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2008年8月 4日 (月)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (104)

お盆休みまであと一週間っちゅうことで、いろいろ切羽詰まりまくりの大山崎です。んが、それとはまーったくカンケーなく、「インランド・エンパイア」における「イメージの連鎖」話は続いちゃったりなんかして(概ね、広川太一郎風)。今回は、(0:38:39)から(0:40:49)までを追いかけてみることにする。

以前にも述べたように(0:36:24)から(1:00:00)までの間、「インランド・エンパイア」は「映画を作ることについての映画」として、前項で挙げた「撮影風景」のシークエンスに加え、「映画製作そのもの」に関連するシークエンスを集中的に提示する。今回とりあげるシークエンスもそのひとつであり、そこでの「主役」は助監督のフレディだ。スタッフ側からみた「映画製作」に関するシークエンスであるという言い方も
できるのではないかと思うが、まずは具体的な映像から追いかけてみることにしよう。

ステージ4 内部
(1)ミドル・ショット。暗いステージの内部。三脚のディレクターズ・チェアが横に並べて置かれている。正面からのショット。やや背後に置かれた真ん中のディレクターズ・チェアには、フレディが座っている。背後のパネルには「7」と書かれた白い文字が二ヶ所ある。白地に花柄のドレスを着たニッキーが、画面右手から登場する。続いて明るい色のスーツを着たデヴォンも右手から登場する。
ニッキー: (向かって左側のディレクターズ・チェアに座りながら)[溜息](足を組む)
デヴォン: (向かって右側に座りながら)[溜息]
フレディー: (ニッキーに向かって)Going well?
ニッキー: (フレディを振り返って)Very well. Thank you, Freddie.
デヴォン: (フレディを振り返って) Very enjoyable.
フレディ: (デヴォンの方を向き) "Enjoyable,"(左手の人差し指でデヴォンを指差しながら) yes, that's the word.
(2)ニッキーのアップ。画面の右寄りにいるニッキー。フレディの方を振り返ったままである。
ニッキー: Are you enjoying yourself, Freddie?
(3)フレディのアップ。ニッキーの方を見ている。背後のパネルには「7」の白い文字が見える。
フレディ: well...there's a vast network, right?
(4)フレディを見ているデヴォンのアップ。背後のパネルにはステンシルで書かれた「7」の文字が見える。
フレディ: (画面外から) An ocean of possibilities.
(5)ニッキーのアップ。フレディが何を言い出したのかわからないまま、彼の方を見つめている。
(6)フレディのアップ。
フレディ: I like dogs. I used to raise rabbits. I've always loved animals...their nature...how they think. I have seen dogs
(7)ニッキーのアップ。半ば口を開け、呆然とフレディの方を見つめている。
フレディ: (画面外から) reason their way out problems, watched them think through
(8)フレディのアップ。
フレディ: the trickiest situations. Do you have a couple of bucks I could borrow? I've got this damn landlord.
(9)ニッキーのアップ。しばし呆然とフレディの方を見ているが、やがて彼が「金の無心」をしていることに気づく。
ニッキー: Oh.
うつむいて画面外で財布をさぐるニッキー。彼女は画面外でフレディにお札を渡す。
(10)デヴォンのアップ。彼はニッキーがフレディに金を渡すのををながめている。
(11)フレディのアップ。画面外で受け取ったお札をガサガサとしまう。
フレディ: Thanks. I've got a lot of nerve, I know, seems like only yesterday
(12)ニッキーのアップ。とまどったように一瞬目をフレディからそらし、再びフレディの方を振り返る。まだとまどっており、目をまばたかせるニッキー。
フレディ: (画面外から) that I was carrying my own weight.
(13)フレディのアップ。
フレディ: Yeah.
(14)ニッキーのアップ。落ち着かなげに視線を伏せつつ、フレディから目をそらすニッキー。
(15)デヴォンのアップ。デヴォンもフレディを振り返ったままだったが、やがて目を伏せ、まばたきをしながら無言で正面に向き直る。
(16)ニッキーのアップ。正面を向いたまま、居心地の悪そうな表情を浮かべ、唇を引き締めている。ディレクターズ・チェアの上で身じろぎし、自分の正面の方を向くニッキー。
(17)デヴォンのアップ。デヴォンは自分の膝に目を落としてる。が、やがて何かを感じ、フレディのほうを振り返る。
(18)フレディのアップ。彼はデヴォンをじっと見詰めている。
(19)フレディとデヴォンのツー・ショット。デヴォンをじっと見詰めているフレディ。デヴォンも見詰め返していたが、やがてはっとしたようにズボンのポケットを左手で探り、黒い財布を取り出す。彼は財布から何枚かの札を取り出し、フレディーに渡す。それを左手で受け取るフレディ。
(フェイド・アウト)

このシークエンスにおけるフレディの発言には、さまざまな要素が盛り込まれている。非常に大雑把な言い方をするなら、フレディは映画監督としてのリンチ自身が投影されており、彼の言及にはリンチの私的な部分の思いが表われていると捉えられる。

なによりもポイントになる事項として、「動物(animal)」に関する言及がここで初めて登場する。具体的に挙げられる動物名は「犬」であったり「ウサギ」であったりするが、フレディの言及をみる限りにおいて、彼が「動物好き」であるのはその「外見」からでなく、むしろその「性質」や「思考形態」といった「内面」に関してであることがうかがえる。そうした「動物の内面」に関するものとして、フレディが具体例を挙げて特に強調しているのは、「困った状況から犬がどう抜け出すか」についてだ。この言及によって第一義的に提示されているのは、「犬」が「固有の思考形態」を持ち、自律して周囲の状況に対応する動物であることだ。が、同時に、犬が自律的に対応している様子を”フレディという「上位のもの」が見ている”という構図もあわせて読み取ることが可能である。つまり、「インランド・エンパイア」がこの後何度か提示する「動物=自律しつつも、より上位の存在の介入/コントロールを受けるもの」という概念の基本構造が、すでにこのフレディの言及に内包されているということだ。

しかし、「犬」や「ウサギ」に対して「上位のもの」であるフレディも、”「家主」への支払い”を理由にニッキーとデヴォンから「金銭の無心」をする(カット(8))。すなわち、「賃借関係」という点において、フレディも「家主」から「介入/コントロール」を受ける存在であり、「家主」にとってフレディは「動物」であるという「多重構造」が、この言及によって示唆されているわけだ。”あるものに「介入/コントロール」を行う存在が、より上位のものの「介入/コントロール」を受ける”という構造も、たとえば”ファントムやピオトルケによって表されるもの”に関する描写として、この後、繰り返し提示されることになる。

もう一点、指摘できるのは、この”「動物」に関する言及が「金の無心」へと連鎖していく流れ”は、「工業製品」あるいは「投資対象」としての「映画」という文脈上に捉えられるものであり、「映画製作」が多額の資金を必要とすることの「反映」として理解されるということだ。当然ながら、映画作品に投下される「資金」は、厳重な「介入/コントロール」のもとにあるわけで、「資本のコントロール」は「商品」としての「映画」の内容への「介入/コントロール」へとそのままつながっていくことになる。こと映画制作に関する限り、フレディの言う「困った状況(trickiest situations)」のなかに「金銭的な状況」が含まれているのは確実であり、その「処理」に関しては、これまたフレディが自分自身を指していうように「いい根性をしている(I've got a lot of nerve)」ことが必要とされるはずだ。

また、映画製作が大規模な「共同作業」であり、「漠然としたネットワーク(there's a vast network)」によって成立するものである以上、フレディが述べるように「自分のことだけ考えていればいい(I was carrying my own weight)」という状態が現実的に無理であることは明らかである。あるいはリンチにとって、「イレイザー・ヘッド」やそれ以前の初期中短編を作っていた「少し前まで(only yesterday)」は、基本的に自分が判断し自分で動くことによって物事を進めることが可能であったかもしれない。しかし、「エレファント・マン」で商業映画製作の世界へ足を踏み入れたときに、一人ですべてを処理することはもはや不可能であることを、リンチは身をもって了解済みだ*。逆に、「インランド・エンパイア」の製作に際してリンチが採用した「DV撮影による素材集積」と「その素材を使った作品構築」という手法は、この「共同作業」の規模をいかに縮小して「自力で処理をする」範囲を広げるかというコンセプトに基づいているように思える。それはリンチにとって、いわば「イレイザー・ヘッド」製作時の製作手法への回帰であり、言葉を変えれば「自由度の拡大」に他ならないことは言うまでもないだろう。

このシークエンスがフレディを中心に展開していることは、すでに指摘したとおりだ。映像を観れば明らかなように、ニッキーとデヴォンはフレディに終始主導権を握られ、彼の「脈絡のない突飛な発言」に対して積極的な反応ができないばかりか、請われるまま「金の無心」にすら応えてしまっている。”「動物」と「介入/コントロール」という概念の表象”という観点からみたとき、こうした状況が何を指し示しているのかは明瞭だろう。少なくともこのシークエンスにかぎっていえば、ニッキーとデヴォンの二人は、フレディの「介入/コントロール」下にある「動物」なのだ。フレディの発言によって表わされるものだけでなく、このシークエンスで発生している「フレディとニッキー&デヴォンのやりとり」という事象自体が、「動物」という概念と「介入/コントロール」という概念の関連性を記述する「図式」として機能しているのである。

一方で、フレディのいう「可能性の海(An ocean of possibilities)」という表現は、リンチの自著である「Catching the Big Fish」の書名を想起させるものだ。この本の序文で、リンチは「アイデア」を「魚」にたとえ、それは自分の「内面」にある「Unified Field」において獲得されるものだとしたうえで、「より大きな魚を獲るためには、より深く水の中に潜らなければならない」と書名の由縁を語る。そして、リンチ自身にとって重要なのは「映画のためのアイデア」だが、その他「ビジネス」や「スポーツ」を含めたあらゆる分野に役立つ「魚=アイデア」が、そこでは泳いでいるはずだと述べる。どのような理由に基づくのかはともかくとして、リンチが「水」のイメージに「アイデア」や「可能性」といったポジティヴな事項を関連づけていることは指摘できるように思う。あるいは、「砂の惑星」をはじめとしたリンチ作品で時々提示される”「水」のイメージと「炎」のイメージの相克”といった表現とも通底しているものであるのかもしれないが、ここでは可能性の言及のみに止めておこう。

もうひとつ、重要な要素として、フレディとデヴォンの背後にあるパネルには「7」の文字が何度か現われる。これもまたリンチ作品に現われる「テクスチャーとしての文字」であるのは間違いないと思うが、問題はこのシークエンスの舞台が「スタジオ4」の内部であることだろう。組み合わせれば「4-7」となるこのテクスチャーが、後に明らかにされるようにやはり「一般性/普遍性」につながるものであるなら、このシークエンスで発生している事象そのものが「一般的/普遍的」なものであることの示唆となる。つまり、フレディが行う言及の数々は、「ON HIGH」という個別例にのみ当てはまるものでなく、「映画製作に関する一般論」として受け取ることが可能なわけだ。

しかし……これらの「困った状況(trickiest situations)」を差し引いても、リンチにとって「映画製作作業」は「楽しい(Enjoyable)」ものであろうことも、また確かだ。

*「エレファント・マン」の製作時、主人公メリックの特殊メイクをリンチが自分で用意したがうまくいかず、プロデューサーのメル・ブルックスから「二度とこういうことには手を出しちゃだめだ。君は監督の仕事だけでも十分大変なんだから」と釘をさされたというエピソードが残されている。(「映画作家が自身を語る デイヴィッド・リンチ」 P.138)

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