フォト
2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 「インランド・エンパイア」のサウンドトラック・アルバムが予約受付開始だそーな | トップページ | 「インランド・エンパイア」を観た(3回目) (5) »

2007年9月 3日 (月)

「インランド・エンパイア」を観た(3回目) (4)

もうひとつ言及しておきたいのは、「インランド・エンパイア」に表出している「各種のメディア」という視点だ。

この作品では、主として「映画」というメディアが描かれているのは今まで述べてきたとおりなのだが、それと同時に、映画に「先行」「並存」「後続」する各種メディアの描写が散りばめられていることを見逃すわけにはいかないだろう。

まず開巻後ただちに登場するのが、闇を切り裂く映写機の光と「レコード」であり、「史上もっとも長く続いているラジオ・ドラマ(the longest running radio play in history)」*だ。そして、ロスト・ガールが受容形態として選択している「モニター」および「ビデオ」である。

こうして並べると、「ラジオ」「レコード」「映画」「テレビ」「ビデオ・ソフト」という、なんらかの形で(娯楽といって語弊があれば)作品を伝達するメディアが登場していることになるわけだ。が、ここであることに気づく。「活字」というメディアが欠落しているのだ。

つまり、ここでリンチによって提示されているメディアは、「肉体」や「肉声」を使った表現を伝達するものに限られているということだ(そういう意味では、当然、伝達されるものとして「音楽」や「舞踏」も含まれてくるのだろう)。さて、そう考えると、もうひとつ見逃せないメディアが「インランド・エンパイア」には登場している……「サーカス」だ。

リンチの表現を観る限り、リンチは「ラジオ」「レコード」「映画」を含めたすべてのメディアに先行するメディアとして、言葉を変えればそれらのものの「原型」として、「サーカス」を捉えているように思える。そしてそれは、ラジオ番組の歴史や映画史、TVの発達史などをみれば非常に納得のいくものだ。

各メディアに先行してさまざまな「肉体・肉声による芸」が存在し、そうした各種の「芸」をいわば集大成的にみせるメディアとして「サーカス」がある。他の各メディアが、その初期段階において、そうした各種の「芸」を(しばしばそのまま)伝達する形でスタートした部分があることは言うまでもない。

このように、「サーカス」を、「映画」をはじめとする各メディアの「原型」と捉えたとき、そこに出没する「ファントムなる男」が何を表わしているのか、おぼろげながらみえてはこないだろうか?

それは何かというと……。

(時間切れで続く)

*日本語版DVDの字幕では、なぜか「Axxon N.」が音楽の「曲名」であるかのように訳されているが、「radio play」といえば普通「ラジオ・ドラマ」のことである。

« 「インランド・エンパイア」のサウンドトラック・アルバムが予約受付開始だそーな | トップページ | 「インランド・エンパイア」を観た(3回目) (5) »

「インランド・エンパイア」を観た(3回目)」カテゴリの記事

インランド・エンパイア」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/215302/16330075

この記事へのトラックバック一覧です: 「インランド・エンパイア」を観た(3回目) (4):

« 「インランド・エンパイア」のサウンドトラック・アルバムが予約受付開始だそーな | トップページ | 「インランド・エンパイア」を観た(3回目) (5) »

最近のトラックバック