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2007年11月29日 (木)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (28)

どこまでいくのか「インランド・エンパイア」の落穂拾い(笑)。お題は引き続き「ノース・カロライナ」について。

「ブルー・ベルベット」の撮影は、前項で触れたノース・カロライナ州ウィルミントンの各所と、同州のランバートン(Lumberton)で行われた。撮影には「GEOスタジオ」が使われたとする資料もある。が、その一方で、当時「GEOスタジオ」は建設途上にあってその撮影ステージは防音設備が間に合っておらず、2マイルほど北にある飛行場の騒音がダダ漏れだったというリンチの発言がある。最終的に「ぴったりの防音ステージを借りられた」らしいが、それがどこのスタジオのものなのか正確にはわからない。

「商業」映画監督デイヴィッド・リンチにとって、この「ブルー・ベルベット」という作品が大きなターニング・ポイントになったことは間違いない。自主制作だった「イレイザーヘッド」(1976)はさておいて、「エレファント・マン」(1980)と「砂の惑星」の二作はすでに企画が存在し、そこに監督としてリンチが嵌め込まれる形で成立した作品だといえる。要するに、リンチが主導して作られた作品ではない。スタート段階からリンチ自身の企画として「商業作品」が作られたのは、この「ブルー・ベルベット」が最初であることになる。

「エレファント・マン」のときは、比較的リンチは自由にできたようだ。しかし、そのプロデュースを行ったメル・ブルックスのプロダクションはやはり資金難で座礁し、白紙の小切手をオファーされたデ・ラウレンティスとの仕事は自分の意に沿わない編集が施されたあげく、厳しい評価を受けてしまう。この時点で、リンチが映画監督としての自分のキャリアに不安を覚えたとしても、まったく不思議はない。

そのような状態のなかで、「ブルー・ベルベット」という作品で自分自身の企画と表現が実現できたこと、「予算半額、ギャラ半額」という制約と引き換えにファイナル・カット権を確保できたこと、そして結果的に作品が一定の評価を得たことは、かなりな僥倖だったというほかないだろう。そう考えるとき、リンチにとってノース・カロライナがもつ重要性や、「インランド・エンパイア」におけるその地への言及の意味、ひいては「ファントムの片足の妹(He had a sister with one leg)」が何を表わすのかが、おぼろげにみえてくる。

映画・TVを問わず、何らかの理由で頓挫する映像作品は星の数ほどある。「マルホランド・ドライブ」のようにパイロット製作まで至ればまだマシなほうで、企画書段階やシナリオ段階でボツになる企画となると、過去いくつあったことかわからない。そうして厳選された企画のみが資金を注ぎ込まれ、「人と時間のパズル」という管理を受けつつ、「商品=フィルム」として完成される。それが「工業製品」であるとともに「投資の対象」である映像作品が作られる通常のシステムだ。

そうした篩い分けで落とされた「中断された映画」は、「中断されなかった映画」の何千倍何万倍と存在し、いわばこの世は「47」で満ち溢れているといえる。リンチ自身にも、「ロニー・ロケット」をはじめとする「中断された映画」が何本もあるのはいうまでもない。だいたい、転機となった「ブルー・ベルベット」のシナリオからして、最初はワーナー・ブラザーズに持ち込まれたが、ずっと放置されていた。デ・ラウレンティスの決断がなければ、そのまま「中断された映画」のひとつになっていたとしても何の不思議もない状態だったのだ。

その経緯はどうであれ、断念せざるを得なかった自分の企画を、リンチはどのような思いで葬り去ってきたのだろう。もしかしたら、それは「幼い子供を殺す(She killed three kids in the first grade)」ような気分であったのかもしれない。そうであるならば、この「ファントムの妹」は、リンチ自身をはじめとするすべての「映画関係者たち」のことであるように思えてくる。彼女=彼らは「ファントム=映画の魔」の類族でありながら、制約を受ける不自由な体をもち、映画がもたらすさまざまな伝説を見上げながら「ステキ(Sweet)」(2:53:15)と呟くのだ。

しかし、それでもなお、「ブルー・ベルベット」の製作経緯とその結果がもたらしたものは、リンチのその後を決定する貴重な体験だったといえる。それがファイナル・カット権と引き換えの、「予算半額、ギャラ半額」という「片足を失った」かのごとくの不自由な状態でのことであったとしてもだ。ジェフリーは野原で「耳」を見つけた。その一方で、きっとリンチはノース・カロライナの森で「削った木の棒(carved stick)」を見つけたのだ……失くした片足がわりの木の棒を。

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