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2007年12月 8日 (土)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (31)

なんだか続いた「侵入するカメラ」の続き。

もうひとつ、「インランド・エンパイア」には重要な「侵入するカメラ」が登場する。それは「シルクの布に煙草の火で開けられた穴」へと侵入していくカメラだ。この「シルクの布に開けられた穴」の具体的映像が登場するシークエンス(あるいはカット)は、以下の3箇所になる。

(1:17:03)
ソファの上に置かれた腕時計のクローズ・アップ。スーがそれを取り上げ、左手首に巻く。
シルクの布に煙草の火で穴を開ける、タンク・トップ姿のスー。
腕時計のアップ。急激に逆転する腕時計の針。
スーがシルクの布に開いた穴を覗く。
(スーのPOV) シルクの布に開いた穴のクローズ・アップ。穴を通して、別のシルクの布が見える。
Sueの目のクローズ・アップ。
シルクの布に開いた穴のクローズ・アップ。アウト・フォーカスへ。

(1:33:17)
(スーのPOV) シルクの布に開いた穴。ズーム・イン。
シルクの布のクローズ・アップ。

(1:49:02)
シルクの布に開いた穴から後退していく視点。
穴から後退していくスーの目のクローズ・アップ。
半袖のピンクの服を着たスーが、シルクの布の穴を覗いている。彼女の左手首には腕時計が巻かれている。

このように2箇所において「腕時計」の映像が付随して提示され、「撮影カメラのファインダーを覗く行為=空間のコントロール」と「時計=時間のコントロール」の二つのイメージを伝えていることは、以前も述べたとおりだ。

だが、「インランド・エンパイア」は「映画についての映画」であり、かつ「映画を作ることの映画」であると同時に「映画を観ることの映画」でもある。この視点に立つなら、上記の「シルクの布の穴を覗く」イメージと「時計」のイメージは「映画を作る行為」の表象であると同時に、「映画を観る行為」の表象であるとも捉えられるだろう。つまり、「コントロールされた空間を受容する行為」と「コントロールされた時間を受容する行為」を表わすものと受け取ることもできるわけだ。

なにより、「シルクの布に開いた穴」を覗いた先に見えるものが「もうひとつのシルクの布」であることが、それを端的に表わしていないだろうか。なぜなら、「シガレットバーン」「覗く行為」「時計」といった「映画」に関連するイメージに満ちたこのシークエンスにおいて、穴から「侵入するカメラ」が映し出す「もうひとつのシルクの布」は、すなわち「映写スクリーン」のことであると理解できるからだ。ならば、上記の三つのシークエンスに登場する「侵入するカメラ」が映し出している「もの=概念」は、これまた「映写スクリーン」を介して提示され受容され共有される「映画=世界のこと」であることになる。

ロスト・ガールがスー=ニッキーに向って、「煙草の火でシルクの布に開けた穴を覗く行為」を示唆するシークエンスを振り返ってみよう。まず、ロコモーション・ガールの一人が、ポーランドの「ストリート」に誘い出したスーに向かって「観たい?(Do you want to see?)」と問いかける(1:12:18)。そしてそのイメージは、回転するレコードを背景にしたロスト・ガールが「観たい?(Do you want...to see?)」と問いかけるとともに、「映画を作る行為=映画を観る行為=シルクの布に煙草の火で穴を開けて覗く行為」を示唆するシークエンスへと連鎖していく(1:13:08)。

この連鎖するシークエンスで提示されている映像に基づくなら、前者の「観たい?」は、ポーランドの「ストリート」を前にしての問いかけである。つまり、ニッキーの裡なるものであるロコモーション・ガールがここで観せようとしている対象とは、「ストリート」の深奥に存在する「感情移入=同一化」の根底となるもの……すなわち、スーやニッキーやロスト・ガール(および他のすべての女性たち)が共有する「感情」に関するものだということだ。そして、この「観たい?(Do you want to see?)」という台詞をキーワードにしてつながる次のシークエンスにおいてロスト・ガールが観せようとしているのは、「シルクの布の穴を通して観えるもの=映画」ということになる。この連続する二つのシークエンスが最終的に提示しているのは、「感情移入=同一化」と「映画=世界」の結びつきである。いうなれば「Do you want to see?」という台詞が「等号」となって、「感情移入=同一化」=「映画=世界」という等式を作り上げているのだ。

(あら? まだ続きますね、こりゃ)

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