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2007年9月16日 (日)

「インランド・エンパイア」を観た(3回目) (10)

「インランド・エンパイア」における「視線の問題」の続き。

実は、この「観る対象」が欠落した「見下ろすニッキー(もしくはスー)」と対応するかのように、「観る対象」が欠落している「上方を見上げるスー(もしくはニッキー)」が現われるカットも存在する。

「ハリウッドのストリート」のシークエンスの直前、ガウンを着たスーが「スミシーの家」のリビング・ルームの椅子に座り、上方を見上げているカットだ(周りにはロコモーション・ガールズたちがいる)。ここでは、彼女が見上げている「何か(誰か)」を示唆する映像は存在しない。もし、仮にこの「観る対象」を欠落させた二つのカットが互いに対応し補完しているとしたなら、この実体として示されていない「視線の交錯」は、いったい何を意味しているのだろうか?

断絶したカットにおいて、あるいは連続したカットにおいて、「上下」に結ばれる視線……思わず、「上位自我」「下位自我」あるいは「意識」「無意識」などという言葉を当てはめたい誘惑にかられる。ただでさえ繰り返し登場する「階段」だの、その階段を「死ぬほど昇ったところにあるMr.Kのオフィス」だの、世にいわれる「人間精神の構造モデル」を援用したくなるようなモチーフに満ちているのがリンチ作品の常なのだ。しかし、ここではそうした(ある種の)「紋切り型」ともいえるアプローチはいったん保留しておきたい。

そして、このガウンを着たスーのカットの直前には、雷雨の夜、窓を開け放した暗い部屋の中に座るスーのカットがある。彼女も身じろぎもせずに、じっと前方を見詰めている。その服装からして、おそらくこのスーは前項で述べた「上下」の視線が交わされるカットの連続において、一番初めに登場するスーだ。

「水平」にあるいは「垂直」に交錯する、ときとして幻の視線。とりあえずは、彼女たちの「感情」をキーとしてその意味を読んでいくしかないように思う。

(Strangeな感じで続くのかな?)

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