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2007年11月27日 (火)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (27)

んだば、ぼちぼち「インランド・エンパイア」の落穂拾いの続き(笑)。

さて、スーがMr.Kに対して語る台詞の中に、ファントムの出自に関する言及がある。念のため、該当する箇所のスーの台詞を抜き出してみよう。

Sue: They all called him The Phantom. He got in a barroom fight one night. All the bar was arrested. A lot if them fucking circus clowns. So when they take'em all down too the station... guess what. The Phantom's done gone and disappeared. This is the kind of shit I'm talking about. He was a Marine from North Carolina. He had a sister with one leg. She had a sorta... carved stick for the other one. She killed three kids in the first grade. This is the kind of shit...

スーは、ファントムが「ノース・カロライナの海兵隊員であった」と語っている。確かに大西洋に面するノース・カロライナ州には、たとえばジャクソンヴィル(JacsonVille)*にキャンプ・レジューン(Camp Lejeune)という海兵隊基地があるし、その南西のケープ・フィア川沿いにはウィルミントン・マリーン・センター(Wilmington Marine Center)もある。しかし、ノース・カロライナと「ファントム=映画の魔」の間に、いったい何の関係があるのか?

実は、ノース・カロライナ州のウィルミントン(Wilmington)は、「ハリウッド・イースト(Hollywood East)」と呼ばれるほど映画製作が盛んな土地なのだ。そして、その成立に関わった人物に、デイヴィッド・リンチは浅からぬ縁がある。

そもそもの始まりは、1983年。名監督フランク・キャプラの息子であるフランク・キャプラ・Jr.が、自らがプロデュースするスティーヴン・キング原作の映画「炎の少女チャーリー(Firestarter)」(1984)のロケ地を探していたことに端を発する。主人公の少女とその父親が隠れ住む場所の候補としてキャプラ・Jr.が目をつけたのが、「ザザーン・アクセント・マガジン(Southern Accents Magazime)」のとある号の表紙を飾った一軒の家だった。それが気に入ったキャプラ・Jr.は似たような家を探し回るが、結局見つからず仕舞い。最終的に彼は、雑誌に掲載された当の家をロケ地として確保するのだが、それがノース・カロライナ州ウィルミントンのほど近く、ケープ・フィアー川の傍らに建てられた家だった**

で、この「炎の少女チャーリー」の共同プロデューサーだったのが、マーサ・シューマッカー(Martha Schumacher)。1990年にディノ・デ・ラウレンティス(Dino De Laurentiis)の二番目の妻になる女性である。

この当時、まだ最初の妻シルヴァーナ***がいたデ・ラウレンティスが、どのようにしてこの撮影地のことを知ったのか詳細な経緯はわからない。が、とにかく、イタリア時代を通じ自らのスタジオを持つのが夢だったデ・ラウレンティスは、この温暖なノース・カロライナの地が映画撮影にうってつけであることを知る。彼はさっそくウィルミントンに土地を買い求め、1984年には「DEG(De Laurentis Entertainment Group)スタジオ」が設立される。

1984年といえば、ディノ・デ・ラウンレンティスとその娘のラファエラのプロデュースのもとでリンチが監督した、「砂の惑星」が公開された年だ。つまり、リンチがこの映画を撮っている最中に、「DEGスタジオ」の話は進行していたことになる。その経緯は、多分なんらかの形でリンチの耳にも入っていたことだろう。ハリウッドから隔絶された東海岸に自らの「映画王国」を打ち立てようとしているデ・ラウレンティスの姿は、商業映画第二作目を製作中の駆け出し監督だったリンチ****の目に、はたしてどのように映っていたのか。

当時の州知事だったジム・ハント(Jim Hunt)が1980年に立てた映画産業振興策の力も得て、ノース・カロライナの映画産業は順調に成長し、たった10年でハリウッドに次ぐ規模になる。だが、リンチとデ・ラウレンテスの関係は次作「ブルー・ベルベット」(1986)で終わり、興行失敗が続いて資金的に苦しくなったデ・ラウンレンティスは、わずか4年で「DEGスタジオ」をカロルコ(Carolco)に売却してしまう。

その後、しばらくの間このスタジオはCM撮影用として使われていたが、1996年にコロンビア・ピクチャーの子会社のものとなり、あのフランク・キャプラ・Jr.をトップにした「EUE スクリーン・ジェムズ・スタジオ(Screen Gems Studio)」として生まれ変わる。現在でもこの「スクリーン・ジェムズ・スタジオ」を含め、ノース・カロライナ州には7箇所の撮影所があり、29の撮影用ステージを擁している。大道具・小道具の製作をはじめケータリングに至るまでの周辺産業もちゃんと存在し、劇場用映画やTVドラマの製作が続けられている。「ハリウッド・イースト」という呼び名は、伊達ではないわけだ。

それにしても、映画製作に執りつかれた挙句イタリアという祖国を捨て、アメリカに渡ってからもあの巨大ハリウッドに対抗して自分の「映画王国」を作ろうとしたデ・ラウンレンティスもまた、「映画の魔」に深く魅入られた者ではなかったか。……いや、考えてみれば、彼のもとで、とんでもない挫折と望外の成功の両方を味わったリンチにとって、ディノ・デ・ラウレンティスこそが「ファントム=映画の魔」のひとりであるのかもしれない。ノース・カロライナに「王国」を築き上げようとした、その野望はついえた。だが、そこは今もなお、その倦族が支配する土地なのだ。

(続くんかいな、これ?)

*フロリダ州のジャクソンヴィルとは異なる。

**それだけ凝っても映画自体の出来は今ひとつで、「キング原作の映画はイマイチ」という評判を覆すことはできなかった。にしても、あの「家」のどこにキャプラ・Jr.は魅かれたのか。久しぶりに「炎の少女チャーリー」を観返してみたけど、よくわかりません(笑)。あ、よくみたらフレディー・ジョーンズが出てるや、この映画。

***もともとイタリア時代にデ・ラウレンティスがプロデュースした「にがい米(Riso amaro)」(1949)等の出演女優だった彼女は、「砂の惑星」でも教母ラマロ(Ramallo)役を演じている。旧名シルヴァーナ・マンガーノ(Silvana Mangano)。

****おそらくは、「砂の惑星」のファイナル・カット権を巡るゴタゴタの最中だったのではないだろうか。

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