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2008年5月 6日 (火)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (77)

結局、ゴールデン・ウィークは近場を徘徊するだけで終わり、ウダウダと続く「インランド・エンパイア」における「イメージの連鎖」話。んでは、今回は(2:38:51)から(2:39:54)まで。

このシークエンスには本当にいろいろなものが凝縮して提示されており、どこからどういう順番で述べたものか迷うぐらいだ。「階段」「時計」「スミシーの家」……以前から登場していたさまざまなモチーフが、このあたりから雪崩をうって一挙に収斂していく。では、シーンごとに区切って、詳細にみていくことにする。

映画館の階段 内部
(1)
ニッキースーの主観ショット。階上に続く折れ曲がった映画館からの階段。それを上っていく視線。

まず、Mr.Kの誘導によって「無人の映画館」から「スミシーの家」に通じる「階段」をニッキー=スーは上る。当然ながら、この「階段」もまた「インランド・エンパイア」に頻出する「高低のアナロジー」を表すものであり、「映画館」とこの後に現れる「スミシーの家」との位置関係を明示している。その位置関係からわかるのは、「映画館」が「家」のレベルより「下方」にあること、つまり「ストリート」のレベルにあることである。

映画館の階上 内部
(2)
壁を照らす青色の光。ニッキー=スーの影が左から右へと動く。

また、この「階段」およびそこから続く「通路」自体が「青い光」による青のモチーフが現れており、ニッキーの内面において「感情移入=同一化」がまだ完全に切断されたわけではないことを物語っている。この「青い光」は、次のカット(3)においても継続して現れている。

暗い通路 内部
(3)
下から上を見上げるショット。少しティルト。暗い通路に青色の光が漏れている。ニッキー=スーのシルエットが画面奥から手前へと歩いてくる。右に折れる通路の角で、立ち止まるニッキー=スー。
(4)ニッキー=スーの背後からのショット。
(5)ニッキー=スーの主観ショット。なおも延びる暗い通路。通路の先には、新たなコンクリートの階段があるのが見える。
(6)新たな階段の方を見ているニッキー=スーのアップ。下からあおるショット。
(7)ニッキー=スーの背後からのショット。立ち尽くしたまま、左手の方を見るニッキー=スー。
(8)ニッキー=スーの主観ショット。左から右へパン。大きな壁時計が見える。時計の針は"12:13"をさしている。
(9)ニッキー=スーの右の肩越しのショット。右手に扉が見える。天井からは、平たい円錐形の傘がついた白い光の照明が下げられている。左へパン。ニッキー=スーの右からの横顔のアップになったところでパンが止まる。
(10)ニッキー=スーの主観ショット。鉄製の扉につけられた黒い板。黒い板に白い文字で書かれた「Axxon N.」。文字にズーム・イン。
(11)ミドル・ショット。画面の右寄りにニッキー=スー。真ん中には「Axxon N.」の文字がある扉。左手には壁時計が見える。ニッキー=スーは扉に近づき、それを開ける。床には黒と白の波模様が浮かび上がっている。

カット(5)に、鉄パイプの手すりがついた「別な階段」が認められる。映像から判断する限り、これは(1:21:10)や(2:14:27)に現れる「階段」と同一のものであるように思われ、であるならばこれは「クラブ」から「Mr.Kのオフィス」に達するものである。この後明らかになるように、ニッキー=スーが現在いる「通路」はカット(10)の扉から……「スミシーの家」の廊下にあるこれまで開けられたことのない扉から、その内部に通じている。逆にいえば、「スミシーの家」は「階段」を経由して「映画館」に、「撮影スタジオ」に、ひいては「ストリート」につながっているわけだ。また同時に「Mr.Kのオフィス」にもつながり、最終的には迷宮めいた場所から「47」の表示がついた扉のある「Rabbitsの部屋」や「ロスト・ガールの部屋」にも連結していることが提示される。これらの表現が抽象的なものであり、表現主義的な発想に基づいたものであるのは改めて説明するまでもないだろう。「人間の内面にある感情」に従い、ある場所が物理的時間的制約を越えてさまざまな場所につながる様子を、我々はリンチの過去作品において何度も「体験」してきた。「ヘンリーの部屋」は「ラジエーターの裏にある劇場」につながり、「アンディの家の二階」は「ロスト・ハイウェイ・ホテル」につながる。ここでも「スミシーの家」は演技者=ニッキーの(そして登場人物=スーの)「内面」を表すものとして、「ハリウッド・ブルバード」や「撮影ステージ4」、「クラブ」、「無人の映画館」と併置/対置され、つながる。そして、最終的には一般的受容者=ロスト・ガールによっても、この「スミシーの家」は「共有」されるのだ。

カット(8)に巨大な「柱時計」が登場しているのも注意をひく。間違いなくこれは「腕時計」と同じく「時間のコントロール」のイメージを付随させるものであり、「感情移入=同一化」から脱却しつつあるニッキーが「時間に対する見当識」を回復させていることを示唆している。であるからには、柱時計が告げる現在時間が「12時13分」……「真夜中過ぎ」であることは、まったくもって当然だといえるだろう。「9時45分」から始まった「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」は2時間あまりの「物理的」な上映時間を終え、「無人の映画館」を経て、ニッキーの「内面」における「忘我の時」も終わろうとしている。

カット(10)において、第三の(そして最後の)「Axxon N.」が、「スミシーの家」の廊下へと続く扉の上に発現する。これまでにも繰り返し述べたように、過去二回の「Axxon N.」は、演技者=ニッキーの登場人物=スーに対する「感情移入=同一化」の成立あるいは深化を表すものとして登場してきた。それに対し、この第三の「Axxon N.」は、彼女の「感情移入=同一化」が解体に向かっていることを表すものとして発現している。それを明確に表しているのは、過去の「Axxon N.」において必ずともなわれ、第三の「Axxon N.」にも付随している「視線の交換」を表すシークエンスとの関係である。過去の「Axxon N.」が「視線の交換」に先だって発現したのと異なり、この第三の「Axxon N.」はそれらとは逆の順序で……つまり「無人の映画館」で行なわれた「視線の交換」の後に発現しているのだ。一方の手順が「感情移入=同一化」の「成立/深化」を表すなら、この「リバース」された手順が表すものが「感情移入=同一化」の「解体」でなくてなんだろうか。

カット(11)で明瞭になるように、通路の床にはいつの間にか「縞模様」が浮き出ている。「イレイザーヘッド」を始めとして、リンチ作品には何度も同様の「縞模様の床」が現れているが、これをなにを表すのかは定かではない。おそらくこれも「青のモチーフ」などと同様、リンチの根源的な部分で高度に抽象化されているものであるようだ。あえて「インランド・エンパイア」に限定して捉えるなら、「拳銃」を手に入れた後のニッキー=スーの移動経路と、それによって表される「スミシーの家」と「通路」の関係性がポイントになるように思われる。これについては、当該シークエンスについて述べるときに触れたい。

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