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2007年12月 3日 (月)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (29)

「ノース・カロライナ」の落穂の落穂(笑)。

さて、こんなふうに「インランド・エンパイア」で言及されている「ノース・カロライナ」にまつわるアレコレを見るにつけ、リンチが非常に私的な部分に基づいたイメージによって作品を創っていることが改めて伺えるような気がする。思えば、「イレイザーヘッド」やそれに先立つ初期短中編作品から、リンチ作品は非常にリンチの私的なものの発露であったといえる。が、特に「インランド・エンパイア」はその「私的な部分の濃度」において、そうした初期作品と並ぶものであるように思う。

しかし、スーを「赤いカーテンの通路」に導く「赤いドレスの女性」からして、どうやら名前がCarolinaであるのだな。その名前を出してクラブ内部に入れてもらおうと懇願するスーの姿(I know that girl! Carolina. I know Carolina. Let me in. Let me in.)(2:12:24)は、その当時の切羽詰ったリンチの姿そのものではないのか……という意地悪な見方もできるかもしれない。この見方に即するなら、カロリーナが「出口のサイン」を指差し、次に「赤いカーテンの通路の奥」を指差して、どちらに進むか選択させるシーンは実に意味深だ(2:14:04)。

リンチ作品が提示するイメージは、このように複合的なのが常だ。加えてこのシーンのケースでは、以前に述べたリンチが抱く「赤のモチーフ」への根源的なものとも重なっている可能性をも指摘しておきたい。

それにしても、だ。これまた意地の悪い見方をするならば、現在のリンチの状況自体が、「ブルー・ベルベット」を撮る直前のリンチの状況と重なってみえて仕方がないのだ。以前も触れたように、リンチはここ久しくハリウッド資本で作品を撮っていない。それどころか、「インランド・エンパイア」に関しては、北米での配給会社探しも難航し、結局リンチ自身が「ABUSRDA」という会社を立ち上げて自作品の配給に乗り出すことになった。そういえば「ブルー・ベルベット」も、その内容の過激さから配給会社探しに苦労し、最終的にデ・ラウレンティスが「DEG(De Laurentis Entertainment Group)」を立ち上げて配給することになったのではなかったか。確かにベネツィアで栄誉金獅子賞を獲得するなど、リンチの映画監督としての評価は高い。だが、こと新作の製作に関する限り、リンチが置かれている現状の厳しさは「ブルー・ベルベット」のころに比べてどれほど差異があるのだろう。

……てな余計な斟酌をさせていただきつつ思うのは(笑)、今回採用された「DVカメラ」を使った撮影方法は、リンチの新たな「曲がった木の棒」に成りえるのではないかということだ。製作のスタイルの問題や現場での取り回しの良さ、あるいはポスト・プロダクションの容易さといった製作面の範疇にとどまらず、将来的にデジタル・データでの上映館が普及すれば、配給に関しても何らか突破口が広がる可能性もゼロではない……とリンチは踏んでいるのではないだろうか。現実問題として、設備投資の問題が大きく、デジタルでの上映に関してはあまり普及してはいないのが現状であるにしても。

とまあ、勝手なことを書き綴ってみたが、いずれにせよ、感じるのはどのような形であろうと新しい作品を作ろうとするリンチの意欲だ。そして、自分としてもどのような形であろうとリンチの新しい作品を観たいと思うばかりなんである。

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