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2008年1月23日 (水)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (46)

てんやわんやのうちに「インランド・エンパイア」における「イメージの連鎖」の続きである。今回は(1:43:37)から(1:45:47)までの、「『スミシーの家』の裏庭」のシーンについて。

前回で「ポーランド・サイド」が一区切りしたところで、またもや舞台は「『スミシーの家』の裏庭」に戻ってくる。(1:37:20)から(1:38:55)までの「『スミシーの家』の裏庭」と対置される部分であり、「公的」「外界」「男性」に属する事象が表出したものと捉えることができることは以前に触れた。考えてみれば、この「裏庭」で開かれている「プライヴェート・パーティ」と称するもの自体が、「公私」の点で非常に曖昧な性格を持つ場合があるといえるだろう。そこに自分がこれから入団するサーカス団員たちを招いたピオトルケの意図は、はたして純粋に「私的なもの」であったかどうか。

さて、ピオトルケのシャツにぶちまけられた「ケチャップ」からもわかるように、この二つの「『スミシーの家』の裏庭」で起きる事象の時制自体は継続しており、このシークエンスは分割されたワン・シーンと捉えることも可能だ。となると、(1:38:55)から(1:43:37)までの「ポーランド・サイド」のシークエンスは、それに対する挿入部分であると理解することが可能であるかのようにもみえる。ただし、「インランド・エンパイア」全体のシークエンスを通してみた場合、なかなかそうした単純な(別な意味で複雑な)理解は許されない。

なぜなら、リンチによる他の非ナラティヴな作品がそうであるように、「インランド・エンパイア」にも、いわゆる「物語記述」の方法論としての「時制の操作」は存在しないからだ。映像として提示されている「事象」は、作品の開始から終了に向かって、「イメージの連鎖」に従い直線的(リニア)に発生しているだけである。言いかえれば、作品内の「時間軸」からみて、「『スミシーの家』の裏庭」がメインで「ポーランド・サイド」がサブであるというような比較はできない。「作品内の時制」の観点からいえば、どちらも「リアル・タイム」に発生している事象であるという意味で、まったく「均等」であるといえる。

それはさておき、このシークエンスにおける「サーカス」が「映画に関するもの」という範疇を越えて、一般的な「組織」や「社会」を表わすものとして捉えることができるという話は、以前にも述べたとおり。サーカスの団員たちとピオトルケが付随させている「幼児性」のイメージについてもすでに触れたので、詳述しない。

仔細に見ると、サーカスの団員たちはそれぞれ「星の付いた杖」だの「ロープ」だの「ジャグル用のピン」だのといった、「サーカス」という組織内で彼らが担っている「役割」を示すかのような「付属物(アトリビュート)」を手にしている。「サーカス=組織」というコンテキストに従ってこれらの「付属物」をみるなら、二人の団員の間で突如勃発する「ハンマー争奪戦」は、そのまま「組織内の権力抗争」を表わすものと読み取ることも可能だろう。ただし、「争奪戦」の有様を眺めるスーのカットが挿入され(1:44:31)、それが彼女の視点から観たものとして表現されていることは見逃せない。サーカス団員たちが付随させている「滑稽さ」や「幼児性」のイメージは、スーの(ひいては女性の)「主観的」なものなのだ。

また、途中で席を立ってテーブルの方に向う二人の女性(スーが話しかけた二人ではない)が映し出される映像(1:44:58)が認められる。彼女たちは再び映像に現れることなく姿を消すが、それもこのシークエンスが「男性に属するもの」であることを表していると受け取れなくもない。いずれにせよ、そこに女性たちが座る席はないのだ。

最終的にこのシーンはピオトルケの「サーカスに入団する」という宣言と「動物の扱いがうまいといわれる」という告白で終わり、以降の「サーカス」と「ファントム」関連のシークエンスへとイメージを連鎖させていくことになる。

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