フォト
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (66) | トップページ | 「David Lynch Decoded」を読む »

2008年4月 3日 (木)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (67)

リチャード・ウィドマーク氏が亡くなったと聞いて、「あらま」な感じの大山崎です。ご冥福をお祈りします。「死の接吻」「情無用の街」「拾った女」のフィルム・ノワール三本立て個人的追悼上映会を計画中であったりするんでありますが、それはそれとして、ウニャウニャと「インランド・エンパイア」における「イメージの連鎖」をさぐる作業は継続中。今回は前回の続きということで、(2:16:32)から(2:16:43)までを追いかけてヨコハマ(古いって)。

このシーケンスは「スミシーの家」のリビング・ルームを舞台としており、直前直後の「Mr.Kのオフィス」のシーケンスにインサートされる形になっている。そして、そこで提示されているイメージは、間違いなく、直前のシークエンスでスー=ニッキーが語る「夫」についての台詞からの連鎖として喚起されているものである。つまり、「出ていく直前に奇妙な振る舞いをし」「外国語のような奇妙な言葉で、わけのわからないことをしゃべる夫(の抽象概念)」の「具体例」として、このシークエンスの映像は現れているわけだ。

ここで提示されている具体的な映像をストレートに捉えるなら、それは「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」の「物語」において描かれている「トラブル=機能しない家族」の「個別例」であり、登場人物=スーのネスティングに属するものといえる。ただし、「登場人物=スー」は「演技者=ニッキー」と「受容者=ロスト・ガール」に共有されているという視点でからみた場合、つまりより外側のネスティングからみた場合、他の「個別例」と同じく、このシークエンスで描かれている「トラブル」が最終的には「普遍」のなかに包括されていくものであることは、たとえばこのシークエンスでピオトルケが発する「台詞」からも理解することができる。確認のため、まず、このシークエンスにおけるピオトルケの台詞を引用してみよう。

ピオトルケ: I'm not who you think I am.
ピオトルケ: Are you listening to me?
ピオトルケ: I know it for a fact. I can't father children.

前述したとおり、もっとも具象的に捉えるなら……つまり視点を登場人物=スーのネスティングに限定して捉えるなら、このピオトルケの台詞は、「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」の物語内部で発生している「トラブル」の具体的な状況を説明していることが理解できるはずだ。スーから妊娠したことを告げられたピオトルケが「ショックを受けた(It just has come as a shock to me)」(1:31:04)理由が、ここで明らかにされている。同時に、それはスーの不貞を働いた事実をも具体的に物語るものだ。

だが、より外側のネスティングから、つまり演技者=ニッキーや受容者=ロスト・ガールのネスティングからみたとき、これは明らかに以前のシークエンスで現れた「ポーランド・サイド」の映像において、「口髭の男の妻」が家を出ていこうとする夫に向かって発した台詞(1:18:41)の「リフレイン」であり「ヴァリエーション」である。DVDの日本語字幕では、このあたりの「対置性」があまり考慮されていないのが返す返すも残念だ。念のため、「口髭の男の妻」が発する台詞の原文をここでもう一度引用し、その「対置性」を明確にしておこう。

女性: (男に) I can't give you children... I know that...
女性: (画面外から) Are you listening to me?
女性: (画面外から) I'm not who you think I am!

女性: (画面外から) I'll never let you have her!
女性: (無人のドアに向かって) Never...
女性: Never...

両者が発する「聞いているの(か)?」「自分はあなた(お前)が思っているような者ではない」という台詞の「同一性」はもはや見落としようがないとして、「自分は子供が作れない。それはわかっている」というピオトルケの台詞と、「自分は子供が産めない。それはわかっている」という「口髭の男の妻」の台詞が、立場的に完全に「裏返し」であり「対置」されるものであることが理解できるだろう。なおかつ、青字で引用した部分を比較すればわかるように、彼/彼女の台詞が発せられる順序もちょうど「逆順」に……いわば「Are you listening to me?」を中心軸にして「対象形」に配置されており、彼/彼女の「対置性」をより強調している。

結局のところ、この二つのシークエンスもまた、「インランド・エンパイア」が繰り返し変奏する「機能しない家族」というテーマの「ヴァリエーション」なのである。ポーランド・サイドとアメリカ・サイドという差異こそあれ、あるいは受容者=ロスト・ガールと登場人物=スーと演技者=ニッキーという差異こそあれ、そこで発生している事象はそれぞれが「普遍」の中の「個別例」であり、全部をひっくるめて「機能しない家族」の抽象的な概念を形成するものなのだ。

このように「インランド・エンパイア」には、さまざまな形の「機能しない家族の個別例」が順列組み合わせのごとく現れており、それはこれ以降のシークエンスにおいても続くことになる。

« 「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (66) | トップページ | 「David Lynch Decoded」を読む »

インランド・エンパイア」カテゴリの記事

「インランド・エンパイア」を観た(X回目)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (67):

« 「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (66) | トップページ | 「David Lynch Decoded」を読む »

最近のトラックバック