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2008年3月 8日 (土)

「インランド・エンパイア」は統合失調症のハナシなのか?

評論家の竹熊健太郎氏が「『インランド・エンパイア』は、主人公の女優が統合失調症を発症することを描いた映画だ」という意見に「納得した」と自身のブログで発言されていて、正直なところ驚きました。「サルでも描けるまんか教室」などの氏の著作は過去に拝読させていただいたことがあり、鋭い分析能力とそれを平易に伝える方法論には強い感銘を受けたのですが、残念ながら、今回の「インランド・エンパイア」についての見解に対しては異を唱えざるをえません。

率直に申し上げて、「インランド・エンパイア」を「統合失調症」をキーにして解釈するのは、少なからず乱暴で表層的な理解であるように感じます。もし「インランド・エンパイア」を「統合失調症」をキーにしてみる観点が成立するならば、「ロスト・ハイウェイ」や「マルホランド・ドライブ」あるいは「ツイン・ピークス」はもちろん、自主制作作品で実質的なデヴュー作となった「イレイザーヘッド」やそれ以前の中編「グランドマザー」、あるいは最初は公式サイト限定で公開された「Darkened Room」など、かなりの数のリンチ作品が「統合失調症患者の内面を描いた作品」の範疇に入ってしまいます。なぜなら、これらの作品に存在する映像は、「インランド・エンパイア」とまったく同質の抽象的かつ表現主義的手法によって描かれているという共通性を有し、かつ、たとえば「何かよくないことが起きる可能性のある場所としての『家』」「その内部で発生するトラブル」などといったテーマやモチーフにおいても明瞭に重なっているからです。結果として、「インランド・エンパイア」が提示する映像群を「統合失調症」の具体的な諸症例として論じることは、リンチがその映画監督としての最初期から「統合失調症」に強い関心を払い、その具体的な症例を自作に反映し続けてきた……と主張するのに等しいのです。

竹熊氏ならご理解いただけるでしょうが、何かを題材にした作品を作る場合、その題材に対してそれなりの取材なり調査を行うのが普通であるかと思います。「統合失調症」のように「患者の人権」といった重要な問題を含み、軽々に扱えない題材であればなおさらでしょう。しかし、「インランド・エンパイア」の製作期間前後はもとより、過去にさかのぼって、たとえばクリス・ロドリーによるロング・インタヴュー集「映画作家が自作を語る デイヴィッド・リンチ」や、複数回にわたるリンチに対する直接取材をとおして書かれたMartha P. Nochimsonの評論「The Passion of David Lynch」、あるいはリンチ研究書の決定版ともいえるGreg Olsonの「Beautiful Dark」などをみても、リンチ自身が「統合失調症」に具体的な関心を持っている(あるいは過去に持ったことのある)事実を……少なくとも具体的な症例を調査し、こと細かく自作に反映させ続けてきた事実を裏付けるような発言や記述は見出せません。これは「インランド・エンパイア」公開と前後して刊行されたリンチ自身の著作である「Catching the Big Fish」や、その時期なされたインタビュー、あるいは(おそらくご覧になっているでしょうが)リンチに密着取材したドキュメンタリー「リンチ1」においても同様です。むしろ明確な形で残されているのは、「(リンチは)精神分析理論など一切知らないと主張し、彼の身近な人々がこの主張は真実だという保証している」という、まったく正反対の方向を示唆する「事実」です(「映像作家が自身を語る デイヴィッド・リンチ」 P.11)。こうしたリンチの姿勢は、現在に至るまで変わっていないと考えてよいでしょう。

初期の「イレイザーヘッド」の頃から、リンチ作品が「自身の非常に私的なもの」を反映させていることはたびたび指摘されています。そうした見地からして、「統合失調症の具体的症状へのリンチの関心」を表すものがリンチの言動あるいはその周辺に存在しないことは、「統合失調症」をキーにして「インランド・エンパイア」を理解すること、あるいはその映像に具体的な症例を求めることの妥当性に、根本的な疑義を投げかけるものです。

とはいえ、これらは「サブテキスト」に属するものであり、作品解釈の自由を縛るものではないという考え方もあるかと思います。確かに、もし「統合失調症」をキーにした解釈が「インランド・エンパイア」の作品全体とはもちろん、その細部とも整合性を持って成立するならば、たとえそれがリンチの意図したものと乖離していたとしても、ひとつの解釈として認められるべきだと自分も考えます。なによりもリンチ自身が述べているように、いったん作品として提出された以上、その解釈は観る者に任されるべきものだからです。しかし、たとえば……

・繰り返し言及される「動物」
「シルクの布に煙草の火で穴を開けて覗く行為」「腕時計」
・スーザンがMr.Kに語る「ノース・カロライナの海兵隊員だったファントム」と彼の「片足の妹」
・浮浪者たちによる「ハリウッド-ヴァインからポモナ行きのバスがあるかないか」の議論

……などの「インランド・エンパイア」が提示する映像イメージに対し、「統合失調症」をキーにしたアプローチは、いったいどのような解釈をもたらすのでしょう? こうしたリンチ独特の表現も、「それが表すもの」をなんら検討されることなく、すべて「統合失調症患者が抱く幻想」として片付けられてしまうのでしょうか? それでは「作品」から掬いとれるものよりも取りこぼすものの方が多くはありませんか?

「私的な部分」をポイントとしてみるなら、「インランド・エンパイア」の製作時期から公開時期にかけて、リンチが集中的に発言しているのは、(長年続けている「瞑想」についての言及を別にすれば)実は「映画というメディア」そのものについてです。iPhoneについて「こんな小さい画面で観たのでは、『世界』を体験したことにならない」とリンチが語る映像がYouTubeにも上げられていますが(もともとは、「インランド・エンパイア」の北米版DVDに特典として収録されている映像です)、この発言はリンチが「映画」というメディアをどう捉えているかを端的に示すものです。繰り返しインタヴューや自著「Catching the Big Fish」で述べているように、リンチにとって「映画」は「世界」であり、「映画を観ること」は「世界を体験すること」に他なりません。そして、そうした「体験」を可能にするのが「映画というメディア」がもつ「魔法」である、というのがリンチが「映画」に関して表明している基本的な考えです。

以上のような事項を踏まえたとき、「インランド・エンパイア」を「映画についての映画」という観点から捉えるのは、一定の妥当性を持つはずです。この「映画についての映画」という観点には、「映画を作ることの映画」だけでなく「映画を観ることの映画」であること、あるいは「映画というメディアそのものについての映画」であることも含まれています。端的にいうなら、「演技者=ニッキー」と「観客=ロスト・ガール」がともに「登場人物=スーザン」を「共有」し、そのことを通じて「映画を作る者(演じる者)」と「映画を観る者」が同じ「感情」を共有する。この「感情移入=同一化」によって、「世界を体験すること」が成立する。そして、そうした「感情移入=同一化」を可能にするものこそが映画というメディアが備える「魔法」である……というのが「インランド・エンパイア」に対する個人的な大筋の理解です。細かい点は他項で述べているのでここでは詳述しませんが、作中、この「世界」「魔法」というキー・ワードがグレース・ザブリスキー演じる老婆によって、ニッキーに向って語られることはすでにお気づきでしょう。

「イレイザーヘッド」やそれ以前の作品から始まり、「ロスト・ハイウェイ」や「マルホランド・ドライブ」を通じて、リンチは一貫して独自の表現主義的手法でもって登場人物の「感情」を描いてきました。「インランド・エンパイア」に現れる様々な映像表現に関しても、まずはニッキー=スーザン=ロスト・ガールが共有する「感情」をキーにした抽象的なものとして読み取られるべきものであり、決して「統合失調症の症例」などとして具象的かつ表層的に論じられるものではないはずです。

以上、ぶしつけな表現をまじえつつ、異議申し立てをさせていただきました。どうぞお気を悪くなされませんよう。

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