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2008年2月14日 (木)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (54)

というわけで、ドコでナニを書いたか自分でもわからなくなり始めたので(笑)、カテゴリーをちょいと変えてみました。そのうち、インデックス・ページでも作るかな。

それはおいといて、まったりと進行中の「インランド・エンパイア」における「イメージの連鎖」をさぐる日々であったりする。今回は(1:57:03)から(1:59:27)まで。

直前のシークエンスで提示されたような「ファントム」による「介入」、そしてその結果として表れ始めた「演技者=ニッキー」の混乱は、当然ながら看過されるものではない。「工業製品」としての「映画」は、可能な限りの「コントロール」下に置かれるからだ。直ちに修正のための「再介入」が、「訪問者2」による「スミシーの家」への突然の「来訪」という形で行われる。このシークエンスで提示されているのは、「訪問者2」によって、どのような「介入」が行われるかである。

「訪問者2」が付随させる「コントロール」のイメージに関しては、以前にも述べたとおりだ。何よりも明瞭なのは、その左手にはめられた男物のごつい「腕時計」である。「時間に対するコントロール」を表すこの「腕時計」の映像は、見逃しようもないほどの存在感で提示される。また、彼女の台詞にある「払われていない支払いの話をしにきた(I come about an unpaid bill that needs paying)」の意味についても、詳しく説明する必要はないだろう。このシークエンスをみる限り、「訪問者2」がまず目的としているのは、「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」における「伏線の回収」を含めた「因果律」の回復、つまり遅滞し破綻しそうな「ナラティヴ」の修復であるようにみえる。

ただし、「訪問者2」がスー=ニッキーに与える示唆は、非常に漠然としたものである。彼女は「コントロールするもの」ではあるが、おそらく、そのコントロールは間接的(あるいは抽象的)なものにならざるを得ないのだ。「訪問者2」が訪れた場所が「スミシーの家」という人間の「内面」であり、彼女が「外部」からそこを「訪れた者(Visitor)」である以上、それは当然であるともいえるだろう。「ロコモーション・ガール」たちとの「会話」と同様、「訪問者2」の「訪問」も、スー=ニッキーの「内面」で発生している事象なのである。

また、「訪問者2」によるこの「訪問」が、作品の開巻早々に提示された「訪問者1」による「訪問」(0:08:50)と「共通項」をもち、対置されるべきものであることも明瞭である。訪問先が「ニッキーの邸宅」であるか「スミシーの家」であるか、きちんとした身なりの老婦人であるか若い浮浪者(娼婦?)であるか、東欧訛りで饒舌であるか訥々とした米語であるか、自信たっぷりであるか落ちつかなげであるか……以上のような対置関係にある「相違点」はあるものの、この両者は「間接性」「外部性」のイメージを付随させている点において、「共通項」を備えているのだ。

それはさておき、混乱しているスー=ニッキーに、付随した「コントロール」のイメージを示しつつ、「訪問者2」は「二人の男たち」に関して言及する。この前後の一連の台詞を引用してみよう。

訪問者2: I come about an unpaid bill that needs paying.
スー: All right.
訪問者2: (沈黙したあと) Do you know the man who lives here?
訪問者2: (画面外から、ささやき声で
) Do you know him?
スー: Yes. What is it? What do you want?
訪問者2: It is an unpaid bill that needs paying.
スー: Y--You already said that. Uh...
訪問者2: Do you know the man who lives next door? "Krimp" is the name.

「訪問者2」の言う「一人目の男」がピオトルケを指すことは、まず間違いないだろう。「ここに住んでいる(who lives here)」の「ここ」とは、「スミシーの家」を指しているとしか考えられないからだ。「彼が誰だか知っているか?」という投げかけに対し、当然、スーは「Yes」と答える。だが、本当にスーがピオトルケが何者であるか知っているかどうか、はなはだ疑わしいと言わざるを得ない。なぜなら、ピオトルケ自身が言うように、彼は「お前が考えているような者ではない!(I'm not who you think I am!)」(2:16:21)のだから。

では、ピオトルケは本当は何者で、スー=ニッキーは彼を何者と理解しているのか? 他の登場人物と同じように、ピオトルケによって表される「もの」にも、多層的な側面や意味がある。

(1)ニッキーの「情緒の記憶」に沿って構成された、「サーカス=組織」という「公的」なもののなかで権力を争い、「使役」される存在
(2)「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」のナラティヴのなかで具象的存在として捉えられる、「子供を作れない男」であり「妻の不倫=トラブルに気づく夫」としての存在
(3)「受容者の抽象的存在」である「ロスト・ガール」の「夫」、つまり(ニッキーやスーの夫を含めた普遍的な)「夫の抽象的概念」としての存在

当然ながら、この時点では(3)の「夫としての抽象概念としての存在」という認識にまで、ニッキー=スーは至っていない。ニッキー=スーが理解しているのは(1)ないし(2)のピオトルケ(もしくは両者が複合されたもの)であって、それ以上の理解に彼女が(あるいは我々が)到達するには、いま少しの「過程」が必要とされる。「インランド・エンパイア」において、その決定的な提示は、「スミシーの家」における「『ロスト・ガール』とピオトルケの抱擁」シーン(2:49:27)まで待たなければならない。

続いて、「訪問者2」は「二人目の男」……つまり、「スミシーの家」の隣家に住む「クリンプ(Krimp)」と呼ばれる男のことに言及する。その「クリンプ」が「ファントム」のことであることは、この直後のシークエンスにおいてあっさり提示されるわけだが、要は「訪問者2」はスーに向って「映画の魔=ファントム」について言及しているのだ。しかし、なぜ「訪問者2」がそのようなことをするのか? そもそも彼女の介入自体が、「ファントム」の介入による影響に対して行われているのではなかったのか? 彼女が「ファントム」に言及した結果、スー=ニッキーが彼に会いに隣家を訪ねることは予測される事態であったはずで、これでは「訪問者2」は「ファントム」の介入を是認しているかのようにすらみえる。

だが、むしろこれは、「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」に対して行われる「コントロールのイメージ」が付随させている「間接性」の表れとみるのが妥当であるように思う*。「ウサギたち=老人たち」の「最終的なコントロール」は、「ファントム」に対して直接は行われない。それは「拳銃」をピオトルケ経由でスー=ニッキーに渡し、彼女がそれを使用することで実現される。その一方で、「ファントム」の「最終的なコントロール」も、直接には行われない。それは「スクリュー・ドライヴァー」をスー=ニッキーに渡し、彼女がそれを使用することで実現される。同じように、「訪問者2」による「介入」も、スー=ニッキーによってしか具体的に実現されないのだ。

……などというようなことを考えあわせると、いささか循環論法的ではあるが、「訪問者2」による「訪問=介入」の「真の意図」がそれなりにみえてくる。彼女の「介入」は、「物語の修復」のみを目的としているわけではない。彼女が意図しているのは、「物語展開」と「心理展開」間の「バランスの回復」であり、「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」の結末に向けた両者の「連動したエスカレーション」なのだ。そのためには、どこかでスー=ニッキーが「ファントム」に会い、彼から「最終的な心理展開のエスカレーション=スクリュー・ドライヴァー」を受け取らなくてはならない。

*「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」の「外部」では、老人と「ファントム」との会話(0:07:28)といった「直接的接触」が発生している。

3/4追記:ずっと見逃していたのだが、スー=ニッキーと訪問者2がソファに座って会話をしている間、スー=ニッキーの後ろに「スミシーの家」の壁に掛けられた「時計」がずっと映されている(1:58:13)。訪問者2の訪問の意味と性格、そしてその結果スー=ニッキーが受けた影響を物語る映像だといえるだろう。また、訪問者2が着用している腕時計は、初めてスー=ニッキーが「スミシーの家」の小部屋で「シルクの布に開けた穴」を覗くときに着用していたのと同一の物である(1:17:03)。

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