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2007年12月30日 (日)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (38)

引き続き、「インランド・エンパイア」における(1:20:12)以降の「イメージの連鎖」を追ってみるとする。

前項で挙げた「モニターを見詰めて涙を流すロスト・ガール」のカットに続いて提示されるのが、(1:20:12)の「Rabbitsの部屋」である。「腕時計を見る口髭の男」が「時間のコントロール」のイメージを表しているとすれば、それはこの「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」に対する「物語上のコントロール」として機能している「Rabbitsの部屋」まで連鎖しているとも受け取れるが、とりあえずそれはおいといて。

それに続く一連のシークエンスは、Mr.Kとウサギたちの関連を表す「Mr.Kのオフィスにいるジャック・ラビット」のカットを挟んで、スーが「赤いカーテンの通路」や「死ぬほど長い階段」を経て「Mr.Kのオフィス」に至る経緯の概略(1:20:49)-(1:21:44)であり、これは第1回目の「Mr.Kに対するスーの独白」にまで連鎖する。「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」の物語展開はこのように「効率」を考慮されつつ進むのだが、この「Mr.Kのオフィス」に現れたスーの服装をみても明らかなように(あるいは後の詳細なシークエンスによって明らかなように(2:12:44))、ここでの彼女がダーティな崩れた英語をしゃべる「娼婦バージョン」であることは注目しておくべきだと思う。

つまり、このシークエンスにおけるスーによって表されるものを、「登場人物=スーの内面」、それも「ストリート」のレベルにある「内面」として捉えることが可能なのだ。であるからこそ、彼女は「Mr.Kのオフィス」に辿りつくまで長い階段を上ってこなければならなかったのだし、「上下に交わされる視線」の例として挙げたように「家」のレベルにいるスー(あるいはニッキー)からは位置的に見下ろされる存在(2:16:55)となる。

……という具合に受け取るなら、結局のところ、このシークエンスでは「心理的展開」に関連するものであるはずの「スーの内面」が、Mr.Kのコントロールのもとで「効率のよい物語展開」を行っていることになる。要するに、「Mr.Kのオフィス」で行われる「スーとMr.Kの面談」自体が、ナラティヴな作品の持つ「物語展開と心理展開の連動性」を表す概念図であるともいえるのだ。そして、ハリウッドの映画製作に関する限り、この「連動性の確保」が徹底的なコントロール下において行われているのはご存知のとおりだ。

そして、「物語展開と心理展開の連動性」は、続くシークエンスにおいて具体的な「展開図」として提示される。大きく流れを捉えるならほぼ「心理展開」→「物語展開」→「心理展開」→「物語展開」という形で「イメージの連鎖」が続くのだが、詳細は長くなりそうなので次回以降に持ち越すことにしよう。

(てなわけで、この項は越年しそうな気配)

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