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2008年3月31日 (月)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (65)

んなコトで、かねてから話題に上がっていた「ロスト・ハイウェイ」の北米版DVDやら、「Polish Night Music」のCDやら、リンチ関連本2冊やらがドチャドチャ届いてナニやらドタバタしている状態の今日この頃。さーて、何から手をつけたもんかなと悩みつつ、「インランド・エンパイア」における「イメージの連鎖」を追いかける作業である。前回からの続きということで、今回は(2:14:36)から(2:16:09)まで。

このシーケンスでまず最初に提示されるのは、カロリーナに導かれて「赤いカーテンの通路」を通ったあと、暗い「階段」を上るスー=ニッキーの映像である。「インランド・エンパイア」には、「家」と「ストリート」の関係を基軸にした「高低のアナロジー」が内包されていることは、繰り返し述べてきたが、このシークエンスに登場する「階段」もまた、その明瞭な現れのひとつである。この「階段の映像」自体は、これより以前のシークエンスですでに現れているものだが、それが意味するものについては、後述することにする。

(2:14:43)からのシークエンスでは、舞台は「Mr.Kのオフィス」内部になる。直前の「階段」の映像と「『Mr.Kのオフィス』に入るスー=ニッキーの映像」は「ディゾルヴ」でつながれており、その間の「省略」をもって、彼女が上った「階段の長さ」とそれに伴う「時間経過の長さ」を表している。同様に、「Mr.Kのオフィス」内においても、「ディゾルヴ」による編集(カッティング)は何度か行なわれているが、これについても後に詳述する。

まず、このシークエンスにおいて提示される具体的な映像とスー=ニッキーの台詞を順を追ってみてみよう。

(1)(ディゾルヴ)右手にスクリュードライバーを、左手にバッグを持って、スー・ニッキーがMr.Kのオフィスに入ってくる。
(2)Mr. Kはデスクについて、スー・ニッキーが入ってくるのを見ている。
スー=ニッキー:(画面外から)I really don't understand what I'm doing here.
スー=ニッキー: (前の台詞に重なって) That's one hell of fucking climb getting up here.

(3)(ディゾルヴ)デスクを挟んでMr.Kの向かいに座るスー=ニッキー。
(4)(ディゾルヴ)スー=ニッキーのアップ。
スー=ニッキー: There was this man... I once knew.
(5)Mr.Kのアップ。
(6)(ディゾルヴ)スー=ニッキーのアップ。
スー=ニッキー: I'm trying to tell you so's you'll understand how it went. The thing is I don't know what was before or after.
(7)Mr.Kのアップ。
(8)スー=ニッキーのアップ。
スー=ニッキー: I don't know what happened first. And it's kinda laid a mind fuck on me.
(9)Mr.Kのアップ。
スー=ニッキー: (画面外から) My husband.
(10)スー=ニッキーのアップ。
スーニッキー: he's fucking hiding something. He was acting all fucking weird one night before he left.
(11)Mr.Kのアップ。
スー=ニッキー: (画面外から) He was...
(12)スー=ニッキーのアップ。

スー=ニッキー: talking this foreign talk, and... telling loud fucking stories.

前述したように、まず指摘できるのは(3)(4)(6)と何回も現れる「ディゾルヴ」によるカッティングである。この場合においても、つながれたカット間に「時間経過」が存在し、その間の映像が「省略」されていることを表すものとして理解していいだろう。

だが、同時に、この一連のシークエンスに現れるカットの一部が、すでにこれ以前のシークエンスにおいて提示済みであることも見逃せない。具体的にいうなら、(1:21:03)からのシークエンスにおいて、「カロリーナの差しのべられた腕」「『Mr.Kのオフィス』につながる階段」「オフィスに辿り着き、Mr.Kに向かって話すスー=ニッキー」などの映像が提示されており、基本的にこれらはこのシークエンスに現れる映像とまったく同一のものである。「差異」は、このシークエンスでは、途中のカットがいくつか「省略」されているだけだ。カット(2)(3)でスー=ニッキーが発する二つの台詞も、以前のシークエンスで発せられていたのと完全に合致する(1:21:44)。

単純に考えるなら、これらの映像はどちらかが「現在ではないシーン」であり、物語記述の手法としての「フラッシュ・バック(回想形式)」あるいは「フラッシュ・フォワード」であって、つまりは「時系列操作」であることになる。だが、「非ナラティヴな作品」においては、そのような形式理解は必ずしも当てはまらない。というより、こうした「物語記述の方法論」は基本的に「ナラティヴな作品」において機能するものであり、「非ナラティヴな作品」においては必ずしも同じように機能しない。そもそも「ナラティヴな作品」がナラティヴである理由は、作品内で提示される「(二つ以上の)出来事の因果関係」が存在していることにある。そこには必ず「原因=先に起きる出来事」と「結果=後に起きる出来事」という「時系列」が発生しており、そのうえで物語の記述方法として、「時系列」を入れ換える非リニアな形式が……たとえば「回想形式」が……倒叙法のひとつとして成立する。しかし、そもそも「出来事の因果関係」を描いていない「非ナラティヴな作品」においては、「出来事の因果関係」という成立要件がない。当然ながら「インランド・エンパイア」においても、こうした表現を物語記述上の「時系列操作」と理解するのは妥当ではないように思われる。

では、こうした映像群は何を表現しているのか。「インランド・エンパイア」が「非ナラティヴ」な作品であり、その中で提示される事象に対しては一切「時系列操作」が行なわれておらず、冒頭から結末まで提示される順番そのままにリニアに発生している……という観点に立ったとき、まずストレートに理解されるのは、このスー=ニッキーの「クラブの裏のスタッフ用通路」から「Mr.Kのオフィス」への訪問は、提示されるシークエンスの回数分発生しているということだ。つまり、「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」において「効率的な物語展開」が必要になり、「介入」が要請されるたびに、「Mr.Kのオフィス」の映像によって表される事象が発生しているということである*。たとえ「ポーランド・サイド」のシークエンスと「アメリカ・サイド」のシークエンスの間に「Mr.Kのオフィス」のシークエンスが挟まれていたとしても、この三つがそれぞれ「時制や場所が異なった世界」を提示しているわけではない。これらの映像群に「差異」があるとすれば、それは、「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」の「物語展開」に沿って喚起されている登場人物=スーの「心象風景」と同一化した演技者=ニッキーと一般的受容者=ロスト・ガールの「心象風景」であったり、その「心象風景」を踏まえて行なわれる「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」という映画作品に対する「コントロールするもの=ウサギ/老人/Mr.K/訪問者」の「介入」であったりする点である。もしそこに「因果律」が存在しているとすれば、それは非常に抽象的なものであり、提示される映像が内包する「複合的イメージの連鎖」によって成立しているものだ。

そして、現在論じてるシークエンスにおいても、「繰り返される映像」は、決してどちらかがどちらかの「回想」や「予感」などではない。どちらが「主」でどちらが「従」ということもなく、「同等」かつ「同質」のものとして理解されるべきものだ。この観点からみるかぎり、「ディゾルヴ」を用いた「省略」が行なわれているのは、単純に「インランド・エンパイア」自身の「効率のよい展開」……つまりは「尺」の問題に過ぎない。「同等」で「同質」であるがゆえに「省略」が可能なのであり、受容者の理解に差し障りがないのなら、省略できるものは省略するのが「映像編集」の基本である。となると、このシークエンスにおける「ディゾルヴ」の使用もまた、「Rabbitsの部屋」で使われていた各種の「カッティング」と同様、リンチの明確な意図によるものであるように思えてくる……そう、「効率的な物語展開」を描くシークエンスに対して、「効率的な省略」を意図した編集が施されているわけだから。

(前置き長いよ! この項は続くことになってしまいました)

*一回目の「訪問」の直前にあるのは、「赤い照明」に変化する「Rabbitsの部屋」のシーケンスであり、「Mr.Kのオフィス」の机に座るジャック・ラビットのカットである(1:20:13)。これらの映像が何を表すかについては、該当するタイプ・スタンプの回ですでに述べた。

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