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2007年11月25日 (日)

「Snowmen」を読む

写真集なんで「読む」っつーのはちょっと違うかもしんないけど、まあ、いいや(笑)。

snowmen

この「雪だるま」ばっかを撮ったデイヴィッド・リンチの写真集、作品集である「The Air Is on Fire」と同じぐらいの時期に出版されていたハズで、すでに米アマゾンでは注文不可なんだけど、なぜか日アマゾンでは11月30日発売の予約可になっていた。20日に注文したら、22日に届いた。どーゆーことだ(笑)。奥付の刊行年月日が今年の2月になっているので、まだ在庫が残ってたってことなんですかね? でもって、クリスマス・シーズン狙って重版がかかるんでしょーか?  そこらへんの事情は、よくわかりません。

掲載されている「雪だるま」の写真は、クリス・ロドリーによるインタビュー集「映画作家が自身を語る デイヴィッド・リンチ(Lynch on Lynch)」でリンチ自身の言葉として触れられているように(P.286)、また「Snowmen」の扉にリンチの自筆文字で書き殴られているように(笑)、1990年代頭(インタビューでは1993年となっている)にアイダホ州のボイシ(Boise, Idaho)で撮影されたものだ。

さて、収められている8葉の「雪だるまズ」写真を眺めていると、あることに気づく。かならず背景として、その雪だるまを作った人々が住む「家」が映っていることだ。つまり、構図としては、リンチの一連のドローイング---- 「彼女は家の外で泣いていた(She Was Crying Just Outside The House)」(1990)や「家になった僕(Here I Am-- Me As a House)」(1990)そして「ママは家にいて、本当に気が狂っている(Mom's House and She's Realy Mad)」 (1990)----などとまったく同一なのだな。いや、ドローイングのほうはパース無視の抽象画という違いがあるけれど、背景に「家」があって手前に「人様」のものが居るという構成要素は同じ。

となると、この「雪だるまズ」の写真は、リンチが何度となく展開する「何かよくないことが起きる場所としての家」というモチーフ、あるいは毎度おなじみの「機能しない家族」というモチーフのリフレインであるとも受け取れるわけだ。したらば、間違ってもこの本をクリスマスの贈り物になんかしちゃイカンのではないか、少なくともリンチ・ファンにプレゼントしたら真意を疑われかねないんではないかと思ったりもするのだが、いかがなもんでしょーか。あ、この時期のドローイングには「ボイシ、アイダホ」(1989)なんてのもあるぞ。例によって「真っ黒け」だ(笑)。こりゃ、ガチなんでないかい?

もうひとつ。この「雪だるまズ」が、リンチがこれまた繰り返しチャレンジする「時間経過とともに変化する絵画」の一形態であると捉えることも可能なように思う。それほどまでに、いつしか溶け出してあるものは傾き、あるものは目鼻もわからなくなった「雪だるまズ」の様態はさまざまで、一度そういう目で見始めるとフランシス・ベーコン風の「歪んだ肉体」を備えているようにしか見えなくなるのが、あら不思議(笑)。あ、いま気がついたが、後ろのページにいくほど「溶解度」は増してるなあ。狙ってるでしょ、リンチ(笑)。

というわけで、一見のどかな田舎町の庭先で「雪だるまズ」によって展開される「漠たる不安と恐怖」、一家に一冊、ぜひ取り揃えられてはいかがでしょー(棒読み)。

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