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2007年8月19日 (日)

「インランド・エンパイア」を観た(2回目) (5)

「インランド・エンパイア」の構造をもっとも上位の視点からみるとき、そこに提示されているのはTVモニターに映し出される映像を観ているロストガールの「意識の流れ」や「心象風景」だ。そういう点では「ロストハイウェイ」や「マルホランド・ドライブ」と変わらない。

ただし、この二作品はフレッドやダイアンといった主人公の「意識の流れ」のみを描いており、主人公の「感情」に基づいて、作品内で発生するすべての事象を理解可能だった。「インランド・エンパイア」が大きく異なるのは、前述したように、主人公の自己投影の対象が同時に他者の自己投影の対象でもあり、かつその他者自身に主人公が自己投影を行っていることだ。こうした何層にもわたる自己投影のネスティング構造は、過去のリンチ作品にはなかった。

こうしたネスティング構造の結果、「登場人物=スーザン」に投影されている思いがニッキーのものなのか、それともロストガールのものなのか、あるいはロストガールが自己投影しているニッキーのものなのか、まったく判然としない。もちろん、それこそがリンチのいう「映画の魔法」の本質である。創作者と受容者が「世界=映画」を共有体験すること、そしてそれを可能にする映画というメディアのこと、「インランド・エンパイア」はそういったものについての映画なのだから。

そして、我々は「インランド・エンパイア」という「世界=映画」によって、「『世界=映画』を体験すること」を体験する……そこに、もうひとつの新たなネスティングを発生させながら。

さて、この映画のキャッチ・フレーズである「A WOMAN IN TROUBLE」についても自分の考えを述べておこう。まず「トラブルに巻き込まれた女性」とは、いったい誰なのか? 作品の基本構造においてロストガールの軸が「上位」であることからして、第一義的にはロストガールを指すと考えるのがもっとも妥当ではないかと思う。

しかし、では、ロストガールが巻き込まれた「トラブル」とはなんなのか? ここでは、モニター上で繰り広げられる「世界=映画」のなかで受容者であるロストガールが「体験」したものだ……というふうに反語的に捉えておきたい。つまり、ロストガールには現実的なトラブルは、一切、降りかかっていない。にもかかわらず、涙を流すほどの「感情移入」を彼女に促し、リアルにトラブルを「体験」させるのが「映画の魔法」だということだ。

映画が終わり「世界が終わった」とき、ロストガールは彼女の現実に帰還する。そこには、愛する男性や息子の抱擁が待っているのだ。

(続く)

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