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2007年8月30日 (木)

「インランド・エンパイア」を観た(3回目) (3)

「インランド・エンパイア」が内包する、もうひとつのテーマについてなんか。

David Durnell氏によるこのようなDumb Land」の紹介記事「がある。Durnell氏は、リンチが繰り返し提示する「機能しない家族(dysfunctional family)」というテーマが、「Dumb Land」にも表れていると指摘している。これは、「人間存在のなかに潜む愚かさや暴力性や原始性が、家庭という構造のなかで表出したものである」とするのがDurnell氏の観点だ。そして、この「機能しない家族」というテーマは、最初期の「グランドマザー」から始まって「イレイザーヘッド」「ブルーベルベット」「ツイン・ピークス」と連綿と受け継がれている、とDurnell氏は指摘する*

個人的には、このリストに「ロストハイウェイ」や「ストレイト・ストーリー」、ひょっとしたら「ワイルド・アット・ハート」まで含めてしまいところだ。なぜリンチが(映画だけでなく絵画も含めて)このモチーフに執拗にこだわるのか……ノア・バームバック監督による「ブルーベルベット」の再解題ともいえる「イカとクジラ」(2005)などもからめて、一度どこかで自分でもまとめてみたいような気がする。

それはともかく、では「インランド・エンパイア」においてはどうなのか……と振り返ってみると、これまたみごとに「機能しない家族」というモチーフが登場している。

もっとも明確に描かれているのが、「ロスト・ガール=スー=ニッキー」という「受容者=登場人物=演技者」のラインにおいてであるのはいうまでもない。どれが誰のことであるかは明確でなく、またアメリカでのことであるのかポーランドでのことであるのか、虚構であるのか現実であるのかについても判然としない。が、もちろんそれはまったく問題にはならない。「インランド・エンパイア」が提示しようとしているのはそうした”「個別例」の問題そのもの”ではなく、それら総体としての”「機能しない家族」の「抽象概念」”という「普遍的なもの」であるからだ。登場するさまざまな「個別例」は、その抽象概念を構成する部品=要素に過ぎないのだ。

この”「機能しない家族」の「抽象概念」”には、デヴォンの家庭も含まれるのは言うまでもなく、「インランド・エンパイア」では「機能しない家族」というモチーフがさまざまに変奏され、繰り返し提示されていることになる。そういう視点で「インランド・エンパイア」を観たとき、クライマックスの「ロスト・ガールと家族の邂逅」を、また別な文脈をもって捉えることができるのではないだろうか。

個人的に、不自然さを感じていたことがあった。「スミシーの家」の住人たちが家に入るに際して、他の家族に対して「ただいま(I'm home)」や「お帰り(You came back)」などではなく、「こんにちは(Hello)」と言っていることだ。スーもそうだし、ロスト・ガールも、ロスト・ガールの夫もそうだ。これも「機能しない家族」という視点でみたとき、一応の説明はつくように思うのだが、どうだろうか。

興味深いのは、キングズリー監督と照明係バッキー・ジェイが噛み合わないやりとりをするシーンだ(0:44:27)。てっきりリンチお得意の「成立しない会話」のモチーフであるのかと思っていたら、最後に助監督が監督に「彼は嫁さんともめてまして(He's got issues with his wife.)」**と耳うちする。監督が苦笑いをしてその場は終わるのだが、それに続くシーケンスでは、それが発端になった「うまく行かない撮影」のモチーフが出現する。「機能しない家族」は「機能しない撮影」を引き起こすのだ。

(どうだかわからんが、続く)

*同様の指摘は、他の映画評論家や映画学者によってもされている。たとえば加藤幹郎は「悪夢の詩学」と題するデイヴィッド・リンチ論のなかで、以下のように述べている。

----リンチ初期の映像作品『グランドマザー』(七○年)や『イレイザーヘッド』(七七年)から、『ブルー・ベルベット』(八六年)を経て『ワイルド・アット・ハート』(九○年)、『ツイン・ピークス』にいたるまで、伝統的なファミリー・メロドラマの約束事を利用しながら、リンチがつねにグロテスクな家族の崩壊劇を描いてきたことを指摘することはたやすい。
            (「夢の分け前」所載 ジャストシステム刊)

**あろうことか、日本語版DVDでは、この助監督の台詞に字幕がありません。あらま、である。

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