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2007年12月23日 (日)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (37)

あああ、続いた(笑)。引き続き「インランド・エンパイア」の(1:15:25)から(1:20:13)までのシークエンスのお話。

前項では、映像が提示される順番にしたがって、ニッキー=スーの視点から「イメージの連鎖」を追った。だが、この「イメージの連鎖」は逆方向にたどることも可能であることはいうまでもない。「受容者=ロスト・ガール」の視点からみるならば、ポーランド・サイドとして描かれている彼女が想起した「機能しない家族」のイメージのは、「スミシーの家」内で発生しているニッキー=スーの「機能しない家族」の例示がトリガーとなっているといえるわけだ。この後、「個」と「普遍」は互いにトリガーの役目を果たし、交錯しつつ連鎖していくことになるのだが、それは後の記述に譲ることにする。

もうひとつこのシークエンスで興味深いのは、前述した「モニターを見詰めながら涙を流すロスト・ガール」のカット(1:19:56)が、ポーランド・サイドの「ストリート」に立つ口髭の男性の映像(1:19:24)に続いて提示されていることだ。この男性は、先立つカットで「他の女と会おうとして妻から詰られている夫」であり、おそらくはポーランド・サイドにおけるロスト・ガールの不倫相手であろうことが、これより後のいくつかのシークエンスにおいて示唆される(1:40:04)。

このシーンのつながりをごく単純に捉えるなら、該当するロスト・ガールのカットを喚起しているのは、この口髭の男性だということになる。なによりも、ロスト・ガールが見詰めるモニターの画面には、この男性の映像が映し出されているからだ。だが、ここでむしろ注目しておきたいのは、この男性の映像が、彼自身が確かめる「腕時計」や通行人から尋ねられる「時刻」といった具合に、「時間」そのもののイメージを、あるいは「時間に対するコントロール」のイメージを伴っている点である。

もしこの点を重視するなら、この個所での「受容者=ロスト・ガール」のイメージは、「時間のコントロール」や「時刻」というイメージによっても喚起されていると捉えられるように思う。たとえ受容者が「映画=世界」に没頭しており、そこに流れる「独自のコントロールが施された時間」が現実から切り離されたものであるとしても、その一方で受容者は「現実の時間」によって確実に縛られているからだ。訪問者1がニッキーに向って言うように「9時45分だと思ったら真夜中過ぎだった(I suppose if it was 9:45, I'd think it was after midnight.)」(0:17:04)ようなことが起きるのが、映画が優秀な「感情移入装置」であることの証ではなかったか。

はたしてこれは、たとえば「忘我の刻」を過ごしていたロスト・ガールが、ふと我に返って「現実の時間経過」を気にしたことの表れであるのかどうか。もしそうであれば、ネスティングのもっとも外側に存在し、いわばより「現実」に近い場所にいるロスト・ガールのカットがここで呼び出されるのは、あるいは当然なのかもしれない。

くわえて、口髭の男性が「時間」のイメージを表わす存在だとすれば、後のシークエンスにおいてファントムが「口髭の男の殺害」を示唆する(1:42:13)のは、非常に象徴的であることになる。「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」の「心理上の要請」を司り、「感情移入=同一化」に向かって機能する「映画の魔=ファントム」にとって、受容者=ロスト・ガールと一緒にいる*「現実の時間」はそれこそ邪魔者に違いないはずなのだから。

(この項、おしまいね)

*このファントムが「口髭の男の殺害」を示唆するシークエンスにおいて、彼はロスト・ガールに向かって「お前たちが一緒にいるところを見た(I think... I've seen the two of you together)」と発言する。

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