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2007年10月31日 (水)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (17)

落穂拾いの続き。

「インランド・エンパイア」において、何度か台詞として言及される「動物(animals)」について。作品内で具体的にこの言葉が語られるのは以下の三箇所だ。

・助監督フレディの発言(0:39:27)
Freddie: I like dogs. I used to raise rabbits. I've always loved animals...their nature...how they think. I have seen dogs reason their way out problems, watched them think through the trickiest situations.

・ピオトルケの発言(1:45:22)
Sue: (混乱して) What's that got to do with you?
Piotrek: I will take care for the animals.
Piotrek: (一瞬、目を伏せたあと、はにかみながら) It was said that I have a way with animals.(微笑む)

・浮浪者2の発言(2:28:59)
Street Person#2: This monkey can scream... it scream like it in a horror movie. (Street Person#3を振り返る)
Street Person#2: But there are those who are good with animals... who have a way with animals...

助監督、夫、浮浪者によってそれぞれ語られる、この「動物」とはなんだろうか? 例によって、ここも「インランド・エンパイア」が「映画についての映画」であるという視点を優先して、みてみたい。

まず、これに関連した映像的提示と思われるのは、ピオトルケが白馬の傍らに立っているカットである(1:46:41)。そして、その映像にオーバーラップしてスーがMr.Kに向かって語るのは、ファントムが人々に対して何を行うかだ。

Sue: He'd start talking...
Sue: you know, real regular... talking up the crowd. They'd start listening, pushing in closer.
Sue: He did done sort of thing on people.
Sue: They all called him The Phantom.

このシーンと、「老人」による「馬は井戸まで連れてこられた(The horse was taken to the well)」という発言、そしてその直前の老人たちとピオトルケの会話----

Oldman#2: (Piotrekの方を向いて) You work for someone?
Piotrek: (Lost Girlの方からOld man#2の方を向いて) No.
Oldman#2: (Piotrekを見つつ) This is the one who she spoke of.
Piotrek: The one I work for.
Oldman#2: So... you understand.

----これらをすべてあわせて捉えたとき、この「動物」が表すであろうものの一端がうっすらとみえてくる。

まず、フレディの発言からイメージとして浮かぶのは、ここでいわれている「動物」が(少なくともその一部が)、「自律的に問題解決を行う存在」であるということだ。その一方で、ピオトルケや浮浪者2が言うように「扱われる対象」、つまり「コントロールを受ける対象」でもある。このあたりはむしろ、「ある程度の自律性を有しているが、より上位のものからコントロールを受ける存在」という概念から、実際にそれにあてはまる「動物」というイメージがリンチのなかで(意識的にせよ無意識にせよ)喚起されている……と逆方向から捉えたほうがいいのかもしれない。

ロスト・ガールの感情を揺さぶり彼女を泣かせていたものが「映画の魔(法)=ファントム」であるかぎりにおいて、ピオトルケがファントムによって「使われていた(work for)」こと、つまり「コントロールを受けていたこと」は明らかだ。ロスト・ガールの局面において彼女が「ストリート」に至る起因となるものがファントムであったように、スーの局面においてその起因がピオトルケであったことを思いだしてみよう。「ON HIGH IN THE BLUE TOMORROWS」において、夫の抽象概念であるピオトルケは、ファントムが機能する「感情のエスカレーション」のための「心理的要請」に応えるために「使われている」。

「ピオトルケと白馬」のカットが、これを補完する。このカットが映像的に提示するように、ピオトルケと白馬という「動物」は「並列/並立」しており、いわば「等価」である。つまり、「動物を扱うのがうまいといわれている(It was said that I have a way with animals.)」といわれ、サーカスで「使役される」動物の世話をするためにその一員となったはずのピオトルケ自身が、実は「使役され、コントロールを受ける対象」でもあったということだ。同時に、このシークエンスにおいてずっと流れるスーの「告白」が、この映像的補完を一層強化する。当然ながらその場にいるピオトルケもまた、「ファントムは人々に対して何かをする(He did done sort of thing on people.)」というスーの言葉にある「人々」に該当する者なのだから。ファントムが何をするのかを思うとき、やはり「コントロール」という概念を思い浮かべざるを得ない。

しかし、リンチが提示するものは常に「複合的」であり、ここに表れる「動物」という概念も、「単語/言語」との単純な置き換えを許さない。「動物」が「ある程度の自律性を有しているが、より上位のものからコントロールを受ける存在」であるとしても、さて、「映画」に関係するものに、どれだけそれに当てはまるものが内包されているだろうか?

(この落穂はデカいんで、続く)

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