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2008年7月10日 (木)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (97)

Linux1号機がオシャカになってから、Linux2号機を書き物用に使用しておりますんですが、この機体は発熱がすごくて冬場はカイロ代りになっておヨロシイんですけど、これからの季節はちょとツライもんがあるのだな(笑)。てなわけで、代替機を探しつつ「インランド・エンパイア」における「イメージの連鎖」をたぐる作業である。今回は(0:18:14)から(0:19:13)まで。 

……といいながら、その直前のシークエンスの最後の「映像」から、具体的に追いかけてみることにする。 

ニッキーの屋敷の内部 (0:17:46)-(0:18:14)
(1)半ば画面右を向いた「訪問者1」のアップ。目だけはニッキーの方をうかがっている。
訪問者1: If it was tomorrow you would be sitting over there. 微笑みともつかぬ表情を浮かべつつ、台詞とともに画面右の方向を向く「訪問者1」。
(2)「訪問者1」の主観ショット。人差指で部屋の向かい側にある長椅子を指差している「訪問者1」の右手。
(3)ニッキーのアップ。口を半ば開け、いぶかしさと恐れが混じったような表情を浮かべている。目だけを「訪問者1」に向けたまま、画面左の長椅子のある方向に頭を巡らせるニッキー。
(4)ニッキーの主観ショット。長椅子の方を見ている「訪問者1」のアップ。
(5)ニッキーのアップ。長椅子の方向からのショット。ゆっくりと頭を巡らし、それとともに視線を「訪問者1」から長椅子の方に向けるニッキー。
訪問者1: (画面外から)Do you see? 

ニッキーの屋敷の内部 (0:18:14)-(00:19:13)
(6)ミドル・ショット。カット(5)でニッキーが座っていると思われる方向からのショット。ニッキーと二人の友人が長椅子に座って、話し込んでいる。ニッキーは真ん中に座り、足を半ば長椅子の上にあげて、画面左手の友人1の方を見ている。画面向かって左に座った友人1は、右手を膝の上にのせ少し身を乗り出すようにしてニッキーを見ている。右に座った友人2は、肘掛部分に背をもたせかけ、右足を完全に長椅子の上にのせて、背もたれに右手の肘をのせて頭を支えつつニッキーの方を見ている。
ニッキー: You think that's really what he meant?*
(7)長椅子の方向からのミドルショット。黒いスーツ姿の執事が左手から姿を現す。画面の中央には二脚の椅子と、その前に置かれた低いテーブルが見える。カット(1)-(5)において、左の椅子にはニッキーが座り、右の椅子には「訪問者1」が座っていた椅子だが、今はどちらの椅子にも彼女たちの姿はない。
執事: (画面中央まで歩きながら)Excuse me, ma'am.
(8)ミドル・ショット。長椅子に座って話し込んでいるニッキーと二人の友人たち。
執事: (画面外から) Excuse me, ma'am.
三人は会話をやめて、執事の方を見る。
(9)ミドル・ショット。長椅子の方向からのショット。画面のほぼ中央、二脚置かれた椅子の向こうに、長椅子の方向を向いて立っている執事。
執事: Telephone. It's for you.
台詞とともに、右へ迂回しながらコードレス電話の子機を持ってニッキーたちに歩み寄る執事。右へパン。
(10)長椅子に座っているニッキーたちのショット。全員、執事の方を向いている。ニッキーがあげていた足を降ろし、長椅子の上で姿勢を変える。
(11)長椅子の方向からのミドル・ショット。右手に子機を持ってニッキーたち歩み寄る執事。
執事: It's your agent.
バスト・ショットまでアップになる執事のショット。煽り気味に少し右へパン。画面外で、ニッキーに電話機の子機を渡す執事。
(12)少し左からのニッキーのアップ。黒と白の模様のドレスを着ている。口を半ば開け、執事の方をみて差し出された子機を画面外で受け取る。うつむき気味に、右手で受け取った子機を耳にあてるニッキー。
ニッキー: (電話に向かって) Greg?
視線を上げて画面のやや右手を見るニッキー。不安そうな表情から、息をのみ、喜びの表情になり、立ち上がる。少し引きながら、上方にパン。

ニッキー: (息をはずませ) Greg?
電話の相手の言うことを理解し、大きく喜びの表情を浮かべて跳ねるニッキー。

ニッキー: (喜んで) Greg!?  (飛び跳ねながら) Aah! I got it! I got it! I got it!
後退するショット。ニッキーの両脇にいる友人たちも画面に入ってくる。ニッキーと一緒に飛び跳ねる友人たち。
ニッキー: Oh, I got it! I got it! I got it!
(13)ミドル・ショット。長椅子の方向からのショット。画面の中央、二脚の椅子の背後で、手を握り合わせ、片足を後ろに上げて「やったね!」のポーズをする執事。
(14)ニッキーのアップ。目を見開き、口を大きく開け、歓喜の表情を浮かべながら、画面右手の友人の方を見るニッキー。少し後退するショット。次いで、ニッキーは左の友人の方を見る。
友人1: Good for you!
友人2: Oh, I knew it!
ニッキー: Oh, I...I got it!
(15)ミドル・ショット。二階に続く階段の下からのショット。黒いスーツを着たニッキーの夫(ピオトルケ)が、左手を飾り格子が施された手摺にかけ、二階の階段の上から階下の様子を伺っている。
(画面外で)[ニッキーたちの歓声]
左手を手摺に掛けたまま、階段を降りながら階下の様子を伺うピオトルケ。少し左へパン。足元を確認しつつ、階段の途中まで降り、右手を階段の折り返しにある手摺の支柱の頭にかけ、なおも階下の様子を伺う。
ニッキー: (画面外で)I got it! I got it!
飾り格子がはめられた階段の手摺が見える。調度の基調は白で、ピオトルケの背後には部屋に続く扉が見える。画面右手には、壁に掛けられた絵が見える。
(16)ピオトルケの主観ショット。階下の部屋のミドル・ショット。画面ほぼ真ん中を区切る大理石の円柱。木の床に敷かれた絨毯。絨毯の上には長椅子が一脚と、椅子が四脚置かれているのが見える。長椅子の前で歓声を上げているニッキーと友人たちの三人。ニッキーと友人1が向かい合って飛び跳ねており、友人2はニッキーの背後で手を叩いている。
ニッキー: I got it!
(17)ピオトルケのバスト・ショット。階段の途中に立ち、なにやら不穏な表情を浮かべながら、階下の様子を伺っている。
(画面外で)[なおも続く歓声]
(フェイド・アウト)

 

さて、このシーケンスを、今までも何度かキーとなった「視線の問題」を中心に追いかけてみよう。

まず、映像的なところで気がつくのが、カット(1)-(5)における「視点の変遷」である。「訪問者1」とニッキーの「インタビュー/会話」が始まって以降、ずっとイマジナリー・ラインを意識した単純な「切り返し」が連続していたが、突然、この箇所で複雑な「視点の転換」を発生させる。具体的に挙げるなら、カット(2)の「訪問者1」の主観ショット、カット(4)のニッキーの主観ショット、そしてカット(5)のショットである。「訪問者1」とニッキーの間の「横方向」にのみ発生していた「視点の方向」が、「長椅子がある方向」を含めた「縦方向」にも発生している。と同時に、それまで明瞭でなかった「主観ショット」が、この部分になって急に「主張」を開始し、「観るもの」と「観られるもの」の「関係」を発生させる。一見「客観ショット」のようにみえるカット(4)も、カット(3)でニッキーが右方向へ(「長椅子」の方向へ)視線を巡らせ始め、カット(5)でもその動きが「継続(コンティニュー)」している間にインサートされていることから「主観ショット」として捉えることができる。さて、このように「変遷」した「視点」は、どこに向けられ、何を見るのか? だが、それを確認する前に確認しなければならないことがある。それは、その「視点」の持ち主の行方だ。

カット(5)カット(4)のカウンター・ショットとして捉えたとき、続くカット(6)カット(5)のカウンター・ショットとして捉えられる。端的にいえば、カット(6)カット(5)のニッキーが「観たもの」、彼女の「視線の先にあるもの」として捉えられるということである。ところが、カット(7)をみれば明白なように、カット(1)-(5)においてそれぞれの椅子に座り、「視点の持ち主=観るもの」であったはずの「訪問者1」とニッキーの姿が、カット(6)以降いつの間にか「消失」してしまっている。彼女たちはいったい、どこに消えたのだろう?

その後の「インランド・エンパイア」を観たあとならば……ニッキーあるいはスー=ニッキーあるいはニッキー=スーあるいはロスト・ガールによる「視線の問題」が意味するものを観たあとならば、この「視線の持ち主の消失」が何を表しているか、はっきりと理解できる。これは、「訪問者1」あるいはニッキーの「視線」が「我々=受容者」の「視線」に転換したことの提示だ。そのまま、この後のシークエンスは、カット(6)からカット(14)まで、「縦方向」のショット/カウンター・ショットによる「切り返し」に移行すしてしまい、我々はカット(6)の時点で自分たちが登場人物たちとの「視線の共有」を開始していることにすぐには気づかない。だが、この後、「インランド・エンパイア」は様々な「視線の交換/共有」を描き出し、それが”映画における「感情移入=同一化」の形成”と密接な関係をもっていること……たとえば、(1:01:51)における「観られるもの」としてのニッキーの「消滅」のように……を考えるなら、この一連のシークエンスが示唆する「視線の変遷/視線の共有化」は重要である。「インランド・エンパイア」における我々=受容者の「感情移入=同一化」を巡る旅は、すでにこの時点で始まっている。

もちろん、これらのショットによって強調されているのは、「明日であれば、あなた(ニッキー)はあそこに座っているはずだ」という「訪問者1」の「言及」であることはいうまでもない。この「視線の変遷」を通じて……特に、カット(2)の「無人の長椅子」のショットとカット(5)の「ニッキーのアップ」のショットを通じて、「ニッキー」と「長椅子」の関係性が浮かびあがってくる。

このカット(5)の映像が、(2:52:09)において再提示され、そこでの「視線の対象」が「長椅子に座っている青いドレスのニッキー=伝説化したニッキー」であることについては、すでに何度か触れた。このカット(5)のニッキーの映像は「括弧記号」として、あるいは音楽でいう「ダ・カーポ(反始記号)」として機能しており、結果として、(0:18:14)から(2:52:09)までのシークエンス全体と、(2:52:09)から現れる「長椅子に座った青いドレス姿のニッキー」の映像は「等価」であって、後者は前者の「ヴァリエーション」であることが理解される。逆の視点からこの「等価構造」をみたとき、「青いドレス姿のニッキー」という映像は、”(0:18:14)から(2:52:09)までのシークエンス全体”によって表されるものすべてを……「演技者=ニッキーの役の獲得」から始まり、「受容者の抽象概念=ロスト・ガールの感情移入」を経て、「伝説化するニッキー」という時間経過を伴った「概念」を……「内包」している。

そして、「ニッキーのハリウッド伝説化」を表すこれらのシークエンスやショットを接合する「機能」を担っているのが、「長椅子」というプロップである。すなわち、カット(2)で「訪問者1」が指し示す「無人の長椅子」、カット(6)のニッキーが役を獲得したという知らせを受ける「長椅子」、(2:52:09)およびエンド・ロールを通じて青いドレス姿のニッキーが座っている「長椅子」といった具合に、この三つの「長椅子」のショットを軸にして、演技者=ニッキーの「ハリウッド伝説化」が語られているのだ。逆にいえば、”「受容者=演技者=登場人物」の「ネスティング」”とは異なる、もうひとつの「インランド・エンパイア」の基本構造を……「ニッキーのハリウッド伝説化」という「省略されたストーリー」の基本構造を、この「共通項」である「長椅子」が明確にしているわけである。

さて、「視点の問題」から離れて、カット(6)からカット(17)までのショットによって形成されるシークエンスをみたとき、これらの映像群が伝えるものは二つあることが理解される。両方とも「訪問者1」が言及した「言説」に関連するものであり、そのうちの一つは早々と実現する。つまり、ニッキーが「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」での役を獲得することである。残る一つは、演技者=ニッキーの「家」の内部で発生している「トラブル=機能しない家族」の提示……つまり、「訪問者1」が言及した”「結婚」と「夫」の関与”だ。実は、少なくとも演技者=ニッキーに関する限り、彼女が「トラブル=機能しない家族」の問題(の個別例)を抱えていることは何度か示唆されるが、実はその描写は「具体性」を欠いている……あるいは「顕在化」していない。それは、「ポーランド・サイド」におけるロスト・ガールとファントムのシークエンスや、「スミシーの家」におけるスーとピオトルケのシークエンスとの対比において明らかだ。そのことの意味は別の機会に述べるとして、このシークエンスにおいて、「ニッキーの屋敷」の「内部」で「トラブル=機能しない家族」の問題が発生していることが提示されているのは、カット(15)以降のショットによってである。 

”「ニッキーの屋敷」の内部の「トラブル=機能しない家族」の問題”という観点からみたとき、もっともわかりやすくキーとなるのは、階下を見下ろしているピオトルケの表情……特にカット(17)における表情だろう。彼が、妻=ニッキーが役を得たことを喜んでいないことは、その不穏な表情から明らかだ。かつ、「二階から階下をうかがう」という彼の行為自体に、「監視」のイメージが付随していることも見逃せない。だが、彼の「内面」をより雄弁に語っているのは、カット(16)の”ピオトルケの「主観ショット」による「階下の映像」”そのものである。この「階下の映像」が大理石の柱によって大きく「分断」されていること、そしてニッキーと友人たちが「分断」を発生させている「柱」と「長椅子」の間の狭い空間に押し込められていることは、ピオトルケの「演技者=妻=ニッキー」に対する「感情」を明瞭に表すものだ。これらの描写が伝えるのは、ピオトルケが、”ニッキーの「演技者」という職業およびそれに関連するもの”を、ひいては”ニッキー自身”を矮小化し見下しているということ、そしてそれを「要因」として家庭内に「分断」が発生していることである。 

ただし、「家」を「人間の内面」とする観点に立ち、「ニッキーの屋敷」を「ニッキーの内面」と捉えたとき、この「ピオトルケの行動/感情」についてはまた違った見方が可能である。なぜなら、そこにニッキー自身の「主観/感情」というバイアスがかかっている以上、これらの映像がピオトルケの「主観/感情」そのままの反映であるかどうか、我々=受容者は明瞭に断定できないからだ。少なくともこの時点において我々が確実に断定できるのは、「自分の『夫』が自分の職業に対して、そうした『感情』を抱いているとニッキーが感じている」あるいは「自分の『家』の内部に『トラブル=機能しない家族』の問題を抱えていると彼女が感じている」もしくは「自分は『夫』監視/干渉を受けていると彼女が感じている」いうことだけである。なによりも、我々が今現在、ニッキーと「視線を共有」し、彼女の「屋敷」によって表される彼女の「内面」を観ていることを忘れてはならないだろう。この後も、「インランド・エンパイア」には、繰り返し「ニッキーの屋敷」の「内部」で発生する「トラブル=機能しない家族」の示唆が現れる。それがニッキー個人に関連する「機能しない家族」の「個別例」であり、基本的に彼女の「視点」に基づくものであることを忘れてはならないはずだ。

*このカット(6)のニッキーの台詞も、(彼女が認識している)ピオトルケとの関係を考えると意味深である。「彼は本気でそう言ってると思う?」の「彼」とは「夫=ピオトルケ」のことなのか?

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