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2008年1月26日 (土)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (47)

え、すゎて、寒さ厳しきなか、十年一日が如く続く「インランド・エンパイア」話である。今回は、前回の続きである(1:45:47)から(1:48:40)までをば、行ってみることにする。

「『スミシーの家』の裏庭」で行われた「サーカスに入団する」あるいは「動物の扱いがうまいといわれる」というピオトルケの発言は……

・銀のコスチュームと白いタイツを身に着けたサーカスの女性団員が、口に噛み締めたロープでポールからぶら下がり、回転している

……という映像をブリッジにして、「サーカス」と「ファントム」に関するシークエンスへと、非常にわかりやすくイメージを連鎖させていく。このシークエンスで提示されている映像を順に挙げると、以下のような流れになる。

(1)Mr.Kのオフィスで話をしているスー
(2)茶色のセーターを着たファントムのバスト・ショット。背後には、サーカスのバン・トラックが見える
(3)左にサーカスのテントの一部が、右に二台のトラックが駐車している。サーカスの団員たちがテントの横を歩いてくる。二人の団員がトラックとトラックの間から出てくる
(4)馬と並んで立っているピオトルケ。画面に向かって左のほうを見ている
(5)Mr.Kのオフィスで話をしているスー

これらの映像のうち、(2)(3)(4)は(1)の映像にオーヴァーラップする形で提示され、スーがMr.Kに向かって語る話と連動し、互いに補強しつつテクストを形成している。

ここでの文字通りの「語り手」は、Mr.Kに向かって話すスーであり、基本的には「効率のよい物語展開」に属するシークエンスであるわけだ。もちろん語っているのは「ストリート」に属する「娼婦バージョンのスー」である。「家」と「ストリート」の関係(つまり「表層」と「深層」の関係)に基づくなら、彼女が話しているのは、ピオトルケの宣言を聞かされたときに「家のスー」が心の奥で抱いた「感情」であるといえるだろう。さて、それはどのような「感情」であったのか、(1)の部分のスーの台詞を引用してみる。

スー: Fucker went to some Eastern Europe shithole with the fucking circus.
スー: (画面外から) can you fucking beleive that?
スー: That circus. Talk about carnies. Carnies, gypsies, con men, you name it. A real fucking ball of shit. (沈黙) There was this guy they had working there.

「サーカス」を「組織」を表すものという文脈に置くとき、スーの「深い感情」において、それは「見世物芸人、ジプシー*、詐欺師」の集まりであり、まったくの「糞の塊」でしかない。基本的に「男性に属するもの」であり、「インランド・エンパイア」が描く女性たちが共有する「感情」を引き起こすもの、つまりは「トラブル=機能しない家族」の起因のひとつであるとさえいえる**

と同時に、「サーカス」を「メディアの一形態」ひいては「メディアそのもの」を表すものとして捉えるならば、スーの台詞から読み取れるのは、それが内包する一種の「胡散臭さ」への言及だ。その「胡散臭さ」は「ファントム=映画の魔(法)」という存在に集約されていくわけだが、それについてはこのシークエンスの後半部分に関連させて述べるべきだろう。

そして、この「組織」と「メディア」という「サーカスが表すもの」の二つのイメージを結び付ける「核」になるのが、「映画」が持つ「複合的なイメージ」だといえる。「映画」が持ち備える「集団組織作業によって製作される『工業製品』」としての側面と、「表現・創造・伝達のための『メディア』」としての側面がない混ぜになって、「サーカス」が持つ「複合的なイメージ」の一部を形成しているわけだ。

(後半部分に続く)

*スーの台詞に、「ジプシー」についての言及があることには留意しておきたい。「サーカス」が表すものとの関連において、キングズレイ監督が「47」に関して言及した「ポーランドのジプシー民話をもとにしている(It was based on a Polish gypsy folktale)」(0:33:30)という台詞には、これまた複合的な意味合いが含まれていると考えられるからだ。

**照明係のバッキーもまた「トラブル」を抱えていたことを思い出してみよう(0:44:27)。だが、男性である彼の「トラブル」は、「公的なもの」である「組織」の中において表出する形で描かれている。「私的なもの」である「家」の中で「トラブル」が表れているスー=ニッキー=ロスト・ガールとは、ちょうど逆の状況である。

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