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2007年11月19日 (月)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (24)

まだまだまだまだ「」と「」。

「インランド・エンパイア」における「赤」のモチーフの表れ方として興味深いのが、クリンプ=ファントムが「赤い電球」*を口にくわえ、裏庭の木の陰からスーの前に登場するシークエンスだ(1:59:39)。前項の「Rabbitsの部屋」と「イメージの連鎖」の順序は前後するのだが、今回はこのシークエンスについてみてみる。

スーが「スミシーの家」の隣家にクリンプを訪れるのは、その直前のシークエンスにおいて訪問者2から「クリンプという名の隣人を知っているか?(Do you know the man who lives next door? "Krimp" is the name.) 」という示唆(1:57:02)**を受けたからである。「クリンプ=ファントム」が「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」における「心理的な展開」に対して機能しているという見方にのっとって捉えるなら、ここで訪問者2によって示唆されているのは、その「心理的エスカレーション」の状況がどのようであるかについての「確認」の必要性ということになる。

こうしてスーが初めての邂逅を果たした「クリンプ=ファントム」が「赤い電球を口にくわえている」のは、何を表わしているのか? 今までみてきたように、「赤」を「物語展開の要請」に関連するものと位置づけるとき、この「赤い電球」によって表わされるものは明確である。というよりなにより、この「クリンプの家の裏庭」におけるシークエンスで----

クリンプの口にくわえられている赤い電球のアップ。
     ↓
※明滅する「スミシーの家」にある赤色の傘のライト・スタンド。
     ↓
※それを見詰めている「スミシーの家」の小部屋の壁にもたれたスーのアップ。明滅する灯り。
     ↓
裏庭にいるスーのアップ。

----という具合にインサートされる※印の二つカットによって、この両者の「赤」の同一性は(少なくとも機能面での同一性は)明示されているといえるだろう。

……てなことを踏まえつつ読んでいくとすれば、「赤い電球をくわえたクリンプ=ファントム」というイメージによって提示されているのは、「心理的エスカレーション」の「物語上のエスカレーション」に対する(それを呑み込まんばかりの)優位である。

要するにこの時点では、「物語上のエスカレーション」よりも「心理的エスカレーション」のほうが勝っている。「インランド・エンパイア」に関して何事かつぶやきつつ(1:55:41)バルト地方のサーカスから姿を消した「ファントム=クリンプ=映画の魔」は、ロスト・ガールの「ポーランド・サイド」から、通底する「ストリート」を伝ってスー=ニッキーの「スミシーの家」の近くにまで侵入してしまっているのだ。それだけ演技者=登場人物=受容者の「同一化」は深まっているのだが、それどころか、このシークエンスでは「心理的展開の要請=スクリュードライバー」までがスーにもたらされてしまう。「心理的展開」は、最終的なクライマックスに向けての準備を始めるのだ。

そして、それに応えて、シークエンスは----「ロスト・ガールの家(ポーランド・サイド)の空虚な入り口」のカット(2:01:03)***をはさみつつ----「老人たちによるピオトルケへのピストル授与」へと移り、そして前項で触れた「Rabbitsの部屋」のシークエンスへと続いていく。こうして「心理的展開」と「物語上の展開」の両面において、「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWSはクライマックスへの準備を整えることになる。

(うが、まだ終わらんのでこの項、続く)

*「Catching the Big Fish」にあるリンチ自身の記述によれば、ロサンジェルスにおけるこの「小さな家(The Little House)」のシーンの撮影時、「なにか小道具が必要だ」というファントム=クリンプ役のクシシュトフ・マイフシャク(Krzysztof Majchrzak)の希望に対し、リンチは自分のオフィスにたまたまあった「割れたタイル(broken tile)」と「岩(rock)」と「赤い電球」の三つを提示したということだ。そして、マイフシャクが選択したのが、この「赤い電球」だったということである。「インランド・エンパイア」の製作経緯を考えたとき、使われたなかった「タイル」と「岩」の「色」はなんだったのか、このシーンがどの時点で撮影され他のどのシーンに影響を与えたのか、非常に興味深いところだ。

**同時に、訪問者2は「伏線の回収」および「時間コントロール」という「物語展開の要請」の示唆をも行っている。なおかつ「ここ(スミシーの家)に住む男のことを知っているか?(Do you know the man who lives here?)」といった具合に、「トラブルの根源」についての問いもスーに投げかけているが、これは老人たちからピオトルケへの「彼女(ロスト・ガール)がわかるか?(Do you recognize her?)」という問いかけ(2:02:11)と対置されるものであるように思える。こうして妻と夫の両者が、「トラブル=機能しない家族」についての認識を確かにするのだ。
いずれにせよ、この訪問者2の一連の発言は、「訪問者たち」が「物語上の展開」と「心理的な展開」の両方を含めたより全体的な視野をもつ存在であることの証左のように受け取れる。訪問者1によって表わされる「言説」と考えあわせれば、彼女たちはいわばより「上位の存在」あるいはより「外部の存在」であることがうかがえるように思う。

***これは、「ファントムがアメリカ・サイドに移動し、姿を消したあとのポーランド・サイド」を表わすのか?

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