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2007年12月25日 (火)

ボカノウスキーの「天使」を観る

さて、「インランド・エンパイア」には「高低のアナロジー」に伴って「階段」の映像が繰り返し登場する。が、もちろん映画に「階段」 が登場するのは、これが初めてというわけではない。それどころか、枚挙の暇がないといったほうが正しいだろう。有名どころでいえば 「戦艦ポチョムキン」(1925)の「オデッサの階段」のシーンがまず思い浮かぶし、ロバート・シオドマク監督の「らせん階段」 (1946)というそのものズバリなタイトルの作品があったりなんかもする。映画は「階段」をいろいろな形で登場させ、 「頭上から降りかかる、権力による理不尽な暴力」だの「紆余曲折を経なければ辿り着けない、入り組んだ真相」だのといった、 さまざまな象徴的意味合いをもたせてきた。

だが、もし、「階段映画」などというようなジャンルがあったとしたら、 その筆頭として挙げられるであろう作品がある。それがパトリック・ボカノウスキー監督の「天使(L'Ange)」(1982)だ。

l'ange01

……といいたくなるくらい、この抽象的で非ナラティヴな作品は「階段」のモチーフに支配されている。暗闇の中、ミシェール・ ボカノウスキーの音楽にあわせて浮かび上がる「行き止まりの階段」や「折れ曲がった階段」や「螺旋階段」などの断片的なイメージと、 その階段を上り続ける「上昇」のイメージこそがこの作品の主役だといえるだろう。

階段と階段の「間」……つまり「階層」において、いくつもの抽象的かつ観念的なイメージが提示される。アングルを変えスピードを変え、 いわば時間と空間を同列に扱い混淆させながら、各階層におけるイメージは延々とリフレインされる。 リフレインは永遠に続くかのように感じられ、それぞれの階層でのそれぞれイメージが「普遍的なもの」であることを伝えているようだ。だが、 それらのイメージにコンテキストを与えるのは、一連の「階段」と「上昇」のイメージに他ならない。そのコンテキストに基づいて捉えたとき、 各階のイメージが伝えるのは、たとえば……

・弱者に対する暴力と支配
・なす術もなく起きる、とりかえしのつかない失敗
・放埓に寝そべって数えられる財産
・幼児的に取り繕われる外見
・傾いた基準のもとでの日常
・どこにも飛び立たない、知識のためにあるかのような知識
・手が届いた瞬間に新たなベールをまとう真理

l'ange02
・ベールをまとった真理に対する科学の調査
・真理がまとうベールに対する化学による分析
・手に触れられないものに対して続く検証とその伝承
・高い壁のある茫漠たる暗い部屋

……といったようなものだ。こうした一連のモチーフが全体として伝えるものは、我々がかつて辿った状況であり、 あるいは今なお自身を置いている状況そのものであるのだろう。

そうした「階層」の描写を経て、この作品の結尾を飾るのは「長い階段」の圧倒的な映像である。我々にはまだ、 上らなければならない遥かな「階悌」が残されていると、この作品は伝える。そして、その永遠に続くかのような階段の頂上に待つものが、 画面全体を覆う「光」に表されるものであることも提示される。最後の「階段」を上る「異形の者たち」の姿が示すように、その「高み」 に近づくためには、もしかしたら我々は今ある姿を放棄しなければならないのだろうか?

我々は「茫漠たる暗い部屋」から脱出し、最後にはそうした「高み」に辿り着くことができるのか? そもそも、そうした「高み」 は本当に存在するのか? あるいは、我々はそうした「高み」をそれと認識できるのか? 「天使」はいろいろな疑問を投げかけて終わる。 我々にはその疑問に答える術はなく、おそらく可能なのは願うことだけだ……もし我々が変わっていくとしたら、それが「天使」 であれなんであれ、「善きもの」の姿に似ていることを。

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