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2007年10月27日 (土)

「インランド・エンパイア」を観た(X回目) (15)

落穂拾いのメモは続くのであった(笑)。

このように、訪問者1が「言説」を含めた「映画にまつわるもの」を含意しているのなら、では、キングズレイ監督がデヴォンとの会話で話すところの「90歳の姪(90-year-old niece)」とは何者なのか?(0:40:59)

Kingsley: (画面外で) It's the, uh, 90-year-old niece.
Kingsley: (画面外で) Ever since we went into preproduction, She's been fascinated by Smithy.
Kingsley: (画面外で) Keeps going on and on about Smithy. Asking in that... ancient foreign voice of hers..."Who is playing Smithy?"

ここはやはり、「インランド・エンパイア」が「映画についての映画」であるという視点からみてみよう。

すると、ある映画史上の事実に行き当たる。我々が現在観ているようなイメージにもっとも近い「映画」の誕生をみるには、1915年に公開されたD・W・グリフィスの「国民の創生」まで待たなければならなかったということだ。それは、映画の主流が短編から中編へそして長編へ移っていく過程*であるとともに、映画館が街なかの小規模なニッケル・オデオンから「チャイニーズ・シアター」などに代表される大規模なピクチャー・パレスへと移行する過程であり、ひいては主な観客層が英語も怪しい移民層から比較的裕福な中産層に変わっていく過程でもあった。つまり、編集技法から長さ、さらには受容形態や受容者層に至るまで、現在まで続く「映画の原型」を構成する要素がアメリカにおいて揃ったのが、1915年から20年にかけてだったことになる。「インランド・エンパイア」が公開された2006年から、ちょうど90年ほど前の話だ。

もちろん、(スクリーンに投射するという形での)映画の創生はリュミエール兄弟によるものであり、1895年までさかのぼる。だが、海を渡った先でその「親族」が生まれ、一個の完結した作品として豊かな「物語性」を手に入れるとともに、受容者の「感情」を操るようになるまで、しばしの時間を要したわけである*(映画が「音声」を手に入れるまでは、まだしばらく待たなければならない)。女性からの視線を主体として描いている「インランド・エンパイア」において、この「親族」は「姪」とされる……と、とりあえずは捉えておこう。

「姪」はプリプロダクションの段階から「スミシー」の役に興味をそそられ、誰がそれを演じるのかしきりに気にする。ずっとみてきたように、「インランド・エンパイア」において「スミシー」は「匿名性=一般性の謂い」である。作品の結尾において「スミシーの家」のリビング・ルームでロスト・ガールが夫(の抽象概念)と抱擁するとき、それを傍らでにこやかに見守っている彼らの息子の役名は「スミシーの息子(Smithy's Son)」だ。つまり、彼ら三人こそが「スミシー家」の者であり、「家族の抽象概念」であるといえる。だが、「スミシー夫人」であるロスト・ガールを「一般的受容者の総体=抽象概念」と捉えたとき、「スミシー」という名称もまた「受容者」と同義になりはしないか?

となれば、この「姪」が「スミシー=観客」のことを気にかけ、何度も「スミシー」について訊いてくるのも当然であるように思われてくる。誰が観客となりえるのか、はたして観客がいるのか、それは「商品」としての「映画」とって、あるいは「作品」としての「映画」にとっても重要な問題だ。

ところで、このキングズレイの会話をバックに映像として提示されているのが、メイク中のニッキーのアップなのである。この時のニッキーの顔が、後に出てくるポスターに描かれた「ピエロ」(1:56:32)を連想させるのはなぜだろう? もしかしたら、「姪」の話す「古い外国の言葉」とは、ファントムが人々を「魅了する」ときに唱えるのと同じ言葉なのではないだろうか? 映画というメディアができるずっと以前から存在した、故もなく人々を「魅了する」もの……それは「映画」の裡にもひそみ、ニッキーの裡にもまたひそんでいるのだ。

(さて、まだ落穂はあるか?)

*「国民の創生」に先行するものとして、「クォ・ヴァディス」(1912)、「ポンペイ最後の日」(1913)、「カビリア」(1914)などのイタリア製作の長編史劇映画があり、アメリカでも好評を博した。そうした海外作品の影響下にあって複数巻物の製作がアメリカでも増えていき、グリフィスも「ベッシリアの女王」(1914)などを経て、「国民の創生」の製作に至る。

なお、こうした1910年代を特別の時代と見る映画史の捉え方は、決してリンチ独自のものではない。リュミエール兄弟によるシネマトグラフィー=映画誕生100周年を記念し、1995年にフランスのリヨンで「現代美術ビエンナーレ」が開催されたが、その構成は以下のようなものだった。

この展覧会ではこれは1910年から1950年までを「映画の時代」、1950年から1990年までを「テレビの時代」、1990年以降を「ヴァーチャル・リアリティの時代」という三つのサイクルに分けていた。これは映像の歴史を技術史ではなく、「新たな表現の歴史」として整理した見方である。
--「映像論 <光の世紀>から<記憶の世紀>へ」(1998年)港 千尋

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