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2007年9月 6日 (木)

「インランド・エンパイア」を観た(3回目) (6)

……いや、だが、ちょっと待て。

「インランド・エンパイア」にはもう一人、「催眠術」を使い「他者を魅了する」登場人物が現れなかったかだろうか?

タイム・スタンプでいうと (2:11:34)あたり、雪の積もる夜のポーランドのストリートで、ロスト・ガール(ポーランド風味)に対して人差し指を突きつけ、グランドさせた「女性」がいたはずだ。

「彼女」は、もう一人の女性と伴ってポーランドのストリートにスーを誘い、あるいはロスト・ガールを魅了し、あるいはスーとともにハリウッドのストリートに立つ者だ。「スミシーの家」の居間にたむろし、乱舞し、やくたいもない男たちへの思いを語る「ロコモーション・ガールズ」の一員だ。

ここでは、「彼女たち二人」こそがニッキーの裡に潜む「他者を魅了するもの」であり、「同一化」を誘うもの、つまり「映画の魔(力)」であると捉えておきたい。二人は、「ファントム」が倒されたあと、何かを察知して上方を見上げる。そして、ロスト・ガールのモニターのなかで(2:47:11)、あるいは映画のフレームのなかで(2:47:29)、歓喜に満ちて通路を駆け抜けてくるのも同じ「彼女たち二人」だ。

そして、もし「彼女たち二人」がニッキーの「裡なるもの」であるならば、必然的にその他の「ロコモーション・ガールズ」も、同じくニッキーの「裡なるもの」だということになる。そして、同時に、「ロコモーション・ガールズ」はスーやロスト・ガールの「裡なるもの」でもあり、「ニッキー=スー=ロスト・ガール」という「演技者=登場人物=受容者」のネスティングを形成する「核」なのではないか、あるいはネスティング構造そのものなのではないか……という可能性に思い至る。

演技者の裡に潜む「他者を魅了するもの」になんらかのセクシャルな要素が介在するのは、ある意味、漠然と直感的に理解できる。そして、作品内で描かれるニッキーやスーやロスト・ガールが抱える「トラブル」にもまた、セクシャルなものが介在する。もし「機能しない家族」というキー・ワードで捉えるなら、その欠落も含めて、やはりセクシャルな部分が問題になるはずだ。

なぜ「ロコモーション・ガールズ」は「娼婦」で有り得るのか? なぜスーは「私は娼婦よ(I'm whore.)」と呟くのか? なぜロスト・ガールはポーランドの街角に立つのか? なぜドロシー・ラムーアはサロンを焼き捨てたのか?

(てなことをつぶやきつつ、続くかも)

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