=ダイアンが覚醒しようとしていること”を指し示している。この両者とも、「現実から離れた記憶=幻想」と「現実に近い記憶」という「外界認識」上の「界」の差異を表わすための表現であり、それに際してリンチは好んで「誰かの不在/消失」というモチーフを用い、その具体的映像として「誰かによる他の誰かの捜索」を採用する。カット(8)からカット(15)の映像が提示する「デヴォンにとってのスー=ニッキーの不可視性」あるいは「デヴォンによる侵入者(スー=ニッキー)の捜索」も、上述したような「表現」と同一のパターンを踏襲しており、その「ヴァリエーション」として捉えられることは明瞭だろう。

たびたび指摘してきたように、ここで表わされているのは”人間の「内面」の不可視性”である。スー=ニッキーには「スミシーの家」の外部にいるデヴォンの姿が見えるように、「内面」から「外界」をうかがうことは可能だ。だが、逆にデヴォンには「家」の内部にいるスー=ニッキーの姿が見えず彼女の声も届かないように、「外界」から「内面」を計り知ることは困難……というより不可能なのである。(0:29:41)の映像は同一の事象を「外界」からの文脈で描いているものとして捉えられるが、デヴォンが窓越しにうかがう「スミシーの家」の「内部」は、単なる「不可視のもの=暗闇」でしかない。これらの表現と、リンチにとっての定番テーマである「何かよくないことが起きる場所としての家」の関連からみえてくるのは、”人間の「内面」の不可視性”であり、「外界」と「人間の内面」という「界(plate)」の差異であるわけだ。

カット(17)からカット(24)にかけて、「スミシーの家」は完全に「実体化」を果たす。特筆すべきなのは、カット(19)以降に表われているように、「スミシーの家」の「実体化」に連れて、「外界」もまた”「スタジオ4」の内部”から”「スミシーの家」の前庭”に変わってしまっていることだ。「内面」の変動に連れて「外界」も変動することを……正確にいえば、”「外界」に対する「認識」”は「内面」にあるものによって変わってしまうことを、カット(17)-(24)の映像は如実に指し示している。これもまた、リンチが好んで採用する「表現」……端的にいえば「表現主義的手法」に則った「表現」の非常にわかりやすい例だといえるだろう。もちろん、このシークエンスにおける”「内面」の変動”とは、演技者=ニッキーの「内面」における「登場人物=スーのアイデンティティの形成」、ひいては「両者の混淆物であるスー=ニッキーの形成」を指すことはいうまでもない。そして、それはどうしても開かなかった扉が自然に開くとき(カット(21))、ひとつの達成をみるのである。

見落としてはならないのは、カット(4)である。パンを用いて誘導される「視線」の先に、壁に掛けられた特徴のある形状の「時計」が提示される。前後のカットにおけるスー=ニッキーの継続動作(カット・イン・アクション)から、カット(4)の映像がスー=ニッキーの主観ショットであることが明示され、我々=受容者は彼女の「視線」を共有しつつ、この「時計」を見ることになる。言うまでもなく、こうしたカッティングの目的は壁に掛かった「時計」の強調であって、我々はこの「時計」がこれ以降の展開においてなにがしかの重要性を帯びていることを示唆される。そして、案に違わず、「インランド・エンパイア」はこの後、繰り返し「腕時計」を含めた「時計」のイメージを提示する。たとえば(1:17:03)あるいは(1:49:02)においては「煙草の火で穴を開けられたシルクの布」とともに「腕時計」を提示し、「映画」における「空間/時間のコントロール」のイメージを伝える。あるいは、そうしたコントロールのもとに、”登場人物に「感情移入=同一化」を果たした演技者/受容者”が抱く「時間に関する見当識の失当」を、”「腕時計」の所持者である「口髭の男の死」”(1:43:17)という表現を通して記述することになるのだ。

以上のような事項を考えたとき、この「スミシーの家」に入ったばかりの……登場人物=スーに「感情移入=同一化」した直後の演技者=ニッキーの「内面」において、「時計」のイメージがまず提示されることは非常に興味深い。これにはいろいろな読み方が可能だろうが、彼女がこの時点では「時間に対する見当識」を保持しているということの表われとして捉えるのがもっとも妥当なように思われる。なぜなら、カット(23)(24)にみられるように、「実体化」した”「スミシーの家」の前庭”に対して彼女があらわにする動揺は、彼女がまだ「場所に対する見当識」を保持していることの逆説的な表われだからだ。「空間に対する見当識」を彼女が保持しているなら、もう片方の「時間に対する見当識」も同様に保持していると考えるのがもっともストレートだろう。

しかし、この後、前述したような”「映画」による「時間/空間のコントロール」”を体験し、登場人物=スーに対する「感情移入=同一化」を進めたニッキーは、「時間に対する見当識」を失っていく。それを表わすかのように、この”「スミシーの家」の「時計」”が明瞭に映し出される映像は、これからしばらくは存在しない。それが再びスー=ニッキーの背景として姿を表わすのは、もう一人の”「腕時計」の所持者”である「訪問者2」の訪問(1:57:03)を受けたときである。この「訪問者2」による「時計」のイメージの再喚起が表すものは、彼女が付随させる「介入/コントロール」のイメージを考えれば明瞭だろう。”「スミシーの家」の「時計」”の存在は、ニッキーの(あるいはスー=ニッキーの)「時間に関する見当識の失当」の程度を表象する「指標」であり、「訪問者2」が付随させる”「外部性」と「介入」のイメージ”によって、一時的にせよニッキーは「時間に対する観念」を回復させるのである。

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